田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

闇からの声3/麻屋与志夫

2010-12-18 08:05:02 | Weblog
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歌舞伎町のあまりの変貌ぶりにわたしは呆然とした。
視界はやや回復してひとびとの顔が見えてきたものの、ともかく白内障の手術をひかえた身だ。
街のようすはぼんやりとしか見えていない。
とびかう声に外国語がまじっている。
それも、わたしには全く理解できないことばだ。
ゴールデン街を歩きまわっているはずなのだが、だれも知り合いに会わない。     あれから何年たっているのか意識のなかではすでに年月はない。

『蓬莱』だったかな? 
酒場の名前も定かに覚えていない……ボケたのかなぁ……都電が走っていたような気がする……。
探すことがそもそもおかしいのだ。
樋口とは彼のやっていた店で会ったようなのだが……。確かめる術はない。
みんな冥界に旅立ち、わたしだけがのこされた。

わたしだけが、あくまでモノ書きとしての自覚だけで生きてきた。
作品なんか書かないし、書こうと努力してもことばを紡ぎだせない。

記憶がうすれていく。
ムカシはヨカッタ、と独白する筒井さんの作品の老人、ソノマンマのわたしだ。
あの作品名は? 
思い出せない。

のちに半村と名乗り、『収穫』で賞をとり、文壇に華々しくデビューした男とわたしは酒を飲んでいた。
このへんだったはずだ。
わたしは麻績部(オ ミ ベ )のネタを話していた。
彼はみごとに『闇の中の系図』を書き上げた。
あの中の第五章、グリーンホールの部分に麻績=嘘部については詳述されている。

しかし、半村さんも触れていないことがある。
伊勢大神宮の神衣職との繋がりから服部半蔵にまでは言及している。

いまでも、遷宮のときにきりだしたご神木を運ぶのには野州の大麻をない合わせた綱を使っている。
「麻の綱なので、神木を引くとキリキリとひき締まって音を立てるので、それをありがたがるひとがいます。神が神木に乗り移った音だとよろこぶのです」
麻を仕入れにわたしの店にやってきた伊勢の荒物屋の主人がそういっていた。

そしてあの作品中の大学教授は神衣職と忍びのことは明言していない。
麻績部はオミベ。麻から神官の着る布を織っていた。
オミベは忍海(オシミ )。忍(オシ)は忍者の忍。
そこまでしか書いていないが作者半村良の洞察力には感服している。

むかしから『麻屋』を表稼業としてきたわが家に――。
『いぶり勘七』という仮位牌が仏壇の隅に置いてある。
母はよほど「いぶりっこき」――こうるさいひとだったので、戒めとしてこんな戒名みたいなものを付けたのだろうねといっていた。
富山奏 校注の『芭蕉文集』で伊賀に『飯降(イブリ )』という姓があるのを知って愕然とした。
芭蕉のそして忍者の郷、伊賀はわが家のルーツの近くだ。
わが家の江戸時代までは姓は『但馬』なのである。
丹波但馬の出だ。木村というのは、兵隊養子になって木村と名乗るようになったのだという。
日露戦争以後のことだ。
半村さんだったらこのことだけからでも、素晴らしい物語を書き上げたことだろう。
能無し、残された時間も乏しく、金も無しのいまの境遇では、わたしには筋のとおった話を紡ぎだすことなど望めない。
物語を織り上げることなど望外のことだ。

「西村寿行。森村誠一。半村良。やがて三村時代が到来する。彼らは、みな天賦の才に恵まれている。オレの力など必要とはしていない。木村、おまえはダメダ。ぜんぜん文学のセンスというものがない。地虫のように地べたをはいつくばって努力してもまずだめだろうな。天空に飛び立つことは不可能だ。そのおまえを彼らの仲間に入れて四村時代にすることだってオレには出来るのだ。どうだ。魂を売らないか? オレと契約しないか」
闇からの陰鬱な誘惑の声が聞こえてきた。
それとも歌舞伎町のネオンもとどかない裏路地を彷徨するわたしの耳にとどいた、あれは幻聴だったというのか。
はやくおいでよ。はやくおいでよ。
一緒にお酒飲もう、お酒飲もう。飲もう。むかしの飲み友だちの懐かしい声がゴールデン街の裏路地にはのこっている。
樋口の声も中上の声もする。さっと店から手がのびてきてわたしはスタンドに座らされていた。
「あらぁ、めずらしい。何年ぶりかしらね」
まだ若すぎるママだ。
だれかと見違えている。
白い厚化粧。表情が解読不能。
これは、わたしの眼病のせいであり、まだ薬がきれていないせいでもあるのだろうか?
もう薬はきれているはずだ。

「なにじろじろみているのよ。むかしの恋人の顔わすれるほどモウロクシタの。キムラさん」
アワアワアワと叫びながらわたしはスタンドから転げおちた。
頭骨前面の右の眼窩がボッカリと暗い空洞となっている。
だがまちがいなく**子だ。
「恨んでるんだから。わたしを病院におきざりにして東京にいってしまうなんて。ひどいとおもわない」
「そんなことはない。きみがあんなに不意に死んでしまうなんて」
「想定外だっていいたいの。恨んでいるのよ」
眼窩からだらりと蛆虫がおちた。
だらだらと蛆虫はつながってわいてくる。
わたしは腰をぬかした。
はって逃げ出した。
「バア」
悪魔が熊手をもって冷笑している。
女の手にひかれたと思ったのは熊手で引き寄せられたのだ。
スタンドも飲み屋も跡形もなく消えている。
補食しようとでかけてきた。わたしは悪魔に反対に捕食されようとしている。              

「いいかげんに、気がついたらどうなのだ。おまえはおれの手のなかから逃げ出すことは出来ないのだ」
悪魔は羊皮紙をちらっかせて、契約を迫る。
「生命保険だって……お前の年では契約できないはずだ」
「契約、契約と迫るな。いいかげんにしてよ。もうこれだけいたぶれば、気がすんだろう」
「そうは、いかないね。これからがたのしみなのだよ」
わたしが拒絶する。
悪魔は熊手を引っかけ鉤にかえた。
わたしをまるでマグロを運ぶ魚市場の仲買人のように引きずって歩きだそうとした。                                       「たすけて。たすけてくれ」
闇のなかで声がする。
「どうしたのおじさん」                             
わかいい娘だ。
悪魔だ。
でも、**子によく似ている。
ワウワウワウワワワわたしはこんどこそ泣き出していた。             
ブアッと光が広がる。
闇から声をかけ、わたしをいたぶっていた**子に変化(ヘンゲ )した悪魔が消える。こんどは光のなかで声がしている。                       
「わたしのこと、かたときもあなたが忘れていないのはよく知っています」      
「**子、**子なのか。姿をみせてくれ」                    
「**子」                                   
まちがいない。
彼女の声だった。
光のなかにぼんやりと彼女のなつかしい姿をみた。
**子は宇都宮のY眼科病院で死んでいった。
そして、半世紀もたったいまわたしは、白内障の手術をすることになった。
眼を病むことの悲しみをしみじみと感じている。
**子をこの肉眼でもういちど、もういちどでいいから見たいとせつなく思っている。


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