田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

穏やかな年末

2007-12-31 20:03:28 | Weblog
12月31日 月曜日 晴れ
●暖かな大晦日だった。午後ブラッキーのエサをKまで買いにいった。外猫チビが
日に三度もおとずれるようになった。若い雄猫だからすごい食欲だ。「捨てられてしまったのかしら」とカミサンは心配している。二袋買った。これでどれくらいもつだろうか。

●空の青さが目にしみるようだった。あまり暖かだったので雲の様子がおかしかった。むくむくともりあがり入道雲みたいな雲がでていた。

●文集をT先生が届けてくださった。戦争中の話をしたことにたいする感謝の文集をだしてくれたのだ。おもいがけない贈り物に心がほのぼのとした。正月休みにゆっくりと、ひとりひとりの作品を読むことにした。

●このところ塾の特訓をたてつづけにやった。疲れが出て、喉をはらした。銀のベンザを飲む。べつに取り立てて書くほどのこともない平穏な日だった。明日は元旦だ。どんな年になるのだろうか。たのしみだ。

       

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冬の雷鳴そして雹

2007-12-30 12:33:29 | Weblog
12月30日 日曜日 晴れ
●11時15分頃から暗雲がたちこめ、雷鳴が轟きだした。おやっと思っているうちに黒雲は頭上まできた。不意にばちばちとトタン屋根が音を立てた。雹だった。大豆くらいの大きさだった。10分ほど降りつづいた。

●なにか不吉なことの起きる前兆だ。と昔の人なら言っただろう。年末の、冬の雷鳴だってめずらしいことなのに。雹までふるとはなにごとだ。そんな言葉が口をついてでた。

●昨日は雨が降った。雷鳴こそきかれなかったが、雷雨のような降り方だった。この冬は暖冬になるのだろうか。異常気象の前触れのような気がしてならない。

●雹の止んだ後のトタン屋根は水蒸気がまいあがり、まるで燃えているようだった。冷やされたり温められたり、ぱんぱんと音を立てていた。

●しばらくして、陽光がさしだした。ぬけるような蒼穹だ。

              

 

 

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酔っています

2007-12-30 00:54:12 | Weblog
12月30日 日曜日 
●あまりつかれているので夜遅くお酒をのんだ。のんだといっても、わたしのことだから一合だ。かつて、呑み助の友だちにいわれたことがある。おまえさんは、ほんとうにお酒がすきなのではないかもしれない。いつになっても一合以上のまない。ふつうはそうはいかない。酒量はいつしか増えていくものなのだ。

●このところ小説が売れていない。ありがたいことだ。おそらく、原稿が売れていたらむかしの友だちとの交際も復活して、のむ機会もふえていたろう。でも、彼らとのみたい。のみたい。のみたいな。もっとも健次さんとさしでのむには泉下までおいかけていかなければならない。

●夜遅くと書いたが、少し違う。いま、12時をすぎたばかりだ。30日になったばかりだ。この時間帯はなんと表現したらいいのだろうか。ジャズをかけた。ホエン・ファーマー・メット・グライスだ。ジャズをききながら、HALで文章を打てるなんて、世の中どうなっているのだ。これは懸命に小説を書かなければならない。だって、ペンダコも書痙も過去のものとなった。書くための肉体的な負担がだいぶ軽減されている。ありがたいことだ。これで、小説が書けなかったらわたしの責任だ。才能がないということになる。それでは寂しすぎる。

●ホエン・アイ・メット・カミサンというタイトルでわが恋愛の始まりでも書いてみようかな。やっぱり酔っています。もうねます。おやすみなさい。

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歳末の買い物

2007-12-29 22:58:44 | Weblog
12月29日 土曜日 晴れ
●暖かだった。11月初めの暖かさだとテレビが報じていた。外気温は15度もあった。宇都宮まで買い物に出た。東武デパートの一階の日光金谷ホテルの食パンを買うためである。食べたときの歯ざわりがたまらない。味は舌で味わうという。トーストにして、こんがりと焼いてさくっとした食感を歯で味わいながら食べるのもいいなあ。まさに、歯で、舌で、口全体で食べているといった味わいだ。

●鬼平(きびら)の水羊羹は売り切れだった。残念至極。金柑。ブルーベリー。干しブドウ。干しブドウはわたしのためだある。これでウエスキーを飲むのがすきだ。いろいろと正月をむかえるために買った。かなりの荷物になった。1万歩ほど歩いた。

●暖かすぎると思っていたら雨になった。このところ、よく雨が降る。暖かなのはいいが、スキー場などには影響ないのだろうか。スノーボダーの息子が正月で帰省してくる。妻となったIちゃんをともなって。駅で雨の止むのを待つ間、話題はしぜんと雪山のことになっていた。二人に会えるのがたのしみだ。

●小説10枚書いた。むかしの雨漏りの跡のある裏板を見上げながらうとうとした。キッチンではカミサンがキントンを作っている。いつもは、裏ごしで豆をこすのを手伝うのだが、疲れていたのでパス。ごめん。テレビからは浅田真央の少し大人びてきた声がきけていた。優勝してよかったね。真央ちゃん。

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カミサンのオセチ

2007-12-28 22:39:27 | Weblog
12月28日 金曜日 晴
●カミサンはおせち料理をつくるのにおおわらわだ。わたしは大きなリックを背負ってお供する。買ったものを運ぶことは手伝う。ただそれだけである。あとはなにもしない。それでも、こごと一ついわれたことはない。ただひたすら勉強をつづけられたのも、こうした彼女の寛容な心があったればこそだ。感謝している。

●カミサンの料理の腕はプロ級である。いや金儲けばかり考えているプロなど足元にも及ばない。子どもたちも「お母さんの料理だったらお金出しても食べたい」などという。

●どんなに貧乏していても、本当においしいものを出す店にしかいかない。そして食べた味を記憶してきて、家に帰ってから再現してみる。それがこつらしい。わたしも同感だ。おいしい店を探すたのしみについては、もし奇跡が起きて原稿がうれるようになったら書いてみたい。カムバックするためにはいまは、小説だけを書き続けなければならないのだ。随筆などは書くゆとりがない。

●きょうもF屋に正月用品を買いにでかけた。すべての品が高くなっている。吐息をもらし、考えながら買い物をしている主婦がいる。カミサンはこうした物価高について見ず知らずのかたと話合っている。こぼしたところで、どうなるものでもない。不況の波はこんな小さな町にもおしよせている。

●夜から雨がつよくなった。ホリゴタツでただひたすら原稿を書く。むろんHALに打ち込むのだが、PCなんてこんな便利なものがあるなんて信じられない。バチがあたる。万年筆で原稿用紙に文章を書きつづることを思えば泣きたくなるほどらくになった。これでいい小説がかけなかったらバチがあたると思う。

●台所からはイイ匂いがただよってくる。あさってには長女の家族が帰省する。みんなで食卓を囲むのがたのしみだ。

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四畳半の雨漏り

2007-12-27 23:43:08 | Weblog
12月27日 木曜日 晴れ
●昨日は、裏板の節穴のことを書いた。四畳半の星座というタイトルがものめずらしかったのだろうか。想定外の訪問者にちょっとうれしい戸惑いを覚えた。

●芭蕉野分して盥に雨を聞夜哉 芭蕉 

●わたしは雨漏りに関してはトラウマがある。広すぎるトタン屋根のため、わたしがこどものころは絶えず雨漏りがしていた。親父の名誉のために書いておくが貧しかったわけではない。父は倹約家だったのだ。雨漏りの箇所があると布にコールタールを塗ってトタンに張り付ける。これで結構一時しのぎにはなった。でもそれはあくまでも応急処置だ。だからいつも雨になると、ぽたぽたとどこかで雨垂れの音がしていた。家中雨漏りで水浸しになっている夢を今でも見る。節穴を見上げていてしばらくぶりでそのtraumaがよみがえった。

●後年芭蕉のこの句を読んだとき、なるほどな、と思ったものだ。盥に雨の音を聞く。それを澄ました顔でたのしんでみせる。わびさびとは、やせがまんの美学とみた。わたしはいまだにそうした心境にはいたっていない。

●いまのところ雨漏りはしていない。息子に屋根ふきの負担をかけるには忍びないのでステンレストタンで葺いてもらった。なんとか息子一代くらいは雨漏りの心配はしないですむといいのだが。ともかく百坪余もある屋根だ。陋屋でもいいが、ぼろ家でもいいが、雨漏りの悲しさだけは味あわせたくない。部屋に雨が落ちてくるみじめさは、ほとんど恐怖にちかかった。父は平然としていたのだからたいしたものだ。昔の人間は心の鍛え方がちがう。たした胆力だ。

●今夜は冷たい冬の雨になりそうだ。雨漏りの心配のない部屋のホリゴタツでHAL

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四畳半の星座

2007-12-26 13:33:45 | Weblog
12月26日 水曜日 晴れ
●今日も、カミサンは忙しく立ち働いている。玄関の戸を拭いている。凹凸のあるガラスなので汚れを落とすのがたいへんらしい。

●わたしはホリゴタツで小説を書いている。疲れたのでごろりと仰向けにねる。ライトを消す。すると、天井に星座が浮かぶ。天井の節穴が星に見えるのだ。トタン屋根に二枚ガラスをはめ込んで窓としている。屋根裏は明るい。下の部屋でわたしがライトを消す。真っ暗になると四畳半の天井いっぱいに星座がかがやきだすのだ。

●風流なものだ。節穴だらけの裏板を貧乏たらしいとおもわない。おもったところでどうともなるものではない。

● 真新しい板ではりかえてもらってもそれまでのことである。このままでも、雨漏りがするわけではない。風流なものだとおもうにかぎる。

●必要でもないことに心を砕いて生きていくのは精神衛生上あまりよくはない。世の中が不況続きなので狂乱状態にある。わたしは、真央ちゃんのスケートを見る予定だけで、年末にはテレビは見ない。

●世の中のことも批判しないことにしている。静かに天井の星座をみて過ごしている。

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反省してます

2007-12-25 21:53:29 | Weblog
12月25日 火曜日 曇り
●寒い一日だった。外に出るのも億劫なので家のなかで過ごした。朝四時に起きた。霧降の滝を主題にした小説を書きだした。八枚一気に書いた。英語と社会科の下調べをしていないことに気づき、おやおやとおもいながらも、頭をきりかえた。小説のことだけを心配していればいいような生活にはいりたいものだ。なかなか人生おもうようにいかないものだ。 

●結局、小説にはもどれなかった。年末だからかなりいそがしい。いまごろ、子どもたちはどうしているだろうか。正月には故郷のこの町のこの家にもどってきてくれる。その準備であわただしいことだろう。

●この家から三人の子どもたちが巣立っていった。子どもたちの成長と塾をはじめたこともあり、四回改築している。いまは、静かだが正月にはきゅうに活気づく。たのしみだ。

●家がともかくわたしたちになじんでいる。使い勝手がいいように家具の配置も、部屋の間取りもカミサンの好みにまかせてある。うつわにしても、ひとつひとつに購入したときの思い出がある。

●カミさんは布団を干すのにおおわらわだ。部屋の掃除だけでもたいへんだ。いつまでも、元気で正月には子どもたちを迎えたい。でもさびしいことだが、このへんが限界のようだ。かなりつかれるようだ。わたしはまったく手伝わない。申し訳ない。申し訳ないと思うのだが、こちらも命がけで勉強している身だ。なんだかおかしな夫婦だとつくづくおもう。よくカミサンが逃げ出さなかったと感謝している。それほどひどい亭主だ。これで小説でカムバックできなかったらどうしょう。ことしさいごの反省。

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冬枯れ

2007-12-24 20:08:16 | Weblog
12月24日 月曜日 晴れ
●来年のことをかんがえている。このブログをこのままつづけるか。小説だけをのせるようにするか。べつにホームページをたちあげ、そちらに小説や随筆をのせるか。悩んでいる。

●創作だけを専門にのせる。そんなことが可能だろうか。まず、書き続けることができるかどうか不安になる。いずれにしても、来年は勝負の年になる予感がする。今年のように、健康に恵まれていれば、かなり書けるような気がする。

●夕方少し早いのだが門の外灯をつけた。まだかすかに西日がさしていた。あかるい光の中で電灯がひかりだした。なにか冬のひざしに遠慮しているようなひかりだった。門扉にうつる光の影がとくにうすい斑模様をみせておもしろかった。模様が揺らいでいるとおもったら、葉のおちつくした藤のつるが風に揺らいでいた。その揺らぎの影には冬の風情があった。来春また薄紫の花をさかせるまで、このつるの曲がり具合をたのしもうとおもった。樹木にもいろいろなたのしみかたがある。

●わたしはひねくれているから、春の桜より、桜紅葉のほうがすきだ。さらに、あのごつごつした黒い枝ぶりがすきだ。

●「なにみているのですか」と聞かれてこまったことがあった。「桜の幹のごつごつした黒さにひかれまして」なんてこたえられない。

●カミサンガ庭や鉢に枯れ葉を敷いた。冬を越す花や木の根が凍らないようにとの配慮からだろう。こころやさしいことをするものだ。

●わたしも、来年からはすなおに春の花を愛でるようにしたいものだ。

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暖炉がほしいわ

2007-12-23 08:17:39 | Weblog
       

12月23日 日曜日 曇り
●夜の雨はやんでいた。湿り気をおびた空気。大地は水分を吸ったので黒味がもどってきている。いつもだとかわききって、少し風がふいただけで埃がまいあがる。舟形盆地にある町なので、上空に舞い上がった埃はいきばがない。北には日光の連山がたちはだかっている。巨大な自然の屏風で行く手を阻まれている感じだ。この地形のためか、はっきりは断定できないのだがインフルエンザが猛威をふるう。ふつうの風邪をひく子もおおい。なんでかななんでかな、などとふざけていられない。すでに学級閉鎖をした学校もあるときいている。この地方の寒さは住んでみないとわからない。東北から嫁にきたひとたちも、ここのほうが寒いという。

●その寒いこの町のこの家に子どもたちが、家族づれでやってくる。正月は一家団欒の季節だ。親たちが元気で生きているから、子どもたちが寒いこともいとわず帰省してくる。うれしく、たのしい。カミサンは布団を干したり部屋の掃除でおおわらわだ。

●この季節になるとカミサンの口癖がでる。囲炉裏がほしいわね。マキを燃やす暖炉がいいかな。家族全員で暖炉の前に集い、団欒の時を過ごしたいのだろう。過日、霧降の「山のレストラン」でそのマキを燃やす古典的な暖房をみてきた。ピクチャにもとった。よほどきにいったらしい。この暖房で食事ができる。ロマンチックよね。それだけでもリピーターになる価値があるわ。食事もおいしいし。とあわててつけたした。

●これはたいへんなことになった。これいただくわ症候群。カミサンの希望はますます巨大化する。老いたりといえども、まだ元気に働けるのはこのカミサンの欲求に応えてあげたい意欲があるからだ。

●これはカミサンに感謝しなければならないのだろうな。

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