名古屋から発するブログつぶて・凡人のひとりごと

身の回り、世間のできごとをを日記風に記す(紙つぶてならぬブログつぶて)。

第七艦隊で十分は不十分か

2009-03-17 22:05:21 | Weblog
2009.3.17
 民主党小沢一郎代表の『在日米軍は第七艦隊で十分』という発言をめぐって、自民党が批判を強めているという。特に麻生首相は『安全保障はものすごく大事。(第七艦隊以外は在日米軍が)いなくていいと言うんだったらその分は自分でやるという決意と覚悟、それに伴う金銭も全部やる覚悟がなければ無責任』『空軍も陸軍も要らないとは、防衛に知識のある人とは思えない発言』とここぞとばかりに攻めたてている。
 マスコミも自公の言い分をことさらに大きく取り上げ、いかにも小沢氏の発言が欠陥だらけという雰囲気をばらまいているので、『在日米軍は第七艦隊だけでは不十分』というのが正しいような世論形勢になってきているように思える。
 しかし、朝日新聞の田岡俊次記者によると、日本にいる米空軍戦闘機は沖縄・嘉手納にF15が24機、青森・三沢にF16が18機だけ。日本の防空は1959年以来、航空自衛隊(360機)が一手に担ってきた。また、米陸軍は約2500人で、大半が補給、情報要員だ、と言っている。
 さらに、米国は強大な海軍で世界的制海権を維持しつつ、他の在外部隊は整理を進め、、日本政府も海兵隊のグァム移転経費の一部353億円を21年度予算に計上して、再編を支援しているという。
 そもそもが、もともと米軍は第七艦隊だけと言っていいような配備しかしていないというわけである。
 小沢さんも、西松建設の巨額献金問題で逆風にさらされているせいか、この問題では沈黙しているようにみえるが、どちらが真っ当かといえば、むしろ小沢さんの方ではないか。
 米国の世界戦略に組み込まれて、唯々諾々と軍事協力している麻生さん等自民党としては、この小沢さんの言葉も敵失に思えてしまうのであろうか。

若田さん三度目の宇宙飛行

2009-03-16 18:04:32 | Weblog
2009.3.16
 米航空宇宙局(NASA)は15日午後7時43分(日本時間16日午前8時43分)、国際宇宙ステーション(ISS)で日本人初の長期滞在に臨む宇宙飛行士若田光一さん(45)ら七人を乗せたスペースシャトル「ディスカバリー」を、ケネディ宇宙センターから打ち上げた。
 国際宇宙ステーション(ISS)は、日、米、欧州、ロシアなど15カ国が参加し、地球周回軌道上に建設中の有人実験・観測基地である。1998年に建設を始め、2010年の完成を目指している。現在3人の宇宙飛行士が滞在しており、5月からは6人になるという。
 若田さんは今回で三回目のシャトル搭乗となる。若田さんらの役割は、ISSに取り付ける大型太陽電池装置を取り付け、6人体制のための電力供給を可能にすることである。また医師である若田さんは宇宙空間でさまざまな医学実験にも挑む。さらに6月には、日本の実験棟「きぼう」の船外実験施設をロボットアームで設置し、「きぼう」を完成させる役割もある。 こうして若田さんは、日本人として初めての3カ月間の長期滞在をすませ、12月には野口聡一さん(43)による6カ月の長期滞在につないでいく。いよいよ日本人も宇宙で暮らす「基地居住」を体験することになる。

いじめ苦に高一男子自殺のその後

2009-03-15 09:50:10 | Weblog
2009.3.15
 三重県伊勢市の私立皇學館高校一年の男子生徒(16)が自宅屋根裏で首を伝自殺していたことが分かったのが今月の5日のことであった。
 生徒のパソコンに『暴言、暴力、嫌がらせを浴びせられ、精神的に嫌になった』という内容の遺書が残っており、さらに男女生徒7人の名前も書かれていたという。
 その皇學館高校で昨日(14日)、保護者への説明会があったと報道されている。学校側はこれまでの調査結果について『暴言や暴力に当たる行為があり、7人がいじめをしていた』などいじめの具体的な内容を明らかにして、保護者らに謝罪したという。
 学校側はいじめた生徒の保護者に、遺書に名前が記されていたことを伝え、生徒、保護者と遺族が面会する場をつくる方針でもあるという。
 いじめた生徒にいじめの認識はなかったとか、学校側も気がつかなかったとか、一方で大半の生徒たちは『自殺した男子生徒へのいじめがあったことを認識していた』とかいろいろな事実が報道さているが、何かあいまいである。
 こうしたいじめは一向になくならないで、あちこちで繰り返されている。まさか、うちの学校ではそんないじめはあり得ない、などと思っていることはないと思うが、こんなに繰り返されると、きちんとした防止策も持っていないのではないかと思えてしまう。いじめをしたという意識、いじめられたという被害意識は、大きな個人差がある。いじめの発見が難しい所以である。しかし、集団の中では大なり小なりこうしたいじめは必ずあるという認識の下に、事前の対策を持っていれば防げないものでもない。特に生徒たちの間では、よく分かっているものである。教師の方へ伝わらないことに問題があるような気がしてならない。
 また、生徒たちへのいじめの教育が軽視されてはいないであろうか。さらに、こうした事件が起こるたびに思うことだが、いじめた生徒への指導が甘すぎる。いつもいじめた側の姿が見えてこない。保護者が怒り、学校は誤るという形だけがクローズアップされて終わる。厳しい教育的指導が果たしてなされているのであろうかといつも不安に思う。
 生徒への対処の仕方はきちんと議論されているのであろうか。この答が聞こえてくるようになることを期待する。

ビキニ水爆実験・被爆者 大石又七さんの講演

2009-03-14 20:49:22 | Weblog
2009.3.14
 今から55年前の1954(昭和29)年3月1日未明、太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁から160キロの海域で操業中の第五福竜丸がアメリカが行った水爆実験によって被爆した。このことを知っている世代は既に少数になっている。
 戦争と平和の資料館ピースあいちでは、2月24日から4月11日まで、その水爆実験に被災した第五福竜丸展を開催している。
 その展示の一環として、第五福竜丸の乗組員だった大石又七さんを今日、ピースあいちに呼んで講演をしていただいた。当時20歳であった大石さんもすでに75歳である。
 水爆実験など全く知らされていず不漁続きの中、最後のまぐろのはえ縄を投入して、引き上げにかかっているとき、空が赤く輝いた数分後にうなりのような音で驚かされ、更に灰が降ってくる中で、必死にはえ縄をひきあげていた当時の状況を大石さんは生々しく話された。
 この水爆実験によって、第五福竜丸だけでなく数多くの漁船が被爆し、風評被害も含めて大きな被害を受けたにもかかわらず、補償金は一切払われず、すべての被害に対して僅か200万ドルの見舞金が支払われただけだったという。
 当時の米ソの冷戦の中で、核の脅威は原子力の平和利用というアメにかき消されてしまったと、大石さんは言う。
 さらに大石さんは言う。『わたしは死んだ仲間と同じようにガンで苦しみ、子どもも奇形児で死産という悲しい思いもしました。でも、半世紀以上も生きながらえることができ、感謝しています。40、50のまだ働き盛りで言いたいことも言えず逝った多勢の漁師の大切な命の残りを預かり、その思いを世の中に伝えながら役に立てようと思うようになりました。これからも命の続く限り頑張っていきます。ビキニ事件はまだ終わっていません。』と。

海賊対策で海自護衛艦をソマリアへ派遣

2009-03-13 19:24:58 | Weblog
2009.3.13
 浜田防衛相は今日午前、アフリカ・ソマリア沖の海賊対策で海上自衛隊の護衛艦を派遣するため、自衛隊法に基づく海上警備行動を発令した。
 これまで海警行動は、1999年、石川県・能登半島沖で、北朝鮮の工作船が領海侵犯した際に初めて発令したほか、2004年にも中国の原潜に対して発令された二例がある。しかし今回のように、アフリカ・ソマリア沖での発令は自衛隊史上初めてのケースとなる。このため政府は海警行動での派遣を「応急措置」としており、海賊対策で自衛隊派遣を随時可能にする『海賊対処法案』も決定し、この法案を早期に成立させて、今回の海警行動を同法に基づく活動に切り替えることとしている。
 さて、自衛隊を海賊対策とはいえ、はるか遠いアフリカの海域まで派遣することは、憲法上大いに疑義がある。
 しかし、公海上で暴行、威嚇して船舶を乗っ取ったり、船内の者に危害を加えたり、人質にしたりするする海賊行為に対しては何らかの対策が必要であることも事実である。
 現行では、海警行動での武器使用は、警察官職務執行法に基づく正当防衛と緊急避難に限られ、効果的な海賊対策としては不十分であることも否めない。
 
 筆者としてはきちんとした手続(国会の事前承認など)を経た上での海賊対策であれば、限定的な護衛艦の派遣は、認めてもよいような気がしてならない。
 なんでも頭から反対ではなく、無防備な民間船が襲われるのを防ぐことは、警察的行動として必要ではないだろうか。
『海賊対処法案』は衆参ねじれ国会で早期成立ができないといって、応急措置の変則的な派遣をいつまでも続けることは許されない。
 政府も野党も真摯に向き合って、国会で十分な議論を尽くすべきである。

東大寺二月堂・修二会行事の見物

2009-03-10 15:36:22 | Weblog
2009.3.10
 昨日(9日)の夜、つれあいと東大寺二月堂のお水取りの行事に出かけた。3年ほど前に、大学同期の仲間と初めてこの行事に出かけたが、今回はつれあいが一度出かけたいということで、既に今年の年はじめに奈良のホテルの予約をしていたものである。
 10時半ごろ自宅を出て、湾岸道路から東名阪道路を経由して一路奈良に向かったが、途中時間の余裕もあることから「月ヶ瀬梅林」に立ち寄った。暖冬が続いたせいか梅の花もほとんど終わりに近く、やや寂しい風情となっていた。次いで国道25号線沿いに走って「柳生の里」へ立ち寄った。40年も前であろうか、一人旅でこの辺りから円成寺を巡ったことがあるので、久しぶりに寄ってみたくなったものである。「柳生の里」は柳生宗矩一族の里として有名で、NHKの大河ドラマで取り上げられていっそう有名になった。しかし、40年前の印象とは全く違ったものになっていて、意識のあいまいさに驚かされた。
 更にこの道の延長にある「忍辱山 円成寺」にも寄ってみた。ここも、40年ほど前にぶらりと立ち寄ったところである。この時見た運慶作国宝「大日如来坐像」の端正な顔立ちに心打たれたことはよく覚えている。当時はまだ、この「円成寺」など全く知られていなくて、山里奥のわびしい寺に過ぎなかったが、その後すっかり有名になってしまった。あの時、本堂に座り込んで住職と小半時も話し込んでしまったことが懐かしく思い出される。
 しかし今では、国宝の「大日如来坐像」は別棟の建物にしっかりと陳列され、人寄せ的な役割を負わされているように見えたのは思い込みすぎか。
 奈良市内に入って、まだホテルに入るには時間があったので、ホテル近くの興福寺に寄った。その興福寺は1998年に世界遺産に登録されている。興福寺は2010年に創建1300年を迎える。
 この日は朝から曇り勝ちの天気だったが、4時ごろになってとうとう雨が降り出した。宿泊予定の「ホテルフジタ奈良」から午後6時過ぎにお水取り行事出かけるときには完全な雨模様になってしまった。
 この雨の中、会場はすでに多くの見物人であふれ、松明の走る近くには寄れずにかなりはなれたところからの見物となった。おまけに、傘で視野が妨げられて最悪の見物となってしまった。前回見たときは、すぐ間近で火の粉をかぶって迫力を感じたが、今回はなんとももの足りない。しかしこの行事は見物人のために行っているものでもないのだからやむを得ない。これが今回の修二会行事の見物となった。
 翌日の今日(10日)は、ホテルで朝食をすませた後、名古屋への帰途、これも久しぶりに薬師寺に立ち寄った。国宝の東塔、薬師如来、日光・月光菩薩で有名だが、丁度この時期、平山郁夫画伯が30年の歳月をかけて完成した『大唐西域壁画』を公開中で、鑑賞できたことは幸いであった。今回の奈良の旅はここまでで終了である。
 

整備したばかりの農振農地を転用のムダ

2009-03-08 09:39:30 | Weblog
2009.3.8
 今朝の中日新聞によると、愛知県刈谷市が優良農地(農振農用地=「農業振興地域の整備に関する法律(農振法)」に基づき指定された優良な農用地で、転用は厳格に規制されている)の土地改良事業完了から一年もたたないうちに工業団地化の構想をまとめ、転用の事前相談を受けた東海農政局も完了から三年後、許可する見込みを伝えていたことが分かった、と報道している。
 計画地は刈谷市の農地の6.2ヘクタールで、安城市にまたがる約120ヘクタールの広大な農地と地続きの「日本のデンマーク」と呼ばれる農業地帯の一角である。この一帯では、明治用水から引いた用水路をパイプラインで地中化する約5億円の土地改良事業が行われ、つい最近の2004年3月に完了した。この経費の9割が税金である。農振法施行令では、8年以内での転用を禁じているが、市町村が『地域の農業の振興に関する地方公共団体の計画』(通称・27号計画)を策定すれば、8年以内でも転用できるという例外規定がある。
 刈谷市は『工場で働く零細農家が耕作をやめ、大規模農家に農地が集まる』として27号計画により、冒頭のような工業団地化の実現に動いたというものである。
 しかし現状では、計画地の地主16軒のうち5軒がまだ同意の判を押していないという。農家の一人は『これだけ広く農地が残っている場所は、いまや貴重。安心して農業ができると思っていたのに』『土地改良すれば、開発されないと聞いていた。工場が建てば、環境が悪くなる』と怒っている。
 刈谷市は「トヨタの急激な増産で市内の工業団地が不足し、関連工場が市外に流出するのを防ぐため』と工業団地化の狙いを言っているそうだが、自治体自らが金さえ儲かれば何でもするという驚くべき姿勢である。農地を守り、環境を保全するという新しい時代の流れを全く把握していないし、町づくりの展望がゆがめられているとしか言いようがない。
 また、億単位の補助金を出しておきながら、それをドブに捨てるような形で刈谷市の言い分を聞いてしまう東海農政局もなんとしたことか。筆者は数ある省庁の中で、日本の農業をダメにしてしまった農林水産庁ほど国民にとって有害なお役所はないと思っているが、本省だけでなく、支局でもやはり『同じ穴のむじな』であった。
 トヨタがこけて、経済破綻の著しいこの時期、こんな計画はきれいに見直す絶好の機会である。そもそもなんでも集中しすぎると必ず破裂するというのはものの道理である。刈谷市民も目先の利益だけに目を奪われないで、行政に対してもお任せでなく、しっかり監視してもらいたい。この事態は、よその町のこととして傍観していられない『事件』である。

名古屋市長選 民主候補河村氏に事実上決定

2009-03-07 09:54:11 | Weblog
2009.3.7
 今朝の中日新聞は、4月の名古屋市長選における民主党の候補者として河村たかし衆院議員に事実上決まったと報じている。
 河村氏は6日、党本部で小沢代表と会い、市議団との政策協議などを約束した誓約書を手渡したが、その際『とにかく勝て。当選しないといかんぞ』と言われ、事実上河村氏の推薦が決まったというものである。
 あれほど毛嫌いしていた民主党の名古屋市議団も結局結論を党本部に一任することになっていたので、市議団が押していた伊藤弁護士が降りてしまった今となっては、河村氏を受け入れざるを得なくなったというところであろうか。ただ、河村氏の政策に疑問を抱く議員も多く、政策協議はまだまだ紆余曲折の道をたどるのではないか。
 民主党がこの市長選の候補者選びにもたついている間に、本家本元の小沢代表にとんでもない疑惑が巻き起こっている。こちらの方の混迷はそう簡単に収まるものではない。事態が進めば進むほど、小沢氏に不利になっていく気配である。
 東京地検特捜部は、自民党の二階経産相側も捜査する方針を固めたとメディアは報じているが、これで民主党側にとって五分五分になる訳ではない。小沢氏の秘書が逮捕されているし、その根拠が寄付額の巨額さにあると言われているだけに今後の事態の進展は全く予断を許さない。
 河村氏も小沢さんのお墨付きを貰ったとは云え、厳しい市長選になることを覚悟しなければならなくなった。いよいよ面白くなったというべきか。

西松献金問題の続報

2009-03-06 07:00:44 | Weblog
2009.3.6
 民主党小沢代表の秘書逮捕で自民党と民主党の間で非難合戦が続いた。
 民主党は当の小沢氏は勿論、鳩山幹事長は『国策捜査のような雰囲気』、山岡賢次国対委員長『仕組まれた陰謀』などと反発して検察との対決姿勢をあらわにしていた。
 これに対する自民党も、町村前官房長官『民主党は国策捜査というならばそれを証明する必要があるができっこない。常識を欠いた、むちゃくちゃな発言だ』、伊吹元財務相『こんなことができると思っている人が、政権を取ったら何をするのか』とここぞとばかりに民主党批判を繰り返した。
 さらに西松建設OBが代表を務める政治団体から寄付やパーティー券を受け取っている森元首相、二階元経産相、山口首相補佐官、加納国土交通副大臣ら自民党議員らは早速それらを返還することを決めたり、検討すると言っている。まだ受け取っている議員は多勢いると思われるが、とりあえずこれだけが名乗りを上げた。
 いずれにしろ与野党とも『同じ穴のむじな』、それをよく承知しているのが麻生首相でこの件に関する発言を意識的に控えているように思える。へたをすると捜査が自民党にも及ぶ可能性もあり、せっかくの敵失を得点につなげるべく『沈黙は金』を貫いている。
 一方、民主党も時間がたつにつれ、検察への攻撃をやわらげ始めた。菅直人代表代行は『小沢代表の下で政権交代の可能性が高くなりつつある中で、なんでこんな時期にこうなるのかという思いはある』と声高な検察批判は避け『疑問』を述べるにとどめ、前原誠司副代表も『なぜこの時期にという思いはある』とする一方、『検察のあり方に国民から疑義を持たれるような物言いは、すべきではない』とも発言している。検察と全面対決すれば影響が小沢氏個人だけでなく、党全体に及ぶことを恐れた反応であろう。
 一方逮捕された西松建設前社長国沢幹雄容疑者(70)は東京地検特捜部に『東北の公共工事の受注を狙って献金した』という趣旨の供述を始めたとメディアは報じている。また小沢氏側のかなり強引な資金集めの実態も報じられている。
 この調子でいけば、逮捕された小沢氏の公設第一秘書の大久保隆規容疑者の起訴の可能性が高まる。これは民主党にとって相当な暗雲である。

定額給付金関連法が成立

2009-03-05 07:20:11 | Weblog
2009.3.5
 総額2兆円の定額給付金の財源を確保する2008年度第二次補正予算関連法が4日午後の衆院本会議で成立した。
 先に行われた参院本会議では野党の反対多数で否決されたことから、衆参両院の議決が異なったため、憲法59条の規定に基づき、衆院本会議で自民、公明など出席議員の三分の二以上の賛成多数で再可決され、成立したものである。
 かねて予告していたように小泉元首相は欠席した。同調者は小泉氏の首相秘書官を務めた小野次郎衆院議員一人だけだった。
 これでやっと12,000円または20,000円の給付金がもらえることになった。最後になって麻生首相も受け取ると言わざるを得なくなった。ただ野党の議員らの一部は受け取りを拒否している。
 小さい自治体では早速今日から支給にかかるそうだが、名古屋市などの大都市では膨大な事務量から実際に受け取れるのは、6月から8月ごろになるのではないかと言われている。もともと給付金の意義は、これを下に購買力を上げて景気浮揚につなげようとの意図から、昨年末までには給付したいというのが本音だったはずである。本当に景気浮揚に効果を発揮するのか、無駄なバラマキに終わるのかいずれ成果が明らかになる。