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Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

狂っているか?、大芸術

2013-12-14 | 

イングリッシュ組曲の全曲リサイタルを聞いた。バッハをよく弾いているアンドラーシュ・シフが当会の全曲リサイタルシリーズに合わせたものである。前回はテツラフのソナタであった。シフ本人が言うように、狂ったことになったかどうか?結果から言うと想像していたよりも価値があった。

ここでは今更シフのピアニズムが、当会の一時は核になっていたブレンデルの対極にあるように、現代のピアノでのバッハ表現をとやかく言うものではないことを繰り返す必要はない。それでも、バッハの音楽の構造や想像力や語法などについて多くを語り、プレーバッハは当然のことキース・ジャレットなどのそれとも違う次元での表現であることも間違く、最後のイタリアン協奏曲全曲のアンコールも含めて二時間を超える貴重な体験であったことも事実である。

大きくはプレリュードからアレマンドを経て、クーラント、サラバンドに続いて流行の舞曲、そしてジーグへの構造の中で、作曲家が何を表現しようとしたかの意欲であり、その構造の掲示である。その各々の作曲技法と調性構造やアイデアをこうして一挙に演奏されることで、はじめて一望できるのである。恐らくそれは演奏家にとっても興味深い作業であり、発見があるに違いない。なるほどレコーディング準備における発見との相違は矢張り一夜に最初から最後まで弾くという作業で表れることもあるに違いないのである。

正直なところ第一曲イ長調のプレリュードからアレマンドにかけてはそのイントネーションとピアノのなり方が会場の残響に適合せずに折角のタッチも録音でお馴染みのようには響かなかったのである。それでも二曲のクーラントになって対位法の扱いなども明確になるために、分かりやすくなってきたのであった。なるほどそこにそのような作曲意図が背景にあることも見て取れるのだ。それでもどこかにある違和感は現在のピアノと当時の鍵盤楽器との差でもある筈だ。そうした演奏法を敢えてしているのがこのピアニストなのである。ある意味、ジャズなどに見られる安易なピアノの使い方でもあるかのようにすら思われる。

しかし実際に曲順で演奏が進められていくと、ゴルトベルク変奏曲のそれではないが、各々の楽曲での作曲の工夫が一つ一つ明白になって行くというような全く飽きさせないどころか、ヨハン・アダム・ラインケンが自作に名付けた「音楽の庭」が広がっていくのである。それは創造の楽園でもある。

それでもこのピアニズムが示した最大の成果は対位法的な線の流れとその音のぶつかり合いであって、特に終曲のジーグでは祝祭的な意味合いを加味していて、こうした形式のあり方への理解に大きく寄与した。なるほど、その前にある最新流行の舞曲においても、例えば第四番ヘ長調のメヌエットなどではそのリズム構造と伴って、前古典派を通ってハイドンのそれに行きつくような和声構造を再現してと、こうしたピアニズムがあってこその解釈と響きでしかないことは間違いない。

同時にこうしたピアニズムは、ある種の制限であるかわりに、流石に若い時分から立派な演奏を披露し続けてきたピアニストであるから、その安定した演奏は大したものである。そして、久しぶりに曲芸師や香具師ではないとてもスポーツ的なピアノ演奏であったのも事実で、とても気持ちの良いリサイタルとしていた。その背景には、経験と心身ともの力の裏付けがあるのだろうが、それがクーラントの軽快さや明白さ、そして適度な歌のサラバンドなどにもよく表れていた。そしてジーグでの大団円へと導くのである。

会場ではしばしばチェンバロの響きを想像してみたのだが、今これを書きながらレオンハルトの録音で流している。意外に思ったのは、対位法の線がはっきりすると思ったチェムバロの演奏の方が無作為な打鍵から寧ろ通奏低音的な響きとなり、ピアノの方が微妙なバランスを活かしてという結果になっていることである。グレン・グールドのやり方は別格であるが、どのような方法でありピアノでこうした曲をプロフェッショナルに弾くときは、細心のコントロールが要求されることは分かるのである。

そうした音楽的な可能性の拡大の反面、舞曲の下りなどではどうしてもグスタフ・マーラーがバッハを顧みたように、その交響曲の中間楽章での響きのようになってしまいかねないきらいもある。しかし、アンドラ―シュ・シフの音楽は、中欧の音楽であっても、当日何時もの門番の親仁と話したように「日本人の音楽好き」にも人気があるのが観察できた。そして、バッハの音楽が如何にも中央ドイツの文化的背景を反映している大芸術であることも示していたのである。



参照:
環境の一部である全人格的な行い 2011-01-16 | 文化一般
形而上の音を奏でる文化 2007-12-21 | マスメディア批評
体育会系枠組みの娯楽 2013-11-11 | 文化一般
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