田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

ピーターパン症候群の90歳のGG  麻屋与志夫

2022-12-27 05:24:00 | ブログ
12月27日火曜日
 ピーターパン症候群の90歳のGG
 今日はピーターパンがロンドンで童話劇として初演された日だそうです。
 詳細はぜひ検索してください。
 ピーターパン症候群という言葉があるのも初めて知りました。

 わたしは数え歳で、葛飾北斎の享年90歳です。
 翁は死ぬまで青年のような旺盛な創作意欲を持ちつづけた。
 P症候群の人ではなかったかと思いませんか。
 いつまでも、わたしも12歳の少年のころの思い出に生きています。
 だから、連載中の『超短編小説2』の舞台は12歳のぼくとその周辺にいたなつかしい竹馬の友です。

「もう、子どもみたいなんだから」
 よくカミさんにしかられます。言いて妙。
 普通だったら、とうの昔に見捨てられてしまっているのだろうが。
 そこはありがたい天の配合。
 彼女もめずらしく永遠の少女趣味。
 ふたり仲良くおままごとのような暮らしを楽しんでいます。
 めずらしくというのは、P症候群は男性のみに適応する言葉らしいのです。
 今朝は、三時に起きました。
 妻の寝床からルナが起きだしてきました。
 暖房のある部屋をよくしっているルナです。
 掘りごたつのある仏間の隣の居間で、ついていないテレビに向ってソファでまた寝込んでしまいました。
 12歳のぼくは猫と共棲したくても、戦時中の食糧難。
 許されませんでした。

 もう一つの少年の夢。
 フルタイムの作家として生きていくこと。
 わたしは、90歳。
 まだ夢を捨てきれず小説を書きつづけている。
 カムバックしたいと精進しています。
 どうです、リツパなP症候群のGGですよね……。(笑)

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9 千手院観音堂の仁王門  麻屋与志夫

2022-12-20 08:38:52 | 超短編小説
超短編小説
9 千手院観音堂の仁王門
 拝殿より仁王門のほうがケバカッタ。
 観音堂は立派な彫刻で四方を飾られていたが。
 無垢。色彩はほどこされていなかった。
 剥げ落ちてしまっていたのかもしれない。       
 仁王門は存在感があった。みごとな朱塗り。
 その年、12歳だった。ぼくとヒロチャンは仁王門の庇におおきな蜂の巣を発見した。
 クマンバチの巣。
 黒と黄金色にみえる縞。ブンブンする音がみえた。その姿がきこえた。幼いぼくはそう感じた。ハチがとんでいたということは春から夏にかけての季節。
 戦争がおわるまでには数か月を要した。
 そうした季節と風景のなかでぼくらはのびのびとあそんでいた。
 ぼくはぼくらが、オッパイ蜂の巣と命名したきょだいなでっぱりに向かって投げた。拳大の石だ。
 ズボツとめりこんだ。一発で的中した。
 それを誇るよりもおどろいた。
 石は落ちてこない。
 乳房に吸い込まれた。
 あとかたもない。
 庇までの距離が巣を実物より小さくみせていたのだ。
「おっきいな」
「ぼくもなげようかな」
 ヒロチャンが石をひろった。
「やめたほうがいいよ」
 ぼくはあわてて止めた。
 ヒロチャンのお父さんは事故死。
 ヒロチャンはふたりで泳ぎにいった御成橋の下の河原でケガをした。
 石を投げられた。彼はそういった。直ぐそばにいた。ぼくには石のとんできた気配は察知できなかった。
 ふいに耳の付け根に血が噴き出した。カマイタチだ。ぼくはそう感じた。彼は気丈にも手拭をおしあてた。
 鮮血で真っ赤になった。彼の弟が竹を差して片方の眼の視力を失っていた。
 
「傷害の因縁があるのかもね」
 四柱推命学にこっていた母がいっていたのを思いだした。
 なにかあったら、守ってあげなさい。と母はつづけた。
 ぼくは怖くなった。体が小刻みにふるえた。
「こわくなんかない」
 彼はおおきく手をふった。ぼくはがむしゃらに彼の手にしがみついた。
「いたい」
 石はかれの足の甲に落ちた。血がでた。
 ぼくは彼をおしとどめてよかった。これくらいのケガですんだ。
 ヒロチャンはおこって、家に帰ってしまった。
 彼にはぼくの善意は通じなかった。

 彼の家は紫雲山千手院の参道の直ぐ脇にあった。
 ひとりとりのこされたぼくは仁王さんと向かいあった。
 仁王さんにおおきな乳房があらわれた。
 穴があいている。蜂が群れている。
 仁王さんはぼくを睨んでいる。
 ぼくはわるいことをしたのだろうか。
 よかれと思ってした。それでも、友だちを傷つけた。
 結果がすべてだとしたら、ぼくは友だちを傷つけたことになる。
 ぼくは家から物干し竿をもってきて、あの石をとりのぞこうかと決意した。
 樋を流れ落ちる雨水のように、石が竿を伝って落下してきたら。どうしょう。 
 体の震えはさらに小刻みな戦慄となって全身をおおった。
「気にするな。すんだことは、とりかえしがつかない」
 ぼくは、仁王さんの声をきいたような気がした。
 ぼくは仁王門の石畳の上にすわりこみ夕暮れをむかえた。




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8 トマト  麻屋与志夫

2022-12-16 15:30:11 | 超短編小説
8 トマト
 ぼくは空腹ではなかった。
 宝蔵寺にいる集団疎開の友だちがたえず狂気じみた餓狼のようなあさましいうめき声あ
げていたので、彼らがぼくにしめしてくれたた優しい連帯の友情にたいしても……むくい
なければといった気持ちから、野菜畑に略奪者である彼らを案内するといった役割をひき
うけてしまったのだった。
 野生の禽獣のように食べ物をあさることにかんしては、かれらはあまにも柔弱な都会育
ちであり、たとえぼくが運動神経のにぶいため……魚屋の店頭で鉤にかれられた『マグロ』
のように鉄棒にぶざまにぶらさがったままであったり、矮小なからだのためともかくすべ
ての競技に劣性のみにくさを開示してしまうような生徒であったとしても、彼らを援助で
きないほどひ弱くはなかった。
 彼らが大挙して疎開してくるまでは、ぼくは、ともかく、朝鮮人の金とともに学級からみ
はなされた生徒だった。
 予想もしなかった彼らの到来によって、ぼくは自分より脆弱な人間のいることを知りそれが奇妙な自信の球根をぼくに植えつけたのだ。
 生命力の回生を……強固な意志力の発現を願望するあまり、ぼくはたえず彼らとの接触をたもちつづけた。彼らとつきあってさえいれば、ぼくはときおりささやかな優越感すらあじわうことができたのだ。
 集団疎開のかなでは比較的たくましい骨格をした彼らの番長、奥村に……聡明で自己犠牲の精神にとんだ彼に野菜畑に、略奪の冒険にでかける相談をうけたとき、だから胸がよろこびのためにふくらみ鼓動が高鳴るのを感じた。
 これを契機に僕はうまくいくと彼らの仲間にはいることができ、彼らが東京からもってきた本を借りることに成功するかもしれない、学級のぼくいがいの土地の子たちと決別しても結構上機嫌な生活を迎えることができるだろうと確信した。
 それにこれだけは断じてひとに語りたくないことだったが、ぼくは奥村の妹に、奧村理加に恋をしていたのだ。
 そしてそれが一番の理由だった。どんなことがあっても肌理のひきしまって……磁器のようにすべすべした肌をした、すこし首をかしげて話す癖のある彼女の顔が、飢えのためうつろな表情になるのを傍観しているわけにはいかなかった。
 際限なくおそう飢えのため……満足に体を動かすこともできず、疲れ果て……本堂の広間のひからびた畳にごごろ横臥している彼らと親密な友情の絆を確保するためといったおもてむきの理由からも、ぼくは奥村と、夜になってから樫の巨木の下でおち会った。
 あいつら……だれもおきあがってこないんだ。
 乱暴な言葉とは反対に、彼は、空腹のため横になつたままの仲間たちをどうにかしてやらなければといった使命をになつたきびしい顔をしていた。
 奥村戸だったら……おれはやる。
 どんなことでもやる。
 それでみんながたすかるんだったら……おれはやる。
 ぼくは興奮していった。
 寺の墓地と田圃との境には有刺鉄線がはりめぐらされていた。それをさけるため、崖をきりくずして構築された城壁のような墓地への険路をぼくらは進まなければならなかった。
 石段は風雨に浸食され、それが人の意志によって積みあげられたにもかかわらず、いつのころからか……自然の景物そのものと化していた。
 苔が生えていた。夜露にぬれてすべった。そのことを彼に注意しようとしたぼくの背後で、低く短い叫び声があがり、奧村の姿が消えていた。
 不安におののくぼくの視線は、石の突起にかろうじて手をかけて全身をささえている彼の宙ぶらりんな影を探しあてた。
 すばやくぼくは(自分にそうした敏捷な行動ができるのを愕きながら)南京袋を彼に投げおろした。
 蛇のようにぬめぬめする石の表に足をとられ……彼の体重を
両手にうけとめ、どうにか彼をひきあげることができた。ところで彼はすこしおこったようなこわい顔をしていた。
 耕された田野の畦道をいく。戦場にあって狙撃兵をさけるような危険な移動であった。じじつ、それまでにおおくの友だちが、農夫につかまって、酷い体罰をうけていた。農夫たちの、食糧を充分に保管している彼らがぼくらを威嚇する方法や武装のしかたには、過剰な防衛本能がむきだしにされていた。つまりは、みつかったら最後、半死半生のめにあうことは疑う余地もなかった。ぼくらはそれでも、彼らを憎しみの対象とすることはできなかった。
 小川を徒渉し、畠についた。
月は雲におおわれ、ぼくらは地面にへばりついていれば、地虫のように蠕動してすすめば目撃される懸念はなかった。
 みじめな飢えを耐えられず、人間というよりむしろ獣じみた食糧獲得本能のおもむくままに、夜の底で蠕動するぼくらの周囲にはしかし、土の臭いと川床からはねあがる魚の水をうつ音がきこえてきたりして、すっかり土がこびりついて黒くなった爪と鼻ずらをみあわせるぼくら鼓舞するのだった。
 食糧をあさる獣たちには獣たちなりのなぐさめと歓びがあるのだろうかなどと、ぼくらは小声で話しあいながら、しかし充分な注意を前方にむけて危険な前進をつづけた。
 夜のはずれで犬の遠吠えがあった。この頃になるとぼくは緊張のためぼく自身もすっかり空になった胃袋の所有者であるような妄想に悩まされ、いや飢えているのはぼく……にちがいないのだという想像にさいなまれたあげく、あらゆる感情が胃に収斂してくる。
 許しもなしに野菜畑に侵入し他者の私物であるトマト、キュウリ、南瓜、サッマ……食べられるものすべて、手あたりしだいに盗みとるぼくらの行為には躍動する筋肉の勇者らと等価のたくましさが宿り、いつか恐怖も去る
 大胆に畑のなかを跋渉する。
 供物をささげられたように……誇りと自信にみちたしぐさで……。
 ぼくらの動作がにぶくなったのは袋が重くなったという物理的理由からだった。
 ぼくはでも、さらに採食に、目標に突進する。重くなった袋をさらに重くするために。
 あまりにも安易に食糧を集めることができた。豪華な収穫に有頂天になっていては、いけなかったのだ。
 奥村とぼくは飢えたともだちに飽食の恩恵を……南京袋いっぱいの食べ物が魔法のように忽然とあらわれる奇跡を
 みせてやるために、魔術師でない凡俗の悲しさ……ただひたすら大地を這い、農産物の収集に没頭していた。
 野原で蝶の翅粉にむせぶ至福の収集家のように。
 
 おい――。もどろうか。と、奧村がいった。
 ぼくは準備してきたロープで袋の口をしっかりとゆわえた。
 こんなに収穫があるとはおもわなかった。
 マグロ、きみのおかげだよ。
 
 彼は充分なねぎらいと連帯の証のあるひびきをぼくのあだ名にこめていった。
 ぼくはそれでまんぞくだった。
 おとぎ話の王子になったようで……いい気分だった……このうえは一刻もはやく帰還しておなじ言葉を彼の妹からききたいとおもった。
 
 彼女からのやさしい言葉……ただそれをいってもらいたいという真摯で無垢な希望からぼくは彼と行動をともにしたのだった。しかし断じてそのことを彼に告白するわけにはいかなかつた。

 
 おい……もどろうか。
 ふたたび彼がくりかえしたとき、ぼくは彼の腕をひくと地面に伏せた。
 犬の吠え声が間近でした。
 農夫らしいひとかげが黒ぐろと浮かび、まったくそれは不意の出現だったので、ぼくは仰天し声もだせなかったが、信じられないほどのすばやさで彼の腕をひいて地面に伏せさせた挙措にはある種の自信があった。
 犬がいなかったなら、ぼくらはその箇所にひそんでいればよかったろうが、農夫の忠実な番犬がすでにぼくらをかぎつけてしまていた。
 低いうなり声をあげ、犬は農夫に異常事態を知らせてる。

 ぼくが……逃げる。
 ぼくがあいつらをひきつけるから……これをもって帰ってくれ。
 彼にロープのはしをもたせよと…しかしすでに奧村は聞く耳をもたなかった。
 ぼくの肩を押さえつけるように二三度たたくと、ぼくらがやってきたのとは反対の方角に向って走りだしていた。
 (どうすればいいのだ。……どうすればいいのだ)
 ぼくはやっと芽生えかけた勇者らしい自信も霧散し茫然としていたが、彼の期待と犠牲を裏切らないためにも……仕方なく重い袋をひきずりながら帰途についた。
 横になって、だがまだ寝ずに待っていた者たちは、鋭く辛辣なひんしゅくの言葉をぼくにあびせかけたが、やがて袋をとりあげると、庫裏やにさっていった。
 マグロは……兄さんを置いてひとりだけで逃げてきたのね。あんたなんかきらい。あんたはやっぱりいくじなしのマグロだわ。お魚屋さんの店先に吊るされて、宙ずりになって……出刃でそぎおとされて……血の涙を流すといいのよ。
 
 理加は残酷な目でぼくをにらみ、そう心の中でいっているようだった。
 露縁に人影がさし、あえぎながら奥村が本堂にはいってきた。
 血と土と野菜の汁が彼の体をおおっていた。
 彼女は泣きだした。ぼくは濡れた手拭を
 もってくるようにいうと、彼のよごれて、ところどころひきさかれた上着をぬがせると、畳にそっと横たえた。
 食糧は……?
 かぼそい声で彼かいった。
 ぼくがふじに彼らに渡したというと、彼は安堵の吐息をもらした。
 ありがとう。声をだしたのが……そが悪かったのか、彼は血を吐いた。
 それが熟れた赤いトマトのような形状にひろがった。
 あいつら、ひどくやりやがった。あいつら、ひどい……。
 どうして、兄をおいて逃げてきたのよ。もどってきた理加がぼくを咎めた。
 奧村はぼくをじっとみつめていた。
 妹の顔と交互に眺めながら微笑していた。
 乾きかけた血を拭きとってやながら、彼とぼくのあいだには戦いのあとの勇者同士のやさしい連帯が芽生えているのを感じた。
 隣室では、サツマが生煮えでかたすぎると、だれかが不満をもらしていた。
 ぼくはぼんやりと彼の吐いた血の跡をみおろしながら、理加の避難を甘受し、これからは夏がきてトマトの季節になっても、けっしてトマトを食べることはないだろうと思いつめていた。

 隣室ではだれかが、また、サツマのかたさに不満の声をあげていた。



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7 母猫  麻屋与志夫

2022-12-12 08:52:04 | 超短編小説
7 母猫 
悲しい夢を見た。                             
いつも夢にでてくる町の氏神様の裏の薄暗がりだった。
ケヤキや杉の巨木があるのでそのあたりは昼でも暗かった。
道の向こうに味噌蔵が並んでいた。
高いところに、格子のある窓がある。
暗くぼっかりと空いた窓に影がある。
だれかが手まねきしている。
どうやらわたしが子供のころの風景だ。
道端に泉があった。
清らかな水のわきでる泉ではなかった。
生きているものを溶かしてしまう酸をふくんだ水がふきだしていた。
子猫がその泉にどっぷりと浸かっている。
下半身はもう粘液化していた。
ニャアニャア、悲しくないている。
子猫が前あしですがっているのは母猫だ。
泉のほとりの木の根元に釘付けにされている。                        
四肢を展翅板にかけられたように固定されている。
猫の皮はこんなに展性があったのか……。
うすっぺらにひきのばされている。
手足を止めてある四本の釘の頭が鈍くひかっている。
痛々しい。
スルメのようにかわききつて死んでいる。
それでも子猫は母猫にすがってないている。
ひからびて死んでいるはずの母猫の目に涙が浮かんだ。
あとからあとからふきだして泉の酸をうすめようとしている。
死んでからも、子猫を守ろうとして、涙で酸を薄めている。
それも、むなしい。
やがて子猫はすっかり溶けてしまった。
なき声だけがまだしている。
そんなことはない。
これは幻聴なのだ。
ニャアニャアと小さな声だけが酸の泉の面にただよっている。
母猫の涙はかれていない。
たらたらとしたたっている。
いつかこの酸の泉も清らかな泉になるだろう。
夢の中で、わたしも涙をこぼしていた。
  
夢の中でながした涙でまだ枕がぬれていた。
 
  

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6横穴壕に咲いた麹の黄色い花 麻屋与志夫

2022-12-11 10:09:28 | 超短編小説
12月11日
6 横穴壕に咲いた麹の黄色い花

 鍵屋という屋号の麹屋さん所有の山だった。ぼくらは『かぎやま』と呼んでいた。
 いまどき、麹屋などといっても知らないひとがほとんどだろう。え、麹そのものをしらない。そっか。こういう時代までぼくは生きてこられたんだな。だってね、これから話そうとしているのは、62年もまえのことなんだ。まず、麹。糀ともかく。麹は米、麦、豆を蒸し、麹かびを繁殖させたもの。インターネットで調べれば細かく書いてあるよ。現物は大手のスーパーなら売っていると思う。でも、それは白いもので、麹花の咲いた淡黄色になったものはみたことがないんじゃないかな。母が買ってきて、ドブロクや味噌をその麹を使って自家製していたんだ。すぐに使わないで古くなると黄色いカビが繁殖してしまった。それを麹花と言っていたようだ。まあいっか。鍵山のことにもどろう。                       
「ピカドンが落ちた。ピカっと光ってドンと音がして。広島が全滅なんだってよ」 大人たちの密やかな話がきこえてくる。ぼくらは不安におののいていた。そして、鍵山の山腹に穿たれた横穴壕に集合した。奥のほうまでいくと、昼でも暗かった。ぼくらはそこを秘密基地にしていた。
 建具屋の一郎ちゃん。洗濯屋のタダシちゃん。とび職の和やん。それに集団疎開の太田君たちもいた。ぼくの家はロープ屋。麻縄を作っていた。ぼくらは家からいろいろなものをもちよった。一郎ちゃんは建具に使う板をもってきた。基地の入り口が人目にふれないように板で扉をつくった。その板に泥をなすりつけた。ほかのものがきても横穴の土壁にしか見えないように工夫したのだ。ぼくらはいつも、その壕の最深部に作った基地で遊ぶのだった。ぼくはその日まだ完成していないドブロクを一升瓶につめて持参した。
 食糧難の時代だった。食べ物がない。飢えの悲しさ、苦しさ、とりわけ飢え死にするかもしれないという不安。食べられるものだったらなんでも口にした。絵の具まで食べた。白い絵の具が一番おしかった。学校帰りに麦の穂を摘んで食べて農家の人に追われた。ぼくの家はありがたいことに、風船爆弾を吊るす細引きを軍に納めていたので、特別配給品があった。飢えるようなことはなかったが、友だちとおなじようなことをしていた。そうでもしないと、仲間はずれにされてしまう。
「正ちゃん、このドブロクおいしいよ。初めてこんなおいしいもの飲んだよ」
「とうきょうにも無かったんけ?  そんなにうまいんならぼくの分も飲みなよ」
 ぼくは大田君にぼくの茶碗のドブロクを空けてやった。ぼくはドブロクがお酒で、飲めば酔うということを知っていた。座繰り式のロープ職人は、月に二度くらいはドブロクを飲ませないと働かなくなる。酔うと、ぼくには意味のわからない、猥褻な歌を大声で喚き散らした。
ぼくらは酒盛りをした。ぼくは、麹を団子のようにまるめて持ってきていた。ただ疎開の子に麹を見せたかっただけだ。でも、それを口にしたものがいた。太田君も「けっこううまいね」といって食べてしまった。ぼくは食べるふりをしただけだった。ぼくにはおいしくはなかった。むあっとした、カビ臭いにおいが口の中に広がって飲み込むことができなかった。そっと手に吐き出した。後ろ手に背後の土の上に置いた。
「見よ東海の空明けて」
 一郎ちゃんが歌いだした。みんな酔ってしまった。ぼくらの歌声は横穴の中にひびき薄闇にこだました。それはまるでだれか他にいるように反響した。
「父よあなたは強かった」
 ぼくらは、軍歌を斉唱しながら壕から出た。規律正しく二列横隊の行列をつくり歩き出した。ともかく、はじめてお酒を飲んだので酔っていた。酔っているということすら分かっていなかった。楽しかった。楽しくて、舞い上がるような気分で住宅街に練りこんだ。
 一郎ちゃんの家の前に大勢の人だかりがしていた。
「南京芝居だ。建具やの美代ちゃんが、南京芝居しちまった」 
 美代ちゃんというのは、一郎ちゃんのお母さんだ。
 ぼくは大人の脇から開け放たれた一間だけの家をのぞきこんだ。鴨居から綱が吊るされていた。綱を首に巻いて人がぶら下がっていた。風もないのにかすかに揺れていた。そのロープはぼくが一郎ちゃんにあげたものだった。父ちゃんが問屋に建具届けに行く時、大八車で使う綱がふるくなっちまったんだ。そう言われてあげたばかりの真新しいロープだった。路地のむこうから、がらがらと車の轍の音が聞こえできた。大八車の梶棒のところに、古びたロープが束ねて下げられていた。ああまだ倹約して古いのを使っているのだ。およそその場の雰囲気とは場違いなことをぼくは考えていた。
 この騒ぎがあったので、ほくらの酔っ払い行進は、誰にも見とがめられなかった。気づかれなかった。
 その夜は、ピカドン騒ぎはどこかにふっとんでしまった。確かに操り人形のようだった。南京芝居のようだった。ロープからぶらさがって揺れていた。
 いたずらされたんだべゃ。だれがやっただ。学校に駐屯している兵隊だんべか。若さもてあましてっからな。
 馬鹿、兵隊さんのことにしたら、ころされっぞ。そんなこと口に出したらだめだべな。めったなこと、言っちゃいけねえぞ。
 ぼくの周囲の大人たちの会話は、いつになく難解なものになっていた。なにを話しているのか、いたずらなんて意味はとくに判りにくかった。そして、悲しみはそれだけではすまなかった。一郎ちゃんが家出したのだ。こんども、大人たちはひそひそと噂していた。ぼくの耳に入ってくるのは、一郎ちゃんが母親にいたずらした犯人の顔を見ているのでないか。ということだった。そんなことはない。だってあんなにたのしそうにぼくらと基地で遊んでいたのだ。不安があれば態度に出ていたはずだ。
 三日たっても一郎ちゃんは行方不明のままだった。ぼくは知らなかったのだが、この間にピカドンを避けるにはもっと深い横穴壕を掘らなければならない、ということが町内会で決められた。

 ぼくは、お巡りさんに呼びに来られた。サーベルのガチャガチャいう音を恐れながらついていくと、ぼくらの秘密基地に導かれた。そこには正ちゃんも和ちゃんも疎開児童もすで集まっていた。
もちろん、町内会の大人たちも、父もいた。
 ぼくは、おずおずと基地の中に入った。異臭が鼻をついた。
 淡黄色のカビが人型に盛り上がっていた。
 鱗のようなカビで覆われた人型。
「なんだべ。どうしてこんなになにったんだ」
 口ぐちに大人たちは囁き合っていた。
 ぼくには、それがぼくらが食べ残した麹が増殖したものだと解った。
 そして黄色の鱗を剥がせば、一郎ちゃんがいることも……。
 だってここは、ぼくらだけの秘密基地なのだから。


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5 蠅   麻屋与志夫

2022-12-10 04:58:18 | 超短編小説
5 蠅  
 戦争が末期をむかえようとしていた。
 その切迫した空気は、幼いぼくらにはとうてい予感することはできなかった。
 昭和二十年の夏、軍隊の駐屯していたぼくらの国民学校では、ようやくそれでも空虚な日々がその傷口をひろげはじめていた。

 どうしたことか、その日は運転手がキーをぬくのを忘れ、ぼくがアクセルをふみこむと、校庭に置き去りにされていた軍用トラックは筋肉のにぶいこすれあう音をたて不意にめざめた犀のように巨体をゆすって動きだした。
 予期しなかった始動にぼくはすっかり動転し、にぎりしめた黒い魔法の輪、ハンドルから手をはなすことができなくなっていた。
 フロントウインドにきりとられた光景……空ドラムやぼろ布の山積された校庭のそれは、この瞬間からいままでのぼくらの楽しい遊戯の広場とは異なった局面をみせはじめた。
 空ドラム。重油のしみこんだまだら模様の古材。
 すっかり原型をとどめていない軍靴や軍手、軍足、雑のう、そして焼却されるのをまつぼろ布の山。
 みひらかれた瞳の中へ収斂してくる風景のなかの品々には、もはや子供の領分における遊戯のための玩具としての属性はうしなわれていた。
 それらかずかずの物体はむしろ障害物、あるいは険悪な異次元からやってきた怪獣のようにさえみえるのだった。
 怖れのため叫び声をあげるべきであったろうが、なぜかぼくにはそれがはずかしいことのようで、どうしてもできなかった。
 極端なこの羞恥がどこからやってくるのかぼくにはまるでわかっていなかった。
 トラックはのろのろと、それでも八月の陽光と、樹木の影、廃物の累積の峡間をぬって砂ほこりをまきあげながら走りつづけていた。
 
 ブレーキをかけるすべをしらなかった。
 もしその技術をしっていたとしても、ぼくはブレーキをかける操作はしなかったろう。
 動きだしたトラックはガソリンの最後の一滴まで疾走しなければ、というような理屈になぜかそのころぼくはとらわれていた。
 それは……特攻隊機が確実な死むかって飛翔していくように、ぼくらも少年航空兵に応募してやがて死に直面するはずである未来がまっているという一種凛烈な感覚にささえられた日常を送っていたためだろう。
 
 最後まで死をかけてやりぬくといった散華の思考にとらわれていたといえば誇張になるだろうか?

 ……ともあれ、ぼくはようやく動かすはことのできたトラックを停止させようとはしなかまった。
 ビー玉でも道路にうえこまれているのだろうか、きらきらした、さすような鋭い光がぼくの眼をとらえる。
 群葉の緑は夏の午後の猛だけしい光にそりかえり、それでもしたたる緑の滴のあつまりのように道の両側にあるのだった。
 
 手の中ににぎりしめれば濃緑色のねとねとした汁をぼくはつくりだすことができる。
 鼻孔に緑の匂いが充満する。
 それはぼくのすきな夏の芳香。
 かぎりなき自然の生命力を謳歌するかぐわしい香りが未発育なぼくの肢体を鼓舞する。
 ――セクシャルな粘液としての緑の滴。
 しかし、ぼくは自然の情感にのみひたっているわけにはいかなかった。
 戦場ではすでに敗色濃厚な日夜を兵士たちがそれでも抗戦と玉砕の陰惨なつみかさねによって過ごしていたが、ぼくら幼いものたちは、汎神論的色彩によってしか戦争というものをとらえることはできなかった。
 鉛の兵士たちを狙撃してたおす遊びの中の死と、現実におこなわれている戦域での死はまったく等価であった。   

 つまりぼくらはまったくのところ子供だったのだ。
 しかしぼくらの周囲でもようやく余計者や廃物である品々が凶器にかわるような変容がはじまりかけていたのだ。
 運転席は極度の緊張のためぼくの身体からながれだした汗でぬめぬめしだした。
 ぼくはとまってはけない。
 
 それ右折だ……あ……正面に敵兵いる。
 それ、警笛の機銃掃射をあびせるんだ。
 えい、ちくしょう、これでもか……。

 ぼくは独白をつづけ、その想像の敵にむけられた独白の鮮烈さのために一層興奮し、陽にあぶられた大地にくっきりとあざやかな車輪の跡をのこし英雄になった快楽に酔っていた。
 快楽は永遠につづきそうに思えたが、不意にあらわれた人影によってはかなくも中断されてしまった。
 男は車と平行に走っていたが、やがて運転席の扉に敏捷に飛びつく。ぼくの隣りへすべりこんできた。
 学校の裏側の湿地帯に居住している朝鮮人の青年に違いない。
 
 かわってやるからどいてろ。
 子供の領分への侵入者は異臭を口もとからただよわせていた。
 
 どうするのさ。
 逃げるんだ。
 逃げる。どこへ?
 わかるものか。

 化石した表情のまま彼はいった。
 トラックはすばらしいスピードで夏の埃と影と光の舗道を走りだしていた。
 きりさかれた風景が両側へ流れる。
 彼の蒼白に冴えた顔をみていると、その緊迫感が座席の動揺とあいまって、ぼくにもつたわってきた。
 樹液のように恐怖が体内にはいりこんできてぼくは顔まで青ざめるのがわかった。
 寒いわけではなかったが、軽い身震いが身体をおおった。
 
 彼の行動には、ぼくの容喙を拒否する、冷酷で堅牢なよろいで武装されている感じがあった。
 怖れのためとぎれとぎれにぼくは彼に問いかけた。
 沈黙の重みにとうてい耐えられそうにもなかったから。

 どこまでいくの?
 
 ぼくは自分のおちこんだ事態をよりよく理解しようとするのだった。
 言葉はただ、運転台のある狭い空間にこだまする。
 
 青蠅が足もとのほの暗い部分でちいさなうなり声をあげていた。
 そのうちの数匹が彼の胸のあたりのいまはすでに退色してもとの色がすっかりわからなくなっている(たぶん黄緑色の作業衣だったろう)にとまった。
 じっとして彼の体臭でもかいでいるように動かなくなる。
 いたずらに言葉を消耗させるだけの……言葉のむなしい散乱にあきて、ぼくは彼の胸の蠅の動きに視線をおとす。
 
 やがて一匹の蠅が群れを離れ(いつのまにか、蠅はきゅうげきにその数を増しているのだった)フロントウインドにとまる。
 蠅が移行したグラスの表面になにかわからないが、跡、あるいはかぼそい点線が捺印される。
 フロントウインドの中の世界では樹木とあらゆる角、あらゆる面は夏の光をあびてきらきら輝いていた。
 舗道がつき、密集した家並が消え砂利道になりふたたび舗道がはじまった。
 しかし道の外の世界には建造物はない。
 緑にもえたつ樹木だけがある。

 いくさおわるね。
 ニホン負けだよ。
 彼がつるされた鶏の声でいう。
 
 いくさおわるよ。
 うそだい。
 後頭部をふいになぐりつけられたような衝撃にぼくは<ウソだい>とはげしく否定する。
 そんなことがあってたまるものか。
 
 ウソなもんか。
 もうじきわかるさ。
 どのくらいまてばいいの?
 もうじきだ。
 そのときがくればおれたちも解放されるんだ。
 カイホウ?
 自由になれるってことさ。
 ジユウってどういう意味なの? 
 自由の魅力。
 自由の定義。
 自由のイメージ。
 自由という言葉をぼくはそのときはじめて耳にした。
 ぼくの語彙には自由という言葉はなかった。
 ね、自由ってどういうこと。
 
 そのあとで朝鮮人の青年がどういう解釈をぼくにふきこんだか、すでにぼくは忘却している。
 かえりたいよ。
 しばらくしてぼくはいった。
 もどるわけにいかない。
 彼はふたたび暴力的にいった。
 ぼくかえりたいな。
 もどりたいよ。
 ぼくがかえらなければみんなが心配するよ。
 心配させておくさ。
 止めてよ。
 いますこしまて。                              
 いつまでまてばいいの?
 ともかくまてよ。
 まっていれば、帰してくれるの?                          
 ああ、そうだ。
 まっていれば、そのうち、おれがいいとおもう場所にきたら止めてやる
からな。
 それまでまつんだ。
 
 ぼくは、またなければならないだろう。
 いつまでまてばいいというのだ。
 トラックは斜陽のなかへつっこむように、草原にのびた道をすばらしい速度感と充実したエンジンの轟音をひびかせて走っていた。
 ぼくは黒いハンドルをにぎる男のひからびてごつごつした魁偉な指をみつめながら、不思議と恐怖のうすらぐのを覚えた。
 ぼくはまたなければならないだろう。
 なにを……またなければならないというのか?
 草原のはてに駅がみえはじめていた。
 彼はあそこからぼくを送りかえしてくれる気なのだろうか。
 ハンドルに上半身をかぶせ、彼は低く口笛を吹きだしていた。
 しかしそれがとぎれとぎれになり彼はますますふかくハンドルのうえにかぶさり無数の蠅がその顔にまで群がっていた。
 やがて彼は蠅に全身をおおわれ、黒くうごめく蠅のレースにつつみこまれてしまう。
 トラックは、それでもなお執拗に彼の意思をのせて草原の彼方の駅へと走りつづけていた。
 ようやく窓からふきこむ夏の埃と草いきれにまじって、ぼくのかたわらに血の匂いをかぐことができた。
 彼はすっかり蠅のなかに埋葬されていた。
 ぼくは光暈の中の駅が遠ざかってしまうようないらだちにおそわれていた。



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4 ロープ 麻屋与志夫

2022-12-09 09:32:46 | 超短編小説
4  ロープ  
幼い知覚のなかでぼくらがそだてあげた幻影の群にあって、ひときわ神秘的で残酷な光景にいろどられている、木立の葉ごもりで朝鮮人部落のひとびとが屠殺する牛。
幻影におびやかされたあげく、ぼくらはそれを実在の空間でたしかめようとしていた。

――すでに犠牲となったものたちの白骨が累々とちらばっている森への冒険にでかけよう。
その信憑性を確認しようとしてN建設所有の材木置場にひそかにつくりあげた<そうくつ>に集合したその夜になって、部落のの若者が流言蜚語、ひとびとの戦争への確固たる勝利の信念をゆさぶるような攪乱的活動をして憲兵に射殺されたことが知らされた。

だが、彼は即死ではなかった。ぼくに医学の知識があれば、あるいは彼が傷ついていることをもっとはやく察知できていれば……彼は死ななくて済んだかもしれない。

その事件の後なので、ぼくらの夜の計画に対する意見は二つにわかれてしまった。

計画実施を固執するものと、さきに延ばそうというもの。
予期しなかった出来事のため、ぼくらが時間どおりに出発できなくなってしまったことは、否むすべもなかった。

それでも目前にちらつく巨大な牛であった白骨の造形する形状を想定する。
あるいは不断の崩壊へと転落していく瞬間の崖で――いままさに殺されようとする牛が月にむかってほえる絶叫が、ぼくの病む耳にひびきわたる。

戦争には負ける。
食糧がもうない。
テッちゃんの父ちゃんが玉砕した。
などという流言蜚語に病む耳をもつぼくは、どうしても出発しようと、延期には反対者としての位置をゆずろうとはしないものたちのなかにいた。

部落の若者が射殺されるような事件の突発したあとではたぶん、牛を殺す祭儀も、とりおこなわれることはないだろうというのが、出発を逡巡するものたちおおかたの意見だった。

強制立退をいいわたされた家々の柱なのだろうか、落書きがしてあつたり、刃物の上痕のある光沢をおびた古材の上に腰をおろしていたぼくらの〈上官〉が柄にもなく、互いに対立している言葉のゆがみの沼に鉛測を垂れ測定でもするような顔をしていたが、別個の考えを披瀝する。
彼が上官の地位を獲得することができたのは、ぼくらのなかにあつて、まさしく申し分のない円筒状の男根をもち、未開人のようになんの恥じらいもなくそれを勃起させる特技と、あまつさえ、白濁した精液を上空をいくB29にむかって発射させる勇気をもちあわせていたからだった。

国民学校に駐屯している兵士たちが夜になると二階の廊下に一列横隊に並ばされ、下士官がスリッパの裏側でなぐるという情報を彼は聞き込んできたのだ。

どうしてだ。
どうしてなんだ。

黒々と窓ガラスに映った兵士たちの上半身が強打をあびてゆらぐさまを、兵士の顔をよぎる怖れをすでに眼交にしている錯覚にとらわれてぼくは聞き返していた。

理由なんかあるもんか。
それはどうでもいいことなんだ。
あいつら、下級の兵士をしごくことが習慣になっているんだ。
要するに、夜ごとにスリッパの連打を彼らにあびせる。
軍人精神をたたきこむ。
それで充分すぎるくらいな理由になるんだ。

ただひとりの中学生である彼は教練の時間にでも学んだにちがいない指導者的観念について説明する。
ぼくらは上官にしたがうことを余儀なくされた。
ぼくらの予定は不意に変更されることになる。
中庭にある温室のかたわらの灌木類の茂みに潜んでぼくらは陰湿な遊戯のためにすでに甘酢っぱい唾液をなんども飲みこんでいた。
みんなが身体をひきしめているのが感じられる。
閉ざされた窓には、ときおり、黒く巨大な影があらわれる。
その大きさは、光の屈折のためとわかっていたが、ぼくらは怖れのために震えていた。

はじまるぜ。
いまにはじまるぜ。

実証主義者であるぼくらの上官は、彼のいったことが証明されるときを待つあいだも、そう独白しつづけた。
彼はぼくの脇にいた。
周囲はすでに暗くなっていた。
凝視しても彼の表情はよくはみえなかつた。
ぼくの胸のあたりにふれている彼の腕がかすかに律動していた。
怖くて震えているのだろうか?
ぼくのところからだと二階の窓は温室の屋根にさえぎられてよくみえなかた。
窓をみあげた姿勢で、あらゆる筋肉組織をひそやかにはたらかす。
目撃者としてすこしでも有利な場所へとぼくは移動した。
この移転でぼくは温室の扉――透明ガラスをとおしてそのなかを見ることになった。
内部には温度調節のための小さな裸電球が等間隔を置いて天井からさがっていた。
それらかずかずの光の陰影の片隅になにかうごめくものがあった。
ぼくらがひそむ暗がりでは上官と友だちが、やがてはじまるはずのスリッパの一撃をうける兵士を彼らの内部に思い描いていた。
血だらけの兵士の頬を想像してさらに彼らは前進した。
しかしこのとき、温室でかすかにひとの気配がした。
そこでぼくは貪欲な好奇心にかられて地面を匍匐した。
ぼくはすでに窓をみあげてはいなかった。

だれかがいる。
だれであるかはわからないが、ガラスで密閉された温室にだれかいる。
観葉植物の時代ではなかった。
温室ではトマトゃキュウリといった野菜が栽培されていた。
棚の下に藁が敷いてあり、ぼくはその藁のなかにみた。
人間の腹部らしいものを。
それはなめらかで明かりのためか淡青色にみえた。
人間としてはみることはできなかった。
淡くなんめりとした腹部に多毛な腕がのびて、なでまわす。
下腹部。
胸の隆起。
腰。
背中。
うなじ。
人間狩だ。
だれかが人間を獲物にして狩猟をしいてるのだ。
このときになって、ぼくはからみあう二個の物体をはっきりとみとめることができた。
男は体操教師のHで、彼の肩ごしに顔をゆがめ、髪をふりみだして狂女のようにうごめいているのは集団疎開につきそってきた音楽を教えるYだった。
あんなことをしている。
あんなことをしている。
目前で公開された、はじめてみる性交のうごめき。
もっとも人間臭い儀式にぼくは立ち会わされて眩暈をおぼえた。
音楽の女教師が矮小で醜いYにおさえつけられている。
彼女の両手は彼の背を両側からささえていた。
両腕は櫂のひとかきでもするかのように動いていた。
でも、ぼくにはその動きは彼を拒んでいるように感じらけれた。
ぼくは動けなくなってしまった。
びしっという音が頭上でした。
ぼくのところからは死角になって窓はみることができない。
音はくりかえしてきこえた。
スリッパで兵士がたたかれているのだ。
上官がいつのまにか、ぼくのかたわらにいた。
彼も温室のなかの異常に気づいていたのだ。
窓をみあげていたもののなかで、怖れの叫びをあげたものがいた。
逃げろ。
上官がぼくの耳もとで囁いた。
逃げるんだ。
温室の明かりが消えた。
怖い。
怖い。
まただれか叫んでいる。
灌木の茂みに沿って、校舎のつくった影の領域をきらめく閃光のすばやさで逃亡した。
校舎の角を曲がるとき、ぼくはふりかえった。
二階の窓が開かれ兵士たちがぼくらに叫びかけていた。

夢をみた。
夢のなかでは音楽教師のYは人魚になってあらわれた。
ぬめぬめした彼女にまといつかれるのをさけるためぼくは家畜がされ白骨が散乱している森へ逃げ込んだ。
いくら人を呼んでもだれもたすけにはきてれなかった。
ぼくは人魚に殺されるはずはなかった。
彼女はぼくを恨めしそうな目でみつめた。
二つの目は海藻色をして深い情感をたたえていた。
彼女に導かれていく空間は、未知の愉楽の海につきでた岩の上、そこに横たわるのが怖かった。
彼女はYに犯されていたのだ。
それを助けようとしなかったぼくらを恨んでいる。
ぼくは岩の上で人魚に殺されると思った。

目覚めたときそうした夢のため、汗をかいていた。
ながした汗は夢のなかでのおののきのためであったが、現実性をおびた恐怖はおもいがけない方角からやってきた。
学生服につけた名札がないのだ。
昨夜、灌木の茂みを逃げるとき、もぎれたにちがいない。
道におとしたのならいいのだが。
名札のとれたあとの布地の空白が恐ろしかった。
どうしたらいいのだ。
体操教師のあいつにでもひろわれたらどうしょう。
Hに体刑をくわえられている光景を想像する。
殺されるかもしれない。
いやきっと殺される。

いつであったか、奉安殿に礼拝するのを忘れた朝、ふいにあらわれた彼は(まるでそれまでぼくの背中にへばりついてぼくを監視していたみたいだった)ぼくのほほをなぐりつけた。
やけた鉄板をおしつけられたような痛みがあった。
彼の手形をおされたようなみみずばれとなった。
三週間もひかなかった。
あいつは獣に対する調教師のようにぼくらをなぐる。
そのなぐりかたがあまりに苛烈なのですくみあがってしまう。
竹の笞で生徒をなぐりつけているうちに、笞が茶筅のように細く割れてしまったことがあった。
家に帰ってからそのことをぼくらは話すことができない。
そのことが、彼に知られるといっそう強暴な体刑がまちうけているからだ。
彼はぼくらを<しごく>ことに快楽をみいだしている。
笞をふりあげるときの彼の顔は愉楽にみちている。

あるとき、ぼくらは校庭の西の隅にある便所の掃除をしていた。
女の子たちは真剣にやっていた。
敵国の言葉は勉強する必要がないので不要となった英和辞典の薄くて上質な紙で捲いた乾燥イタドリの葉を、ぼくらはたばこのようにすっていた。
便所の裏側だった。
汚水栓の上に車座になっていた。
黄昏てきた微光のなかで汚水栓が鉄製であることにあらためて気づいたものがいた。
これらの円盤の栓もそのうち弾丸になって、鬼畜米英の兵士たちのどてっぱらにくいこむだろうなどと、和やかに話し合っていた。
敵兵の軟弱さを神かけて疑わない季節のなかにぼくらは生きていた。
たぶん、ぼくがいいだしたのではないかと思うが、Hのことが話題になった。

たしかだよ。
まちがいないったら。
いつだったか、あいつが御殿山公園を女とあるいているのみちゃったんだから。
ぼくはやせっぽちで、体操教師の発達した上半身の筋肉には劣等感を覚えていた。
彼はよくぼくをその肉体的劣勢のため、揶揄したり、いびつたりする。
そういう彼も脚は短く少し背も曲がっているので、全体的には矮小で醜かった。
体操の時間は憂鬱だった。
鉄棒にぶら下がったままで懸垂のできないぼくは、マグロのようだといわれ、なぐられる。
跳び箱がとびこせず、戦場行軍ではいつも最後尾だといってなぐられる。

そんなわけで報復の意味もふくめて、彼の噂をするのはたのしかった。
あいつは、長髪を切らずにぎとぎと銀だし油をつけているだろう。
胸のポケットには赤いハンカチなんかいれちゃってさ。
それで鼻かむから、いつも赤ッパナなんだ。
ああいうやつは、あれするのがとつてもすきなんだ。
ぼくはイタドリたばこをうけとってすいだしていた。
ぼくの提供した話にすっかり同級生が圧倒されていた。
しかしこのときもHは、まるで密告をうけてかけつけた憲兵のようにとつぜんぼくの視野いっぱいにあらわれた。ぼくはよりよくHの実像を認識するまえに草の上になげだされて意識をうしなっていた。
ぼくがなくした名札はHが拾ったにちがいない。
今度こそぼくはあいつに殺される。
そう確信していた。
ぼくは殺されるだろうということに固執した結果、翌朝になっても登校することができなかった。
ぼくは岩山へとつづくされた家畜の骨が累積されているという森のなかの小径を逍遥していた。
汗ばみながら歩きつづけていた。
すると、道のむこうから背骨が曲がった農夫が大地をなめるような姿勢のまま走ってきた。
ぼくの姿をみても農夫は声をかけてはこなかった。

道がきゆうに暗い森におちこむ。

その森のなかでもひときわ鋭く天にむかつて立つケヤキの梢に女教師が、獲物をとらえるために装填された罠に不用意にもかかってしまったという姿でロープのさきに揺らいでいた。

すっかり物体となったYはロープのさきで振り子のように揺らいでいた。

振り子が停止するまでには、まだ時間があるはずだった。

●昨日は開戦記念日でした。戦時中のことを思い、旧作を再録してみました。


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3 空の珊瑚 麻屋与志夫

2022-12-08 21:15:50 | 超短編小説
3 空の珊瑚 

 ふいにやってきた雷雨のため――北関東特有の雷は空のはてで光った一条の稲妻とともにおそってくるのだが、ぼくらの戦場行軍は最悪の事態に遭遇していた。
 のぼりつめた山の尾根で暗雲をきりさく光をみたとき体操教師のHはぼくらを避難させるべきだった。山腹に穿たれた軍用物資隠蔽庫をかねた横穴壕にどうにか逃げこむことができたはずだ。
 Hの髪はポマードでぎとぎとしていた。銀だし油付けているとぼくらはいっていた。そのべったりと頭皮にへばりついている髪を中央から櫛目がわかるほど丁寧にわけていた。
 刃物でそぎおとしたようなほほと分厚い唇に一瞬あらわれて消えた加虐的な微笑をぼくは見逃すわけにはいかなかった。昼間の光の中にいるのに、覚醒した時なのに、ぼくは悪夢をみているような恐怖を感じた。あのことを目撃しているために、……ぼくはHから危害をくわえられるのではないかと怖れつづけている。
 行軍の隊列は、はるか眼下に淡紅色の羊羹をならべたようにみえる校舎と、横穴壕との中間地帯にさしかかっていた。寒さと喉の渇きのためともすれば停滞する蛇行の群を叱咤する教師の声だけが雨の中にむなしくひびいていた。
 さらさらに乾いて顆粒状をした土は、水をすいこんだ海綿のようにぼってりとし、茶褐色に変容する。素足の下で固まり、大地そのものが足下で岩壁にでもなってしまったような錯覚、あるいはタイムマシンで未知の領域にやってきたような……翼竜の時代に素足で地面を踏みしめた原始人のような感触を、その硬化した大地からうける。それは喜びをぼくらにあたえた。ぼくらはただもくもくと歩きつづけていた。
 歩行者の踏みこむ重量をささえきれずくずれる土壌をぼくは、忌みきらった。粉末となり……ぼくらを脚もとからすいこむような土はいやだった。
 大地は鋼鉄の硬度、けっして他者に侵されることのない強靭さをそなえているものと信頼しきっていたから、ぼくは乾いて侵されやすい黄土に足跡をのこすにはある種の嫌悪感と不安な予感をもってしまうのだった。
 雨は強くなった。
 雷鳴はとどろき、下界は色彩を喪失していた。罠から遁れる獣のようにただひたすらぼくは歩きつづける。懸命に歩いているのに、ぼくはかなり遅れていた。視野はせばまり雨音だけが聞こえた。雨によって隔絶されてはいたがかすかに友だちたちが前方を進む気配が感じられ、ぼくはそれをたよりに歩いた。ぼくはついに不安に耐えきれず彼らに声をかけた。山と丘陵を越え、雑木林をぬけ、河にかかった橋を渡って学校へもどるまでの四キロにあまる全行程において、ぼくらは沈黙をしいられていた。叫び声をあげた瞬間……Hが不正行為の審判者となってぼくの眼交に立っていた。それは、彼がまるで影のようにいままでぼくの背中にへばりついていたみたいな幻惑、悪魔の目で監視されていたのだといった恐怖をともなっての出現であった。
 ほほにかなりはげしい衝撃があった。
 Hの影を、きらめく巨大な珊瑚にも似た稲妻が照らした。黒々とうかびあがった彼の影はしかしぼくの視線のさきで消滅した。……ぼくはほほにうけた衝撃よりはるかに大きな……地割れのような、大地の揺れる感覚を全身の筋肉に採集したまま斜面を転落した。
 ぼくはアメーバに還って海をただよっている。海というものをそれまでに眺めた記憶はなかったが、失神の瞬間に空に光った稲妻を巨大な珊瑚とおもったように、海は空が反転したようなものだとおもった。ただよいつづけていた。ぼくの体はなかった。鼓動だけがただよいつづけるぼくのものであるようだった。いやそれは、波濤が渚で崩れる音だ。海辺で叫んでいる声があり(Hの声らしかった)、ぼくは接岸を希求していたにもかかわらず、沖へと流されているようだった。水平線に、マネキン人形のように硬直して、しかし艶やかさをおびた音楽教師のYが海面から腕だけだし、その腕が淫靡なさそいこむような動きで、ぼくを招いているのだった。
 伝声管をみみもとにおしとつけられているのだろうか。体操教師のHの冷酷な声が増幅されてひびく。その追いかけてくる声からも逃れなければならない。彼の声にはあきらかな殺意があり、その声が無数の鋭くきらめく短剣となってぼくに迫ってきたから。
 トラックの古タイヤが漂流していた。映像をともなわないHの、声だけの追跡からのがれるため、ぼくはタイヤにしがみつき、両腕に力をこめ……かきあがろうとする。タイヤの中央は勿論、円形の空洞になっていたが、ようやくのことではいあがったぼくが覗きこむと、その空洞はどうしたことか、海底まで通路のようにつづいていた。通路は遠近法を無視して、底にいくほどたしかな広がりをみせていた。その底辺に見覚えのある朝鮮人の青年が仰臥しているのだった。どうやらそれは、あのトラックを運転した男らしかったが、はっきりしなかった。彼は死者には似つかわしくない逞しい腕をぼくにむけだきしめようとするような招き方をしている。――だがぼくは恐怖の叫び声で現実の空間に横たわっている自分の体をとりもどすことができたのだった。
 雨は降りつづいていた。ぼくが意識をとりもどすまでにどれほどの時間の経過があったというのか。雷雨のながりのごくまばらな降りかただった。群葉の先端からしたたる滴のような降りかただった。
 ぼくは、木の茂みをわけ、級友たちのいる尾根に登るため、路のない路を探し、どうにか、Hの残忍な制裁をあまんじてうけいれなければならなかった地点にたちもどることができた。
 しかし――矮小で臆病者のぼくを、尾根から突き落したHの率いる勇壮な少国民である級友たちの誇りある戦場行軍の列は乱れていた。肉体鍛練の領域はみるも無惨な死者たちのよこたわる黄泉の国となっていた。
 うめく声。苦痛にゆがんだ顔。変色した皮膚。噛みつくような歯ぎしり。どうしたんだ。なにがあったのだ。空襲だ。きっと、鬼畜米英の空軍が爆弾を落としたのだ。しかし、飛行機の影もなく、しだいに空は明るくなる。ぼくが級友たちの方に近寄っていくと災禍をまぬがれたものたちが、茫然自失といった、まだ自分たちが焼け焦げることもなく生きているという恩恵にひたる喜びをしらぬげにたちつくしていた。渦を巻きながら遠ざかる雷雲を背景にして、彼らは、黒く朽ち果てた杭の羅列、あるいは倒木のようにみえた。
 ぼくが、さらに対象をよりよく見定めようと前かがみになると、集団疎開の奥村が、鏡の中を覗きこむような眼差しでぼくを見つめてきた。
 マグロ、おまえ、無事だったのか?
Hによってつけられたあだ名で呼びかけられ、ぼくは小石をたたきつけられたように、こころが砕けるのを感じた。しかしぼくは応じないわけにはいかない。
 ああ、崖の下に落ちていたんだ。
 それでたすかったんだ。落雷があった。おまえのいた後のほうのものはみんな雷に打たれた。いまHが学校へ急報するために走って行った。
 奥村の指さす方角、はるか山裾の、ようやく陽のてりだした道を、まだ暗く陰っている部分にある校舎めざしてHがあやつり人形のようにぎくしゃくした動作で遠ざかっていくのがみえた。
 あいつ、まるで逃げていくみたいだ。おれたちを置きざりにして逃げていくみたいだ。そういってしまうと、いままであれほど怖れていたHがけっしてぼくの死刑執行人ではなく、不潔で歪んだ欲望の権化、忌むべきただの男におもえてくるのだった。
 それからぼくはもう動かなかった。友だちの顔をひとりひとり確かめ、五人の級友がこの世界に肉体はまだ留まっているのに、魂はどこかはるか彼方、たとえば雷雲の去った晴天の空間を飛翔して二度ともどっとこない彼岸へ去っていったのだと悟った。
 だがしかし、ぼくは、彼らはけっして死ぬことはなく、ぼくがさきほど落ちこんだ海のような処を漂い、音樂教師のYや朝鮮人の青年と波にたわむれ、体をこすりあわせ、快楽の叫びをあげたりして生きつづけているのだ、という幻想にとらわれた。
 現実世界にもどれたぼくは、……Hの指の跡があざやかな小さな珊瑚の色と形をともなってほほに残り、それがいつになっても消えないのではないかという不安と戦いながら生きつづけなければならなかった。

再録です。



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2 青鬼の面

2022-12-03 18:48:50 | 超短編小説
2 青鬼の面
千手堂の向って左の漆喰の外壁に『青鬼』の面が掛けられていた。
頭からは金色の鋭くさきのとがった二本の角がはえている。
口は耳までさけて鋭い歯がはえていた。
とくに、上下二本ずつの歯が長く、牙のようだった。
見ているだけでも、鳥肌が立った。
恐怖のあまりぶつぶつが全身にあらわれるものもいる。
ぼくもヒロチャンも毎日遊びに来ているので、そんなことはなかった。
でも、こわいことは怖かった。
「この堂の周りを息もつかずに回ってきて、鬼を見上げると『赤鬼』に変わる」
「挑戦しよう」
ぼくはすぐに応えた。
後生車のかわりに新しい遊びをみつけだした。
ヒロチャンが走りだしていた。
ぼくは青い面を見上げて、待った。
なかなかヒロチャンはもどってこない。
ぼくは心配になって逆まわりで走りだした。
ヒロチャンは鰐口の緒にすがって肩で息をしていた。
「だめだよ。とても息がつづかないや」
「ショウチャン。やってみて」
 彼にできないことが、運動音痴のぼくにできるわけがない。
「やって。やって」
励まされてぼく走りだした。
時計回りに走っている。
まず最初の角。
次の角は全体の四分の一の長さだ。
苦しくなってきた。
なんとか走る。苦しい。息が止まりそうだ。苦しい。
もうだめだ。よろけながらおおきく息を吸う。
三番目の角を曲がり切れなかった。
歩いて角をまがる。
ヒロチャンが到達した賽銭箱の前の鈴緒にはだいぶ距離があった。ヒロチャンが姿をあらわした。
「どうだ。きついだろう」
ぼくはまだ息切れがしてた。
すぐには応えられなかった。
ヒロチャンの背後では夕映えがはじまっていた。
西山の稜線に真っ赤な太陽がかかっていた。
日没にはまだなっていなかった。
銅鑼の緒までは五メートル。
それが彼とぼくとの体力の差をあらわしていた。
その差を縮めるためにぼくは努力しなければならない。
夕焼け空をカラスが森に帰っていった。
うらさびた鳴き声が聞こえてきた。
ぼくはいますこし堂の周りを走ってヒロチャンに追いつけるように訓練していくといってのこった。

ぼくはあまり走ったので喉が渇いた。
手水舎にいって柄杓で水をのんだ。竜の口からでている水はつめたくて美味しかった。ぼくは竜の眼にギョロリトにらまれた。
逢魔が時が近づいていた。
なんのてらいもなく、遊びこけていた千手堂の周辺の風景が禍々しいものにかわっていた。ゾッと鳥肌が立った。恐怖のぶつぶつはぼくの全身を冒し、ぼくは動けなくなっていた。
からだが震えだした。こんなことなら、ひとりでのこらなければよかった。
ぼくはよろよろと堂の方にもどった。堂の白壁が夕日をうけて光っていた。しだいに赤くなっていく。この時、閃いた。
あの斜陽の光がまともに鬼面にあたったら、どんな変化が起きるだろうか。
樹木の細い枝をすかして正に真っ赤な太陽の光が青鬼の面を直射した。
一瞬、目がなれるまでなにがおきたのかわからなかった。
青鬼の面は見えなかった。目がよくみえるようになった。壁にあるはずの青鬼の面は消えていた。
「なにを探している」
息がかかるほど、間近で声はする。
ぼくはふりかえった。誰もいない。おそるおそる視線を上に向ける。
そこには、誰もいない。ほっとした。
「なにを探している」声がする。さらに上に視線を向ける。
青鬼の面が宙に浮いている。
「おまえが探しているのは、これか」
一瞬青い面が血を噴き出した。それはまさに血だった。そして最後の一滴を口元から垂らすと、そこには赤鬼が立っていた。
真っ赤な斜陽の光を全身に浴びていた。大きい。屋根にとどきそうだった。
いや、屋根のぐしまでとどいている。
ぼくは恐怖のあまり腰がふらついて、その場にすわりこんでしまつた。
「なにか、おれがしてやれるとはないか」
ぼくは応えられなかった。
「斜陽を浴びた一瞬だけおれの顔が真っ赤に見える。そう思いついた賢いボウズ」
ぼくはその時、Hのことを思つてしまった。
鉄棒のうまい男で、大車輪ができた。懸垂も際限なくできた。
鉄棒にぶら下がったままのぼくを「マグロ、マグロ」と一番ののしっていた。かれは学年の英雄だった。

戦争がおわって鉄棒の授業はなくなっていた。
彼にそれを納得できないでいた。ぼくが巨大な赤鬼にであった翌日。

Hは大車輪に失敗した。大怪我をした。片足が不自由になってしまった。

だれも彼が大車輪をするのを見るものはいないのに。
彼はそれに気づいていなかったのだ。戦争は終わっているのに。
Hの帝国は滅びた。だれも彼の周りにはいなくなっていた。
まだ卒業式にはまがあった。彼は転校していった。
そのあとの彼の行方はわからない。


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