デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



アントニオ・カノーヴァ「クピドとプシュケ」(1787~93)

さて、ルーヴル美術館の"名作たちシリーズ"も、いよいよ大詰めとなる。シリーズでとりあげた美術品の割合は、絵画が多くて彫刻は数えるほどだが、実際のルーヴル美術館には彫刻も充実している。

アントニオ・カノーヴァ(1757-1822)が生きたころは、年代的にフランス革命真っ只中だが、彼はヴェネツィア近くの小さい町に生まれ、主に教皇庁から仕事を得ていた新古典派の巨匠である。彼は、フランス軍の侵攻からナポレオンの没落に至るまでの過程を、大彫刻家・外交官として力を発揮し、イタリアに対し尽力した。
ここで歴史の妙というかおもしろいところなのだが、イタリア人のカノーヴァは何と南カロライナ州から、ローマ時代の将軍の服を着たジョージ・ワシントンの像の制作を依頼され、完成させているのだ。建国やら独立戦争やらで、ごちゃごちゃになりがちなアメリカ史とカノーヴァの活躍時期を検討するも、正直ピンと来なかった(笑)。
さて、上の「クピドとプシュケ」の像。ギリシア神話では数少ない?、ハッピーエンドな物語の場面を表現した作品だ。あまりにも美しすぎる人間のプシュケに嫉妬したヴィーナス(アフロディテのこと)が、金の矢(愛の矢)とを放てるクピド(キューピッドのこと、またはアモル)に「プシュケが最も醜い男と結ばれるように、彼女に金の矢を射ろ」と命令するが、プシュケの寝床を訪れたクピドが彼女の美しさに見とれ、自分に金の矢を刺して彼女を愛してしまうことから始まる、壮大な恋愛物語だ。
上の作品はカノーヴァ自身、油が乗り切っている時期の完璧な美を追求した渾身の作品だろう。新古典主義に見られる肉体が理想化されて彫られている。
でも作品は、ただ理想化されているだけじゃなくて、古代の物語を題材にした甘美でロマンチックなところも見逃せないと思う。どうしたら彫像のようなポーズで物語を表現しようという直感が得られるのか、私などには分からないが、クピドとプシュケのロマンと哀愁が、若い肉体の美しさでもって凝縮されているような感じはわかった。
像を見ていたとき、たまたま西日が部屋内に入ってきた。人工的な照明をあまり使用していないルーヴルだけに、光の効果はとてもすばらしい。まるでクピドがプシュケの寝床を、名残惜しく離れようとする場面みたいだった。

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