田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

闇からの声6/麻屋与志夫

2010-12-20 23:51:08 | Weblog
「だれですか、わたしの密かなたのしみの邪魔するのは……ゆるしませんよ」
院長は口の中になにかいれてしゃぶっていた。
**ちゃんの***はおいしいな。
口の中にはいっているものがおおきすぎるためか、声がよく聞き取れない。
マホガニの豪華な机の上には梅酒のビンがずらりと並んでいる。
淡い濁りある液体の中でなぜか梅が揺らいでいる。
間接照明をあびてビンの中の梅のつぶつぶがざわつくように動いている。
振り返って正面からわたしをにらみ付けた男の手はだが老人のものだった。
顔だけがみようにてかてか脂ぎっている。
チュチュと口の中の梅をころがしながらしゃぶっていると、その皺だらけの手首に艶がでてきた。
みるまに、張りのある顔にふさわしい肌の張りと滑らかさをとりもどした。
口から玉を吐きだす。
濡れてかがやく黒い舌で玉を中空でもてあそんでいる。
無邪気に玩具とたわむれる幼児のようだ。
爬虫類の尖った長い舌で玉をからめとってはなげ上げる。
なめまわす。
いかにもたのしそうだ。

「絶望がせつないほど目玉にのこっている、残留思念がつよい。若ささの元だ。回春剤になるのだよ」

梅などではなかった。
梅酒のビンなどではなかった。
つけられているのは人間の眼球だった。
院長がしゃぶっているのは眼だった。
患者からいぐりとった眼球をしゃぶっているのだ。
**ちゃんといったのがどうしても彼女の名前のように聞こえてなららない。
壁に写った陰。
あの枝角をはやした悪魔のものだった。

「おや、ご老人にはわたしの姿が見えるらしいですね」
「きさまなんてことをする」
「おや、あなたでしたか。その声には聞き覚えがありますよ。声だけは衰えていませんね。だれがいっても契約をとれないと伝説の男……。このインパルスの強さはたまらないな。あなたの眼球はおいしだろうな。……レンズをいれて視力を回復させるなんてもったいないことはできませんね。どうです。いまからでもその眼を譲ってくださいよ。代価は時間をもどし、彼女を再誕させて、眼ももとのままにはめこんであげますよ。あなたはもういちど、こんどは彼女と仲良くしあわせに暮らせますよ」

沈黙。
わたしが応えを保留していると悪魔がつづけた。
「よかろう……プレミアをつけてあげよう。若くして文学賞をとれるようにはからってやる。これでどうだ」

プレミアなんかつけてもらう必要はない。
文学賞など問題ではない。
じぶんの非才はじゅうぶん納得している。
賞をとったくらいでどうにもなるものではない。
だが彼女がいて、文筆で暮らしていけたらとはねがっていた。
彼女とともにやりなおすことができるのなら。
べつにベストセラー作家になんかなれなくていい。
ほそぼそと原稿料で暮らせていければ、それ以上のことは期待しない。
時間がもどり彼女とともにやりなおすことができるなら、すべてを認めよう。
わたしはどうなってもいい。
文学をすてたっていいのだ。
彼女と生きていけるのなら。
もうそれで満足だ。
ああ、彼女に会いたい。
愛していた。
愛している。
たとえ一年でもいい。
いや一日だっていい。
彼女に会って話をしたい。
わたしの両方の目を捧げてもいいのだ。
一目会えるならもうそれで死んでもいい。

「おや、承諾してくれるのですか。うれしいな。すぐに羊皮紙の契約書を用意しますから」
「だめぇ」

悲鳴だ。
あのとき手術室からひびいてきたとおなじ絶望の悲鳴。
絶叫。

「ダマされているのよ。わたしはあなたの中にいる。あなたが生きているかぎり一緒にいるんだから」

声は院長の口の中からひびいてくるようでもあった。
ほら、眼は口ほどにものをいう、というではないか。
悪魔の口の中にある彼女の眼球が口をきいたのだ。

「かみくだきますよ。のみこみますよ」
「やめろ」

わたしは絶えず悪魔に監視されてきた。
彼女もそのために悪魔に魅いられたのだ。
もうしわけなかった。
ごめんな、**子。
わたしは悪魔との因果律を断ち切るべく全身の気を両手に集めて、つきだした。
青白い光が両手から放射される。
ということには、ならない。

「やめろ」

わたしは男にとびかかった。
男の頤がしゃぶっていたものをかみくだいた。

「どこまでバカ女なのだ。こいつとやりなおせる人生をどうして選ばないのだ」   「あの、ビンをうちこわして」

こんどははっきりと彼女の声はわたしの内部から聞こえてきた。
悪魔の口からは膿汁のような粘液が涎のようにたれている。
ゆるさん。
ゆっくりと彼女の眼球を咀嚼しながらのみこんでいる。
わたしはその隙に数々の眼球が漬けられたビンをつぎつぎに床にたたきつけた。

「なんてことをしてくれたんだ。オレさまのコレクションを……だいなしにしてくれたな。よくもよくもおれさまの長生きの秘薬を……」

青黒く渦巻いていた霧が凝固する。
実体をともなった人形(ヒトガタ)にみえる。
亡霊(ゴースト)は劫苦にうめき、頽れ(クズオ )た鬼気迫る姿勢で手探りをしていた。怨嗟の呻きの底でかさかさと床を探る手つきには、賽の河原で石を求め、積み、塔を作る者たちの空しい動作を思わせるものがあった。
そしてかれら亡き者たちの積年の願いが報われようとしていた。
亡者は手をのばして探り当てたじぶんの眼を嵌めこむ。
ぼっかりと黒い眼窩にそれぞれの眼をひろいあげて嵌めこんでいる。

ありがとう。
ありがとう。

光り輝きながら昇天していくではないか。
回春薬効のある目玉を失ったショックで悪魔の肌はみるまに青黒い鱗状になった。
鱗は赤黒いかさぶたとなり、剥げ落ちた。ぶすぶす燻っている。
なめていると回春効果があった眼球が、噛み砕いては、あまりにその薬効が強すぎて悪魔といえども、耐えられなかったのか。
あるいは恨みのこもった**子の眼球の意思が悪魔の体を滅ぼしたのか。
昇天していく者たちの怨念があの光の中から放射されたのか。
光の中に神が存在していたのかもしれない。
われわれを誘惑し恐怖をあたえ、それを糧として吸収して存在していた者が消えていく。

「またくるぞ。すぐもどってくるからな」

それは咆哮にちがいなかったが、まぎれもなく苦鳴でもあった。
声が中空でひびいた。
すさまじい腐臭をのこし院長は消えた。
あたりにはしばらくのあいだ腐肉の悪臭がただよっていた。

わたしは、明日、左眼の手術をうける。
そのときの執刀医がこのいま消えた男に、もどってきた悪魔に見えたらどうしょう?

「かかったな。ついに罠にはまったな」

そんなことをいいながら悪魔にみえる医師がメスをわたしの左眼にさしこんだらどうしたらいいのだ。

「さんざん手こずらせやがって。メンダマくりぬいてやる。玉をえぐってやる。命(タマ)をとってやる」

とメスをきらめかせて威嚇されたらどうしたらいいのだ。
とても手術用の椅子に座る勇気はない。
ジジイだって命は惜しいのだ。
いや老い先みじかいからこそ一日でも長く生きていたいとねがうのが人情というものだ。
悪魔にメスをつきたてられて、羊皮紙に契約の署名を強要されるのだけは御免被りたい。


●「闇からの声」は次回で完結します。
●23日(木曜日)より「さすらいの塾講師」第二部をアップします。どうぞご期待ください。中高女子学生に楽しんでもらえるような作品にしていきます。




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