名古屋から発するブログつぶて・凡人のひとりごと

身の回り、世間のできごとをを日記風に記す(紙つぶてならぬブログつぶて)。

元米兵捕虜 ピースあいちを訪れる

2010-09-16 10:10:08 | Weblog
2010.9.16(木)
 太平洋戦争当時に日本軍の捕虜となった元米兵レスター・テニー氏ら6人とその家族が日本政府の招待で来日し13日、岡田克也外相と面会した。岡田外相は「皆さんは非人道的な扱いを受け、ご苦労された。日本政府を代表して心からおわび申し上げる」と謝罪した。
 テニー氏らはフィリピン戦線で捕虜となり、九州の炭鉱などで強制労働をさせられた。
これまで日本政府が英国人やオランダ人の元捕虜を招待したことはあったが、米国人を招いたのは今回が初めてという。
 そのうちの一人、東海地方の軍需工場で強制労働させられた米国人アール・スワボさん(89)と妻のメアリーさん(83)が14日、「ピースあいち」を訪れた。
 17歳で米陸軍(セントルイス・ミズーリ)に入隊したスワボさんは、フィリピン戦線で日本軍の捕虜となり6ヶ月間拘束され、その間、空港整備に従事させられた。その後300人が日本に連行され、名古屋や四日市で3年半を過ごした。乗せられた船には砂糖と教会の鐘があり、名古屋についた後は、ひたすらその鐘を溶かして銅版を作る作業に従事させられた。
 スワボさんは滞在していた場所を、海の近くで煙突がたくさんあったことを記憶しているという。その工場は三菱ではないかともいう。
 しかし、記録から推計すると、そこは四日市で、工場は石原産業ではないかと思われる。
 スワボさんは、『ヒロシマ・ナガサキの原爆投下は、戦争の早期終結を図り、日米両国民の苦しみを解消しようと大統領が6ヶ月間もの間、悩みに悩んだ苦渋の決断であった。
 62年経って日本へ来た。捕虜の辛い思いは消せないが、今回のプログラムで区切りがついた』と語った。

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