名古屋から発するブログつぶて・凡人のひとりごと

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ビキニ水爆実験・被爆者 大石又七さんの講演

2009-03-14 20:49:22 | Weblog
2009.3.14
 今から55年前の1954(昭和29)年3月1日未明、太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁から160キロの海域で操業中の第五福竜丸がアメリカが行った水爆実験によって被爆した。このことを知っている世代は既に少数になっている。
 戦争と平和の資料館ピースあいちでは、2月24日から4月11日まで、その水爆実験に被災した第五福竜丸展を開催している。
 その展示の一環として、第五福竜丸の乗組員だった大石又七さんを今日、ピースあいちに呼んで講演をしていただいた。当時20歳であった大石さんもすでに75歳である。
 水爆実験など全く知らされていず不漁続きの中、最後のまぐろのはえ縄を投入して、引き上げにかかっているとき、空が赤く輝いた数分後にうなりのような音で驚かされ、更に灰が降ってくる中で、必死にはえ縄をひきあげていた当時の状況を大石さんは生々しく話された。
 この水爆実験によって、第五福竜丸だけでなく数多くの漁船が被爆し、風評被害も含めて大きな被害を受けたにもかかわらず、補償金は一切払われず、すべての被害に対して僅か200万ドルの見舞金が支払われただけだったという。
 当時の米ソの冷戦の中で、核の脅威は原子力の平和利用というアメにかき消されてしまったと、大石さんは言う。
 さらに大石さんは言う。『わたしは死んだ仲間と同じようにガンで苦しみ、子どもも奇形児で死産という悲しい思いもしました。でも、半世紀以上も生きながらえることができ、感謝しています。40、50のまだ働き盛りで言いたいことも言えず逝った多勢の漁師の大切な命の残りを預かり、その思いを世の中に伝えながら役に立てようと思うようになりました。これからも命の続く限り頑張っていきます。ビキニ事件はまだ終わっていません。』と。

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