田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

これって『随筆』? 随筆4 麻屋与志夫

2023-12-29 08:39:06 | 随筆
12月29日 金曜日
  
これって『随筆』として読まれるだろうか、教えて下さい。 麻屋与志夫
2018-12-06 15:52:03 | ブログ
12月6日Thu.

りり、どこにいるの

「リリに、餌はやらないほうがいいのかな」
「どうかしら? 不妊手術だから」
 わたしはリリの餌皿をタンスの上に置いた。
「抱っこしていきましょう」
 カミサンは毛布を用意してきていた。リリは不安そうに、でも「ンン」とカミサンのかおを見上げて鳴いた。リリはなぜかニャオと猫の鳴き声が出ない。生後三月ぐらいで、わが家の玄関に迷いこんで来た。
「ごめんな。パパに働きがあれば何匹でも赤ちゃん産んでいいのに」
 カミサンはリリにほほを寄せて歩きだした。
 大通りの方ですごい騒音が高鳴る。道路工事をしていた。
 トラックが警笛を鳴らした。
 カミサンが悲鳴をあげた。リリが車道にとびだした。トラックが来た。
 わたしは一瞬リリがひかれたとおもった。
 そのイメージが脳裏にきらめいた。
 リリはすばやくこちらに引き返してきた。
 リリはそのまま狭い隙間にとびこんでいった。越後屋さんとF印版さんとの間だ。それっきりリリはわたしたちの視野から消えてしまった。
「リリリリ」いくら呼んでも姿をあらわさない。
 タンスの上でリリの餌皿が光っていた。斜陽が窓ガラス越しに射しこんでいた。
 わたしは固形餌の小さな山をくずさないように、タンスの上から餌皿をおろした。
 水飲み皿の横に置いた。
 餌と水飲み皿をみて「まるで影膳のようだ」と思ってしまった。
 裏庭のデッキでカミサンが弱々しく「リリ」と呼ぶ声がしていた。
 声は嗄れていた。
 涙も涸れているだろう。
 翌日は午後から冷たい雨が降りだした。眼下の東側の駐車場の端に側溝がある。越後屋さんの裏だ。水は流れていない。リリはその辺り、わが家から50メートルくらいしか離れていない場所で姿を消した。死の恐怖におそわれ、まるで弾丸のような速さで家と家の間の隙間に跳び込み消えていった。
「この雨で濡れないかしら」
「猫だから身を寄せる場所を探しあてているよ」
「寒いわ」
「毛皮をきているのだから……」
「凍え死んじゃうわ」
「心配することないよ」
「死んじゃうわよ」
「恐い体験をすると一週間くらい縁の下にもぐりこんででてこない猫もいる。インターネットで調べた」
「調べてくれたの」
「その猫の好きな食べ物をもって名前を連呼して歩くといいらしい」
「そんなことまで書いてあるの」
「あす晴れたら、削り節をもってもう一度、あの空家の周辺を探してみよう」
「ねえ、わたしがつくったサッカ―ボールがこんなにあるの」
 カミサンの手のひらにはアルミホイルをリリが咥えられるくらいに丸めたボールがあった。
 それを床に置いてはじくと、前足ではじきかえしてくる。
 カミサンは子どものように喜々としてリリと遊んでいた。
 ついぞ聞かれない笑い声が家のなかでしていた。
 リリのふわふわした布製のベッド。
 リリの破いた障子。几帳面なカミサンはすぐに桜の花の切り張りをした。
 障子の桟をつたって天辺まで登りつめたリリのヤンチャな爪痕。
 いままで、元気に飛び跳ねていたリリがいない家の中は、さびしくなった。
「泣くのはいいが、いつまでも嘆いているとまた風邪が悪くなる」
 カミサンは三カ月も風邪で咳が止まらない。
「だって、悲しいんだもの」
 少女のようにわたしの胸に顔をふせて泣きじゃくっている。
 いままでいたリリが不意に消えた。
 ケガをした訳ではないので――死んではいない。
 必ずまだ生きている。
 ひょっこりと、迷いこんで来たときのように玄関先にあらわれる。
「もどってくるよ」
「気軽にいわないで。探しに行きましょう」
「あした晴れたらもちろん行くさ」
「キットヨ」
 猫は怯えると、一週間もその場から動かない。そんな習性があるとインターネットで調べた。まちがいなく、越後屋さんの空家に居座っている。そう判断して二人で家をでた。
 削り節の袋をカミサンが手に、リリをさがしに出発した。
 リリが逃げてから三日目になる。
 工事現場の轟音とトラックのエンジン音を初めて耳にしたリリは恐怖のあまりカミサンの腕から跳びだした。
 危うく車道の中央でトラックに轢かれるところだった。
 よく踏みとどまり、こちら側に逃げ戻ったと思う。
 あのとっさの判断が生死の分かれ目だった。
 
 リリは狭い隙間に跳びこんだ。
 猫なら通れる。犬ではむり。細く狭い。
 この辺から、移動する訳がない。まちがいなく、越後屋さんの空家にいる。
 空家の隣のYさんがヘンスにある鉄製の扉を開けてくれた。
「リリ、ママよ。リリ、ママよ」
 カミサンが削り節をヘンスの上や、地面に置いた。
「リリ。リリ」
 鳴き声がした。
 あまり幽かなので小鳥の鳴き声に聞こえた。
 ニャアと猫の鳴き声ができないリリだ。
「リリだ」
「リリだわ、いた、あそこにいる。どうする。どうする」
 カミサンは感極まっている。


●地元の某誌に依頼された随筆の原稿です。ショートショートとして書いたものを随筆らしく書き改めた。でも、これでいいのだろうか。随筆という範疇には入らないのではないだろうか。ただ、あまりに近頃の随筆を読んでいると、おもしろくない。それに話題と語り口が類似的で老化を感じる。これは随筆の書き手は老人がおおいためかもしれない。じぶんが高齢者なのに、こうしたことを考えるのは、おこがましいことたが、随筆をもっとおもしろくしたい。それにはショートショートにスリヨッタほうが、随筆というジャンルを蘇生させるひとつの方法ではないだろうか。
若い人の意見をぜひきかせてください。


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デキチャッタ飼い猫 随筆3・麻屋与志夫

2023-12-28 15:45:30 | 随筆
デキチャッタ飼い猫 随筆3・麻屋与志夫

 ミュに死なれたとき、もう……猫を飼うのはやめるつもりだった。飼い猫に死なれるのがこれほど悲しく辛いとは思っていなかった。人間の年齢にすると、ミュは、おそらく九十歳を越えるオバアチャン猫だった。わたしの膝の上でつつましく死んでいった。最後に弱々しい息をして……しだいに冷たくなっていくミュを抱えたままわたしは、涙を流していた。やせほそって骨と皮だけになっていた。それでも昨夜まで二階の書斎までのぼってきた。わたしの寝床にもぐりこんですやすやと寝息をたてて寝ていた。

 ところが、黒い縞のある迷い猫を飼うことになってしまった。この猫はミュが元気だったころから、なかば飼い猫としてわが家にではいりしていた。

 ある凍てつく夜、二階の書斎に寝ていたわたしは小さな音で目覚めた。カタカタカタというなにか金属のこすれあうような音だった。厳冬の夜の底でひめやかにひびく音。それは、子猫が裏庭に迷いこんできて、ミュの缶詰の空き缶をなめている音だった。

 もちろん缶詰には肉はこびりついてはいない。猫の好きな魚の臭いだけが残っている。それをなめているのだ。子猫がその臭いをかぎつけて、小さな舌で……缶をなめているのだった。肉などついていない。臭いだけなのに……。

 それを見てしまった。寒気のはりつめた勝手口の隅でからだをふるわせていた。空き缶の底をなめている。わたしは哀れをもよおし、あたらしく缶詰を開けて子猫のところにもどった。

 冬の月がでていた。男体颪が吹きすさび天水桶には氷が厚く張っていた。とても……そのまま缶詰を置いてもどれなくなってしまった。怖がる子猫をかかえあげてベッドにもどった。

 チビと名づけた。ミュが生きているうちは、遠慮してか、餌をたべにくるくらいだった。外猫とわたしと妻は呼んでいた。ところが、ミュがいなくなるといつの間にか家に居ついてしまった。その辺のところは、猫は堂々たるもので、嫌われていないことがわかると急にずうずうしくなる。チビはミュのいなくなった寂しさを癒してくれた。もともと猫大好き人間のわたしだ。「お前もよくおおきくなったな」などといいながら、居候猫として認めてやった。

 チビはたくましい雄猫に成長した。ミュよりもおおきくなった。顔が角張っている。

 そのチビにかのじょができた。どうみてもまだ幼さの残る黒猫のおなかがふくらみだした。ときどき、チビのところに遊びにきていた。チビが親にきまっている。

 たとえこちらは、居候猫と思っていても、隣近所のひとからみれば、飼い猫だ。飼い猫の不始末は飼い主たるわたしが責任を持たなくてはならない。「おいチビちゃん、男の貴任とろうぜ」。わたしはチビをからかいながら、縁側にダンボールの箱をだして置いた。「デキチャツタ飼い猫」とでもいうか、チビの恋のはての責任をわたしが肩代わりすることになった。お産に備えて、ダンボールに細かく新聞紙をちぎって敷き詰めた。これは、ミュがそうしたのを真似てみたのだった。

 翌朝、子猫の鳴き声で目覚めた。さすが野良猫。やせ細ってほっそりしていても、野生のたくましさは生来のもの。おおさわぎして、苦しんだ末、わたしの背中に赤い爪痕をのこして出産したミュとおお違い。すでに……けろっとして四匹産んだ子猫に乳をふくませていた。やさしい母猫の顔になっていた。わたしは「おみごと」と感嘆の声をあげていた。

 ところが、もっと驚くことがそのあとで突発した。

 チビがその日を境に消えてしまった。

 事故にでもあったのかと、妻とその夜遅くまで捜しまわった。あたりをはばかって「チビチビ」と小声で呼びかけながら路地裏を歩き回った。その甲斐もなく行方しれず。それっきり戻ってこなかった。わが家の貧しさを知っていて、家族ぐるみでは飼ってもらえない。オイラのかのじょとコドモたちを頼むわ。???てなことだったのだろう。

 もうこうなっては、猫好きはメロメロになるしかない。チビの心情を思うと男涙が演歌のように落ちてきた。どうして、こうも……年をとると涙もろくなるのだろう。

 わが家の縁側で出産して母猫となったのがブラッキーだ。

 今も、わたしの膝ですやすやとねている。この温もり。このやわらかな毛の感触。初めて子猫を出産した時のミュをおもい、ブラッキーのできちゃった飼い猫ぶりをからかいながら、愛撫していると喉をぐるぐる鳴らし始めた。

「キャ、キャア」朝から妻の悲鳴で起こされた。わたしは、二階の書斎からあたふたとキッチンに躯け下りた。妻が冷蔵庫の扉に背をおしつけてふるえている。顔面蒼白。唇をわなわなふるわせて妻が指差す先に、小さなネズミがはっている。ブラッキーが前足でからかっている。また妻が悲鳴をあげた。ブラッキーはさも心外だという顔で、首をかしげ前足にネズミをひっかけて遊んでいる。

「みてみて、あたしネズミとってきたのよ。すごいでしょう。からかっても楽しいし、食べてもおいしいの……サイコウヨ」

 ブラッキーの産んだ子猫は里子にだした。いなくなった子猫に餌を逗んでくるのかもしれない。

 ところが、うちの美智子さんときたら、小さな生物は何でも大きらい。からだがふるえて、失神寸前のていたらくだ。

 わたしは、そっとテッシュでネズミをつつみこんだ。まだ体温があり、温かかった。「ゴミ袋にいれちゃいや」

 そんなことをいわれても困る。これ以後。ゴミだしはわたしの分担となってしまった。

 それからのことである。さすがは、野良猫歴一年のブラッキーは、わたしにほめられたいのか、わたしを養ってくれるつもりなのか、二階の書斎にせっせと獲物をはこんでくるようになった。

 わたしを子猫と勘達いしているのか。

 ネズミ。モグラ。蛙。スズメ。なんでも食べられそうなものはブラッキーの獲物となった。ライオンでも狩りをして食粗を確保するのは、雌の役割だ。まったくたくましいものだ。いくら、わたしでも、二階の書斎の窓からカエルなどを寝床にもちこまれるのはあまり気持ちのいいものではない。ところが、ブラッキーにしてみれば、あまり働きのない飼い主を心配して食事を運んでいるのだ。むげに断るわけにもいかない。

「食べ物はナマに限るのよ……見て、まだこのネズミひくひくうごいているわ」

 ブラッキの銜えてくるものはいつも生きている。歯を立てない。注意している。だから、書斎にもちこまれてくる哀れな小動物はいつも生きている。むろん部屋で食べさせるわけにはいかない。それらの獲物をブラッキーが食するのを黙ってみていられるほど残酷にはなれない。銜えてきた獲物でブラッキーと遊んでやることはする。ふたりできゃあきゃあ興奮する。モグラをサッカーボールに見立てて指ではじいて書斎のグランドで遊んでいたら、運が悪いことに妻に見つかってしまった。

 妻は一週間ほど恐怖と軽蔑をないまぜにした視線でわたしをみていた。近づいてこなかった。今でも猫を見る目でわたしを見ている。野良猫体験のあるブラッキーのしたたかさはすごいものだ。小動物を狩ってでも生き続けることができる。これなら、孫たちに会いにでかけて三日くらいなら留守にしても大丈夫だろう。

 ブラッキーは母猫となってから、身長がのびた。肥満したというのではなく、まさにひとまわりおおきくなった。

 よくわたしの母が、むかしは十六、七で結婚した。だから、それからまだ身長の伸びる人がいた。といっていたが、まさにブラッキーがそれだ。

「ブラッキー。お前子猫産んでよかったな。チビのおてつきにならなかったら、今でも野良猫のままだぞ。子猫には明日でもまた会いに行こうな」などと話しかける。

 四匹の子猫は塾生にもらわれていった。

 黒猫は一匹も生まれなかった。みんなチビに似て黒の縞がある。アメリカン・ショートヘアかと見紛うような縞模様がはいっていた。それが人気で一月分のキャットフードとともに母猫のもとから消えていったのだった。

 里親になってくれた塾生の顔が柔和になった。猫を可愛がることを覚えた子供の顔には優しさが芽生えるようだ。ここぞとばかりに人や動物や自然を愛するということ、みんなで共生することの尊さ。愛情哲学を一席教壇でぶつ。こんな話も塾だから、時間にこだわらず自由にできるのだろう。

 ブラッキーが教室の書架の上から前足をのばし、背中を反らせ、おおきなあくびをしている。

「がんばれがんばれ。みんなが学校で学べないようなことをいっぱい教えてあげてよ」

 それで無駄話がおおいと評判を落とし、生徒がへったら招き猫のわたしがついているから安心して。なんてことは、いうわけないか。

チビと、ブラッキーの子猫が去ってからまた鹿沼の里に木枯らしがふきだした。チビの旦那はいまごろどこをうろついているのだろうか。


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来年こそ新作と取り組むぞ。麻屋与志夫

2023-12-28 10:48:27 | わが家のニーユス
12月28日 木曜日 室温4℃
暮れもおしつまって来た。
今年は、取り立てて病気らしい病気もしなかった。
ただ足腰が衰えてきたのが、心細い。

朝六時起床。
いつもの朝のようにほうじ茶を熱湯をそそいで飲む。
直ぐ飲むわけではない。
まず匂いをたのしむ。
このひとときがかぎりなくいとおしい。

血圧が高いので夜分に不足がちだった水分を補う実利的な意味もある。
この朝の儀式はかかしたことがない。

小説のほうは新作にはとりくめなかった。
旧作に手入れをした。
新作に来年こそはとりくみたい。
周囲からは反対されている。

もう新しいことはしなくていい。
ご苦労様でした、という歳なのよ。
なにぬかす。
まだ、まだ、これからだ。
すきなことをヤラセテもらえないなら。
ガン箱のなかにパソコンもちこむぞ。
地獄にいっても書きつづける。

もっとも、おれは――ここは地獄。ここで踊れ。

そうした覚悟で小説を書きつづけてきた。
最後の文学青年の意地をみせてやる。
と、まぁ、意気込んでいます。
こういうのを、年寄りの冷や水。

歳が明ければ数えで92歳。
まず、年寄り。老人。爺であることにはまちがいありません。

正月には孫たちもきます。
ジイチャンと呼びかけてくれる孫が帰省します。
とりあえず、三が日は妻や子供たちの言いなりに過ごそうと思っています。
お酒も少しは飲みたいな。

  

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涎をたらすよになったら 麻屋与志夫

2023-12-19 10:10:26 | 
12月19日金曜日
ひさしぶりで詩です。


涎をたらすようになったら

さむい からだがふるえている
からだがふるえているから さむいのだ
室温零℃ ああ、やはりさむいわけだ
温度計などなく さむさをあらわす数値がなかったら
さむさは さむいという感覚で察知したのだろう
さむいという ことばもないむかしには 
ただふるえていたのだろう

テレビである高原で 
凍死した人間が発掘されたと報じていた
なん百万年か時を遡行すれば 
このちほうは いまよりずっとさむかったのだろう

お年寄りの集うある「詩の会」で発言したことがあった
涎をたらすようになったら 詩をかきます 
ぜひおたくの雑誌にのせてください

誤解されたろうな
抒情詩ばかりかいている 彼らへの反発発言だ
ひとは欲情しなくなったら 
感傷も抒情とも無関係になるべきだ
女性の男性美も Beauty is only skin deep

ちりめん皺でよろった身には男女の差はなくなって
ただ やさしさが よりどころとなる

今朝 妻がお粥をにてくれた
あたたかな湯気の立つお粥
テーブルにとうめいな液体が

わたしの口元から よだれがたれているのだった

しめた これで哲学者をまかすような
メタフィジックな詩がかける

「神曲」や「失楽園」のような叙事詩もかける
わたしの口元からはすばらしい
メタファーがながれおちるだろう




●ほんとうに いくつになっても妄想つきません



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ひさしぶりの俳句です。麻屋与志夫

2023-12-13 10:34:51 | 俳句
12月13日
枯れ山は竹ばかりなり風の鳴る

寒風にこの木なんの木天をつく

しらじらと心療内科のみ風薫

しらじらと心療内科のみ枯れ葉風

木枯らしに座り向き合うベンチかな

寒風になにが足りないわが発句

古民家を重機でならし曼殊沙華

彼岸花のこして重機は風の中

なにをするひとりごたつの老婆の手

わたしは夜半に目がさえて眠れないことがある。昼間体を使わないからだろう。
しかたないから、寝床で俳句をつくる。


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日本作家クラブ随筆賞受賞作品「蛸壷」麻屋与志夫

2023-12-12 20:09:42 | 随筆
12月12日 火曜日
日本作家クラブ随筆賞受賞作品「蛸壷」

 明石は「人麻呂神社」の前に小さな句碑があった。震災後のことで、ゆがみや凹凸のはなはだしい石畳の参道の脇に立っていた。
 丸っぽい自然石に夏の日が照りつけていた。蝉の声もする。向こうに倒れかけた山門がみえる。天災にたいしていかに人の世が無防備であるか、脆弱なものであるかをおもいしらされた。句は、
 蛸壷やはかなき夢を夏の月
 と読めた。そういえば、芭蕉、「笈の小文」の旅の西の極みがこの明石であった。淡路島が明石の海の彼方、いがいと近くにみえていた。夏の温気のなかで霞み夢幻泡影の感懐をもたらす。橋をかける工事がなされていた。そのためか、わびさびの感銘にはいたらなかったが、海青色の波のきらめきがまさに夢幻の趣をそえていた。
 半世紀も昔のこと、戦争が終わり野州麻が軍の納品から解放された。そのころ、藁縄ではすぐ腐るからというので、蛸壷の引き上ロープの注文がわが家にもたらされた。
 むろん健在だった父がこれで平和になるんだ。平和になると、くりかえしていたのを覚えている。
 軍馬の轡(たずな)や軍需のロープの製造にしかまわせなかった麻が民間の需要にこたえられるようになったのだったつた。その記憶があった。後年この句を知った時、えらく感動したものだった。
 しかし、いまはまた、ちがった読み方をしている。家業である「麻屋」を不本意ながら継いだ。すでに斜陽産業であった自然の繊維を原料とする「大麻商」をつづけて還暦をすぎた。その間、小説を書き、商人と物書きの相反する悩みをかかえてきた。
 頭髪も抜け落ち蛸まがいの頭になっている。芭蕉翁よりもすでに、馬齢をいたずらに重ね俗世にどっぷりとつかっている。物書きとして生きていきたいとはおもっても、才能も時間ももう私には残されてはいない。こんな訳ではなかった。これもわが性のつたなさとただなげくのみである。
 蛸壷の中のように身動きが出来ないほど日常の生活圏がせばまり、このままさらに老いていくのかと嘆く身にとっては、はかなき夢が実感としてとらえられるようになっている。
 芭蕉は江戸にでる際の夢であったろう市井の俳諧宗匠としての小市民的な生活をこばんだ。苦労のすえ獲得した職業俳人としての生活を捨て、専門俳人たることを望み、ただひたすら芸道に励むことを志し、二七歳で深川の草庵に隠世する。上野をさるにあたって、望んでいたはずの宗匠となる夢をはたしたはずなのに、それをいともあっさりと捨ててしまった。その情熱はどこからきているのか。
 その後、十数年「笈の小文」の旅では西をめざし、この明石にたどりついた翁が蛸にたくした、はかない夢とはどんな夢だったのだろうか。そして臨終にいたるまで、かけめぐった夢とは……なにか。
 旅と草庵の生活にあけくれ、たえず流行をもとめ、新しさは俳諧の華といった翁の俳諧にかけた捨て身の構え。野晒し覚悟でみた夢。たえず脱皮変身して新しさを求めた芭蕉の夢をかんがえていると、「ジィチャン」と孫娘が境内から呼び掛けていた。西宮に住む娘家族の震災の見舞いを兼ねて遅れ馳せながらやってきた。それは建て前で、本音は孫に会いたさが
こうじての旅であった。
 明石まで足をのばして出会った芭蕉の句碑である。
 妻をうながし鳥居をくぐる。
 亜莉沙がよちよちとちかよってくる。
 わたしの夢は……夢はとかんがえてみても、なにも浮かばない。翁の句をもういちど舌頭にころがした。 

 付記。●わたしは随筆を書くのが好きだ。いままでに、かなりの随筆を発表してきている。
日本作家クラブ発行の『随筆手帳』NO.34に『蛸壺』を発表した。随筆賞に選ばれモンブランの万年筆をいただいた。1996,10号だから27年も前のことだ。思えばずいぶん遠くまできたものだ。万年筆はいまも、愛用している。



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妻に同伴。「娘さんと一緒でいいですね」麻屋与志夫

2023-12-08 10:47:16 | わが家のニーユス
12月8日 金曜日 
裏の勝手口からゴミ袋を集積所にだした。
帰りは玄関のほうからはいった。

ふとみるとオレンジ色のタンクが五個ほどならんでいる。
その上にさらに色濃い楕円形の烏瓜がむぞうさにのせてあった。
「今年は烏瓜は、あまりならなかったな」
「猛暑がつづいたから、薔薇もあまり咲かなかったわ」
妻の関心はもっぱらバラにある。
バラが命の妻だ。
カイガラムシが大量発生。

どうやら、かわいそうだが、バラは、いやバラだけではない。
そろそろ園芸はあきらめなくてはならない年齢にたっしているのだ。
妻にはそれがまだ納得できない。
年寄り、はるかに、若見えの妻だ。
まだ実年齢を認めるわけにはいかない。
同年齢の友だちは――。
足がおもうようにいかなくなったり。
腰を曲げたりして歩いている。
老人ホームに入っているひともいる。

それがどうしたことだ。
妻はリュックに買い出しの荷物をどさっと詰込み。
さらに大きな買い物ぶくろに大根やネギをいれて帰ってくる。

どうにかわたしも歩けるようになった。

妻の負担をかるくしようとひさしぶりで同伴した。
すれちがった知らない主婦に声をかけられた。
「娘さんと一緒でいいですね」

「二度目のかあちゃんけ」
と、いわれたことはことはある。

娘とは。

わたしは誇らしい気持ちになってルンルン。

心の若さが顔にもでているのだろう。
妻はたえず、美意識に従って生きているからだろう。

この烏瓜も下駄箱の上に飾るのだろう。
蔓をどうからませて活けるか。
お手並み拝見。
たのしみだ。

美術館めぐりをした。
好きな画家の展覧会がある。
初日にかけつけた。

「うつわ」に凝った。
トウキョウの器屋さんを何軒めぐったことか。

庭はバラをはじめ幾多の花でおおいつくされた。
しかし、もうむりはきかない。
腰が痛いなどというようになった。

あとは、ゆっくりとこれからは歳を重ね。
花の咲き乱れる庭が「廃園」とならないことを望んでいる。
無能な夫であるわたしは……そう祈っているだけだ。


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想いでの暖かな父のセェター 麻屋与志夫

2023-12-05 10:12:02 | わが家のニーユス
12月5日 火曜日 室温5℃
本格的に冬将軍の到来だ。
父の着ていた緑色のセェターを箪笥の奥の方から取りだした。
暖かい。
驚くほと暖かい。
そこで考えた。
裏起毛とか、なんだかんだと、いろいろとCMがテレビからいやでも伝わってくる。

最近では、パソコンにまでふいにCMがはいる。
それはいいのだが、ブログなどに、うかつな言葉を使えない。

わたしは小説家だが、GGなので現地取材はもうでかけられない。
PCでほとんど調べる。
たいがいのことは、それですむ。
あたたかなホリゴタツにいてすましてしまう。
ことたりる。

ところが困ったことも突発する。
過日、中上や半村などの先生方と飲んだくれていた。
歌舞伎町のゴールデン街のことを調べた。
あらあらとんでもないことがおきた。
風俗店のお誘いのド派手なCM。
モウ、おどろいたなぁ。
この調子でいくと。
キーワードでこのような操作をされるのだ。

葬儀の費用など調べようものなら『早割り』があります。
などという文句を読まされるのではないか。

なによりも、こちらの事情を読みとられているようで不愉快だ。
さて、父のセェターのことだった。
このように暖かなのは混ざりけのない羊毛の毛糸であまれているからだろう。

それにこれを編んだのは栃木に嫁に行った姉だ。
姉の父を思う温情。
卒寿にもなってお座敷の掛からない小説を書きつづけているわたしを父と姉が暖かく包みこんでくれているのかもしれない。

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『カンカラコモデケア』聞いたことがありますか?

2023-12-02 09:40:43 | 本の話
12月2日 土曜日 室温8℃
『カンカラコモデケア』聞いたことがありますか?

歌ではありません。
わたしにとっては、呪文のようなものです。
文章を書くのに迷ったときに。
わたしはいつもこころのなかでとなえます。
『カンカラコモデケア』『カンカラコモデケア』 すると――。      
暗い迷いの世界から、バラ色の世界に転移できます。
文章を書くのがたのしくなります。
山崎宗次著 光文社刊。『カンカラ作文術』からの引用です。
文章を書く極意がわかります。
素晴らしい教えが各ページで輝いています。

カン……感動
カラ……カラフル
コ……今日性
モ……物語性
デ……データ
ケ……決意
ア……明るさ
上記のことをもりこんで、あるいは意識して、文章を書くことが大切だということです。

あとは実際にこの本を読んでください。



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散歩半ばでひきかえす。麻屋与志夫

2023-12-01 04:04:04 | わが家のニーユス
12月1日 金曜日
きのうは、昼頃散歩に出た。
いつもはこの町では午後になると男体颪が吹きだす。
ところがすでに北風が吹きだしていた。
風さえ吹かなければ陽だまりは暖かなのに。
弁天さんのところで引き返すことにした。
池では親亀の上に子亀子亀の上に孫亀。
といった光景が見られた。
なにしろあんなに厚い甲羅だ。
風など気にしているふうではない。
のんびりと甲羅をほしていた。

鶴は千年、亀は万年という。
わたしは子供の頃、花市で買った亀をペットとしていた。
この池に、しばらくしてから奉納した。
いまでも生きているだろうかなどと、妄想をたくましくしながら、眺めていると楽しい。

同級生の男子はわたしの知る限りでは皆亡くなってしまった。
寂しいものだ。
そんなことを考えながら木枯らしの中、家にもどった。
玄関の引き戸を勢い良く開けた。

レールからはずれてしまった。
だいたい、わたしは初めから人生のレールからはずれている。
などと皮肉なことをおもった。
高校を卒業するときの記念ノートに相沢君頼まれたサイン。

「かにの横歩き。最後まで未知数Xでありたい」
いまのところそのとおりになっている。

「もういいかげんで、小説家でカムバックするのなんか、諦めたら」
と妻や娘たちにいわれている。
卒寿にもなって、このていどの作品しかクリエイトできないなんて悲しい。
角川Bookwalker惑惑星文庫にのている作品が最高の出き。

自画自賛だ。悲しい。




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