Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

オーラを創造する子供達

2007-09-24 | 文化一般
11月6日にバイロイト・ヴァーグナー音楽祭財団の理事会が開かれる。後任者選びが、議事とされる。作曲家ヴァーグナーの建てた劇場をヴァーグナー家が貸し出す形で、個人財団から公の財団となったのは1973年のことであった。

現在は、楽匠リヒャルト・ヴァーグナーの孫であるヴォルフガング・ヴァーグナー博士が理事長となっているが、既に2001年には氏の先妻の娘エーファ・ヴァーグナー・パスキェーが理事会で後任者として選ばれ、それに対して元秘書の後妻の娘カタリーナ・ヴァーグナーを押すヴォルフガングの拒否権の行使で今に至っている。

しかし、老境が進んでいることから、理事に連邦政府、バイエルン政府、オヴァーフランケン圏、バイロイト市、ヴァーグナー協会の其々の代表者を戴き、それらの公的援助とそもそものルートヴィッヒ二世の援助を根拠として、後任問題はドイツ文化政策問題ともなっている。早逝した兄の娘ニケ・ヴァーグナーを含めて三つ巴状況であるが、昨日のフランクフルター・アルゲマイネ新聞紙上にて、当のカタリーナが指揮者ティーレマンとスクラムを組んで正式の後継と移譲の具体的な提案を公表した。

エレオノーレ・ビューニック女史のインタヴューの形式を取って、その表明がなされている。

「ヴァーグナーさん、歴史は繰り返すです。ティーレマンさんと協調して音楽祭を率いたいというので、かのヴィニフレト未亡人とベルリンの指揮者兼監督のハインツ・ティーテェンのようですね。」 -

そうした、ナチ政権とヴァーグナー家の協調をぶつける意地悪な質問に対して、一般的な受け応えで受け流すカタリーナ。

「それじゃ、ティーレマンさんは、きっと一度投げ出したベルリンの総裁の地位を兼任されるのかしら、そうすれば歴史的比較がし易いかと。」 -

「いいえ、ミュンヘンのフィルハーモニカーの地位で幸せです。私は何もバイロイトの地位のためにそれを擲ったり、おろそかにしませんよ。カタリーナと私は、只バイロイトの将来を何度となく語り合って、私達の考えが全く双方を補って余りないものであることを確認しあったのです」

「一体何時頃からです」かとする問いに対して、1980年代のアシスタント時代に子供のカタリーナとの出会ったことから、若いデビューを同じくした同期生であることを語り始める。それに続けてカタリーナは語る。

「新しいオーラです。しかし、部分契約は、2015年まで交わされていて、公共の資金が使われているわけですから、それを無駄にすることは出来ないのです。だから、我々の体制はヴォルフガンク・ヴァーグナーのオーラと意志を引き継ぐ管理体制として八年ほどそれらの義務を遂行することになります。私は憎まれ口を聞きたくないですが、ニケにしろ、エーファにしても年金生活の年齢ですから、この状況下で自らの個性を引き出していく可能性はない訳でしょ。」

ヴォルフガング・ヴァーグナーが終生理事長の契約上の身分を破棄して、目の黒いうちにお気に入りの末娘カタリーナに移譲するのは、既にこの計画を本人に提示して、娘が受け入れ準備が整ったことを伝えたと言うことから、可能な解決法として今回公表に漕ぎ着けたと語る。理事会はこれを受けて、後継への移行を速やかに行なうべきと主張する。そして、2015年までの移行期は、二人の芸術家にとって芸術的規制が否めないとして、これ以上は後継決定を待てないとする。

そして、カタリーナは、「バイロイトに来るものは、野心や金儲けは家に置いて来い」と芸術至上主義を唱えると、それに呼応してティーレマンは「電話番もヘルデンテノールも一緒になって食堂で一堂に会するのがバイロイトですよ」と仲良しチームワークと矛盾する伝統的劇場の楽長を強調する。

そうしておきながら、「音楽業界での指導的立場での永い経験で、二度と劇場などを請け負おうつもりはなかったのですが、バイロイトはそのような劇場ではなくバイロイトはバイロイトなのです。このアイデアに燃えささげますよ。」と、ありがたがらせるのである。その言動に見え隠れする知能。

まさに言葉の端々に、公的資金の運用と政治的悪用への否定を強く滲ませて、この二人が周りからどのように観測されているかを強く意識するばかりに、その言動は非常に子供っぽい言い訳となっていることには他ならない。

しかし、今年のティーレマン指揮の四部作での音楽的な大成功は、この指揮者に真の自信を植え付けたようで、その発言内容には、以前にはなかったような真実を多く滲ませるようになっている。アイデアとして挙がる、既に行なわれている少年のための夏季アカデミーにも言及して、ヴァーグナー歌手の育成の必要などを語っているが、ドイツ語を歌う歌手の存在は欠かせないことに相違なく、バレンボイムの再登場のみならずサイモン・ラトルやズビン・メータやケント・ナガノのデビューの必要性にも言及する。

カタリーナも、劇場の健全経営を言い訳としながらも、アカデミーでは演出家などの育成と共に、76歳にもなるアーノンクールの指揮を希望していて、同時に従兄弟ニケの新アイデアの具体制のなさを批判して、アカデミーを通した才能の発掘をスターシステムへの反論として挙げている。

再び、ティーレマンの言及であるシェーンベルクやシュトックハウゼンのバイロイトでの響きへの実験可能性を、カタリーナの言う限られた上演演目とミトスの保持をモットーに相反して挙げるところは、よく出来た漫才と言うしかない。

子供っぽい精神年齢の低い、知能の足りない人たちは、こうした子供騙しの言葉で動かされるというのだろうか?リヒャルト・ヴァーグナーの言葉「創造をする子供たち」が、インタヴュアーから発せられる。



参照:
Der schöne Zwang, immer dasselbe zu machen“, FAZ vom 22.9.2007
安全に保護される人質 [ 歴史・時事 ] / 2007-07-30
次から次へ皹の入る芸術 [ マスメディア批評 ] / 2007-07-28
襲い掛かる教養の欠落 [ 雑感 ] / 2007-07-27
アトリエのビッグシスター [ 女 ] / 2007-07-26
バイロイトの打ち水の涼しさ [ 生活・暦 ] / 2005-07-24

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