超短編小説 第2部
「書くことがなかったら、おれたちのことを書けばよい」stand by me より。
1天気輪
ぼくらは十二歳だった。
その年の夏戦争がおわっていて。
十二歳だったぼくは、すでに中津博君と友だちになっていた。
戦争のはじまった年から彼を知っていた。
父親が工事現場の事故で重傷という知らせをうけた彼が校門から走り去る後ろ姿が、一番古い彼との思い出だ。
小学校の二年生のときだったと記憶している。
戦争が終わった年にはぼくらは小学校の最上級生になっていた。
戦争がおわってよかったことがぼくには一つだけあった。
体操の時間がなくなった。
いや、時間はあったのだが鉄棒はもちろん教練とよんでいた剣道や空手や竹やりで米兵を刺し殺す訓練はしなくなっていた。
とくに、鉄棒による体力強化の時間がまったくなくなったのが噓のようだった。
ぼくは虚弱だったので懸垂すらできなかった。
ぶらんと鉄棒にぶらさがったままのぼくを「マグロ」と担任のH先生が呼んだ。
魚屋にぶらさがっているマグロのようだ。
そのあだ名はぼくを生涯苦しめ、この歳になるまで、いまでもぼくをマグロとよぶやつがいる。
まあそのことは、あとでゆっくり書くことにする。
体操のH先生は卑屈なほどおとなしくなっていた。
なにもしないで、ぼくらを遊ばせておいた。
ボンヤリと青空を見上げていた。
ぼくはなにか、拘束から解放されたような気がした。
『リンゴの唄が』はやりだした。
そうした暗い学生生活の中でぼくらは敗戦を迎え、中津君とは進路がちがうのでわかれなければならないという不安にかられ、より一層遊び時間を増やしていった。
中津君の家の裏に千手観音堂がある。
土地の人は「千手さん、千手さん」と呼んでいる。
ヒロチャンは小柄だが全身筋肉でできているようでたくましかった。
ケンかのときはその筋肉がすばらしい効力を発揮した。
一度殴られると、敵はもう戦力を失って茫然としてしまう。
ぼくは彼をアラクマサンと敬意をこめてそう呼んでいた。
アラクマサンというのは横山隆一が朝日新聞に掲載していた『フクチャン』にでてくる柔道の強い家庭教師だ。
観音堂の横に『天気輪』があった。
六尺ほどのコンクリート柱があった。
その上部に正方形の穴がほられていた。
そのなかに鉄の軸があり丸い輪がはめられていた。
それを下に向って回す。
「あした天気になれ」といいながら回した。
ところが、どうかすると輪が止まった瞬間、逆回転することがある。
上に向って回る。
せっかく天気になってくるようにねがったのに、明日は雨ということになりぼくらはがっかりするのだった。
だって、雨が降ればここ、千手堂にはふたりで遊びにこられない。
物資が不足していて、傘など、どこの家にもなかった。
あるとき、ヒロチャンが回した金輪が逆回転した。
「大丈夫」あすも晴れるよ。
大丈夫、明日も晴れるよといってから、ぼくはそのときわかった。
ひらめいたのだ。
ぼくの前に、ヒロチャンの背中があった。
すごく寂しそうだった。
ぼくの眼にはそう映った。
ヒロチャンは天気輪を見ているが、天気輪としては見てはいないのかもしれない。
なにかほかのことをねがっている。
明日晴れますように。いやちがう。
ヒロチャンは後生車として見ているのだ。
穴のおくの死者の国いる父を見ているのだ。
暗い穴は無限につながりその奥に人の後生がみられるのだ。
この穴は黄泉の国につながっている。
そして、そこには死んだ人たちがいる。
彼はそこに死んだ父を見ている。
父と会っている。
なぜか、そう覚った。
彼が、あまりに悲しそうな顔をしていたからかもしれない。
『あなたが闇を覗くとき、闇もあなたを覗いている』このニーチェの言葉をぼくが知るのはずっとあとになってからだ。
ぼくは、彼をなんといって慰めてやればいいのか、わからなかった。
「正一ね。事故で急死した人や、自殺した人はこの世に未練がのこって後生が悪いの。あの塔はその人たちの冥福を祈るためにある後生車なんのよ」
中津さんには親切にしてあげなさい。母の言葉がよみがえっていた。
ぼくの眼の前では、ヒロチャンの肩がふるえていた。
彼をなんといつて慰めてやればいいのわからなかった。
それからというもの、ぼくは後生車の前には、ふたりで近寄らないようにした。
仁王門をくぐったところにある大きなイチョウの木の葉が、黄葉した葉を散らしていた。
そうした季節だった。
『十二歳だったあの時のような友だちは、それからできなかった。もう二度と……』stand by me より。
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