田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

火事場のバカ力。「これはワッチの嫁入りタンスだんべな」 麻屋与志夫

2019-12-30 14:58:27 | ブログ
12月30日 月曜日

●去る13日金曜日。
不妊手術のためルナを獣医さんに連れていった。午後時間が余ったので、日光の「裏見の滝」まで孫娘の運転ででかけた。

●崖崩れを防ぐための防護ネットが張られている箇所があった。それにしても階段がうねうねと崖っぷちをはいのぼっていく。10年ほど前にきたときにも、こんな階段があったのだろうか。記憶がぼやけている。わたしは吐息をもらして立ちつくしてしまった。膝関節症とぎっくり腰。杖をついても歩くのはくるしい。痛みが背筋をふるわせる。

●わたしには登るのはムリと察してカミさんたちは三人で声高に話しながら岩陰に消えていった。カミサンと娘と孫娘。三人が楽しそうに話す言葉だけが聞こえてくる。

●野ざらしを覚悟で旅に出た「芭蕉」の生涯を思い、わたしはじぶんを鼓舞した。「芭蕉。ばしょう。バショウ」と呪文のように唱えながら登り始めた。なんとか足をふみだすことはできる。

●「暫時は滝に籠るや夏の初め」この句は知っていたが不謹慎にも「恨みの滝」と高校生のころは思っていた。芭蕉さんのバチがあたるな。芭蕉さん、もうしわけない。芭蕉芭蕉芭蕉……。
「岩窟に身をひそめ入りて滝の裏より見れば、裏見の滝と申し伝へ侍るなり」
暗唱している「奥のほそ道」の一節を口ずさむ。

●痛みが薄らいでいる。えっ、どうしたの。これなら、まだまだいける。
途中で挫折するこもなく新しくなっている橋のたもとまでたどり着いた。
見上げれは滝は、眼前にある。

●「パパ。大丈夫なの」

「あなた、痛まないの」

孫娘は驚いて、声もでない。

それはそうだろう。足を引きずり、杖をついていたわたしが階段の長丁場を踏破してきたのだ。まさかわたしが現れるとは思っていなかったのだろう。

●痛まないのといわれて気づけは゛、痛みはない。

●「ちちんぷいぷい痛いのいたいの飛んでいけ」
と母に呪文をとなえてもらった時、いらいの、これは奇跡だ。
わたしは、うれしくなった。

●「火事場、バカ力」言葉がある。
「これは。ワッチの嫁入りタンスだんべな」
と腰の曲がった老婆が花嫁衣裳の入ったタンスを庭先まで運び出した話をこの地方でもよくきく。

●切羽詰まった、緊急事態に脳内分泌物で痛みを和らげるものがある。ときいたことがある。

●それにしても稀有な体験をしたものだ。




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除夜の鐘がうるさい。エッエエエ?。  麻屋与志夫

2019-12-29 06:23:37 | ブログ
12月29日 日曜日

●駐車場を横切ったところ、氷がまだとけていなかった。「鹿沼はやっぱりさむいよね」と娘が妻に話しかけている。膝のねん挫で思うように動けない妻を手助けするために駆けつけてくれた娘Sの声が寒空を見上げていたわたしの耳にきこえてくる。

●今年も、残すところ二日。フトコロが不如意のためか、寒さが身に染みる。

●小説を書きつづつけるためにあらゆる夾雑物は排除してきた。社会性なし。こんな人生もあるのだなと、自嘲する。

●忘年会のシーズンだが出席したことも、誘われたこともない。ことしも愛妻とふたりで静かに近所の宝蔵寺の除夜の鐘をきくことになるだろう。

●除夜の鐘といえば、ネットに今年から中止する寺院があるらしい。その、理由のひとつとして「うるさい」という苦情があるというのだ。まったく、世の中かわってきている。そういえば、ヤオハンスーパーにいく途中の家で、側溝の川の流れの音が「うるさい」と苦情を漏らしているのをきいたことがある。年末だ。紅白の歌声がうるさいと感じる人もいる。「第五」だってうるさい。ジャズのCDをわが家では音を低くしてきく。ひとそれぞれ、好み、それぞれ、批評の余地はない。できるだけ老人は家に閉じこもって、家のなかだけで楽しく過ごすことのできる空間をつくりあげるのがいいような気がする。

●娘が帰っていった。二人と猫との生活にもどった。寂しが、これでいいのだ。

●あとは正月の来客を楽しみに待つのみだ。


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カミサンの快気祝いだと「かこつけて」お酒を飲んだ。

2019-12-28 07:28:20 | ブログ
12月28日 土曜日

●今日は塾の特訓日。明日から休みになる。正月には元塾生に会いたいな。今年はぜひ遊びに来てください。懐かしい顔を見せてください。ブログにも書きましたがこの六月には脳梗塞で独協医大病院に二週間ほど入院しました。たった一日で言葉も元にもどりました。現在は生涯現役で黒板の前に立ち続けると息巻いていますからご安心ください。

●昨日の朝、カミサンを見送ってから見上げた「鍵山」の林と竹林、水墨画の趣があると書きましたが、あれほど好きだった画家の名前が思い浮かびませんでした。「長谷川等伯」でした。まさに等伯描くところの靄に霞んだ松林のような風景でした。

●昭和一桁に生まれ、激動の時代を小さな田舎町で過ごし、旅行ひとつしたことがありません。靄に霞んだ風景を胸をわくわくさせながらみつめました。

●カミサンののったハイヤーが喜楽食堂の角を曲がってきえていきました。病院には東京から駆けつけた長女のSが待っているから心配はいらないわけなのに、あまりカミサンとは離れて生活したことがないので寂寥感におそわれました。そうした心理でもういちど見直した朝靄の周囲の風景。ほんのちょっとの間なのに、明かりが射しこんで風景が変わってきました。

●道端にたって、その刻々と光の差しさしこみ具合で変わっていく風景に見とれていると、自転車通学の学生が「お早う」と元気に声をかけてくれました。

●部屋にもどり牛乳がゆをつくりした。黄な粉と黒の摺りごまを大匙一杯ずつ入れていつもの朝食。

●カミサンの膝は完治とまではいきませんが、松葉杖なしでも歩けるようになりました。わぁ、うれしいな。

●快気祝いだといって娘と妻と三人でお酒を飲んだ。うまかった。


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朝靄のなかカミさんは松葉杖をついて出かけて行った。 麻屋与志夫

2019-12-27 09:33:07 | ブログ
12月27日金曜日

●生ごみの収集日。
勝手口にあったポリ袋いっぱいの生ごみをさげて裏口の戸を開ける。
裏口から外にでることはめったにない。
カミサンが膝を痛めている。
GGもなのだが、こちらはなんとかすり足でなら歩ける。

●濃い朝靄。
千手山がみえない。
あの靄のかなたに千手山があり、古賀志山があるとおもうと、なにか現実を越えた仙郷に遊ぶきぶんになった。
周囲の風景がぼやけ雲の上にいるようだ。
すぐそばの鍵山の竹林は薄墨色にけぶりまさに水墨画のおもむきがある。

●今日はカミサンは上都賀病院。
整形外科。
松葉づえをついてハイヤーのところまで歩く姿が痛々しい。



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イチジクの実がたわわになった夢を見た。 麻屋与志夫

2019-12-26 11:23:06 | 夢見るGGの夢占い
12月26日 木曜日

●庭のイチジクがたくさん実をつけた夢を見た。
わたしは少年だった。
当時は木の塀だった。
オヤジ自慢の檜の塀で門も檜造りの立派なものだった。

●その塀にのって、熟した美味しそうなイチジクをもいだ。
一つとるごとに下にいる母にわたした。
母が嬉しそうに微笑んでいる。
痩せている。
母がまだ若い時の姿だった。

●「イチジクの木は折れやすいから。気をつけてね」
母のやさしい、慈愛に満ちた声がわたしの耳元で響き、青空にすいこまれていく。

●すがすがしい気分になった。
なつかしかった。
そう言えば、このところ母の夢を見なかった。
夢の中でならいつでも母にあえる。
夢には癒しの効果もある。
明るい気持ちになれた。

●今年は妻もわたしも健康があまりすぐれなかった。
命にかかわるようなことも、妻が一度、わたしも一度あった。
来年こそいい年になるといいな。

●それで今回は、得意の夢判断はしないことにした。

●母は生きていれば126歳。でも夢の中では少女のように若かった。



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令和の年の瀬、昭和一桁から三世代を生きているGG 麻屋与志夫

2019-12-25 07:03:07 | ブログ
12月25日
●昨日は孫娘の誕生日だった。二番目の孫で、バレンタインの日が誕生日の姉ともども、二人とも就職している。

●ルナの獣医さんの送り迎えは次女とその二人の子供たちが協力してくれた。リリの手術もおかげさまで無事に済み元気に走り回っている。ともかく活動的な猫ちゃんで広いわが家の隅からすみまで走り回っている。

●長男の子供はまだ幼い。二人の顔がみたいな。

●このところワイフは右膝をねん挫。松葉づえのお世話になっている。夜痛むらしくうなされている。「イタイイタイ」と寝言。

●わたしもあいかわらず、老人性膝関節症に悩まされている。こんなところで、教育勅語の「夫婦相和し」ではないが、なかよく同じ痛みを味あわなくいいものなのに。教育勅語を小学低学年で暗唱させられた世代の人間もはや八十代も後半。

●わたしはあいかわらず、孫の世代の学生に英語と国語、ワイフが数学を教えて口を糊している。

●すっかり干されてしまっている。小説の話だ。同世代の編集者はとうの昔に定年。だれかGGの小説を出版社の編集部に売り込んでくれないかな。作品は角川BOOK WAIKER惑惑星文庫とカクヨムに載っています。

●まだまだ思うような小説が書けない。生涯現役で書き続ける気力はあるが……。どうなのでしょうね。痴呆症にでもなったら、ハイ、ココマデヨ。

●だって、だって今年は夫婦で三度アンビランスのお世話になった。

●「お得意さんになってしまったね」と救命士のかたにジョークを飛ばしたら「いつでも、どうぞ」と洒落た返事が戻ってきた。いまの若者「オヌシナカナカヤルノウ」


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明日はルナの不妊手術。

2019-12-13 06:54:04 | ブログ
12月12日 木曜日
 初冬の空は雲一つない。空気には透明感がある。
 風はつよく、ヤオハンスーパーの駐車場の周囲に立っている幟が風にはためいている。
 文字は読めない。風が強すぎる。
 よたよたとたどりついたベンチ。枯れ葉が足元にまつわりついている。
 ベンチの下にはコーヒーの空き缶がころがっている。
 こちらにノーズをみせて止まっている車の群れ。メモをとる手がかじかむ。
 寒さが身にしみる歳になった。
 明日はルナの不妊手術。
 リリの時のようにならなければよいが。
 不安だ。


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下痢35  麻屋与志夫

2019-12-01 11:25:23 | 純文学
35

 後ろからポンと肩をたたかれた。
 ――お先。
 彼女がぼくを追いこした。
 
 ――大阪から追いかけてきたの?
 ――東京からよ。
 
 門前に妻が二人の娘とぼくを待っていた。
 
 妻が手をふっている。
 
 妻とぼくを結ぶ直線上を彼女は小走りに進む。
 
 彼女が妻と重なった。
                                      未完。





作者注。
 「下痢」という小説の題としてはあまり芳しくない拙作ご愛読ありがとうございました。
冒頭で述べましたが、老人医療が二割負担になりそうですね。これは老人医療制度のない時代の物語です。あまり直接的に、リアリズムで書いてはあの苦しい時代をおもいだしてしまうので、こうした作品になったのでしょう。初出は同人誌「現代」です。1976年です。大幅に改訂しました。文章が支離滅裂。精神的な苦労のあとがみられました。
 時系列に従った語り口ではなくてごめんなさい。
 直腸癌で亡くなった父の闘病、ぼくら夫婦の生活苦との戦いを書いたものです。貧困のどん底生活。でも誤解されると困るので、書いておきます。その当時の平均的サラリーの二倍も医療と家政婦の支払いを成し遂げていたのですよ。苦しかったです。
 どうにか、この歳まで生きてきましたが、医療費が二割り負担になったらどうしましょう。もう死んでいくしかありません。悲しい話です。



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