田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

百歳まで生きて、GG文学を書き続けたい  麻屋与志夫

2020-01-30 09:33:47 | ブログ
1月30日 木曜日

●巨大な影。巨大な影が、床に投影されている。脚が0型にゆがみ、ギイッガシャと擬音を入れた漫画みたいに歩きだした。これではまるで稲妻をあびて命をあたえられたフランケンシュタインの戯画みたいではないか。

●枕元のスタンドをつけたので、背後からひかりを浴びたわたしの影だった。床どころか上半身はむこう側の壁にうつっている。狭い部屋ではない。11坪もある部屋だ。

●不気味におもって立ち止まっているわけにはいかない。尿意は切迫している。フスマを開けた。廊下へのガラス戸を開けた。一段高くなっている洗濯室、洗面所、バスルームへの重いガラス戸を開けた。やっとトイレにドタドタとナダレこむ。間に合わなくて、すこしもらした。股にタムシができるはずだ。この痒さを耐えに耐えていることを書きたい。ジギャクネタもいいとこだ。かゆい。かきたい。このかゆさ、掻きたいことを書きたい。

●ようし、こうなったら、GG文学を確立してやる。だれも90歳近い年で、文学賞とはいわないが、原稿を売り込もうなんて奇想天外なことは考えてはいないだろう。だいたい、一緒に同人誌をやった仲間は、芥川賞をとうの昔にとって、いまはすでに泉下の人だ。

●人生百年時代。言うは易く、行うのには恥のおおい日常に耐える心の支えがたいせつだ。

●ギーィッ、バタンとベットにもどって腰をおとす。息切れしている。

●そういえば、昨日はベニマルで知人に会ったのだが挨拶もできなかった。リックがふくらんでいた。重い。ふりかえるとまちがいなくよろけて倒れる。ごめんね、ごめんね。と心であやまりながらうつむいたまま歩き続けた。

●荷物を背負っている時は、横を見ることもできない。めまいがするからだ。老いるとはこういうことだったのか。一過性の人生。一年でもしぶとく生きて――これからはGG文学を書いていきたいものだ。と宣言したところで今日はここまで――。


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清潔な妻と無精GG  麻屋与志夫

2020-01-27 13:26:07 | ブログ
1月27日 月曜日
●病院でどうにか診察をすませ、ATMに診察券を挿入して支払いをすませた。さあこれからが大変だ「待ち時間50分」pharmacyの窓口に提示されている。

●待合室のテーブルで待っていると妻がセブンイレブンでサンドウィッチを買ってきた。

●テーブルを除菌ウエットティッシュでていねいに拭いている。周りのひとがおどろいて注目。小さな町だから、はじめてこうした行為みたのかもしれない。

●わたしの母もおどろくほど清潔好きだった。わたしが小学生のころ、古本屋から本を買ったり借りてきたりすると嫌がった。当時は、古本屋が本の貸し出しもしていた。高くて買えない本は借りてきた。できるだけ母にみせたくないので、こっそりと読んでいた。

●妻にいわれて除菌テッシュで手を拭きサンドウイッチを食べた。

●母と妻というもっとも身近な、清潔には潔癖な女性に支配されていきているのに、わたしは無精者だ。

●松本零士のように、風呂はキライ。無精ひげは、はやしほうだい。オシャレするのはきらい。

●「こんなに不潔なひとだとわかっていたら、結婚しなかったわ」

●「薬ができてる時間だよ」

●わたしはあわてて、席を立った。


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新しい酒を古い革袋に入れる――随筆に猫の話題はつまらないの???

2020-01-26 09:12:37 | ブログ
1月26日

●新しい酒を古い革袋に入れる(あたらしいさけをふるいかわぶくろにいれる)とは。《新約聖書「マタイによる福音書」第9章から》新しい内容を古い形式に盛り込む。内容も形式もともに生きないことにいう。

●わたしは随筆を書くのか好きだ。いままでに、かなりの随筆を発表してきている。
日本作家クラブ発行の『随筆手帳』NO.34に『蛸壺』を発表した。随筆賞に選ばれモンブランの万年筆をいただいた。いまも、愛用している。

●だが、この形式は古すぎるような気かしてならない。

●ところが過日、随筆家のOさんがこんなことを言っていた。彼とは長いつきあいでリスペクトしている。なんでも、気軽に話し合える。

●「猫の話は、あまりにも話題がおおすぎて、ありふれているから、あまり書かないほうがいいと皆で話し合った」

●あれあれ、なんだかおかしな話題になってしまったな。と、そのときは思った。妻も毎日ブログを書いているので、文学の話が出る席にはかならず同伴している。

●いままでの半世紀のあいだに、猫が我が家にいなかった時期はない。猫愛好家をとおりこして、猫フリーク。妻のブログはだって『猫と亭主とわたし』。猫がいかに生活の中心となっているか、おわかりいただけると思う。

●あれあれ、話題がほかにそれてしまった。

●彼の説は――随筆という形式に猫の話題という、人口に膾炙する(ジンコウニカイシャスル)ことを書いてもおもしろくない。ということらしい。

●わたしは、ありふれた話題――素材でであっても、それを生かすのは調理人の腕しだいではないかとおもっている。新鮮な作品をもりつけるにはむしろ随筆という古い形式のありようをかんがえる必要がある。

●まだまだこの問題は考えるべきだ。こんど彼に会ったらそのへんことを話題にしてみたいものだ。


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寒卵は立つ。「福は内」おいで!!――塾生おいで!!

2020-01-25 07:08:25 | ブログ
1月25日 土曜日

●春分の日の卵は立つ。この問題が、アメリカ、中国、日本の新聞をにぎわしたのは、1947年のことらしい。

●わたしの記憶ではすこしちがっている。「寒卵は立つんだよ」母にそう教わったのは小学生のころだった。1945年だった。小学生だった。

●台所にはいって、熱心に卵立てに挑戦した。立ったのか立たなかったのか覚えていない。ただ母と並んで台所に立てたことがすごくうれしかったことを覚えいてる。
「男子厨房に入るべからず」といった教育がいきとどいていた。台所にいる母のそばにいけないのが、すごく寂しかった。

●だから母とまな板の上に、きそって卵をたてようとして、失敗するごとに笑い声がわたしたちの周囲にこぼれでるのがすごくうれしかった。

●「おべっか」という言葉もわが家では生きていた。正月がおわり、客をもてなし疲れた女たちのために男がこの日だけは台所にたって食事を作った。

●むかしの、行事がすたれて季節と生活とのかかわりあいがすくなくなっていますね。この春こそ「塾生」が増えてくれないと困ってしまうので,「福は内」をやろうか「節分の豆まき」をやろう。などとカミさんと話し合っています。

●塾生おいで!! と大声で叫んでみましょうかしら。……カミさんが深刻な問題を、笑い声で受け流してくれました。

●春分まであと九日。


  
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寒い朝のトラブル  麻屋与志夫

2020-01-23 10:59:38 | ブログ
1月23日 木曜日

●曇り。寒い。これで雨でも降りだしたら、夜には雪になるだろう。ひさしぶりで、いかにも、冬の曇り日を絵にかいたような天候だ。 

●キッチンの暖房はこのところ、つけっぱなし。おかげで、上半身は暖かい。足元には毛布をまきつける。

●ルナがいつもパソコンの上に乗ったり、よこにねそべったりしている。なんとも平和な光景が毎日平穏につづいてる。

●カミサンは毎朝、洗濯に大わらわだ。冬なのでわたしが厚着をしているからだ。重ね着。五枚。なんとGGくさい服装だ。いやになる。

●今朝もいつものように、水槽の回転する音がかすかにきこえいる。ところが、非常に寒い。そこでぼんやりと……かんがえた。

●女房依存型の亭主としては、朝のストーブだけでも早く起きてつけてあげている。
ところが毎朝つけかたがわからなくなっている。だいいち、それぞれ点火の手順がちがう。こんな日常的なこともできない。バカだなとしみじみおもう。

●ニュートンのような大天才なら懐中時計を卵とまちがってゆでてしまっても、逸話になる。

●ただひたすら文章をつづることしかできない非才の身にとっては、この冬の寒さは身にしみる。

●キッチンでふるえながら苦吟しても絵にならない。

●今朝は、暖房のスイッチをいれたつもりでパソコンを打ちだし、キッチンでふるえながら苦吟していた。絵にならないですよね。



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パソコンを打つルナ。転生したら美女のオッパイのみたいGG。妻はフランスの化粧品のイメージに酔う。

2020-01-21 12:40:26 | ブログ
1月21日 火曜日
●朝から、妻とルナとGGの三人で憩いのひと時を過ごす。ルナのことは猫だとは思っていない。妻とGGは人間並みの感覚は備えているのだろうか? いなーい。まったくありません。

● sade エッエエ。これって何ですか。ルナが、ですね、パソコンの上をですね、ポンポンとあるきました。パソコンのキーボードを見てください。左側にまとまっています。sade こんな単語しらないぞ。生徒に訊かれたら、わからないで、意味不明の単語を横目で睨み弁慶ではないが黒板の前で立ち往生してしまうぞ。

●どうしょうと。あわてないで、こういうときはパソコンだ。
弁慶のイメージはそこに置いて、頭の中にそのままにしておいて、ふたたびパソコン――。
検索。えっ…… 

●シャーデー・アデュ – Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/シャーデー・アデュ
シャーデー・アデュ(Sade Adu)ことヘレン・フォラシャーデー・アデュ(Helen Folasade Adu、OBE、1959年1月16日 - )は、ナイジェリア・イバダン生まれのシンガーソングライター。イギリスのバンド「シャーデー」のヴォーカリストである。そのスモーキーなアルトの ……。

●皆まで読まず、さらにYou Tube。
美人だ。カスミがかったハスキーな声。三人の子どもをつれて買い物をしている映像がいい。

●赤ちゃんをかかえている。
ボクチン今度転生したら彼女のオッパイのみたいなどと、イメージはさらに飛躍する。

●弁慶ならぬ、マクドナルド?  の白髭のおじさんみたいな風貌のGGが、不遜にも美女のオッパイにしがみついてる画像など絵になりませんよね。

●この間カミさんはといえば、まだまだ若い、ちゅうぱっぱとくらあな――。

●GGのかたわらで某おフランスの化粧品の解説をつぶやいています。
GGにはそんなお金はないのを知っていますから、なんとか呪文のように高級化粧品を使いたい願いをGGの頭にすりこんでおいて、念願のかなうことを祈りつづけています。

●奇跡がおきて、芥川賞でももらったらね、と返事をしょうとしましが、さすがにできませんでした。
 
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今日から大寒。托鉢。納豆売り。新聞、牛乳配達。

2020-01-20 06:01:30 | ブログ
1月20日 月曜日
●今日から、大寒。
明けるのが、2月の3日。
もっとも、鹿沼で一番寒いのは2月13日ころだ。

●まだビニロンの芯縄を製造していた。
50年ほど前のことだ。
庭で干していた芯縄がパリンパリンに凍りだした。
あわてて庭に飛び出した。
凍ってしまったら売り物にならない。
大阪から出張してきた御田さんを待たせて、氷りかけていたロープをとりこんだ覚えがある。
それが2月の14日だった。
あのころは、塾と家業の「麻屋」と、よく体がつづいたものだ。

●それよりさらにさかのぼること20年ほど前。
千手院にはご住職がおられて、寒行で托鉢に廻っていた。
お経を唱える声が路地にながれてくる。
喜捨のおひねりをわんにいれるのはわたしの役目だった。
吐く息が白かった。
手が痛いほど冷たくなった。
お坊さんはこの寒さをどうしのいでいるのかな? 
そんなことを考えるわたしは少年だった。

●若かった母が「納豆屋さん」と華やいだ声で納豆売りのおじさんを呼び止めていた。
牛乳配達の自転車の荷台で、ビンがこすれあってカタカタと音をたてていた。
それから新聞配達の自転車のブレーキ音。
寒中の――おもいでになっている。

●わたしは、遅々として進まない小説でいま苦行している。
ああ、今日から大寒か。
がんばらなくてはな――。

●夜には、塾生が来る。
寒い中、お母さんたちが送迎してくれる。
こういう環境はすごくありがたいことなのだよ。
そんな話をしてみたい。

●蛍雪時代なんて言葉は、とうの昔に死語となっている。
勉強に励むことがいかに辛いかということは、だが今でも変わらないと思う。
そんな話をしてみたい。

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飽食の時代に「一粒のコメ」を考える   麻屋与志夫

2020-01-17 10:59:56 | ブログ
1月17日 木曜日
飽食の時代に「一粒のコメ」を考える

●朝早く起きた。
いつものように牛乳がゆをつくろうと、炊飯器の蓋を開けたところ! 
あらあら、一箸くらいしかのこっていません。
文字通りお箸でつまんで、茶碗に移す。
釜をよく洗い、無洗米を二合五石ほどかまにいれて目印に合わせて水をみたし「そくうま」押し、「炊飯スタート」をポンとプッシュ。

●そこで小学生の時に、一粒を「イチリュウ」と音読みで教わったことを不意に思いだした。

●「お百姓さんが、米――八十八の手間をかけて作ったお米だ。一粒のお米でも食べ残してはいけない」
先生の言葉が身にしみた。
もっとも、戦中から戦後にかけての食糧難の時代だから、お米のご飯をたべのこすようなことは誰もしなかった。
お弁当をもってこられなくて、昼どきになると、教室をでて、校庭の隅のブランコにのっているともだちも数人いた。

●白米を五合マスですくいあげられるなったのは、わたしが旧制中学の最後の生徒になってからだった。

●「ハジメチョロチョロナカパッパ赤子泣いても蓋とるな」母が歌いながら竈の前に立っていたのを覚えている。
平和な時代になって米の、それも白米が食べられることの幸せを、しみじみと感じていたのだろう。

●社会科の先生が「白米のご飯で、マグロの刺身、お酒一合飲めたらいいなぁ」と慨嘆していた。
国語の先生は田中潔。のちにNHKにおつとめになり、大プロデュサーとなったときいている。
当時はまだ一高生だった。記憶にちがいがあったら、ごめんなさい。

●玄米が配給になり、一升ビンでついて、白米にするようなことをどこの家庭でもしていた。

●あの頃のことを急に思いだした。
それはまるで「弦のはってない琴」の調べのようだ。まだ、書き出してもいない、自叙伝の一節のようにわたしの心の中で、ひびきだした。

●やりたいこと、書き残しておきたいことがある。
なにがなんでも長生きしてやる。
まず飯を食うことだ。と自分なりの「オチ」をつけて釜の蓋を開けた。
炊き立てのご飯のいい匂いがキッチンに満ちた。


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年とともに、生まれた栃木の言葉になってきた 麻屋与志夫

2020-01-14 07:59:56 | ブログ
1月14日 火曜日

●「寅さん 浪速の恋の寅次郎」を見た。
抱腹絶倒。
涙がでるほど笑った。
見終わってテレビの前を離れたところ、ルナがいない。
カミさんはパニック。
部屋中探したがいない。
「ルナ。ルナ、どこにいるの」
ニャンとも返事がない。
ネコジャラシを振ってみた。
こない。
細いわたしの手作りのロープで床をたたいてみた。
蛇だと思って、どこにいても、とんでくるはずなのだが。
こない。

●あるいは、と思いつき教室のドアを開けてみた。
脱兎のごとく、猫のルナが暗闇の教室からとびだしてきた。
授業が終わるのを待っていたルナは、わたしがドアを開けて居間にもどったとき、教室にはいってしまつたのだ。

●ほんとうに、不注意なのだから――。
カミさんにしかられた。
まあ、ルナのことでしかられるのなら、「へんかのかえしょうがない」。
これって方言かしら。
いわれたことにたいして、言いかえすこと。――栃木弁かしら。

●カミサンは東京は渋谷の生まれだから、もちろん、標準語だ。
東京弁だ。

●歳を重ねるに従って、話し言葉に栃木弁がでるようになった。
幼児教育恐るべし。
このぶんでは、いずれU字工事、はたまた、ガッツ石松のような話し言葉に全面的になるのだろうか。

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鹿沼「アサヤ塾」での夢占い。運気向上がリアルとなるといいな。 麻屋与志夫

2020-01-13 09:09:36 | 夢見るGGの夢占い
1月13日 月曜日

●夢をみた。
鹿沼北小学校、GGのなつかしい母校だ。
終戦の年六年生だった。

●その百メートルあると言われている二階の長い廊下で、相撲取りを投げとばした夢だ。

●さっそく、パソコンの夢占いで調べる。

●商売の運気が上り坂。とでた。ありがたいことだ。

●「アサヤ塾」はことしこそ生徒が、わしたち二人の生活を支えてくれるくらいでいいから、増えてくれるといいな。

●ともかく生徒数が少ないので宣伝費をひねり出すことができない。
ひっそりと路地裏のあばら家で毎晩黒板の前に立ってがんばっている。
ただひたすら入魂の授業をつづけている。

●なぜ、母校の廊下だったのか。
これはGGなりに解釈してみたのだが、同級生の男子はほとんどあちらの世界にいってしまっている。
だから相撲取りいがいには、廊下にだれもいなかったのだ。
相撲取りは、強く長く生きていたガキ大将の彼の象徴でもあつたのだろう。
でもみんなみんな、いなくなって、さびしいよ。
さびしいよ。
ぼくが勝たなくてガキ大将だった彼に生きていてもらいたかったよ。
いやぼくも元気で、彼の家の近所の上田町の一杯飲み屋で旧交をあたためたかった。

●GGはもっと長生きしてあのころの友達との歴史を書いてみたいと思っている。

●波乱万丈であった昭和から令和にいたる、田舎町でのできごとをつづってみたいのだ。

●それには、なんとか食いつないでいかなければならない。

●右や左の鹿沼のみなさん、どうぞよろしくおひき立てのほどおねがします。

●「寅さん」のセリフみたいになりましたので、このへんがよろしいようで。



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