ガーディアン紙や英語圏のニュースなどを見ると山本太郎の行動は大成功だったことが証明されている。これだけ世界的に話題になれば、その発言力も大きな意味を持つようになるに違いない。既成の職業政治家の皆が恐れていたように天才的な政治家なのかもしれない。ポピュリストとは言っても出来ないことを約束している訳でもなく、大阪のヤクザ市長のように権力掌握のためならば形振り構わず何でもありの発言をする訳でもない。兎に角、田中正造と文部科学大臣に言わせたのでその目的は殆ど達成したと言っても良いかもしれない。
同じ新聞は、ロンドン交響楽団の演奏会にプーティン一味である常任指揮者ゲルギエフへの抗議行動を報じている。この指揮者に関してはほとんど興味がないので、どちらでもよいことなのだが、文化活動ではこうした政治的な立場が問われるのは当然のことである。
先日ラディオで報道されていた。ベルリンの英米などの在外公館を外から調べるだけで。そのアンテナから情報活動をしているかどうかが分かるというのだ。盗聴などの微妙な電波を解析するためには、大使館などが重要な役割を果たして言うのは世界中同じであろう。
昨晩も大量にダウンロードしたオペラ映像の一部を観た。今回の題材はラモーのオペラ「ザラストロ」である。違う上演のCDは購入したのだが、資料がついていない安売りものなので、その字幕がとても助かる。DVDで発売されているようだが、公共放送で中継放送されたものなので既に受信料として払ってあるから、もはやDVDなど購入する必要が無い。それどころか、映像はPCなどで資料として使うのが最も都合よくて、ホームシアターなどと言って映画館もどきでそんなものを観ている暇も我慢も無い。そして、台本や構造を研究して、再びHIFIサウンドのCDをオーディオ装置で聞き直すことで、そのオペラ作品の細部まで理解できることになる。何よりもうれしいのは、フランス語の歌にフランス語の字幕が付いていることでとても語学勉強になることだ。映画と比べて細部に拘らず流せるのがとてもうれしい。
参照:
Japanese politician causes uproar by giving letter on Fukushima to emperor, AP, 7 November 2013
山本太郎よりも厄介な天皇 2013-11-06 | マスメディア批評
二十世紀末を映した鏡 2013-11-05 | 文化一般
僅かばかり早い、冬篭り 2012-10-15 | 暦
同じ新聞は、ロンドン交響楽団の演奏会にプーティン一味である常任指揮者ゲルギエフへの抗議行動を報じている。この指揮者に関してはほとんど興味がないので、どちらでもよいことなのだが、文化活動ではこうした政治的な立場が問われるのは当然のことである。
先日ラディオで報道されていた。ベルリンの英米などの在外公館を外から調べるだけで。そのアンテナから情報活動をしているかどうかが分かるというのだ。盗聴などの微妙な電波を解析するためには、大使館などが重要な役割を果たして言うのは世界中同じであろう。
昨晩も大量にダウンロードしたオペラ映像の一部を観た。今回の題材はラモーのオペラ「ザラストロ」である。違う上演のCDは購入したのだが、資料がついていない安売りものなので、その字幕がとても助かる。DVDで発売されているようだが、公共放送で中継放送されたものなので既に受信料として払ってあるから、もはやDVDなど購入する必要が無い。それどころか、映像はPCなどで資料として使うのが最も都合よくて、ホームシアターなどと言って映画館もどきでそんなものを観ている暇も我慢も無い。そして、台本や構造を研究して、再びHIFIサウンドのCDをオーディオ装置で聞き直すことで、そのオペラ作品の細部まで理解できることになる。何よりもうれしいのは、フランス語の歌にフランス語の字幕が付いていることでとても語学勉強になることだ。映画と比べて細部に拘らず流せるのがとてもうれしい。
参照:
Japanese politician causes uproar by giving letter on Fukushima to emperor, AP, 7 November 2013
山本太郎よりも厄介な天皇 2013-11-06 | マスメディア批評
二十世紀末を映した鏡 2013-11-05 | 文化一般
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他人が既に作った思想や文化が自分の物であるかの様に胡座をかいて威張る
実に高潔でいらっしゃる。素晴らしき両班精神。
両班精神ですね。
投資で数千万稼いだから生活保護を打ち切るチョッパリの改悪は許せないという記事もありましたね。
でも自分の思想が無いというのは言い過ぎです。
「チョッパリ、支那は低能」これがこのブログ独自の思想ですよ。
「ドイツハ高度な社会だからボランティアなどという低俗な制度は無い」
といったものもありましたね。
あと、なりすましに仲間の引き入れも自ら記事に書いおられました。毒似非寿司を振る舞われたご夫人はその後急逝されたとか。
両班の李氏朝鮮とは全く違う民族・文化です。
「ボランティアなどという低俗な制度」の記述は見つかりませんでしたが、そもそも制度と言うよりはその社会奉仕精神を指すもので、そのための機構として共同体とか教会とかの枠組みで存在するのです。ですから制度とか法的な枠組みを上から作るというのは誤りなのは当然です。
因みにシナの文化文明程度は朝鮮半島や日本と比較になりません。日本がそれに匹敵したのは、歴史上精々百数十年だけでしょう。
そこで扱った社会奉仕としての任意としての兵役制度は、共同体の消防活動などを更に一歩進めた考え方として注目されても良いかかと思われます。つまり法的な設定は飽くまでもそうした精神の受け入れの枠組み作りとなります。
教会活動と社会奉仕に関する記述がありましたが、その枠組みすらあまり認識されないほどに大きく網が掛かってきているということで、要するに制度としてのヴォランティアリングは形骸の一種と見るべきだということかもしれません。