田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

「鹿沼の四季」 6 麻屋与志夫

2019-02-28 13:23:56 | ブログ
2月28日 木曜日 雨
鹿沼の四季6 春(2019)
 2003年に鹿沼の四季を書いてから16年が過ぎている。街の風情も、わが家の周辺もおおきく様変わりした。

●昨日黒川の河川敷を散策した。枯れ芒が風にゆれていた。コンクリートの小堰が対岸まで露出して、その上を徒歩で向こう岸まで行くことができる。「コンクリートを流し込んで盛り上げただけだから、味気ないわね。形をなんとか工夫すればいいのに」

●堰を子どもたちが喜々としてはしりまわっていた。

●妻はコンクリートを盛り上げただけの堰の形体が気に入らない。堰の上流でも川床から砂地があらわれて三角州となっている。ああ、渇水期なのだな、とおもった。梅雨時になれば堰に小さな滝がきてたのしいのに……。

●昔は黒川の上流の山々は樹木が生い茂っていた。鹿沼まで流れてくるのには落葉のしたに沁み込み一滴いってきがまとまり、せせらぎとなり黒川に流れこむ。20年くらい要したはずだ。

●鴨がいた。浅い流れなので、泳ぐというよりあるいているようにみえた。

●白鷺が二羽。青鷺が一羽。青鷺が羽を大きく広げてとびたった。川面に波紋がひろがった。


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わたしロープの蛇と遊ぶのが好き。 麻屋与志夫

2019-02-27 12:00:19 | ブログ
2月27日 晴れ

●ルナは廊下の椅子の上。ガラス越しにあたたかな春の日差しがルナの背中を照らしている。

●ドタドタと足音。ルナがめざめて、長いロープを引きづって遊んでいる。わたしが古いビニロン芯縄をなんぼんも縒り合せて二メートルほどの紐にしたものだ。蛇でもくわえている気分なのだろう。それにしても、女の子なのに勇猛果敢な雄猫みたいだ。独立心があり、ひとりで所狭しとはしりまわっている。

●いまのところは、キッチン、テレビのあるリビング、わたしの仕事場となっている仏間だけがリリの居住空間だ。

●だいぶ馴れてきて、はじめからわが家にいたようにふるまうようになった。お好みの場所がきまってきた。でも「ダッコ」はあいかわらず、「キライ」……なのよ。


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ルナはネコらしからぬ、たくましい足音。 麻屋与志夫

2019-02-25 08:24:41 | ブログ
2月25日 晴れ

●二週間ほど前。娘夫妻と孫娘のNでゴールデンショートヘアを連れて来てくれた。
猫ちゃんは段ボールの小箱からだされると部屋のなかをゆっくりとあるきだした。

●女の子らしからぬどうどうとしたあゆみ。それでも周囲の備品にきょうみがあるらしく、ニオイをかぎながらなんども部屋をめぐっていた。

●名前はどうする? いままでの猫は、子どもたちの名前も全部わたしがつけてきた。
「ミイマ。にゆずるよ」そこで妻が「ルナ。でどうかしら」という。

●「わたしもルナでいいよ。三食昼寝つき。愛情たっぷりの家にむかえてくれて、アリガトウニャン」

●ルナはもちろん猫ちゃんの柔らかな肉球だ。フットプリントもまちがいなく猫。
なのだが、ズボットした足でたくましい。足音はネコらしからぬ力強さがある。

●「わたしの足あとは小さいけれど、ママとパパには憩いのおおきな安らぎをあたえるものよ」

●それからというもの、毎日のようにルナはすさまじいいきおいで部屋のなかを、ドタドタとはしりまわっている。

●すごい、すさまじい、元気はつらつ。

●今朝は、妻の枕元で寝ていました。昨日はソファで寝そべっている妻の胸の上でお昼寝をしました。

●そのうちピクチャはお披露目しますね


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オキャンでヤンチャなルナ姫との日々。 麻屋与志夫

2019-02-23 21:45:56 | ブログ
2月23日 土曜日

●ショートヘアのメス猫「ルナ」――おどろいたことには、すべてにおいてわたしたちの想像をはるかに超える存在となっている。

●「ルナ、ちゃん。水をこぼす子ははじめてよ」キッチンでカミサンが悲鳴をあげている。水のみ皿をひっくりかえしたらしい。

●部屋のなかを走りまわり、だかれることは、キライと、ダッコした途端にあばれだす。「いやよ。きままにしていたいの」とおおあばれ。

●オキャンでヤンチャ娘。

●あしもとに寄って来て「すりすり」をしてくれたり、呼べばとんでくるとか、おおいに期待していたのに、おどろきだ。

●いずれはなれてくるのか???

●これがショートヘアの性格なのか。でもカミサンはルナに夢中でたのしそうに猫ワールドにとけこんでしまっている。

●結果的には、わが家にまた笑いがもどってきた。かわいがる、愛情をそそぐ対象が目前にいる。カミサンはもう夢中。

●カミサンとルナとの会話をきいているとわくわくする。

●それにしても、それでなくても、保護した街猫や、迷いこんで来たリリのほうがひとになっくとは、どういうことなのだろうか。

●ルナは気位がたかいのかもしれない。野生的に、ヤンチャであばれまわるのがその習性なのかもしれない。

●時きがたてば、わかってくるだろう。

●猫って神秘的です。
半世紀以上も猫と生活しているわたしたちにも、わからないことばかりです。

●「だから……たのしいのでしょう」とルナが申しています。



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またネコを飼うことになりました。 麻屋与志夫

2019-02-22 22:15:51 | ブログ
2月22日 晴れ

●今日は、222なのでニャンニャンニャン。
猫の日なですね。
そこでわが家でも、重大告知をします。

●また、猫を飼うことになりました。

●リリに死なれてペットロスからいまだにぬけだせないわたしたち夫婦です。
こんなに悲しいこととはおもわなかった。
リリとのわかれでした。

●松戸の娘が流れやまのペットショップで買ってくれました。
夫婦とわたしからみれば孫娘の三人でわざわざ車でショートヘアの毛並みはゴールデンを連れて来てくれました。

●それはまるで、虹の橋でタワムレテいたコネコが空からおちてきたような驚きてした。

●名前は「ルナ」とつけました。
猫を飼うための用具はすべてととのっているので、これからはルナとの生活がとどこおりなくはじまります。

●猫ちゃんとの共棲がまたはじまる。


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「鹿沼の四季」5 麻屋与志夫

2019-02-21 16:31:16 | ブログ
5

 五月十五日、朝から雨が降りだした。
 これで、今年の春も終わりだ。
 
 表庭にある水道の蛇口の下に木製の桶が置いて在る。
 雨垂れがしたたり静かな音をたてて桶にたまった水面に波紋を広げている。
 
 膝にのせたブラッキ―と二人で、縁側から、ながいこと雨垂れの音を楽しんだ。
 
 五月も下旬ともなれば、藤の花も終わり。
 ちいさな鞘をつけた。
 
 椿が雨どいにつまったのをとりのぞいたり、伸び過ぎた庭木の枝を剪定したりなかなか忙しい。そして、その忙しさのなかで、晩春の寂しさにひたっている今日このごろである。
 
 こういう生き方ではない未来をかんがえていただけに、哀愁はひとしおである。
 年を重ねるというが、こころにつみ重なる悔恨の情にながされるのは、やはりこの季節だ。 
 春は残酷な季節。
 
 ああ、今年も春がきわまった。


●ここまでが2003年に、はなはだ断片的だが、書きとめてあった。でも、これでは「鹿沼の四季」というタイトルとしては詐欺的行為ですよね。だってこれは、わが家の春の寸描ということですもの――。

●ようし、この続きを書くぞとGGははりきっています。

●いまかんがえていることは、これを随筆ふうに書き継ぎ、カクヨムに載せていこうかな。ということです。

●こんどこそ、鹿沼の町をあちこち散策して2019年の季節の移り変わりを書きとめたいものです。

 

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「鹿沼の四季」4  麻屋与志夫

2019-02-21 13:54:59 | ブログ
2月21日

4
 
 白いカバーをかけたソファから黒猫のブラッキーが立ちあがった。
 なんだ。そこにいたのかと、声をかける。
 庭では藤の花が降りだした雨に濡れていた。
 黒猫と藤の花。夢二の絵にありそうな風情。
 雨 が降りだして、今年の藤もこれでおわりになるだろう。
 寂しくなる。
 雨どいに椿の落ちた花がつまっている。
 しとしとと降る雨ではあるが、たまってあふれ、大粒の雨が降っているような激しい音となって雨どいからながれおちている。
 明日晴れたら、掃除をしなければならないだろう。

 屋根にはいあがったツル薔薇が咲きだした。
 黄色と白のモッコウバラだ。
 妻が背伸びしをしてながめている。
 もちの木や箱根ウヅキの葉でかくされてしまい、バラがさだかにはみえないらしい。
 妻は背伸びをして屋根に咲いたバラをみようとしている。
 そういえば、今週の金曜日十六日には、西部ドームの薔薇展に息子の学に招待されている。楽しみだ。 




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「鹿沼の四季」3 麻屋与志夫

2019-02-21 07:03:21 | ブログ
2月21日 暖かな朝 

「鹿沼の四季」3


 わが家の深岩石の塀の上で藤の花が咲きだした。藤の花はながいこと咲いているので、ゆったりとしたこころでたしむことができるのはうれしい。
 連休の五月三日(土)となりもう一週間も咲きつづけている。垂れ下がった花房の下のほうは咲ききっていないから、まだ至福のトキメキはつづくだろう。
 桜をながめていると、酒がのみたくなる。
 藤の花房をめでていると、雲水となり放浪の旅にでたくなる。

 藤咲きて雲水としてたつこころ
 
 藤垂れて雲水として立志こころ

 藤の花仏ごころに揺れる宵


「都忘れがきれいに咲いたわ」

 咳のやまない妻が庭から摘んできた都忘れを花瓶にいけた。
 朝のうちはまだ肌寒い。
「風邪がまたぶりかえしたらどうするんだ」

 わたしの言葉にはとげがある。

「庭の花がみんな枯れそう。このところ晴天つづきだったから。花がかわいそう。わたし死んでも花のせわするから」

 妻の言葉には過激なひびきがある。

 草花に水くれをしないわたしへの非難がある。

 いつも、小説のことばかりかんがえていて、こころのゆとりのないわたしをゆるしてください。

「三色あるのよ。それぞれきれいでしょう」

 花瓶に挿した都忘れ。この花には、わたしなりのおもいでがある。

 黒川の河畔を散歩していた。可憐な花が咲いていた。妻がすきそうな花だ。

「うれしいわ。あなたから贈られた一茎の花。この花でも、うちの庭にたくさん咲いているでしょう。都忘れよ」
 






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「鹿沼の四季」 2  麻屋与志夫

2019-02-20 08:15:09 | ブログ
2
 
 花が散って、しび桜となる。
 わが家のささやかな庭がいっせいに春をよびよせる。花の落ちた白モクレン、杏の葉は緑に光っている。四月も末、藤が咲きだした。石塀に花房がふれてしまうので、竹の筒でつっかえ棒をする。
 箱根卯月、花梨、姫林檎、雪柳がみごろだ。
 椿は落花の上にさらに重なってうずたかく散っている。郵便受けにまで花弁がふきこんでいる。ときとして、玄関のなかまで椿の落花でいっぱいになることがある。
 この季節の、春の風は、いがいと強風だ。春のそよ風はあまりふかない。それとも、舟形盆地にある鹿沼の地勢のためなのだろうか。




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「鹿沼の四季」 麻屋与志夫

2019-02-19 09:34:13 | ブログ
  鹿沼の四季

だれにも故郷はある。故郷をおもうきもちはある。だが、歳月が過ぎ去ると写真か文章でしか、その面影は確かめられなくなってしまう。わたしも、わが愛する鹿沼の風景をこういうかたちで残したいとおもう。(2019)

春 2003

 鹿沼の春は黒川の土手が凍土からよみがえることから始まる。土手が弛緩して黒味をおびる。枯れ草色の河川敷を散策すると、関東ローム層のくろぼく質の土をふみしめた靴底がぬらりとすべることがある。そのやわらかな、すこしねばつく黒い土をみながら、洪水のときなどこの黒い土が川に流れこむので、黒川とよぶようになったにちがいない、などとかってにかんがえながら堤をあるく。

 ああ、土が春をよびよせている。

 千手山公園の桜の蕾はまだふくらみだしていない。未広町にある蝉が淵稲荷の柳がようやく芽吹き淡い薄緑の簾のスソを木島掘りの流れにぬらしている。
 男体山、女峰、白根もまだ雪におおわれている。それでも、ほほにふく風がやわらかなあたたかさをつたえてくる。川面をふきわたる風には、すでに春の予感がある。
 鹿沼で暮す楽しさは、自然に触れられる、自然に囲まれていることにある。ゆめゆめひとと接してはならない。ひとを懐かしんで話しかけるようなことをすると、かならず寂しいことになる。なぜなら、この街のひとにはことばがないからだ。ことばがないということは、こころがないからだ。
 だれだ。ヨーカ堂前の柳の枝をぜんぶ切り落としてしまったのは――。
 柳の葉がいちばん美しくなるこの季節に無粋にも柳の枝が切り落とされていた。

 

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