田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

織本順吉。老いてなお花となる。雪崩のように襲い来る老境に恐怖を覚えた。 麻屋与志夫

2020-12-28 09:16:37 | ブログ
12月28日 月曜日
老いてなお花となる

●織本順吉さんの老境のドキメンタリーを見た。ほぼ同世代の人間として恐怖の感動を覚えた。わたしとはまったく真逆の生き方をつらぬいたひとだった。

●じぶんの進む道をまっしぐらに爆走したひとだ。わたしは両親の看病のため、愛する妻と子供たちのため、すべてをなげうって働いた。

●その間のわたしなりの記録は「カクヨム」に「人間もどきの終焉」「下痢」にとどめてあります。小説書くこともできず、地獄の日々を過ごしました。

●あの時期に、東京にとどまりただひたすら小説を書き続けたら、どんな作品を創作できただろうか。ときどき見る夢です。

●だから織本さんの生き方に羨望を、嫉妬すら感じます。「いいなぁ。わたしには死んでもできない生き方だ」うらやましい。

●そろそろ「アサヤ塾」は後進に道をゆずり小説を書くだけの生活に入りたい。十年くらいはお座敷のかからない作家であるとしても、書き続けたいのだ。ところで、恐怖を覚えたのは、織本さんのように悲しいことだが老いが急激に襲ってきたら、もう残された時間、小説を書き続けられる時間は、わたしには残されていない。ということだ。どうしよう。どうしよう。

●日暮れて、道遠し。

●わたしの作品は角川BOOK WALKER 惑惑星文庫で読んでいただけます。

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子守柿、烏瓜。椿の枝にさげた鳥かごのなかにリンゴとお米。麻屋与志夫

2020-12-23 08:11:33 | ブログ
12月23日 水曜日

●今年はたしかに生りものは不作だった。わが家の柿はたった二個しか生らなかった。いつもの年には、二個くらい取り残しておいて子守柿としている。木守柿ともいう。一般的には最後の一個まで取りつくさないで、柿の木に来年の豊作をねがって、あるいはたわわにみのってくれた感謝の気持ちとして残しておくのだという。

●わたしは、子守柿という文字のほうが好きだ。冬になって山に食べ物の少なくなった小鳥たちのためにとっておいてやる。この解釈のほうが里人のやさしいこころが伝わってくる。

●ところが今年は二個。これでは人間様が食べるわけにはいかない。はたせるかな、このところ小鳥が朝からにぎやかに鳴いて集まってきている。

●烏瓜も、前回のブログで書いたが数個しかならなかった。中身はすっかり食べつくされた。皮だけがのこっている。あれほど鮮やかな赤みをおびていたのに。いまはすっかり色あせ、乾ききっている。寒風に揺れている。夏椿の小枝で乾いた音を立てて黒髪颪の吹きすぎていくわが庭の冬の風物詩となっている。

●「小鳥が来ている」
妻が耳ざとくさえずりを聞きつけた。
「もう、柿も烏瓜もないのよ」
「リンゴとかお米をあげたら」
「どうやって……」

●妻は、昔買っておいた金属製の小鳥籠を椿の枝にさげた。そこに餌としてリンゴとコメを入れておいた。

●はたせるかな、今朝も早朝から小鳥がさえずっている。

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池に投げ込まれた小石。 麻屋与志夫

2020-12-22 09:07:29 | ブログ
12月22日 火曜日
●寒くなった。朝の室温が三度。古い家屋で隙間風がはいってくる。雨戸はなく普通のガラス戸だからだろうか。防音サッシュにすれば外の寒さも防げるのだろうか。

●ともかく、これから黒髪颪の吹く街の寒さに耐えて生活していかなければならない。

●家の中に引きこもるのには、なれている。昔から、隠棲しているようなものだから苦にはならない。昔からといっても、ここ五十年くらいかな。主宰していた同人雑誌をこころない同人の仕打で、廃刊においこまれ、その悲しみからいまだに立ち直れないでいる。

●池に小石を投げ込む子どもには、それは単なる遊びだろうが、池の中の生物にとったらいい迷惑だ。いらいわたしは田舎町での文化活動には消極的になっている。あの同人誌を継続するために古本屋さんに売却した本のことを思うと悲哀はいっそう深まる。

●冬になると、いつもあの時の、同人雑誌を廃刊と決めた瞬間の悲しみがこころに突き刺さる。意地悪をする男にとっては、ただ単なる嫉妬にかられた行動なのだろうが……わたしにはそれ以後の行動の規範を揺るがすような事件だった。

●なにか極めて個人的な、それも形而下的なことを書いてしまつた。

●だれしも、ほんの些細なことと思われるようなことで、人生を狂わされることを経験しているのだろうが……。そうしたトラウマからどうして、どのようにしてぬけだしているのでしょうか。どうしたら、わすれることができるのだろう。

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「土曜は寅さん」長渕剛の画家志望の青年に今は亡き友だちを重ねて、目に涙。麻屋与志夫

2020-12-20 05:26:27 | ブログ
12月20日 日曜日

●土曜は寅さん。妻といつものように楽しく見た。ただ、長渕剛演じた画家志望の九州から上京してきた青年の話にほろりとした。

●むかしは、ああした青年が地方から上京してなんとか希望を達成しようとして、挫折していったものだ。

●中津博君の生涯を思いおこしていた。やはり画家になりたくて東京にでた。アンデパンダン展になんども出品したが全く注目をあびなかった。ぼくらの仲間で一番早くガールフレンドのできた男だ。そういえば風貌まで長渕さんに似ていた。彼女は金丸さんといった。元気だろうか。

●彼との友情を想い、現在執筆中の仮題「黒髪颪の吹く街で」に画家志望であったが街のペンキ屋となった青年として書いている。似てるんだな、長渕さんの役どころと。

●冬の夜長、思いでの友だちの話をして夜を過ごした。そういえば、妻も高校の時は美術部だった。貧乏書生と結婚したのでその道にすすむことをアキラメテしまったのかと自責の念に苛まれる。

●せめてわたしだけでも、死ぬまで初心を貫かなければ。


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風花の舞う中、野良ネコちゃんに餌をやりに出かけた。 麻屋与志夫

2020-12-17 10:18:00 | ブログ
12月17日 木曜日
●昨日は午前中に散歩した。上田町の角を少し行くと「亀田タイヤ」の空き地がある。その前は亀田さんは馬の蹄に馬蹄をつける仕事をしていた。馬の蹄を削って金具を打ち付ける作業を立ち止まって見た記憶がある。その奥に中津君の親戚の小野口古本屋さんがあった。貸本屋も兼ねていた。山中峰太郎、海野十三、高垣眸の本をむさぼるように借りてきて読んだものだった。貸本屋さんはこの次の通りの川沿いにあったのかもしれない。

●そうした八十年も前のセピヤ色に褪せた記憶をたどりながら散歩するのはGGにだけにできる、GGだけの楽しみだ。

●清林寺に向って歩を進めると左側に空き家が数軒並んでいる。プーンと臭う。たぶん猫ちゃんのトイレの臭いだ。野良猫が四、五匹いる。持参の固形餌を道端に置く。猫は警戒して物陰に隠れてしまった。この寒さのなか、どうやって餌にありツイているのかと思うと、何と言われてもいい。餌をやらないではいられない。

●熊沢書店で本を買い、上野文具で四色のボールペンを買い、戻り道。

●山盛りの固形餌がきれいになくなっていた。

●街には風花が舞っていた。



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浅香光代さんのご冥福をお祈りします。 麻屋与志夫

2020-12-17 07:52:57 | ブログ
12月14日 月曜日
浅香光代。
●十日のブログで浅草のことを書いたが、またまた浅草の演芸に関係のある人が亡くなった。浅香光代さんだ。いわずと知れた「女剣劇の大スター」だ。

●昔、恩師木村学司先生が主宰していた「二十一世紀の会」という、作家やタレントの親睦のためのクラブがあった。二十一世紀まで元気で生きぬこうという趣旨からの命名だった。

●そこで浅香さんとは何度か言葉を交わした。

●当時、人気全盛だった「徳川家康」の作家山岡荘八先生。「源義経」の村上元三先生にお会いできたのもこの会の末席をけがしていたからだ。

●懐かしい思い出でだ。現在存命の方は少ないのだろうな。田舎にくすぶってしまつた。都の様子はさっぱりわからない。

●はるか北関東の極みの街から浅香さんの冥福をお祈りします。



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鹿沼の里に冬が来た、その裏側は夏だろう。 麻屋与志夫

2020-12-10 12:08:10 | ブログ
12月10日 木曜日

●曇り。朝から温度は上がらない。この寒さが平年並みだというから、いままでが暖かすぎたのだろう。これでは散歩に出られないではないか。しかたないから家でのんびりとくつろいでいる。小説を書くのには絶好の雰囲気と思うが、どうも、そうではないようだ。越し方の反省ばかりしている。気が滅入ってしまう。

●鹿沼の里に冬が来た、その裏側は夏だろう。……川田晴久ではないが歌いたくなる。この歌を歌っていると元気になる。関西芸人全盛のこの時代にあって浅草を懐かしむのはわたしたちの世代の人間だけだろう。浅草の生き字引みたいな飯田さん、元気だろうか。ついつい懐かしくて、名前をだしてごめんなさい。膝関節症を患っているので、なかなか上京できない。Kさんはどんな年末を過ごしているだろう。来年は渋沢栄一の年だ。渋沢栄一の本売れるといいですね。東京在住の友だちはまだ元気なので会いたいのに残念だ。冬ごもりをするような歳になった。それでなくても、仕事柄、引きこもりがちな暮らし方をしてきた。

●世間的には「まったり」と生きているよう思われている。熊さんじゃないが、冬ごもりをしているように見えるのだろうが、こういう時期こそ物書きにはいい環境といわなければならないのだろうな。頭の中はスクランブル。どの小説から書き上げればいいのか「わが心千々に乱れる」現況。

●それにしても、散歩しないと運動不足で血圧が上がるだろうな。毎朝血圧計の数字を気にして生きている身にとってはこれから春までの引きこもりはあまり芳しくはないのだ。

●ドナイショウ。


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「欲しがりません勝つまでは」麻屋与志夫

2020-12-08 17:00:21 | ブログ
12月8日 火曜日
●開戦記念日。遠い昔のことになってしまった。今日の日付をみて、真珠湾攻撃に始まった日米の戦いを思い出す人は少なくなっているだろう。わたしは小学校の二年生だった。

●作家であるからには、本来はあの苦難の時代について書いておくべきなのだろうが。わたしには物語を構築する力はもう残っていない。

●ぼんやりと今夜は堀炬燵で疎開児童だった妻とあのころのことを話し合いたい。いまだに、凄まじいPTSDが残っている。話し合うことで、この心の傷を癒したい。記憶力がいいのが、災いしている。かずかずの迫害を受けた思い出がある。

●REMOVERという作品を書き上げた。そのへんのことを断片的に書いた。でもわたしのことだから、素直にリアリズムの話法では書けない。おそらく、わたしの気持ちは読者に伝わらないだろう。いつになっても、ひとに感動を与えるような書き方を模索している。

●いまやコロナの猖獗。日本人は素直だから一億全国民白いマスクをしている。

●ついつい、一億総玉砕。「欲しがりません勝つまでは」などという言葉がよみがえってくる。

●健康でこの年まで生き抜いてこられた。

●幸せだと思う。この町で、わたしの同級生の男子でだれが生き残っているのだろうか。いないと思う。

●小学校の二年生までしか女の子とは一緒の教室で勉強していない。女性は長生きだから、元気なひとがいるのだろうな。


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時雨。床の軋み。黒髪山。麻屋与志夫

2020-12-06 08:21:29 | ブログ
12月6日 日曜日
●晴天がつづいている。いつもの年であったら、黒髪山(男体山)颪のなか、さっと曇ったと思うと時雨かふりかかってくる。傘を用意してなかったら、道路沿いの民家の軒下を借りて雨宿りをする。それが今年はまだ時雨らしい時雨にはあっていない気がする。

●曽良に「剃り捨てて黒髪山に衣替え」の句がある。

●黒髪山は毎日GGが仰いでいる日光男体山のことだ。「幡随院長兵衛の肩のような男体山」GGが初めて擬人法で書いた文章だ。八十年近くも前のことだ。当時牛込区津久戸小学校から集団疎開してきていた友達に褒められた記憶がある。大田、小林、福田。奥村君たち元気だろうか。曽良に「剃り捨てて黒髪山に衣替え」の句がある。

●あれっ……なにを書こうとしていたのだ。はじめから書こうとした話題からそれてしまっている。晴天がつづき、家の中が乾燥してきたことを書きたかったのだ。そうなのだ。乾季に入り部屋が乾燥してヒノキの一枚板の古びて黒光りしている床がギスギス軋むようになってきた。

●GGなので、ごたぶんにもれず、トイレがまめだ。老齢になったので耳ざとくなった妻を起こさないように、抜き足差し足、忍足でできるだけ音をたてないように歩くのだが、イジワル、なんで軋むのだよと声をかけたくなるような事態が起きる。

●つれなくももれる軋み音。あまりゆっくりと歩いていると、もうひとつ「漏れる」ものかがあるので、トロットトロット。さてさて、老いるとはかくも哀しきことか。

●瞬時に閃いた。これはブログにかける。そのまま起きて、掘りごたつのある書斎に直行。

●このようなブログとあいなった。


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活字メディアに閑古鳥。絶滅、文学青年、少女。 麻屋与志夫

2020-12-05 04:57:11 | ブログ
12月5日 土曜日

●昼は小説を書いている。書いているのだが、まだまだ思うように書けない。なんともサスペンスの盛り上げかたがヘタッピーだ。何かこういう技法は天性のものらしい。うまいひとは最初からうまい。ニクイネ。

●典型的な活字人間だから、すべてのことは文字で考える。

●夜は学習塾の教師に早変わり。英語と国語を教えている。だから身をもって活字メデイアに閑古鳥が鳴いているのを毎晩聞くことになる。

●俳句の授業がある。句集というものを見たことがないだろうと、若い友人―早世―してしまつたが、耕ちゃんの遺稿の句集を見せる。わざわざ机の上に置く。密接を気にしながら近寄って「これがその句集なんだよ」「…………」何の反応もない。本の表紙を見ることもしない。全く無視。完全な無視。あああ。ああああああ。生徒たちに気づかれないように吐息をもらす。

●面白くないものには、手も出さない。

●田舎町では、文学青年は死語。絶滅危惧種。どころではない、とうの昔に、死に絶えてしまっていた。

●ところがここで困ったことが起きている。文章が全く書けない。小学校の六年間に作文を書かされたことがないというのだ。そのまま鵜のみに出来ない。活字離れの結果、長期記憶力が凄まじい低下をみせている。

●映像のみの記憶とはどういうものなのだろうか。GGにはわからない。過去の記憶は映像と言葉で思いだしているが、新しい世代のひとは映像記憶だけなのだろうか。

●過去ではなく「将来なにをしたいの。どんな職業が好きなの」と聞いても、返事はもどってこない。

●カビの生えた活字人間であるGGは、絶望しながら小説を書いている。

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