田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

食欲の秋、GGは減量に挑戦。 麻屋与志夫

2016-09-30 09:27:53 | ブログ
9月30日 Fri.

●離れの、おおきなホリゴタツのある部屋をあるいていた。
床がミシっときしんだ。
ミシミシと警告を発しているような音をたてた。

●たぶん、根太棒が白アリにくわれたか、湿気でくさったのかもしれない。
ともかく敗戦直後にウノさんに張ってもらった床だ。
当時は、新建材などもちろんなかった。
大工のウノさんが一枚一枚ヒノキの板に鉋をかけていたのを、いまでも覚えている。
東照宮の修理などに参加している宮大工。
歳を取ったのでぶらぶらしているのをオヤジがくどきおとした。
近所に住んでいなかったら、とても、わが家のような、あばら家の改築をしてもらえる大工さんではなかった。

●ギシッギシッ。
これはヤバイ。
床が落ちたらどうしょう。
体重の減量。
そのことが、すぐに脳裏にうかんだ。
85キロあった体重を二十年かけて74キロまで落とした。

●カミサンは39キロ。
床は悲鳴をあげない。
わたしも、72キロくらいまでスリムになりたいのだが。
食欲の秋。
どうなることやら。


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秋雨のなか餌もとめてさまよう臨月の母猫をおもう。 麻屋与志夫

2016-09-29 09:10:27 | ブログ
9月29日 Thu.
●ブラッキ―は宵ごしの餌はたべない。湿気をおびてやわらかくなった固形餌はたべることを拒絶する。臭いだけを嗅ぎ、フンといった態度でたちさる。その断固たる拒絶の態度はむしろ、すがすがしい。きらいなものは、きらい。絶対に妥協しない。

●しかたないから、外猫の餌皿にあけておく。裏庭においておくと、いつのまにか、きれいになくなっている。

●「ブラッキ―。おまえ、ゼイタクだよ。たべるモノがなければ、なんでも、がまんしてたべなければ生きていけないのだよ」戦時中の飢えを経験しているわたしの言葉だ。

●お腹のおおきなシルバーは来ていないようだ。この秋の長雨のなか、トボトボトと餌をもとめてさまよいあるいているのだろう。おなかを地面にひきずっているにちがいない。いや、もう、子猫が生まれたかな。

●猫はみょうにエンリョブカイところがある。もっとまめにくればいいのに――。

●秋雨降る裏庭のデッキから見上げる電柱にカラスが止まっていた。

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風雲急。粗大ゴミにされそうです。 麻屋与志夫

2016-09-25 11:15:46 | ブログ
9月25日 Sun.
●妻は整理整頓魔。ダンシャリダンコ実践派。
●わたしの座卓の上に雑然と書物がつみあげてあるのが気になっている。雑然となんでもんじゃないわよ。乱雑。もうメチャクチャ。あなたの頭のナカミを疑うわ。
●しかし、四畳半のホリゴタツのあるこの部屋は、わたしの聖域。彼女がこの部屋の事物に手を触れることをかたく断っている。
●「ねえ――」語尾を長くのばしてはなしかれられると危険信号、わたしのあたまのなかでアラームが鳴り響く。
●「いっかしょに、本を置けるようにすれば、便利よ。見たい本をすぐにさがしあてられる。本棚つくらない」
●からめてから、攻め込んできた。確かに、何万冊あるかわからない蔵書を一望できれば、たのしいだろうな。
●ぐらりと心がゆらいだ。
●危ない。あぶない。妻の口車にのせられて、教室の隅に本棚をつくることになると、じぶんたちで、作業をやらなければならないだろうから、その労力をおもっただけで――ゾウットスル。
●だいたい、金槌や鋸を手にしたことはない。家の中の棚は全部妻の作品だ。
●大工道具を手にしただけで気分がわるくなる。血圧があがる。
●「男じゃないわ」と妻は手厳しいことを言う。まったく、そのとおりだから、反論はできない。
●「ねえ――。いらなくなった黒板すてない」教材だって、生徒の成績表だって処分しましょう。
●本棚をつくるか、つくらないか。それがモンダイダ。おおいに悩んでいる。
●断捨離。あまりつれないそぶりをしていると、粗大ごみとして捨てられかねないから――。な。


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外猫シルバーが妊娠しています。 麻屋与志夫

2016-09-24 17:06:33 | ブログ
9月24日 Sat.

●裏庭に外猫シルバーがふらりとやってきた。
むかしから時折訪れてきたシルバーだとおもっていた。
どうやらその子どもらしい。
猫に訊いたところでへんじがもどってくるわけではない。
かってに、わたしたち夫婦がそうきめている。
そこで、呼びかけの言葉も「シルバー。おなかおおきいね」

●めざとく、妻がきづいた。
たしかにかなりおおきい。
よこにせりだしている。
まもなく、臨月? だろう。

●また、かわいそうなノラちゃんがふえるわね。
「シルバー。三毛猫を産んでよ。そうすれば、ひきとってあげる」
わたしはリリのことを想い、シルバーによびかけていた。

●シルバーは固形餌に削り節をかけてもらい、よろこんでむしゃむしゃ食べている。
デッキは雨でぬれている。
尻尾がぬれるのもかまわず食べつづけていた。

●間もなく、子猫をつれてやってくるだろう。
子猫はとうぜんノラネコとして生きていくことになる。
ノラネコの寿命は何年くらいなのだろう?

●雨風をほほにうけ、わたしはきょうも秋の感傷にふける。


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感傷の秋 麻屋与志夫 

2016-09-23 02:41:31 | ブログ
9月23日 Fri.

●いつでも秋は決定的であり、その季節が訪れれば、太陽の光はやわらぎ、木々は紅葉から落葉へと凋落の変化をたどることになる。日差しは、まだまだとでもいうように、ときおり残暑のきびしさを示して、夏への回帰をねがうような日もあるが、まちがいなく朝夕の涼風には、秋の気配が感じられる。

●わたしは、ホリゴタツにフトンを妻にかけてもらい、いよいよ少しは早めだが冬支度。ホリゴタツで執筆するのが、いちばん性に合っている。背筋があまりつかれないのだ。

●この態勢でパソコンを打つのが、文章をかくのが楽なのだ。ながいこと座業をしているので、背筋が弱い。背筋がつかれ、それで作品の量産ができないのだ。というのは、いいわけで、創造力がどこかで欠落しているのだろう。でも、背中が、背筋がダルクナリ、倦怠感にさいなまれるのは、事実だ。

●かくことが、楽しいから、いままでこうして、小説をかくことをつづけられた。

●愛猫、三毛猫のリリはもういない。老猫ブラッキ―とこうして深夜小説をかいていると、さびしいことばかり考えてしまうのは、わたし自身の老いのせいでもあるのだろうが――変革することのできない過去の出会い、別れをいくらくりかえし反芻しても、悔いが残る。あのとき、リリがあれほど外に遊びにいきたがったのだから、出してやればよかった。電気のコードを噛みちぎっても、怒らなければよかった。むりにスポイトで流動食をたべさせないで、自然にまかせ、リリの命の灯が消えていくのを見守ってやればよかつた。

●中津君ともつと頻繁に会い、彼の臨終のとき、側についていてやりたかった。野口君とはもういちどあいたかつた。彼が興した竹書房のビルの前まで訪ねて行ったが、敷居が高くてはいれなかった。悔やむことばかり、おおすぎる。そうしたことをこれからはあまり私小説的にならないように気をくばり、かいていきたい。どうしても、過去のことにばかりに意識がさまよう。

●過去は時系列からいえば、過去なのだが、わたしの脳裏では現在としてとどまっている。そして思い出すままに、そうした細々としたことを、微細な事件を――だがわたしの生き方に影響をおよぼしたことをかいていこうと思う。自伝をかくことになるだろうが、自伝をかいても恥ずかしくない年齢にじぶんがなっていることにはじめて気づいている。

●今日は彼岸の中日、秋分の日。庭では赤い彼岸花、曼珠沙華が咲いている。

●ベニマルに買い出し。帰りぎわに、入り口近くで、チクンと襟首が痛んだ。10センチもあるムカデがいた。おどろいた。痛みはあったが、以前ムカデに刺された時のようには、震えはこなかった。それにして、襟首をムカデにさされるなんて、なにものかの悪意を感じてしまう。

●雨模様。夕空には月は出ていなかった。

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シーラカンスのツブヤキ。 麻屋与志夫

2016-09-11 06:18:25 | ブログ
9月11日 Sun.
●板書をバカにするな。むかしは、教師になっても板書10年といった。ようするに黒板に正しい字を美しく白墨で書けるようになるには10年はかかる。ということだ。白墨とパソコンで打ちこもうとしたら、おかしな漢字が出た。正しく変換できなかった。もちろんチョークと書くべきなのだが、むかしは、とはじまった文章なので、白墨と打ちこんだ。

●むかしは、どの学校にも「書道会」の支部があって、熱心にその技を磨き、キレイな文字を書こうと、あるいは書芸術を極めようと競い合っていた。

●国語の先生は、俳句、短歌、詩、随筆、小説を書いていて、実作がともなった。現在、実技? のともなう国語の先生は何パーセントくらいいるのだろうか。体育、美術、音楽の先生は100パーセント実技をともなっている。

●文科省でも、これから記述式の入試問題に移行する見解をのべている。それはいいのだが、今現在、小中高で作文指導をしている時間をどのくらいとっているのだろうか。わたしのすむ町の学校ではどうなのだろうか。国語の勉強は識字教育――くらいにしか考えていないのではないだろうか。作文とか感想文を書かされたという話はツイゾ聞かなくなっなった。絵手紙を熱心に勉強している友だちがいる。退職してなにもすることがないので始ったらしい。先生から絵も字も上手く書く必要はない。と指導を受けているらしい。だから下手な字でいいのだと、クイサガラレタ。

●先生は稚拙であっても、素朴な味もいい。と、言った意味で「上手く書く必要はない」と、教えたのだろう。精進することによって、進歩の跡が見えてくるのが「習い事」の楽しさだ、とわたしは思っている。

●スマホのゲーム。SNS。動画サイト。考える必要はない。言葉を口にしたり、文章の勉強をする必要も感じない。

●そうした社会風潮にマッタをかけるには、学校教育の場で作文指導に力を入れる以外に方法はないと――思うのですが、如何なものでしょうか。

●いま原稿用紙など売れているのでしょうかね。原稿にキレイな文字で文章を書けるひとは、売文業のご同業にもあまりいない。だいいちペンで原稿を書くなんてことしませんものね。

●やはりわたしの考えは「化石人間」のような「シーラカンス」のようなGGの独りよがりなのでしょうか。


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宇都宮地方は豪雨 麻屋与志夫

2016-09-08 02:21:21 | ブログ
9月8日 Thu.
●塾生が帰る20,30分頃から雷雨がひどくなった。
カミサンが「傘差して! 傘がありますよ」
と呼びかけたが、みんな雨の中にとびだしていった。
もっともすぐそばが駐車場だ。
あまり濡れなかったろう。
そのすぐ後、雷鳴がとどろき、本降りとなった。

●テレビをつけた。
BSは画面が乱れていた。
そのうちに、まったく映らなくなった。

●地上デジタルにした。
宇都宮地方は豪雨。
とアナウンサーが言っていた。
画面は宇都宮の市街を映していた。

●デジタルでは「七人の刑事」をやっていた。
ぜんぜんおもしろくない。
テレビをみるのをやめて早く寝た。
おかげで、今朝は、2時に起きられた。


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ブラッキーに蚤がたかった  麻屋与志夫

2016-09-07 04:02:07 | ブログ
9月7日 Wed.

●初めてのことなのだが、ブラッキーに蚤がたかり、大騒ぎをしてる。背筋の肩甲骨にちかいあたりに、粘液の薬○○をつけたが、全く効果がない。

●二度ほどシャンプーをしてやった。これは成果十分。50匹以上の蚤をつかまえた。タオルでごしごしふいてやる。白いタオルの布目に赤い蚤がプツプツついてきた。

●しかし、シャンプーを塗りつけ、毛がピッタリと肌にくっついてしまうと……あまりにブラッキ―が痩せほそってしまっているので悲しくなった。

●この春三毛猫リリを失ったばかりだ。その喪失感、悲しみからまだぬけだせないでいる。
「ブラッキ―。元気でいてね」とカミサンがタオルで背中をふいてやりながら声をかけている。

●わたしはブラッキ―の背中をなぞつてみた。ごつごつと骨が浮き出ている。
「よくがんばっているよな」わたしよりお姉さんである、ブラッキ―だ。

●台風の余波か。雨。虫の声がしている。

●午前三時起床。





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床屋、蛇、ムカデ。 麻屋与志夫

2016-09-06 10:54:04 | ブログ
9月6日 Tue.
●昨日は久しぶりで床屋にいった。
わたしの世代の男は「理容店」とはいわない。
でも床屋という言葉が差別用語だって本当なのですか。
ともかく、何十年ぶりで、床屋に行き、街の噂話が聞けて、楽しかった。

●カットクロスを首の周りに巻きつけて「どんなふうにしますか」と聞かれた。
「オールバックで、モミアゲは長めに」

●言ってしまってから、気がついた。オールバックと依頼しても、もはやわたしの頭髪はほとんど、ぬけおちている。オールバックにするほどの髪はない。

●今朝はゴミ出しの日。
カミサンが寝ているうちに、袋一杯の剪定した小枝を出しておいた。

●まだ、後ひと袋、庭の隅に在ったのよ。
そうか、注意力が鈍ましている。
庭を見渡そうと言う、気が回らないのだ。
短く刈り込まれた頭髪。
ほとんど禿――。に、秋の風が吹きわたった。

●蛇がいたわ。
門の脇に、一メートルもある蛇がいたと言うのだ。
おとといは、ムカデがいた。
家の三方が、草茫々の空き地になっているからだろう。

●朝夕は涼しくなった。ぼつぼつ小説を書き継ぐことができそうだ。



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リリとドングリサッカ―の思い出。  麻屋与志夫

2016-09-05 04:55:06 | ブログ
9月5日 Mon.
●二年前の今日。
三毛猫リリがわが家の庭に迷いこんで来た。
猫らしくニャーと鳴けない生後三カ月くらいになる子猫だった。
なにか不幸を背負っているような哀れさがあった。

●妻がリリと名前を付けた。
それからのリリとの楽しかった日々。
そして不意に訪れた別れ。
この間のリリとの生活については「愛猫リリに捧げる哀歌」にまとめてある。
角川の「カクヨム」に発表してある。
ぜひ読んでみてください。

●ベニマルに買い出しに行くには「せせらぎ公園」の細い道を通る。
「あらつ」といって妻が屈みこんだ。
まだへた、 殻斗のついている 青いドングリの実を拾いあげた。
妻のウナジには白髪がめだつようになった。
ブナやクヌギの樹間から射しこむ日差しが妻の小柄な姿を小道に映している。

●妻はリリとドングリの実でサッカ―をヤツた時のことを思いだしているのだろう。













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