田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

吸血鬼の故郷   麻屋与志夫

2008-10-31 08:11:48 | Weblog
戦わなくてすむなら、争いは避けたい。
これからまだ犠牲者をだすことには、耐えられない。
わたしの願いは水泡にきした。

執事の門倉が連れ去られた。
人狼からなにか連絡があるだろう。
「落ち着くんだ、美智子。こんなときこそ冷静になるんだ」
「なにいってるの。これは戦争なのよ。もう宣戦布告なしの戦いがはじまっているのよ。わたしたちは戦うように運命がきめられているの」
あまりにも、使い古されたことばで戦いがはじまろうとしている。

戦う運命。

そんな運命があるのか?

なんとかならないのか。

「もう食べられてしまったよ」
門倉の女房の椿がぼそっとつぶやく。
「そんなことない。奪還する」

もう戦いを思いとどまらせることはできないようだ。
椿が放心したようにふらふらと門に近寄る。

長屋門を開け放った。
驚いたことに、外も霧だった。
朝から深い霧。

この濃霧に踏み込むということは、人狼のしかけた罠にむかって進むということになる。
人狼がどうわたしたちに対処しようとしているのか。

わからない。

進むのみだ。

門の外。 
街までは人外の修羅場。

「ここに待っていて。助けてくる。かならず助けてくるから」
と、祥代が悲嘆にくれる椿を励ます。

夜明けが訪れていた。
道場には朝日がさしていたのに。
この霧はこの辺りだけなのか。

街が動きだしている時間帯なのに濃い霧の中で静まりかえっている。

なにか音がする。

そうだ咀嚼音だ。

グシャクシャ、クシャグシャと肉を噛む音がする。

気のせいか生臭い臭までしてくる。
「霧の中にあいつらがいる。門倉さんが食われている」
女たちがさわぎだした。
「瀬尾、尾崎、レイコもさわぐな」

わたしは守る男になっていた。
だいぶ明るくなってきた。
霧が渦巻いて流れていく。

男として、たとえ婿の立場でも一族を守る男として行動するときがきたのだ。



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吸血鬼の故郷   麻屋与志夫

2008-10-31 01:54:40 | Weblog
 道場の床と同じ高さの窓から間接照明のように光が差し込んでいた。
 戦いのあとわたしたちは祥代をはさんで川の字になって寝た。
 まわりにはつかれはてた九尾族の女軍団が寝ていた。
 わたしはぼんやりと夢のことを考えていた。
 考えても、夢の意味はわからなかった。 
 ただ無性に悲しいだけだった。
「起きていたの? いつから起きていたの。祥代は……? どこ……」
「いま起きたばかりだ。わたしが起きたときはもういなかった」
 昨夜の惨事がまだ信じられない。
「はじまってしまったのね。これからあんなことはしょっちゅう起こることになる。覚悟はできている?」
 わたしが返事をしようとしたとき携帯がなった。
「パパ。お母さんもすぐきて。あいつらの死体が消えているの」
「どういうことなんだ」
「あいつらも、不死者と(のすふぇらとう )しての能力まで獲得したってことよ」
「ノスフェラトウ」
「わたしたちがふつうの殺されかたでは死なないとおなじように、人狼も再生能力を身につけたのね。これからは首を切り落として、肢体は焼きすてなければダメってことよ」
 嘔吐をもよおすような、恐気(おぞけ )をふくんだことばも、妻から発せられると美しくきこえてしまう。
「ねえ、民俗学者のあなたなら知っているわよね。平安の犬飼地区はいまの10倍も広かったの。那須野が原のほうまでつながっていたのよ。那須野が原の一部だったのよ。この広大な原野のあちこちで人狼化するヒトがでたら、わたしたちの力では防ぎようがないわ。玉藻さまの降臨までもちこたえることができるかしら」

11

 不意に襲いかかってきた異形のものとの争いの背後には、玉藻の前が那須の原で滅ぼされた古事がある。犬飼村のひとたちが飼っていた犬に追い詰められ、殺生石のある場所で九尾の狐に変形した玉藻の前は死んだという伝承。その話自体も異界の出来事と思われるのにこの霧の中でヒトが人狼に変化して昔ながらの争いが再現されるとは信じられない。

「全国にのこる九尾族にインターネットでよびかけたら」
「純粋な血をうけついでいる九尾族のものがどれくらいいるかしら」
「美智子は『吸美』という文字をあててるが……」
「それはね、わたしたちは美に聡いのよ。だから芸術家になっているひとか、工芸家とかおおいのよ」
「親戚には書家がいちばんおおいってお爺ちゃんにきいていたわ」
「祥代。ほかの部族の助けを期待しないほうがいい。わたしたちだけでたたかうのよ」
「美智子さま。たいへんです。母屋のようすがへんです」
「門倉がいません」




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吸血鬼の故郷   麻屋与志夫

2008-10-30 13:40:48 | Weblog
悲しい夢をみた。

いつもの夢にでてくるそこは、妻の故郷の今宮神社の裏の薄暗がりだった。
わたしが結婚してここに住みつく前のことらしい。
それがいつの年代なのかはわからない。
かなりむかしのことだ。   
杉の古木があったのでその道は昼でも暗かった。 
道の向こう御殿山の裾に味噌蔵が並んでいた。 
ひびわれた漆喰壁の高い所に格子のはまった窓がぼっかりと開いていた。
そこから幼女が小さな手をだしてわたしを招いている。
助けをもとめているようでもあるし、いっしょに遊ぼうといっているようでもある。
道端に泉があった。
清らかな水のわきでる泉ではなかった。
動物を溶かしてしまう酸をふくんだ水がふきだしていた。
子猫がその液の中にどっぷりとつかっている。
下半身はもう粘液化していた。
悲しく泣いている。
子猫がすがろうとしているのは、母猫らしい。
これは泉のほとりの木の幹に四肢を展翅板にかけられたように広げられている。
猫の皮はこんなに展性があるのかと驚くほど薄っぺらに引き伸ばされている。
手足が釘付けにされていた。
四本の釘の頭が小さく鈍く光っている。
スルメのようにもうかわききって死んでいる。
それでも子猫は母猫にすがって泣いていた。
ひからびて死んでいるはずの母猫の目に涙がうかんだ。
あとからあとからふきだして泉の酸をうすめている。
死んでからも子猫を守ろうとして、涙で酸をうすめているが、それも虚しい。
やがて、子猫もすっかり溶けてしまった。
鳴き声だけがまだしている。
そんなことはない。
これは幻聴なのだとわたしは思っている。
それでも、ニャアニャアというひくく小さな声だけが酸の泉に漂っている。
母猫の涙は涸れていない。
たらたらしたたっている。
いつかこの酸の泉も清らかな泉になるのだろう。
夢の中でわたしは涙をこぼしていた。
猫があれほど涙をこぼすわけがない。
あれはわたしの涙だったのだ。
夢の涙でぬれた枕はまだ湿度をたもっていた。

夢から醒めてみると朝になっていた。



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吸血鬼の故郷

2008-10-29 09:48:13 | Weblog
わたしは、なぜか父母の埋葬の地下墓地から救い出されたときのことを思い浮かべていた。                 
わたしは、台座の上で座禅を組んで瞑想にふけっていた。
親族のものたちは、わたしが悠然と座っているとみて感銘を受けた。
あれで一族の当主として一応は認められた。
じっさいは、腰を抜かして、立ち上がることができないでいたのだ。

いまも、剣をもったわたしに好奇と期待のまなざしが向けられている。

一族のものの赤い瞳と人狼の白い牙。

ギャッと悲鳴が上がった。                  
一族の女が人狼に腹部の肉をもっていかれた。   
人狼の爪で引き裂かれた。
鉤爪に付いた肉を貪り食っている。 
一族の赤い瞳にあとおしされて、白い牙をひらめかせる人狼にこちらから切り付けた。

人狼は体をふせることでわたしの剣をさけた。
立体的な敵と戦う剣技は平面の敵にたいする攻撃には弱い。
なす術がない。
人狼は後退はできない。
前にすすむか、からだをふせてよこに跳び退いて剣をさけるしか逃げる方法はない。  
ばんと人狼は跳ねた。
しめた。
わたしは人狼の落下地点に、剣を虚空にむかって突き立てた。
そこへ、人狼の腹部が落ちてきた。
剣の先は人狼に背中からつきでていた。
そのときおぞましい感情が剣からわたしに伝わってきた。
害意でも、凶念でもないなにか。           
悲しみに似た感情。  
じぶんたち人狼が背負った業からときはなされるといった安らぎ。
いままで人狼にいだいてきたイメージからはほど遠いものだった。

「明日の夜からはもっと大量の人狼がおそってくるわよ。備えを再点検して」

妻が門倉に命令している。  

そんな夜がこないことをわたしはせつに願った。

わたしは活劇のヒローにはほど遠い存在なのだ。



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高橋尚子現役引退会見  麻屋与志夫

2008-10-28 22:34:11 | Weblog
10月28日 火曜日

●Qちゃん長いことオツカレさま。そしてたくさんの感動ありがとう。

●GGを女子マラソンのファンにしたのはあなたのさわやかな走りでした。地球の引力を感じさせないような走り、素晴らしかったです。

●好きだから走った。中学の時から走るのが好きだった。だから、いままで走りつづけられた。

●これからは一人のジョガーとして走りつづけるかもしれない。という答弁もよかった。

●すべての話は原稿を見ずに展開された。

●ともかく、原稿を見ながらしか話せない、どこかの国の政治家に見習ってもらいたいものだ。

●胸の内を語る淡々とした語り口はまさにQちゃんの走りそのもの。さわやかなものでした。感動しました。

●さて、ひるがえってGGはじぶんのことをおもった。

●こちらは、この年で現役復帰願望をもちつづけている。統合性失調症ではないかと疑われるだろう。これからフルタイムの作家と成るなどということは、無謀も甚だしい。

●優勝するだけが美学ではない。Qちゃんはいいきった。

●作家になるだけが美学ではない。アマでも、いまはありがたいことにブログで読者を獲得することができる。拙い作品を読んでいただいて、いつも感謝している。

●されど小説は、プロになってはじめて小説家といわれる。

●好きだから書きつづけられた小説だ。これからもわたしの走りは延々と続くことだろう。



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吸血鬼の故郷   麻屋与志夫

2008-10-28 21:51:43 | Weblog
自由にメタモルフォゼできる。
進化した。
それでも残っている残虐行為。
だから、ヒトとしての心とあいいれないのか。
わたしは恐怖におののきながらも人狼の心情をおしはかっていた。

戦わなくてすむなら、戦わずにすませたい。
だが、人狼の殺戮行為は許されるものではなかった。

殺戮はとめなければ、猫から殺戮は人にまで及ぶ。
人狼集団は凶暴となり街をおそいだすだろう。 
獣たちの争う咆哮がいたるところでしていた。
「あなた死ぬわよ」
「美智子といっしょならこわくはない」
「パパがんばって」
「美智子、過去は忘れて生きないか。過去に殺されるぞ」
「わたしはそうしたいのだけど、DNAが許してくれないわ」
わたしはすべてをすてる覚悟をした。
「祥代といっしょに戦えるなんてしあわせすぎる」
「パパがんばって」

美智子とおなじようなことをいう。
顔立ちもわたしが妻としりあったころに似てきた。

「パパ! マツケンみたいだよ」
「ラストサムライの渡辺謙いってもらいたいな」

空には赤い満月がかかっている。

人狼が跳躍した。襲いかかってきた。

わたしは抜き打ちにしたから剣をすくいあげた。

剣がビュっと風を切った。

道場剣法の竹刀ではあじわえない風圧だ。

真剣をもつのははじめてだ。

ないだ剣のさきに人狼の尾があった。

ふさふさした毛が飛び散った。

人狼の敏捷に動きに剣がついていかない。
控えていた人狼がいっせいに吠えておそいかかってきた。
妻の長刀さばきは神技にたっしていた。
彼女と大学の古武道研究会で知りあったころを思い出していた。
祥代の技も美智子におとらずみごとなものだ。

いつになく、家族の絆を感じた。

妻や娘とともに戦うことが出来る。

「むかしを思い出すわ。あなた」
「ああ、おれだけ除け者にしないでくれ」
「そうよ。パパは石裂家の当主なの。剣の技を見せて‼」




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吸血鬼の故郷   麻屋与志夫

2008-10-28 14:43:38 | Weblog
「ついに人狼が覚醒したのよ。ママが心配していたのはこういうことだったのよ。ママはパパのために死ぬきよ。ママはパパをすてたわけではなかったの。あれはわたしの誤解だった。一族の掟を破ってでもパパを守るわ。本田のように猫の動向で人狼の覚醒を警戒する役目を継承する必要もなくなったしね」

長押にかけてあった長刀を手にした祥代と裏庭に走りでた。

そこで目にしたものは‼ 

ああ、地下墓地の壁でみた戦いの場さながらの光景だった。

わたしが駆け付けるまでの――間に、人狼が群れていた。

切り倒された人狼と、噛付かれ、鉤爪で引き裂かれたわが一族のおんなたちが苦悶している。
そこでは、怪異が現実の世界になだれこんでいた。
いままでわたしがいた世界とはちがっていた。
大地は負傷者の呻き声におおわれている。
肉を露出したものたちが地面でのたうっていた。
ここにかけつけるのにわずかな時間しか経過していないのに。
人狼に変身できるのは、あのジャンバー男だけではなかった。
彼らは森抜けて人狼となってから襲ってきたのだ。
「祥代にきいた。おれも共に戦う。ひとりで……死ぬなんてことは考えるな」
ふりかえった妻の目は赤くひかっていた。
「こんな姿みせたくなかったのよ。あなたにだけは見られたくなかった。わたしは長くこの世の浅ましい争いを見過ぎて、その恨みで……。怨念に凝り固まったこんな醜い顔を見せたくなかった」
「なにいちゃついている」
野卑なにたにた笑いをみせている。
わたしをおいかけてきた新聞配達の男に偽装していた人狼が目前にいた。
まだ人の偽装がわずかに残っている。
だが杖や歩行補助具のたすけをかりなければもう一歩も前進できない。

そのぎりぎりのところで、男は妻とわたしを睨みつけていた。
わたしは男を睨みかえしているうちに、なんともいえない原初的な恐怖がつのってきた。 
前肢を直接地面について狼の形態となって男は満月にむかって吠えた。
顔が全面に押し出されてきた。
鼻面がボルゾイ犬のように長くふくれあがり、口からは凶暴な牙がはみだしていた。
グランヴィルの蛙ならぬ、狼への退化の階梯をこんどこそ目のあたりにした。
わたしは戦慄していた。
震えはとまらない。
「なぜ、どうしてまた血をながさなければならないの」
「それはおまえたち九尾族とておなじこと。積年の恨みはきえるものではない」

人狼の口がことばをしゃべっている。
人狼はごもごもとした口調で応えた。

あの歯牙で猫をおいしそうにたべた。
猫の肉を噛み砕いた。クシャクシャたべた。
そのかぎりない凶悪な食欲にくらべて、いま人狼からながれ出てくるのは悲哀の波動だった。
人狼として嗜虐へと逆行していく過程で、ヒトとしての悲しみの感情がまだのこっているというのか。




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吸血鬼の故郷  麻屋与志夫

2008-10-27 08:57:15 | Weblog
屋根だけがある渡り廊下なので容赦なく闇が充溢していた。
闇と同化していた。  
外と均等な闇に支配された廊下を足で探りながら進む。

すこしでも怯むとわたしまで闇にとりこまれてしまうような恐怖を押さえて進んだ。

その果てに道場と呼ばれている建物がある。

いままで、閂で堅く閉ざされていた扉。
年代ものの黒光りする檜の分厚い扉。 
それが開放されている。
道場には一族の女たちが襷鉢巻きで集合していた。 
そのかず、およそ25名。
「持ち場に散って。わたしもすぐに正門前にいきます」
「美智子……これは……」
「なにもきかないで。あなたは、ここにいてモニターを見ていて。なにか異変があったら携帯で連絡して。そして、この戦いを記録して。民俗学者の目でさいごまでみとどけてくださいな。さようなら……」
いうよりはやく、妻は女たちを追ってとびだしていった。
妻はわたしに毅然とした態度で命令した。 
わたしは道場にとじこめられた。
扉は内側からではびくともしない。
堅牢な扉はわたしが妻と参戦するのを拒んでいる。
妻は死ぬ気だ。 
あいては異形のもの。
人狼だ。 
妻だけを死なせるわけにはいかない。
共に戦いたい。

50インチのモニター映像。
森が身悶えしている。屋敷林が裏山の森が風に吠えている。  
黒髪颪のはげしい風のせいばかりではない。
異形のものの侵攻をうけて闇の底で樹木がさわいでいる。 
モニターで見ていると音声ははいらないが、まちがいなく森は吠えている。
異形のものに同調してか、あるいは違和感を覚えてかはわからないが、あきらかに森は震えているのだった。
だが予想に反して、森からわきでたのはわたしを追跡してきたジャンバー男だけだった。    
門を飛び越せないとあきらめ裏手の森から攻め込んできたのだ。
なにか、わたしは拍子抜けした。
森の奥からはひしひしと群れてくる人影がモニターに映ると期待していたのだ。
わたしは、それでもあわてて門の方角を守りに出たはずの妻に携帯で状況を急報する。
森からわき出た男は二足歩行が困難なようすではないか。  
蟹股にとなり、腰のあたりで湾曲がみられる。
顔が鼻からつき出す。
はやばやと狼の形態をとり森をぬけて裏庭の果樹園に走りこんでくる。
道場の扉が外から開かれ祥代が飛び込んでくる。
「パパ。刀もってきたわ。インターから歩いてきたの」
祥代の目は薄い桜いろに変わっていた。




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吸血鬼の故郷   麻屋与志夫

2008-10-27 00:43:42 | Weblog
本田青年とわたしの妻が並んでいる。              

「わたしはお父さんを見捨てないから」

祥代の声がエコーする。                  

10

「本田さんとは婚約しただけでした。そうきいています。彼が結核におかされたので破談にしたと……」

いまごろ、なにをきくのかという態度で門倉が応えた。 
わたしのことなど歯牙にもかけないといった態度だ。 
無視されている。

わたしの塾が東部犬飼地区の塾につぶされたのも、妻が年をとらないのも……妻の親たちが太陽にあたり火膨れで死んだのも……すべて理解した。
犬飼地区は昔から石裂家とは敵対関係にある。
両墓制をとり『埋め墓』へ納棺するのに蓋になぜ釘で打ちしないのか。

早すぎる埋葬を恐れてのことだ。

死者がよみがえることが信じられている。

だがすべてを理解したからといってどうなるものでもない。

いや、むしろ知り過ぎたわたしをこの街のひとが簡単に逃がしてはくれないだろう。          
この街のひとのこころはひからびた踵みたいだ。
わが屋敷を踏みにじり、荒野にもどそうとしているのだ。 

妻たちの種族との交配によって、東台地の犬飼地区とはちがった文化圏を形成してきた恩義をわすれて。東の人と結託しわたしたちを滅ぼそうとしている     
またわたしたち種族を北の那須が原に追い詰める気なのだ……。        
「美智子たいへんだ。人狼が活動をはじめた……」
なにがどうなっているのか、動転してしまった。

妻に連絡した。
凶暴な人狼とどう戦えばいいのだ。
「わかっている。猫が虐殺されているときいて、すぐぴんときたの。道場にきて」
「なにいっているんだ。東京にいるんじゃないのか」
「祥代があなたのところに駆け付けるといって品川の家をでた。そのすぐあとを追ってきたの。みせたいものがあるの。すぐにきて」

だれも近寄らなかった古色蒼然とした建物。 

長い渡り廊下で母屋とつながっている。

渡り廊下をひとりで歩いている。

周囲は闇だ。



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吸血鬼の故郷    麻屋与志夫 

2008-10-26 09:27:06 | Weblog
車のスピードをゆるめずに携帯を入れた。

「犬に襲われた」
「狼でしょう」

門倉が訂正した。

「おれたち親族のものはわかっていますだ」

なにも知らなかったのは、入り婿のわたしだけだったのか。
こんなこと信じられるか。

ひとが狼に変身するのを見ていなかったら全面否定しているところだ。

書斎に入ってからも胸の動悸は治まらなかった。

本田に託された『青猫』を出してみた。

そとは満月。 

夜空が冴え渡っている。

屋敷のそと周りで犬の吠えごえがする。 

いや犬だけではない。

狼の咆哮もする。

犬よりさらに凶暴な獣のにわたしたちは囲まれている。

猫たちを部屋のなかに呼び集めた。 

ヨーカドーで買ってきた魚やホタテ類を小皿にめいめいわけてやった。

猫たちがひさしぶりの生ものにむらがっている。

わたしは青猫の『遺伝』という詩をよみだしていた。  

この怪異を解くキーワードがあるかもしれないと思ったからだ。

太い線が引かれていた。

その箇所を読む。


「犬は病んでゐるの? お母あさん。」
「いいえ子供
 犬は飢ゑてゐるのです。」
 遠くの空の微光の方から
 ふるへる物象のかげの方から
 犬はかれらの敵を眺めた
 遺伝の 本能の ふるいふるい記憶のはてに
 あはれな先祖のすがたをかんじた。


『玉藻族と人狼族の不闘争の和議は1000年。そろそろその条約が切れる年である。すなわち、九尾の狐といわれたダキニ、大和吸血姫の始祖となられたダキニさま、玉藻の前がもうじき再臨する。狼男は人には看破できないが猫がよくその臭いをかぎわける。猫は九尾族の守護動物である。猫をかならず身辺に置き愛護すること。猫が殺されるとき、それは狼男の復活した証しである』            
  

そんなことが詩の余白に本田の端正な字で書かれていた。
民俗学の徒であるわたしにも未知のことだった。

青猫を書架に置こうとした。

一葉のセピア色の写真が落ちた。



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