田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

ゲゲの学校?のある町の塾/麻屋与志夫

2010-12-07 07:10:13 | Weblog
12月7日 火曜日

プログです。

●昨夜はうれしいことがあった。塾の卒業生の子どもが3人も入塾してくれた。わが「アサヤ塾」のようにカミサンとふたりだけで、毎晩黒板の前で悪戦苦闘している零細塾では奇跡に近いできごとである。同時刻に同じこのアサヤ塾に二世を入塾させてくれた。
それも2人は同じ教室で同学年なので真剣に勉強してかえっていった。

●教室の電話がなった。英語だけで帰ったのだが、明日から国語もおねがいします。という母親からの連絡だった。これまたうれしかった。ともかくはじめてわたしの授業をうけて帰っていった。おもしろい授業と思ってくれたのかな? 満足してくれたのだろうか?

●先週もブログで書いたが、第一次アニメブームの直前にこの場所で塾を始めた。クリスマスを文化会館の会議室でやった。なんと塾生270名。ピンクレデイのUFOをみんなで合唱してくれた。あの子たちが、父となり母となってこの街で子育てをしていた。

●わたしは当時、久保書店の「灯」「抒情文芸」に小説を書いていた。今をときめく、文壇の大御所、筒井康隆が同じ社の「サスペンスマガジン」にブルドックという短編を発表していたころである。

●芸術家は売れれば貴族。売れなければ乞食。そのビンボウのなかで子どもを育てなければならないので始めた塾だった。授業料を貰うのが恥ずかしくて最初は無料で教えてといた。

●だからというわけではないが、いまでも一教科週2回(2時間)、月に8回で5000円。一時間当たり625円。の授業料。
いまや、長びく平成不況の真っただ中、この地方の教育格差はまちがいなく親の収入にかかわっている。この授業料でも塾には通わせることができない家庭がある。かわいそうでみていられない。無料の教室を開設しょうとさえ思っている。
でもあまりの貧困に子どもたちは、学習意欲をうしなっている。教室にはいっても勉強する意欲さえ喪失しているだろう。あまりの惨憺たる現状に、ただただ身の震えるのみだ。

●ところが、経済的に豊かな家庭では、いまやブランド趣向の時代。若いお母さんの中には、教室はキレイなビルで、イケメンの先生で駐車場があるような大きな塾という希望がおおいらしい。それをいわれると弱いですよね。こちらは、教壇に立っていることすら珍しい歳だ。頭髪は白く、薄くなっている。

●教育現場はゆとりある教育などと中央のエリートが唱えている間に、地方では劣化するばかり。某中学では、中間試験も期末も廃止してしまって今日に至っている。「ゲゲの学校」である。シケンもナンニモない。理想を実現させた教育だそうだ。その試行の結果がどうなってしまったか。それはこの公の場では書くのを憚る。

●自分の教育の理念を貫き通すには、「塾」はすばらしい場所だと思う。もっともあまりに個性が強すぎるとアンチを唱える人も現れる。塾を始まったとたんに、村八分にあっている。ありがたいことだ。信念を通そうと思えば必ずてきがあらわれる。村八分は神がわたしに与えてくれた勲章みたいなものだ。

●いまでは全盛期の10%にも満たない零細塾だ。学びたいという生徒のいるかぎり一人でも教えている。家庭教師のようなことになっている。いまどき、1時間625円。それでも教える。サムライの志をもったわたしは、死ぬ時は黒板の前で、生徒が一人もいなくても指示棒を刀代わりに、立ち往生、それを理想としている。

●教え子がそんなわたしの心を理解して、子どもさんをつれてきてくれた。あまりうれしかったので、まだ興奮がさめない。

●「さすらいの塾講師」は午後にはアップするつもりです。書けなかったらごめんなさい。


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