田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

鹿沼でも桜が咲きだしました。 麻屋与志夫

2018-03-29 05:03:43 | ブログ
3月29日 Thu.

●咲きだした。待ちかねた桜が咲きだした。ああ、ことしも桜が観られる。うれしくなった。二階の書斎から、机に向かって座ったままで花見ができるなんて、これぞ田舎住まいならではの醍醐味だ。

●千手山公園の桜がちらほら咲きだした。キーボードを叩く手を休め、しばし春の気配を胸一杯にすいこむ。裏の空き地が広々とした駐車場に変わった。工事も終わったので窓を開けて在る。裏山でウグイスの鳴き声がしている。

●この上材木町の西のはずれ、宝蔵寺の墓地つづきに「鍵山」という地ぶくれ山がある。地ぶくれ山というのは、山というより丘、地面がちょっと膨れ上がった程度の山ということなのだろうが――むかしこの山ぬし、持ち主が今宮神社の東にあった「鍵屋」という屋号の麹屋さんだったからだ。杉山で、何十年かの間隔で伐採していた。そしてまた杉の苗を植林する。いまは持ち主もかわり手入れもしないので竹林になっている。日本の材木が高すぎて建築に使われなくなっている。安倍内閣ではこれから日本の林業を見直すといっているが、ホンマカイナ。

●鹿沼は戦後建具と材木屋で繁栄してきたのだが、いまは街から機械ノコの響きが消えてしまった。ということは、あまり景気のいい街ではない。残念ながら――。

●わたしのこのブログを都会の通勤列車のなかで読んでくださっているあなた。田舎町はどこでも、いま鹿沼で起きているようなことが起きていると思います。ゴールデンウィークなどで帰省した折、故郷の移り変わりを散歩でもしながら改めて見直してみてください。

●田舎町の銀座通りは、シャッター通りとなっています。わが家のうらの昔ながらの草ボウボウだった空き地は、廃屋も壊され、ピカピカの駐車場。田舎町ほど車社会なのです。近所のラーメン屋さんに行くにも車。車の入らない通りの商店街は廃絶の憂き目にあっています。

●千手山の桜だけはことしも相変わらず咲きだした。

●日々平穏。なんら変わることなく暮らしていけることこそ、至福の人生なのだろう。

●「きょうは、昼から酒が飲めるぞ」二階で花見をするからと、なにかツマミを――と……カミサンにおねだりしょう……。


●ブログに発表した小説は下記の通り角川の「カクヨム」にまとめてあります。ぜひお読みになってください。

ムンク「浜辺の少女」は吸血鬼だよ/麻屋与志夫

愛猫リリに捧げる哀歌/麻屋与志夫

吸血鬼処刑人/麻屋与志夫
あらすじ。 伊賀忍者、百々百子率いるクノイチ48は帝都に暗躍する吸血鬼に果敢な戦いを挑んでいた。百子は帝都東京で起きる「人を殺してみたかった。だれでもよかった」という凶悪犯罪の…の背後に吸血鬼の影が。



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早春の朝の会話。  麻屋与志夫

2018-03-26 12:03:49 | ブログ
3月26日 Mon.

●朝早く顔を洗おうと洗面室に入っていくと、外でカサコソと幽かな音がする。裏の工事現場の騒音をきらって外猫ちゃんたちがこのところ寄りつかない。ひさしぶりで、あるいは……ネコちゃんのオデマシかと廊下に出た。ガラス戸をそっとあける。忍び足で、デッキへ。

●小さな背中がかがんでいる。カミサンが鉢植えのバラを眺めていた。パジャマ姿だ。暑さ寒さも彼岸まで、という、その彼岸も過ぎた。外気温度は15度くらい。このぶんだと、桜も今週中にはほころび始めるだろう。

●「ことしは風を引いていたので、薔薇の植え替え、できなかったわ。キレイに咲いてくれるかしら」

●カミサンの声には不安感はない。薔薇の花を夢みてパジャマ姿の声ははずんでいる。それがいかにも早春らしかった。

●朝食をすませてから表庭に出た。チンチョウゲの芳香がここちよい。ツル薔薇はいっせいに芽を吹きだしている。

●「藤の花芽ももうすぐ吹きだすわ」
「あれって芋虫みたいに見える」
「そうね。あんなにキレイな花にかわるなんて毎日みていても信じられない」
カミサンは紫色の豪華な花房をイメージしているのだろう。それがいかにも早春の朝にふさわしく思えた。


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初雷、豆を食べる。初午、シモツカレーにも豆を入れる。 麻屋与志夫

2018-03-26 02:21:50 | ブログ
3月26日 Mon.

●金曜日23日には帰省する途中、東武新大平下の周辺で雷雨の跡を目撃した。その翌日、土曜日24日には、鹿沼に初雷。8時ごろであったがGGは風呂にはいっていた。

●スサマジイ雷鳴と稲光には幾つになっても馴染めない。まして、ここは雷には「様」をつけて恐れおののくほどの有名な雷県、そしてさらに鹿沼は、舟形盆地にあるため街の周囲の山々に反響してひときわ大音響の雷鳴が轟きわたる。

●風呂に入っていては、湯の中では危険ではないかと不安だった。恐れおののくわたしは、耳慣れない音に気づいた。なにか固いものを叩くような音、そうかいままでは裏の空き地は草茫々だったから雨の音も柔らかだったのだ。駐車場になるのだろう。地面が固められたからだ。これでコンクリートを敷けば猛々しい水音とともに大量の水がわが家の裏庭に流れこむかもしれない。

●懐かしかったわたしの幼少時代の原風景が、木造解体機、トラクター、ダンプカーなどの重機によっていとも簡単にキレイさっぱり破壊されるさまを二階の書斎から見下していた。

●これからこの田舎町での暮らしが一変する。ソンナ嫌な予感がする。せっかくretire後の暮らしには万向きのおだやかな街ですよと宣伝してあげているのに困った。困った。

●忘れていたが初雷には、とって置いた豆まきのマメを食べる習慣が、わたしが子どもの頃にはいきていた。歳の数だけ食べればそのとしは無病息災。いまはわが家では豆まきをすることもない。例え、マメがあったとしても、歯なしのわたしには硬くて食べられないという、話の落ちをつけたいのに、もう一つ思いだした。

●初午の日には栃木県の郷土料理、下野カレ(シモツカレ)を作るがそこにも豆まきのマメをいれる。そんなことをしている家庭は、いまは無いのだろうな。

●疾風怒濤の速さで古い習慣や古い建物や、古い? 人間も消えていかなければならないのだろうか。



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半村良が終の棲家として選んでくれたまち、鹿沼。 麻屋与志夫

2018-03-24 07:30:44 | ブログ
3月24日 Sat.

●東武線の新大平下を過ぎたところで車窓から眺めると、地面が黒くぬれていた。屋根もぬれている。たったいま夕立が通り過ぎたところなのだろう。空にボッテリとした暗雲がうかんでいる。見事に局所的な通り雨の跡をみて「夕立は馬の背を別ける」という諺を思いだした。

●もうひとつ、太田道灌 (いそがずば ぬれざらましを たびびとの あとより はるる のじのむらさめ)意味、もしも急がなければ、濡れなかったであろうに。 旅人が通った後から晴れていく野の道に降った にわか雨である。 急いだばかりにずぶ濡れになった旅人の後から、 皮肉にも晴れていく村雨の景は「急(せ)いては 事を仕損じる」の教訓として詠まれています。――検索しました。

●わたしはいままでにも、なにか苦境に立たされたとき、「動かざること山の如し」とか、上に記したふたつの言葉にずいぶんと助けられました。あせるな。あせるな。動くな動くな。これは局所的な災難だ。馬の背を別ける。向こう側は晴れているかもしれない。

●果せるかな、鹿沼は雨の降った気配はありませんでした。

●この鹿沼は、最近知ったのですが、伝奇小説の大家「半村良」が終の棲家として晩年に選んでくれた街です。引っ越しの好きな、ゴルフも好きでしたよね、半村おんたいに選んでもらえるなんて感激です。

●田舎暮らし、ただ住むだけならこんなに暮らしやすいところはないと思います。街の中央を黒川の清流が流れ、前日光高原の舟形盆地のこの街は、まるで別荘地に住んでいるようです。周囲の山々の彼方に日光連山が眺められ風光明媚。地価もおどろくほど安いし、老後をすごすにはおすすめの街ですよ。

●ただ、と断わったのは、この街で生活するために働こうとすると、街の様子はがらりとかわります。地価が安いということは、街に活気がなく生活は楽ではないということです。あくまでも、retire後の安住の地ということでしょうか。

●ここでは、この街に住んでいると、地政学的リスクということを思います。東京からわずか90分くらい東武電車に乗っただけで、なぜこの街だけはこんなに陸の孤島のように時勢から置き去りにされているのだろう。だからこそ、変化がなく静かで住みいいのかもしれませんがね。

●こうした考察は、のちほどまたあらためて書いてみますね。



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たまにはグチもこぼしたい。 麻屋与志夫

2018-03-22 10:16:24 | ブログ
3月22日 Thu.

●昨日は寒かったね。真冬に逆戻りしたような寒さだった。ブラッキ―をだっこしてふたりで? コタツでまるくなって終日うとうとしていた。こうなるともうどこからみても、だれが見ても、正真正銘のGGです。

●ブラッキ―の骨のうきでたからだをだきしめているとこの20年の時の流れが思い浮かばれる。「ブラッキ―、いますこし生きていてよ。いちばん不遇の時代を共に生きてきたのだ。これから捲土重来、バンカイしてみせるから」ブラッキ―はニャンともこたえない。

●復活するといっても、たいしたことを望んでいるわけではない。塾生が10人くらいになって、それから……随筆でもいいから書かせてくれる雑誌があればいいな。それだけでいい。カミサンとブラッキ―とほそぼそと暮らしていければそれでまんぞくだ。

●なぜこんな心細いことを書くかというと、GGはわけあって国民年金にすら加入していない。せめて年金だけでも入っていればよかったのだが、両親の医療費の支払いに追われていた。老人医療の無い時代だから、生活費の三倍もの医療費を支払っていた。よくやってこられた。乱塾時代で塾生が大勢いたので助かったのだ。

●まあ……これ以上かくと……GGのぐちぐち音頭になるかやめて置く。

●お笑い芸人ではないが、物カキもさいごまでひとを楽しませなければならないのだ。私小説的なことはいまどきハヤラナイ。

●そんでもって、なすこともなく、ブラッキ―とコタツでうとうととひねもすすごした。





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春眠暁を覚えず。 麻屋与志夫

2018-03-20 11:38:27 | ブログ
3月20日 Tue.

●足音はしない。ひっそりとした気配だけがひそかに近寄ってくる。深夜。部屋のライトは消してある。いい歳をして笑われるかもしれないが、なにか恐ろしい害意をもったモノが迫ってくるようで寝床のなかでからだが竦む思いだ。

●マックラな部屋にホラ入ってきた。獣の呼吸音がする。半覚醒の頭にひらめくものがあった。肉球が音を吸収しているのだ。ポンとベッドに跳び上がってきた。いつものようにわたしはカイマキをもちあげてブラッキ―をかかえこんだ。

●昨夜は遅くまでテレビを見た。だいぶ暖かになったので、ブラッキ―を抱えて寝床に入らなかった。ソファにネテいたブラッキーが夜半起きだして、わたしのところに忍んで来たのだ。

●ブラッキーが暗闇を接近してくる気配をはじめて感じた。まさに小さな野獣の肉迫してくる接近だった。

●ブラッキ―を抱えこんで二度寝とシャレこんだ。

●このぶんでは、朝寝をすることになるだろう。GGになった。眠りをむさぼるようになった。睡眠時間がながくなっている。

●ブラッキーのふわふわした毛触りを楽しみながらの眠り――至上の幸福感をもたらしてくれる。



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好きな言葉なので「万物流転」とまた、書いてしまった。 麻屋与志夫

2018-03-18 22:07:39 | ブログ
3月18日 Sun.

●前回のブログで、万物流転なんていう大きな言葉をつかってしまった。
万物流転(ばんぶつるてん)とはヘラクレイトスによって提唱された哲学の概念。ヘラクレイトスはこのような万物流転を「誰も同じ川に二度入ることはできない」という言葉で表現した。――Wikipediaより。

●出来るだけ大きな言葉は文章を書くときには使わないようにしている。全てのモノは移り変わるものだ。くらいの表現でも事足りる。それなのにどうして万物流転などと書いてしまうのか。それはわたしが昭和一ケタ生まれのGGだからだろう。漢文調の表現がすきなのだ。漢文調のひびきがすきなのだ。歳だけは内田さんより上だ。

●文学を志し、小説を書きだした時には確かに〈同じ川〉の流れにいたのだが、歳月の流れとともに、才能の如何により、到達する場所がちがってしまう。

●悲しいことだが、運命というにはあまりに残酷な結果となって、いまここに在るGGを嘲笑っている。

●もうひとつのこの大きな言葉を使った理由は、GGがこの言葉がたまらなく好きだということだ。

●ある文学賞に応募してある作品の出だしにも使っている考え方だ。どうせこの作品もトホホノホで落選するだろうから、冒頭だけここに載せてみますね。


   方舟の街 死可沼吸血鬼譚
                                  麻屋与志夫

……神はその光とやみとを分けられた。神は光を昼と名づけ、やみを夜となづけた。
                           創世記 第一章 四節―五節

1「アサヤ塾」のオッチャン先生、御成橋でペチャカバンの少女に会うこと。
 
うなだれて……死可沼市の中央を流れる黒川に架かる御成橋の欄干にもたれ、川面を見ているアサヤに、心配顔の女の子が声をかけた。
「オッチャン。ナニミテルノ」
 中学二年生くらい。この橋を渡って先の死可沼北中学の生徒だろう。スカートのベルトのあたりをまきこんで丈を短く、ミニだよ、という感じにしている。ミニスカート? から生足がスッキリとのびている。スーパーモデルも真っ青の脚線美をしている。制服の袖はまくりあげ、ボインちゃんなのにペチャカバン。
「もしかして、飛びこもうかなと……」
「それは、ない、ない。女の子のデカパイに見とれるくらいだから……それはない」
「それって、あたしのこと、ナンパしてるの」
「バカな。ロリコン趣味はない」
「なによ、それって」
「だから、少女に誘われても困ってしまってニャンニャンニャニャン」
「おもしろい、オッチャンじゃんか」
 川面を見ながら考えていたことを口ずさむ。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖とまたかくのごとし。たましきの都のうちに棟を並べ、甍を争える高き賎しき人の住まひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ねれば、昔ありし家は稀なり。」
「方丈記ジャン」
「すごい、きみなんていうの……?」
「それってヤッパ、ナンパっぽいよ」
「紫は灰さすものぞ 海石榴市(つ ば き ち )の八十(やそ  )の衢に(ちまた )逢へる児(こ )や誰(たれ)」――名前なんていうの? とアサヤが万葉集を朗唱してもういちど訊く。
 ところが、おどろいたことに――。
「カルイ。カルイ。万葉集。3102。たらちねの母が呼ぶ名を申さ(まを  )めど 道行く人(びと)を誰と知りてか」――お母さんが、わたしを呼ぶ名を教えてもいいけど。あなたのほうから、名のってよ。とペチャカバンが同じく万葉集の歌でカエス。見事な応答だ。
 万葉集で問いかけられては、こちらから名のらなければならない。
「手前、生国とはっしまするは関東です、関東、かんとう、といってもいささか広うござんす。北に男体、南に筑波 金波銀波の流れも清き、死可沼は黒川で湯あみした姓は麻屋、名は与志夫でござんす」
 アナクロな名のりにおどろいて。
「ござんす、でも、ございますでもいいけどさ、オッチャンこっちだいじょうぶ。だいぶユルンデいるみたい」
 頭のところで、定番のジェスチヤーでくるくると指を2度まわす。二重マルをもらった児童のようにアサヤが、ニッと唇をゆるめる。
「でもさ、オッチャン、タダモノデナイネ」
「おれは、アサヤ塾の塾頭、麻屋与志夫である」
「なに「男塾」の江田島平八郎をキドッテルノヨ。そのギャグ古すぎ。塾の頭ってことは、アタマモいいのね」 
「まだまだやってるアサヤ塾。やめてられないアサヤ塾。だって、やめたらクッテいけないんだもん。むかしの名前でやってます」
「ああ、お母さんから聞いている。死可沼の都市伝説となっている塾だ。ほんとにまだやってるの」
「そういうこと、だからここから飛びこむなんてことないから安心して――」
「生徒いるの? 何人いる」
「いない。七人しかいない」
「ソレッテヤバイジヤン。食っていけるの?」
「ダメダネ。ぜんぜんダメ」
「じゃ、やっぱ、ヤバイことかんがえていたのね」
「だからそれはナイッウノ」
 この年頃の女の子と話していると、なんだかこちらがおかしくなる。
ついつい彼女の音声とシンクロしてしまう。会話が混線して、ことばが乱れる。

●次に前半の見せ場を載せたくなりました。


21 死可沼火葬場
 
〈家族葬〉だからというので、通夜の時刻は公にされなかった。それに学生たちは夜遅くなるからということで出席は制限された。ごくごく身内だけでとりおこなわれた。そのためもあって、レディースはお通夜と告別式の出席を拒まれた。だから、火葬場にミホの仲間が集まるという情報が流れた。ミホとの最後の別れをレディースが火葬場でする。絶好の取材チャンスではないか。
啓介は火葬場にかけつけた。ほかのプレスの仲間はすでに集まっていた。
火葬場にハイエナのマスコミ関係者が群れをなしていた。
このような猟奇殺人は、死可沼では、はじめてだった。
ミホチャン殺人事件は異常過ぎる。
ミホの先輩なのだろう。
ポニーテールや、ツインテールのU二十の女の子が火葬場には集結していた。サンタマリア・レディースを卒業していった仲間だ。もちろん、礼子もいた。集結と感じたのはバイクで来ている子が多いからだ。
「ミホはサンタマリアのレディースだったんだって」
顔見知りの東都新聞、宇都宮支局の倉持が近寄ってきた。
「啓介さん。なんですかソノ包帯は……。バイクでころびましたか」
「おれのことなんか取材しなくていい。それよりこの会葬者からなにか聞き出すのが、さきじゃないか」
「おくれてきて、なにいつてるんですか。もう皆、そんなことはすませていますよ」
「なにか新しいネタはあったか。内臓がぬかれていた理由は……」
「じぶんの耳と口でたしかめてみたら」
 アマチュアみたいなこというなという顔で倉持は会葬者のなかにまぎれた。
 骨になったミホが焼却炉からひきだされた。
ミホは白い骨の形だけになつていた。ミホの家は、母子家庭で、旦那寺がない。金もない。お坊さんのお経もあげてもらえない。マヤが消災陀羅にをあげた。あちらにいっても、災害にあわないようにという願いをこめた。短い間の塾生だった。あのときどきみせた恥じらうような笑顔が忘れられない。
さすがレディース。
涙をいっぱいに浮かべていた。
泣き声をあげるものはいなかった。
焼き上がった真白な骨。
「焼入れだよ」
リーダーのヒロコは悲痛な声。
気合いをこめて小さく叫ぶ。
「押忍」
「おす」
「オス」
異口同音。
レディースの面々が応える。
まだ熱い骨。
白い骨。
彼女たちは素手でとりあげた。
肉の焦げる匂いがした。
じぶんたちの体に、焼きを入いれることで、深くミホの死をキザミこむ。
その異様な行動に学校の先生は、極端な嫌悪感をあらわした。
彼女たちは最後の一人になるまで、ミホの骨を手でひろった。
彼女たちに残してくれたミホの想いでの形身。
きつく口をむすんで、無言で骨をひろった。
「ミホ。あんたの骨はあたいたちが確かにひろったからね。仇は討つ。それがどんなあいてでも、命を賭けて、かならず倒す」
墓地も仏壇もない。
ミホの想いでは、彼女たちが共有する。
いつも、ミホの骨を身につけている。
それでいいではないか。
 残りの骨は親族の手で箸で拾われ骨壷に納められた。
 二人一組二膳の箸で親族が骨を拾う。だが身内も知人も少ないのですぐにおわった。
「ミホさんを殺されて、いまどんな気持ちですか」
ヒロコに栃木テレビのマイクがつきつけられた。
サンタマリア・レディースのリーダ―・ヒロコは沈黙。
「親友に死なれた感想を一言どうぞ」
サブリーダのユカは無言。
コメントを求めた東都新聞の倉持を見ずに、マイクをネメツケテいる。
「みなさん。レディースの仲間ですよね。なにか、いいたいことはありませんか」
キララにマロニエ誌の記者が話しかけた。
「一言でいいですから」
「ねえよ」
キララが悲痛な声で一言応えた。
心臓がはりさけそうな苦痛。
悲しみ。
憤りがマグマのように吹きだしそうなのを耐えている。
わからないのか! 
わからないのか!
この激情を押さえるためのダンマリなのに――。
わかってよ、プレスのおじさんたち! 
メンバーの全員が、ミホの熱い骨を胸にだきしめて耐えている。
うつむいて、下唇を噛みしめ、血がにじんでいる。
一斉にバイクのエンジン音がひびいた。
このとき、会葬者の中から甲高い声がひびいた。
「骨なんかどうする気。返しなさいよ。あんたらがミホを殺したのよ。あんたらの仲間にはいらなければミホは死なずにすんだのよ」
 ヒロコの胸倉をつかんでいるのはミホの母親。大工の女房だっただけに、気が荒い。
 ヒロコは心を石のようにして耐えた。
ミホのお母さんだ。
逆らうわけにはいかない。
悲しみのためにこわれている母親になにをいってもとりあってはもらえない。
だまって頭を下げて、その場をあとにした。
「逃げるの。逃げるの」
 ミホの母親はまだ泣き声だった。
 母親の嘆きと苦悩の深さを思うと、会葬者たちは顔をふせて、うつむくことしかできなかった。
「イクワヨ」
 ヒロコが気合いをいれて叫ぶ。
「おーす」
「押忍」
「オース」
 レディースの面々の気勢が唱和した。
 バイクの一団が春の街に散っていった。
コメントを取れず記者たちは茫然としている。
「中学生がレディースかよ。バイクが許されているのか、この街では」
コメントをとれなかった腹いせを行政にブチッケテいる。
 ヒロコのポッケでミホの骨が熱い。
 ユカのポッケでミホの骨が布地を焼いている。
 キララのポッケでミホの骨が燃えている。
 
 アイドリングしてヒロコを待っていたバイクが一斉にスタートした。
 
レディースの仲間は唇を噛み復讐をこころでちかっている。
アタイたちのマブダチを殺したのは誰だ。
誰であれ、見つけだす。
こんなせまい死可沼だ。
この街に、犯人はいる。
まちがいなく、いる。
ナガシの犯行であるわけがない。
ミホをヤッタ犯人はこの街で息をしている。
潜んでいる。
いちばん、うたがわしいのはV男だ。
吸血鬼だ。
この街に、キュウケツキがいる。
なんてこと、世の常識の代弁者。
プレスのひとや、サツカンに訴えても、バカにされるだけだ。
だから、なにもいえない。
いいたいことは、かずかずあるが、いえない。
復讐はわたしたちにゆだねられている。
犯人をあぶりだし、逃げたら地の果てまでも追いかける。
おいつめてトドメをさす。
レディースはパイプの先を斜めにカットした。
そして磨いた。
いままでのほかのグループとの乱闘なんてお遊びだった。
必殺の決意だ。
エンジンの咆哮も高らかに――。
レディースはモノウイ春の街に二人一組で散っていった。

●テーマは教師による、セクハラです。かなり自信があるのですが――。どうなるでしょうね。発表は今月末です。




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内田康夫さんが亡くなった。万物流転の春の大気を吸う。 麻屋与志夫

2018-03-18 09:20:31 | ブログ
3月18日 Sun.

●朝。霞みがかかっているような朝の大気を庭にでて吸いこむ。東京では朝の空気を吸うという感じなのだが、田舎町に帰って来ていると、周囲の自然がすばらしくて気分爽快、ついつい朝の大気などと打ちこんでしまう。

●すぐ裏が山になっている。カラスや小鳥の囀りがとだえることはない。藪鳴きのウグイスの鳴き声がだいぶウグイスらしくなってきている。そのうち、5月の末ともなればホトトギスがせかせかと鳴きだすだろう。

●娘二人を嫁がせた。ホトトギスの鳴き声は、長女が帰省するときは「サッチヤンクルヨサッチャンクルヨ」と聞こえ次女のときは「リカチャンクルヨリカチャンクルヨ」と鳴くよう聞こえる。彼女たちの帰省がいつも5月の連休かその後だったことにもよるが、懐かしい思いでになっている。

●いまは二人とも二児の母、なかなか帰省はできないらしい。

●長男が末っ子なので孫はまだ幼い。こちらから会いに行きたいのだがなかなか暇がない。いつになったらこの「時間ビンボウ」から解放されるのだろうか。

●友だちのともだち、作家の「内田康夫」さんが亡くなった。光彦シリーズのフアンとしても残念だ。ご冥福をお祈りします。



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大きなリックを背負ってカミサンと街歩きのできるしあわせ。 麻屋与志夫

2018-03-17 20:16:19 | ブログ
3月17日 Sat.

●高校の合格発表が終わったので、街がなんとなく華やいでいる。

●ベニマルに買い物に来ている街のひとたちも入試の結果などで話がもりあっている。

●わたしはカミサンを誘い、河川敷におりた。めずらしく、青鷺と白鷺がいた。鴨まで目撃できたのはうれしいおどろきだった。流れは清流。水面を眺めているだけで気持ちまで澄んでくる。いくら田舎町だからといって、街の中央をこれほど澄んだ流れの川が貫通しているのは自慢できる。

●堤の桜を今年こそゆっくりと観たいものだ。
「去年は、わたしが風邪をひいていたもの――」
「消防署までつづく「花ミズキ通り」も歩いてみたい」
「40ぷんくらいかかるかしら。歩けるうちにあるかないとね」
「そうだな。元のように歩けるようになれるとは思わなかった」
 杖を買う騒ぎまでした。よかった。よかった。駅の階段などで手すりにつかまって登り降りした。もうだめかと、いつも強気のGGもあきらめかけていた。

●これでわが家にも春がくる。

●買い物で膨らんだ、かなり大きなリックを背負ってカミサンと二人で街を歩けるシアワセをしみじみとあじわった。




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愛猫リリに捧げる哀歌/麻屋与志夫

吸血鬼処刑人/麻屋与志夫
あらすじ。 伊賀忍者、百々百子率いるクノイチ48は帝都に暗躍する吸血鬼に果敢な戦いを挑んでいた。百子は帝都東京で起きる「人を殺してみたかった。だれでもよかった」という凶悪犯罪の…の背後に吸血鬼の影が。



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春は残酷な別れと挫折の季節だ。 麻屋与志夫

2018-03-16 18:40:48 | ブログ
3月16日 Fri.

春は残酷な別れと挫折の季節だ。

●若い時に読んだエリオットの「死者の埋葬」の影響なのだろうがGGの脳裏では――春は残酷な季節――という言葉がいまごろになると芽を吹きだす。

●朝のうちにアップしたブログにも書いたが、この言葉が妙に現実味をおびてきたのは「アサヤ塾」を郷里の街で始めてからだろう。受験に失敗した学生の悲しみは見るに忍びない。さいわいわが塾では半世紀ちかく教壇に立って受験指導をしてきているが、そうした嘆く学生はほとんど見ないで済んでいる。

●受験に失敗したわが子を殴っている母親を目撃した。親も悲しいだろうが、子どもはさらに悲しいだろう。

●GGは歳がとしだから、いままでにいろいろな受験生の家庭を見てきている。一流の県立高校に合格したからといって前途洋々とはいかない場合のほうが多い。勉強と社会に出てからの活躍はあまり関係ないような気がする。

●高校受験に失敗したからといって、はじめての挫折体験だから悲しいだろうが、早く立ち直ってほしい。

●塾に高額の授業料を払ったからといって安心していてはいけないと思う。塾にもブラックはある。

●それにしても、卒業式の別れ。学校が違ってしまった恋人同志の別れ。親の転勤での別れ。春はやっぱり残酷だ。春は若者にとって別れの季節なのかもしれない。

●幾つもの挫折、別れを経験して大人になっていくのだ。これも成長するための通過儀式と思えば、耐えられるのではないだろうか。



●ブログに発表した小説は下記の通り角川の「カクヨム」にまとめてあります。ぜひお読みになってください。

ムンク「浜辺の少女」は吸血鬼だよ/麻屋与志夫

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