田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

小理屈をこねて酒をのむ。  麻屋与志夫

2017-06-20 11:28:58 | ブログ
6月20日 Tue.
小理屈をこねて酒をのむ

●なにかと小理屈をつける。
「オーイ。ミイマ今日は父の日だ。だれからも電話がないから、じぶんで祝酒だ」
「なにいってるのよ。みんな忙しいのよ」
 カッテニにヘリクツをつけないで。とはいわない。上品なカミサンは屁などという言葉は金輪際つかわない。お酒をのんではいけないともいわない。ありがたいことだ。だからこそお酒を飲んでも180cc(一合という言葉が若い人に通じませんでした)止まり。カミサンに心配をかけたくない。実は一升くらいは飲めるのだが。

●お酒を一升飲む大酒のみ。なんていってもさらさらつうじないのでしょうね。なんだかむかしからの日本の情緒ある言葉が失われていくようで寂しくなります。アイツは一升飲み――大酒のみだ。なんていわないで、1800ccのみだ。なんていうのかしら。

●一本あけようぜ、レッツ キル ザ ボトルといって一升瓶を豪快に空けるたのしさは時空の彼方。中上の拳骨はおおきかったな。などと思いだしたりしている。

●「オーイ。ミイマ明後日はオイラの誕生日だ。84歳の誕生日にまた酒をのむぞ」
このところマメに飲んでいるので、予告をしておく。

●でも、むかしのように、相手がいないから、飲んでも菊水の金缶一個。ですましている。はなはだ健康にはいいのだろう。

●むかしの酒飲み仲間は、功なり名を遂げて、黄泉の人。GGはあいかわらず、お呼びのかからない小説をかきつづけている。いちどホサレテしまうと芸能界とおなじで、カムバックは厳しいですね。


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裏庭にはアイスバーグが一輪咲き残っていた。 麻屋与志夫

2017-06-16 04:59:45 | ブログ
6月16日 Fri.
裏庭にはアイスバーグが一輪咲き残っていた。

●朝、4時少し前。
空はメチャ曇り。
でも、明るんでいた。
雲の彼方では太陽が照っているのだろう。
猫ちゃんたちはまだ来ていない。
餌皿に雨水が溜まっていた。
夜のうちに降雨があつたのだ。

●朝の冷気をおもいっきり吸いこむ。
昔は、水と空気はただ、と言っていた。
いまは金のかからないのは空気だけだ。
そして……これほどさわやかな空気を吸えるのは田舎住まいだからだ。
おかしなところでありがたがっている。

●清澄な空気をすって気分爽快。
また書斎にもどる。
椅子に座ったとたんに、ブラッキ―に呼ばれる。
乞われるままに外にだしてあげたばかりなのに。
もうもどってきた。
庭をひとまわりしただけで帰って来たのだろう。
教室の引き戸を開けてやる。
いままでの行動とはがらり変わってしまった。
人間の歳なら百歳。
すこしボケてもしかたないよ。
ブラッキ―。
よくがんばってる。
立派だよ。

●キッチンで炊飯釜からたちのぼる「ご飯が出来たよ」というニオイがただよってきた。
すべてこともなし。
今日も一日がはじまる。

●裏庭の白い薔薇をイメージしながら、純白の一日を思う。
今日はどんな色にそまるのだろうか。
夜になってみなければわからない。
不愉快なことがない、平穏な一日になるといいな。


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白い猫を見るといいことがある?  麻屋与志夫

2017-06-12 06:24:15 | ブログ
6月12日 Mon.
白い猫を見るといいことがある。

●「白猫ちゃんがね、……廊下まではいってきてわたしを見ていたの」
わが家の裏庭のデッキに開業した「猫レストラン」のリピーター白の雄猫の話になるとカミサンはすごくたのしそうだ。
廊下の引き戸が開いていた。
デッキから廊下、部屋との仕切りのガラスドアの前まで忍びこんできた。
そしてカミサンが化粧する姿をジツと白がみつめていたという。
うれしそうだ。
「わたしに興味をもったのかしら」
とカミサンはドヤガオ。
オヤオヤ、この歳になって、恋敵があらわれるとはおもわなかった。

●今朝は、ブラッキが早くから外に出たがってさわぎだした。
しかたなく「雨のあとで、足がよごれるよ」といいながら教室の引き戸を開けてやった。
視線を感じた。
深岩石の塀の上に白が重箱座りをしてこちらを見ていた。
夜来の雨で薄い青みをおびた石塀の上でくつろいでいる白。
ハハアン。……と、納得した。
「白ちゃん、うちのカミサンのオデマシを待っているんだね」
と問いかけた。
猫は返事をしないとおもっていたら、フンニャと鳴いた。
肯定しているように聞こえる。
カミサンが薔薇に朝の水遣りのため庭にでてくるのを待っているのだ。
なるほど、これではカミサンのオッカケだ。
カミサンの毎日のルーテンが頭に入っているのだろう。

●深岩石はほとんど大谷石と同じように見える。
でも雨に濡れると薄い青みをみせてくれる。
風情がある。
梅雨に入ると、気づかなかったらわからないくらいの青味をいつでもたのしませてくれる。
すこしは庭石や塀の深岩石のかもしだす表情を理解できるようになってきた。

●でも、猫の顔は神秘的でなかなか理解できない。
白は目をほそめて柔和なかおでこちらを見ている。

●「餌をもらえるから、家のカミサンに興味をもっているのだよな。でなかったら若いおまえの魅力にはGGはかなわない」
白はこんどはニャンとも応えなかった。
やはり、恋のライバルなのだろうか。




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餃子の街に出ると珍風景に出会う。  麻屋与志夫

2017-06-11 19:04:16 | ブログ
6月11日 Sun.
餃子の街に出ると珍風景に出会う。

●餃子屋さは長蛇の列。並んで順番をまてばよかったのだが――。

●まがりなりにも、ホテルである。そこへきてフロントである。入り口の自動扉から十歩ほどの場所の長ソファだ。珍風景にであった。一人の男がながながと仰向けにねそべっていた。そばに太った中年の婦人が別のソファにすわっていた。靴をぬいでソックスで寝ていた。

●具合が悪かったのかもしれない。わたしは以前病院で疲れてソファに横になった。看護師さんに注意されたことがある。だから、いちがいには男の不作法をとがめるとはできない。

●でも、せめて頭を通路に方にむけていてほしかった。

●ベルモール。おおぜいの買い物客でゴッタかえしていた。元気のいい、どうみても中学生が鬼ごっこ? をしてしいた。大声でわめきあい、たのしそうにかけまわっていた。買い物客と衝突する暴走。いかにもたのしそうだった。校庭とモールの区別がつかないほど夢中ではしりまわっていた。若さとはすばらしいものだ。こちらはつかれてショボクレテいるのに――。

●渋谷のスクランブル交差点。よくあれだけの雑踏で衝突しないものだと、外人の観光客がおどろいている。宇都宮では、さほどの雑踏でもないのに、後ろから衝突される。ノタノタ歩いているGGに気合いをかけてくれるのだろう。ありがたいことだとは思うが、ころばないように、気をつけなければ――。

●GGはヨタヨタではないが、歩くスピードはまちがいなく遅くなっている。二足歩行でともあれ街を闊歩(GG的にはそう自負している)できるうちは――歩き回りたいとと願っている、ショボクレ高齢者をよろしく。

●珍風景だなんていってごめんなさい。こちらこそ珍風景ではなかったろうかと反省している。

●今はやりの「美女と野獣」ではないが、まちがいなく20歳はわかくみえるカミサンと無精ひげをのばしたGGの世代としては巨漢、太っちょのわたしが、そこのけそこのけといった風情でのし歩くのは――まちがいなく珍風景なのでした。
 
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黒川の水量はまだ増えません。 麻屋与志夫

2017-06-11 05:57:58 | ブログ
6月11日 Sun.
黒川の水量はまだ増えません。

●田舎暮らしをしていて、なにがたのしいといえば、自然が感じられる。身近にあるということだろう。

●黒川の河川敷におりて遊歩道をあるくのはそのたのしみの一つだ。静流だ。アユ釣りではかなり有名らしい。解禁になると釣り人が見られる。

●その黒川が渇水期の状態のままだ。梅雨入りして雨もかなり降っているのに――、川床から石がごつごつとつきでている。いままで、こんなに水量のすくない黒川は見たことがない。どうしたのだろう。この雨は里のほうばかりを潤し、山の方――上流の日光山岳地帯には降っていないのだろうか。

●降っても山林がすくなくて、禿山がおおくなっているので、一気に増水してまた元にもどってしまうのか。

●そんなことを考えながらあるいていると、そらにはツバメ、雀、トンビが飛んでいる。


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子孫に美田を残さず。  麻屋与志夫

2017-06-10 17:41:12 | ブログ
6月10日 Sat.
子孫に美田を残さず。

●上記の西郷さんの言葉にはいろいろと解釈があるらしいですね。意味についてはみなさにおまかせするとして、わたしはいまこの言葉を教えてくれた父についてかんがえています。

●「石は残してやる。石は不滅だ」父は「麻の仲買」の家にいったときに、必ず帰りに河川敷までおりていった。仲買はみんな農村地帯に住んでいた。近くを川が流れていた。河原から気に入った石があると土手までころがしてきた。麻を集荷にいった帰りにそれらの石を麻と一緒に積んできた。

●おかげでわが家の庭には石がごろごろしていた。その石をサークルに並べて花壇をカミサンがつくった。娘が嫁に行く前に、門から玄関までとび石として並べた。じぶんの集めた石がこんなふうに使われているとしったら草葉の陰で父も喜んでいることだろう。

●梅雨に入った。石はぬれるとちがった表情を見せる。わたしは露縁にすわって庭の石を眺めている。父のように微妙な石の姿をよみとることはまだできていない。




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アンモナイトの形でブラッキーがねています。 麻屋与志夫

2017-06-09 05:55:35 | ブログ
6月9日 Fri.
アンモナイトの形でブラッキーがねています。

●ブラッキ-がカリモクのソファにアンモナイトのような形で眠っている。このところ、加齢のためかブラッキ-はよく眠る。眠っていてもうなされる。猫も夢をみるのだろう。どんな夢をみるのだろうか。たのしい夢でないとかわいそうだ。

●「ブラッキ―の赤ちゃん、よそにやらなければよかった」
 過去のことをむしかえして反省する癖のあるカミサンがよく愚痴る。
「あのころは、猫がこんなにかわいいとはおもわなかったわ」
 すっかり猫愛に目覚めたカミサンがブラッキ―を膝のうえにのせて愛撫しながらつぶやいている。「ブラッキ―。かわいい。このもくもくの手触りがいいのよね」

●梅雨入り。雨音もしないで、雨が降っていることがある。雨の気配がないので、小説の筋をかんがえていると、ねだられるままに、引き戸を開けてしまう。ブラッキ―が外にとびだしていく。

●庭をみればアジサイがしっとりと雨にぬれている。「しまった」と気づいても、もう遅い。ブラッキ―はシトシト降りのなかをノソノソと散歩している。

●ブラッキ―。ブラッキ―! と呼びもどそうと声をかけても平然と門の引き戸は自力であけてでていった。猫も年をとると軽い引き戸は開けてしまう。ドァを開けることもある。これで引き戸を閉めるようなことをしたら、バケ猫なのだろうが――さすがにそれはしない。

●ブラッキ―が不在。手もちぶさた。カミサンはテレビのスイッチをいれた。雨の朝。きょうはお洗濯はお休みです。

●梅雨時の、ある朝のことでした。




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ごめんね、ゴメンネ。ブラッキーにあやまる。 麻屋与志夫

2017-06-07 07:07:07 | ブログ
6月7日 Wed.
ごめんね、ゴメンネ。ブラッキーにあやまる。

●昨夜は風呂にはいった。風呂が嫌いなのは「銀河鉄道999」の鉄郎くんと同じだ。さすがに暑くなってくると汗をかくので――いやいやながら入浴する。風呂に入るとつかれがでる。そこへきて、さらに「国盛」の「どぶろく」をグラス半分ほどのんだ。熟睡。

●ドアのそとでブラッキの鳴き声がする。かなり前から鳴いていたらしい。いつもはいつでも入れるようにドアは開けて置く。ところが……酔っていたので無意識のうちに閉めてしまったらしい。

●ごめんね。ゴメンネと大田原出身のU字工事のような発声法であやまった。さいきん、アレっとおどろくことがある。子どもの頃おぼえた、生まれは鹿沼なので、栃木弁がでる。
「アサヤさんって、そんなにナマツテいましたっけ」と東京のともだちにいわれる。ガッツ石松にも似てきた話声。ちなみに、石松さんは鹿沼出身です。故郷の英雄というところでしょうか。

●ところでわが愛する黒猫ブラッキ―は、ひと晩ドァの外で鳴き明かしたので、声がかれていました。階段の一番上で腰をおろし、そこでまた「ごめんね、ゴメンネ」とあやまった。のどの下をさすってやると、ゴロゴロ小さな雷の音がしてきた。よかった。怒ってはいないらしい。

●階下に降り廊下の引き戸をあけた。ピョン跳んで庭にでていった。

●さて、これから一日の始まりだ。

●しばし、庭の薔薇や、草木を眺めてから書斎にこもる。

●わたしのブログにはピクチャがあまり載りません。わが家の猫ちゃんたちや薔薇の庭はカミサンのブログ「猫と亭主とわたし」でぜひご覧ください。検索していただけば、すぐにでます。


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徘徊老猫、徘徊老人。  麻屋与志夫

2017-06-06 05:44:41 | ブログ
6月6日 Tue.
徘徊老猫、徘徊老人。

●わが愛するメス猫ブラッキ―も日ごとに歳をとっていく。ツメがひっこまなくなってしまった。絶えず白い鋭いツメがでている。カミサンなどはそのツメでスラックスの膝のあたりがボロボロだ。

●わたしはジャジィをはいている。ブラッキ―がひょいと跳びあがって膝にのろうとした。ツメが布地にひっかかってヌケナイ。わたしの膝からぶら下がったような状態になった。かわいそうに、跳躍には自信があったのに。猫としての自尊心でも傷つけられたように、ショボンとしてしまった。

●「しょうがないよ。20年もガンバって生きているのだから。イロイロアラァナ」
と、なぐさめてやった。『猫の爪は、通常靭帯の張力で自動的にさやの中に収まるように出来ています。しかし老猫の場合はこの靭帯の張りがなくなり、爪がずっと出たまま戻らない状態になります』――検索してみたら、ということでした。ようするに筋肉が弱くなったということだ。

●人間さまのオイラだって、ドッコイショと掛け声をかけてなにかにつかまるか、畳に両手をつかないと立ちあがれない。筋肉が弱まっている。イャになっちゃうな。散歩して鍛えているのに。腰が痛む朝もある。
「がんばろうな。ブラッキ―」

●そのうえ、ブラッキ―はいくらか痴呆症の症状をみせはじめた。こまめに、外にでたがる。でたとおもうと、すぐに帰ってくる。またでたがる。顔もうつろだ。
「ブラッキ―、シッカリしてよ」

●オイラ自身のことを省みて、人ごとならず、おもいあたることがあるので励ます言葉も真摯なものとなっていた。むしょうに外にでたくなるときがある。カミサンをさそっても、この季節はバラの世話で手いっぱいで、同伴してくれい。先日などひとりで散歩に出た。知人宅の前をとおった。おもわず声をかけてしまった。やはり、さびしいのだ。人恋しいというか、周囲の人に声をかけたくなる。オイラがこういう、今までにしなかったことをするということは脳の老化なのだろう。これではブラッキ―とおなじだ。徘徊老人のはじまりだ。

●「おい、ブラッキ―! 抗加齢化推進協会のひとに興味をもってもらえるようにガンバロウゼ」
と愛猫にかける声はまだ甲高く若者のようだと自負するオイラ22日、夏至の日には84歳とあいなります。


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深夜の裏庭。デッキ。猫の集会。 麻屋与志夫

2017-06-05 01:13:36 | ブログ
6月5日 Mon.
深夜の裏庭。デッキ。猫の集会。

●歳のせいでご多分にもれず夜二回位はトイレに起きる。冬は寝床から這い出るのがつらい。ともかく、寒冷地なので、零度位の温度の中をトイレに行くのはつらい。

●このところ、だいぶ夏めいてきた。温度も20°。トイレの後で、明かりをつけて、裏庭に面した廊下の引き戸をあけ、デッキにでる習慣がついてしまった。

●「白ちゃん。シルバー、リトルホワイテ」とわが家の「猫レストラン」の常連客に呼びかける。低いグランドカバーの草花のかげから猫ちゃんが現れないかと期待する。たのしい瞬間だ。さわさわと草をかきわけ10回に1回位の割合で――期待はむくいられる。

●餌皿に固形餌をいれてあげる。おなかを空かしているのだろう。カリカリカリという音が昼よりも周囲が静かなのでよく響く。「はい、おまちどうさま。お水もどうぞ」猫に声をかける。

●ところが今夜は裏庭に3匹が集っていた。よくいうところの深夜の猫の集会。――なのだろう。わたしも素焼きの植木鉢をひっくりかえして、そっと座り、お仲間にくわえてもらった。鳴きもしなければ、こちらを見ることもしない。深々と夜は更けていく。さわさわとここちよい風がふいている。薔薇の花がゆれている。遠く夜の隅で道路工事の音がかすかにする。ああ、いまも働いているひとがいるのだな。と思った。

●猫ちゃんはじっと座ったままだ。「おい、おまえらなにかんがえているのだ」心の中で猫に呼びかける。GGも仲間にいれてくれよ。返事はもどってこない。猫って哲学者みたいに真剣になにか沈思黙考している顔つきをしているときがある。

●ホンマニ、なにか考えているのでしょうかね。


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