2024.9.1(日)
今日の中日新聞(朝刊)では、101年前の関東大震災の記事が新聞2面を使って大きく報道されている。
それによると、大震災は1923(大正12)年9月1日(土)午前11時58分に、マグチュード7.9の規模で襲い、死者・行方不明は10万5千人に達した。全壊・全焼家屋は約29万棟にのぼった。経済被害は約55億円にのぼり、当時のGDPが約149億円というからその比率は約37%になる。なお、当時の国家予算は約14億円というから、地震の規模の大きさが推しはかれる。
その後東京では、「帝都復興事業」として学校などの建物は耐震強度を考えた鉄筋コンクリートに替わり、避難場所となる大きな公園や延焼を防ぐ大通りが造られた。
また、1995年((平成7年)1月17日には、阪神・淡路大震災(M7.3)が起こり、約5,500人が犠牲となった。更に2011(平成23)年3 月11日には、東日本大震災が発生し、約3800人が犠牲となった。
名古屋大学の武村雅之教授は「帝都復興事業で貫かれた、公共性第一の考えが、マクロ経済指標を良くするという目的のためにかき消されているようだ。市民の住みやすさを最優先にする品格ある街こそ、市民の連帯意識が生まれ、共助の心もはぐくまれる。建物や構造物の真価はそのような街の立役者となることだ。決して街をお金儲けの道具とすることに発揮されるべきものではない」と言っている。その通りだと自分も思う。
今日の中日新聞(朝刊)では、101年前の関東大震災の記事が新聞2面を使って大きく報道されている。
それによると、大震災は1923(大正12)年9月1日(土)午前11時58分に、マグチュード7.9の規模で襲い、死者・行方不明は10万5千人に達した。全壊・全焼家屋は約29万棟にのぼった。経済被害は約55億円にのぼり、当時のGDPが約149億円というからその比率は約37%になる。なお、当時の国家予算は約14億円というから、地震の規模の大きさが推しはかれる。
その後東京では、「帝都復興事業」として学校などの建物は耐震強度を考えた鉄筋コンクリートに替わり、避難場所となる大きな公園や延焼を防ぐ大通りが造られた。
また、1995年((平成7年)1月17日には、阪神・淡路大震災(M7.3)が起こり、約5,500人が犠牲となった。更に2011(平成23)年3 月11日には、東日本大震災が発生し、約3800人が犠牲となった。
名古屋大学の武村雅之教授は「帝都復興事業で貫かれた、公共性第一の考えが、マクロ経済指標を良くするという目的のためにかき消されているようだ。市民の住みやすさを最優先にする品格ある街こそ、市民の連帯意識が生まれ、共助の心もはぐくまれる。建物や構造物の真価はそのような街の立役者となることだ。決して街をお金儲けの道具とすることに発揮されるべきものではない」と言っている。その通りだと自分も思う。
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