田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

闇からの声5/麻屋与志夫

2010-12-19 23:49:14 | Weblog

ボッカリと空いた目の穴をひといちばい美意識の鋭敏な彼女は、わたしに見られたくはなかったのだろう。
穴があいている。醜い穴があいている。
暗い穴があいている思われることがいやだったのだろう。
そう思っても、彼女を失った悲しみしは癒されることはなかった。

年老いてわたしも白内障の手術をすることになった。
当然のことのように彼女への想いが生々しく蘇った。
いや、片時も忘れたことはなかった。

宇都宮の街はどこもかしこも餃子の匂。
一杯飲みたいのをがまんした。
Y眼科病院は建て増ししてむかしの倍近く病棟が広く、立派になっていた。
そしてここは、気がつけば、わたしが幼少の頃入院した病院の跡地だった。
幼少のわたしがアノモノと会った場所だった。
教会から晩鐘が鳴り響いているではないか。
わたしは病院に忍び込んだ。
忍びはわが家のDNAに深く潜在している。
先祖が忍者だったらしいのだから。
体が自然と動いてくれた。
彼女の入院していた部屋が見たかった。
彼女の死んでいった部屋にいけば彼女に会えるかもしれない。
わたしは常軌を逸していた。
あれから何年たっていると思うのだ。
会いたい。
もういちど**子、会ってあなたをつれて逃げられなかったことを詫びたい。
そうしていれば、あなたは死ななくてすんだはずだ。
世間体とか、親の反対とか、そんなことを蹂躙してしまえばよかったのだ。
わたしが臆病であったがために……あなたを死なせてしまった。
リノリュウム張りの長い廊下には人影はなかった。
病院は医師や看護師、各部署のスタッフがいて、患者がいるから世間とつながっているのだ。夜の人気のひいていた病院は異界に変わる。
異形のものが跳梁していても違和感はない。
そんなことを考えながら歩きまわった。
手術室の在る場所もかわってしまっていた。
めざす、病室もわからない。
帰ろうかと思ったとき、院長室からかすかな笑い声がもれてきた。
わたしは、その声をきいただけで身の毛がよだった。
恐怖の発作におそわれた。
たえてひさしい……あの忌避してきた声だ。
取り入ろうとして卑屈。
脅そうとして傲慢。
いかようにも声を変えることのできる者が部屋には存在している。
ともかく、声をきいているだけで、蛇の穴になげこまれたような恐怖を覚える。
ぬらつく感触で体をなでまわされる。
探られる。嫌悪感が襲ってくる。
それはいっぽうてきにかかってくる闇からの電話の声。
巧みな誘惑の声。
あの声が部屋からしていた。
こちらで呼び出しに応じなければいつまでもなりひびく悪魔からのコーリング。
電話に出ればでたで、性懲りもない契約への勧誘。
エデンの園からうけついできた最強のセールストーク。
よほど強固な意思の持ち主でないと逆らえない。
蛇がのたくっている。
肌に感じる嫌悪感だけではすまされなかった。
生臭い臭いまでしてきた。
骨の髄まで恐怖が染み込んでくる。
わたしは、それでもおそるおそるドアを開けた。
広い洋間には黒い薄煙のようなものが漂っていた。
いや、淡いブルーも混じっている。
わたしは、できることならこのままドアを閉めて立ち去りたかった。
心拍の高鳴りが警鐘だ。
立ち去る、なんて生易しい行動ではもうまにあわない。
逃げるのだ。
逃げるのだ。
だが、そうしなかったのは好奇心からではなかった。
怖いものを見たいという心の動きからではなかった。
彼女が手術された現場、あるいは死んでいった部屋を見たかったのだ。
生来、心臓の弱かった彼女が手術のショックから立ち直れないで死んでいったという病室を探していた。
わたしは、彼女へのいまにいたるまでの強い愛にささえられていた。

革張りのおおきな椅子にだれか座っている。
その周囲で青と黒の霧はさらに濃く邪悪さを秘めて渦動している。
飴でもしゃぶっているような音がチュウチュウとしていた。
信じられなかった。
Y院長はむかしのままの若さを保っていた。
息子だとしても若すぎる。
孫か?


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闇からの声4/麻屋与志夫

2010-12-19 00:33:04 | Weblog


わたしは宇都宮に帰ってみることにした
……新宿から乗り継いで東北新幹線を利用すれば門限までには帰ってこられる。
上野、宇都宮間は45分くらいだろう。むかしだと簡単にこの時刻だと往復できる距離ではなかった。

……あのとき駅舎から外にでると街はすっかり黄昏ていた。
**子と駅前の『白十字』まで歩くことにした。
彼女は目の前でひらりと手を翻した。
優雅なしぐさだった。
ひらり。
ひらり。
彼女は日本舞踊の家元の娘だった。
そのことこそ、わたしたちの交際が認められない大きな原因だった。
ものになるかどうか、わからないビンボー作家など彼女の両親は相手にしてくれなかった。
ひらり。
まるで舞をまっている淑やかな所作だった。
だがわたしは不吉なものをその手の動きに感知した。
「蚊がとんでいるのよ」
「冬だよ。この寒さのなかで蚊が飛び交っているわけないだろう」
「だって、飛んでいるものは飛んでいるのよ」
ヒラリ。
ひらり。
と舞のしぐさで、手を目前の虚空に翻している。
彼女は飛蚊症だった。
なるほど蚊ということばがはいっていた。

**子の目の病を治したかったらオレのいうことをきけ。
ひさしぶりで闇からの声が囁き掛けた。
かわいそうだろう。おまえは彼女を愛していないのか。
それとこれは別だ。
わたしは誘惑にさからって応えた。
いや、同じだ。
契約書にサインするだけでいいのだ。
ただ収穫の日はこちらで決めさせてもらう。
単純明快じゃないか。
契約書にサインするだけでいいのだ。
おまえは、もっといい小説が書けるようになる。
文学界の新人賞もとれるぞ。
どうだ。
イイ話じゃないか。
サインしろ。
なぜそんなに意固地になる。
オレを毛嫌いする。
古くからの知り合いじゃないか。
お前が、子どものころからの知り合いだ。
ナゼいやなんだ。
釈明しろよ。

「飛蚊症だけではなかったみたいなの。目をとらなければだめだって。失明するだけでなく、ほかに転移すという診断なの」

転移する? ガンなのか。
眼球がガンに冒されるなどということがあるのか?
医学には全くの門外漢のわたしには、どうすることも出来なかった。
それに、交際をみとめてもらっていない弱味もあって、なにも口出しすることはできなかった。

たとえ、そういうことになっても結婚しよう。
愛している。
愛しているんだ。

「わたしが両方の目から涙をこぼせるのは……これでおわりかもしれないわ。でも、こんなにうれしい涙でさいごをかざれたなんてしあわせだわ。退院したら東京にいくわ。結婚しましょう」

どうして、こんなことになったのだ。
わたしは**子をだきしめた。
彼女の背中に涙をこぼしていた。
いつでも一緒にいる。
いつまでも離れないで生きていく。
そう誓いあっていたのに……。

これではひどすぎる。

彼女はしあわせになぞなれなかった。
手術の当日わたしはすこし遅れた。
なぜ遅れたのか記憶があやふやになっている。
手術室の前の廊下には彼女の親族が結集していた。 
和服をきているひとがおおかった。
わたしはダメージジーンズ、黒のタートルネックのセーター。
彼らは彼女の眼病の原因はわたしにあるというように、ジット睨みつけてきた。
無理もない。
わたしは尖ったペンで原稿を清書するのが嫌だった。
苦手だった。
苦手どころか、長いことその動作をつづけていると嘔吐の気配におそわれる。
原稿を書くにも、ペンや鉛筆の先端を見つめていると体が震えだしてしまう。
千枚通しで書き上げた原稿を閉じるなど思いもおよばなかった。
ようするに、幼少の頃からの先端恐怖症が続いていた。
そんなわたしにかわって彼女が原稿を整理してくれていたのだ。
目が疲れる。
とくに、原稿の清書をすると目が疲れるといっていた。

睨まれても、無視されても非はわたしにある。
「いやあ」
というような、絶叫が手術中の赤ランプのついた向こう側からもれてきた。
彼女の声だった。
わたしは心拍が停止するような恐怖を覚えた。
いたたまれず、廊下から中庭に出た。
噴水から水が噴き上がっていた。
水が赤く色づいていた。
むろんわたしの錯覚だ。
だがなにもかも赤く見えた。                               
彼女の声を聞いたのはそれが最期となった。                    

彼女は病院で死んでしまった、らしい……。

わたしに会わせないために親族が嘘をついている。
はじめはそう思ったが、いつになっても彼女とは連絡がつかなかった。


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