田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

よみがえった精神感応  第一稿

2019-07-30 06:47:33 | 超短編小説
15 よみがえった精神感応  第一稿

MRが起動した。

ぼくの視野に風景が現れた。
とつぜんだった。おどろいた。脳の検査のMRをぼくはとってもらっていた。

アテローム血栓性脳梗塞で倒れたのは昨日の朝九時頃だっ。

ヘットギャーとよぶのだろうか。わからない。おおきなフルフェイスのヘルメットをかぶったようなものだ。さらに、音がうるさいからというので防音のためにヘッドホーンのようなもので両耳をおおった。
ガガガというひびき。ガシャという脳にしょうげきがはしる。脳がゆさぶられている。
 
電磁気が脳に反響している。その瞬間だった。
目前に、モノクロムの風景が映った。
 
脳の奥にひそんでいたイメージがよみがえったのか。
 
現実よりも鮮やかなイメージ。白く光る地に黒の線だけで描かれている。墨絵のようだ。それなのに彩色がほどこされているように鮮やかで感動的だ。唐草模様のようだ。油を含んだ水面のギトギトした模様に変わる。油が薄墨色にゆがんでは浮かんでは消える。
流動的な模様は右から左にパンしていく。

とらえどころがなく、絶えず変化しつづける数本のロープがダイナミックに波動する。

模様となった。さらにロープは硬度をおびパイプとなる。
パイプが複雑に重なり、屈折してTV『工場萌え』でみた川崎工場地帯の夜景のようだ。

黒一色だけのモダンアートを見ているようだ。横にうごいてい線が縦に立ちあがった。広漠としたトウモロコシ畑のようだ。そしてお花畑が見えた。色彩はなかった。

でもおかしい。
見えるというのはおかしい。

これは視覚でとらえている風景ではない。

ぼくは目を閉じている。

目を閉じているのに見えるというのはおかしい。
脳の片隅にあったイメージが見えているのだ。視覚をとおさずに脳だけで見ている。

幽明境だ。夢にちかい。
 
ただあまりにリアルだ。それをみているぼくの意識はさめている。美しい。まるで臨死体験で花園を見ているようだ。ただ極彩色ではない。
 
ぼくはMR操作していた技師にいま見ていた風景について訊いてみた。

「なにが、風景が見えたのですが」
沈黙。。無視。
技師はふりかえりもしなかった。ぼくのいうことなんか、とりあってもらえなかった。

この奇異な体験はぼくだけのものだと悟った。

しょんぼりと車椅子にもどった。一日で口のマヒがとれた。舌もよく動く。ぼくを無視した技師への腹癒せに――京の狂言師が京から今日て狂言今日して京の故郷に今日帰った。生麦生米生卵。ぼくは舌が回るのがうれしくて小声でつぶやいていた。

若い時のぼくだったらいまみた風景について看護師さんにはなしていたろう。
あまりおかしな体験についてはひとに話さないほうがいいくらいの世間知は身についている。ぼくは早口言葉を呪文のように唱えながら六人の大部屋にかえりついた。
 
ピンクのカーテンで仕切られているだけだからとなりの部屋の声がよく聞こえる。
たった二メートルくらいしかはなれていないのだろう。看護師さんやつき添っている患者の男の妻があわただしく動くたびにカーテンがゆれた。

「かあさん。かあさん」
と男は呼びかけていた。妻に呼びかけている。

その赤ちゃんがえりしたような声に応えている妻の声は慈愛にみちている。

床ずれができていて、痛いらしい。
苦しむ声はいろいろなべものを要求している。
「お餅はだめなの。のどにツカエルと困るから。お医者さんに止められてる」
「ソンジヤネ。アレタベタイ」
「ナニカシラ」
「ラーメン」
「カップラーメンデイイノ」
「ソレカラ……」
「なぁに」
「あれ。あれだよ」
「なあに。なにたべたいの」
 たべもののことしかはなさない。
 家からもってきたものをいろいろ食べている。
 
 翌朝。
 ささやき声がしいてた。となりのベットかだった。
「地震のゆめみたよ」
「どうして地震の夢なんか見たの」
「きょう、地震の夢みたのできもちがいいんだよ」
「どうして、地震の夢みたの。怖かったでしょう」
「あのね。ちがうんだよ。気持ちがいいんだよ。静かな気持ちになったよ」
「よかったね。よかったね」

 おそるおそる。ぼくは渡辺さんのベットのほうに寝返りをした。カーテン越しにハシタナイトおもったが聞き耳をたてた。
 ぼくは鼓動が高まっていた。ひょっとすると、これは……。こんなことが、起きるのは、何年ぶりだろうか。これは、わたしの脳波、かんがえていることが、となりのベッドの彼に転移したのかもしれない。
 ぼくはリハビリをかねて昨夜から小説をかきだしていた。
 
 東日本震災で被害を受けた小学校の遺構でながくおもい合っていた二人が結ばれるといったハッピーエンドの話だ。漢字も書ける。手もふるえることはない。
 文章もいままでのように浮かんでくる。
 いや発病する前よりもすらすらかける。ぼくはうれしくなった。ふいに喉が詰まり、声帯がマヒして声がでなくなったときは、恐怖に慄いた。もうだめだ。これまでだ。カムバックするなど夢のまた夢だ。
 だからたった一日で回復したこと感謝した。すごくハッピーな気持ちになっていた。こんなことが起きるのはひさしぶりだ。

 地震。ハッピーな静かな気持ち。ぼくの思いが隣のベッドの男に転移した。
 
 若い時には、こうしたたあいもない、偶然の一致がしばしば起きた。
 ある朝。明けがた。近所の八百屋さんが死ぬ夢をみた。確かめに行った妻が青い顔で帰ってきた。死神を身近に感じることがある。黒い羽根の羽音を感じる。こうしたオカルトじみた経験などひとに誇れるものではない。



 その翌朝
「あのね。パソコンがほしい」
「おとうさん、とつぜんなにいうの。パソコン使ったことないでしょう」
「パソコンがほしい」

 男は玩具を欲しがる子供のように、妻にあまえている。
「パソコンがほしい」
 間違いなく、ぼくの行動につられての発言だ。

 昨夜はよくねむれなかった。夜起き上がってひそかにパソコンを使った。うるさかったのだろうか。いや、パソコンを打つ音はほとんどひびかない。静にキーボドに触れた。

 せっかく、静かな気持ちなれたのに、ぼくが邪魔をしてしまったとしたら、もうしわけのないことをした。

「昨夜はよく眠れたでしょう」
 
 ふいに右となりのカーテン越しに話しかけられた。
 さいしょは何を問いかけられているのか、わからなかった。
「となりの渡辺さんが運び出されたのしらなかったのですか」
「なんじごろですか」
「十時ごろかな」
「部屋をうつったのですか」
「わかりません。看護師さんは口がかたいから、おしえてくれません」

 カーテンが微動だにしない。
 たしかに左隣の渡辺さんはいない。
 あまりの静かさに寂しさを感じた。
 少し早いがぼくは、洗面所で顔を洗いたくなった。部屋をでた。まだ六時の起床時間前なので廊下は静まり返っていた。洗面所にはだれもいなかった。
 
 ちいさな窓の外はまだ明けきらない空。
 そして梅雨らしい小糠雨。
 病院は雨の下でまだ眠っていた…。


作者注。
下書きです。これから何度も推敲します。とりあえず、あまりうれしかったので、書く能力がもどったようで、下書きのままですが発表しておきます。小説を書くということは、感応能力にかかっていると思います。こちらの考えていることがあなたにとどくといいな。不備のてんをぜひコメントください。八十六歳になりました。



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14 ぼくには宝石、美穂ちゃんにはゴキブリ「玉虫」のプレゼント

2019-07-16 10:34:16 | 超短編小説
14 ぼくには宝石、美穂ちゃんにはゴキブリ「玉虫」のプレゼント

 ぼくの目の前にふいにどこからともなく虫が飛んできた。

 あちこちとびまわっていたが、パットぼくの手の甲に止まった。
 光を浴びて、金緑色の光をきらめかせていたのは「玉虫」だった。
 どこから飛んできたのか。
 なぜ、ぼくの手の甲に止まったのか。
 
 一緒に砂遊びをしてた、教室では並んで座っているかわいい女の子、美穂ちゃんにこの美しい玉虫をプレゼントすることを思いついた。
 
 美穂ちゃん、目をつぶっていて……。とぼくはいった。

「これ、美穂ちゃんにあげる」

 ぼくはそっともっていた。両手をムギワラで編んだ蛍かごのように合わせていた。そのなかには、コガネムシを細くしたような玉虫がとらえられていた。

 きらきら光って美しかった。宝石のようだった。

「キャー」

 美穂ちゃんに、わあ、きれい。きれい。
 
 喜んでもらえるはずだった。
 
 美穂ちゃんは、ぼくのプレゼントを喜ぶどころか悲鳴をあげた。
 砂場で遊んでいたぼくらのところに栃沢先生が走ってきた。ぼくは美穂ちゃんをいじめたという罪をおってしまった。昇降口にある時刻をしらせる大太鼓の横に立たされてしまった。そのうえ、栃沢先生はぼくを立たせたことを忘れて帰ってしまった。

「もう帰ったら。栃沢先生は帰っちゃったよ」
 小使さんがいってくれた。
 ぼくは立ち続けていた。
 母がむえに来てくれなかったら、そのまま夜半まで立ち続けていたろう。

 その一途な性格が、就職した商社の上役に好かれて三十まえに課長という役職につけた。
 
 小学校を卒業して十八年目。
 三十歳の齢なので同窓会をやることになった。
 いままでも同窓会はなんどかあった。
 ぼくはいやな思いでしかない母校にはいきたくはなかった。

 でもこんどこそ美穂ちゃんに会ってみたかった。
 あったところで、すきです、といえるわけでない。
 あれからどんな人生をおくていたかきいてみたかった。
 もう結婚しているだろう。
 
 木造校舎はブルーシートや白い工事用の網でおおわれていた。倒壊してしまったかわいそうな校舎をみなくてすむのはありがたかった。

 ぼくは荒涼とした遺構にひとりで立ちつくしていた。

 ぼくは過去をなつかしがっていた。木造校舎としては日本で古いので有名になっていた。
 なつかしさが匂い立つような校舎。小泉今日子のコマシャール撮影で有名になった。
 日本の古き良き時代の面影を残していた。東日本震災で被災した。
 日本一長い廊下、直線で百メートルもあった。
 藤棚は潮水をかぶって枯れてしまっていた。
 藤棚をのみこむほどの高い波を想像しようとしてもできなかった。
 
 ブロック塀は波に押し流されたままだった。
 塀の根底には泥や瓦礫が堆積していた。
 どこにもブロックは見あたらない。
 どこまで流されていったのだろう。

 あの思いでの砂場は――ぼくが美穂ちゃんに玉虫をわたした砂場はなくなっていた。
 一枚岩のように固まっていた。
 大量の海の水が流れこみしばらく溜まってたのだろう。
 
 校舎がないので校庭に三々五々と集合してきた同級生は顔をみても思いだせないものもいた。
 全員そろったところで高台にある仮設公民館に移る予定だ。
 
 ぼくは砂場に立ってみた。
 
 砂場の砂は海水が溜まっているあいだに岩石のようになっていた。
 みんなの話し合う場にはいつていけい。男もかつての美少女たちも老いていた。みんな結婚しているのだろう。子づれのものもおおかった。にぎやかだった。
 
 二宮金次郎の銅像はコンクリートで直してあった。
 銅像といわれていたがほかのこわやすい素材でつくられていたのだろう。
 首のまわりを白いコンクリートで補強されている。
 包帯をしているようでいたいたしかった。
 
 新学期のはじまる季節だ。校庭の周囲では生き残った桜が満開だった。
 その桜で、ぼくが校門をくぐったときウグイスが鳴いていた。
 花影をこちらに真っすぐ歩いてくる女性がいた。
 美穂ちゃんだった。
 一目でわかった。

「ごめんね。正ちゃん」
「なんだろう。ぼくがなにか……」
「プレゼント」
「すごく。きれい。きれいよ」
 
 喜んでもらえるはずだった。

「ごめんね。いまなら正ちゃんの気持ちよくわかる。あれはわたしへのプレゼントだった」
 
 ぼくは、美穂ちゃんをよろこばせたかった。美穂ちゃんがよろこんでくれると思っていた。

 あの時の、砂場にふたりは立っている。

 彼女はたったひとり。シャイなぼくが、声をかけた少女だった。
 彼女とのことがあり、ぼくは順送りで「怪しい行動をする生徒。問題行動をする生徒」とされてしまった。ぼくは担任の先生にマークされた。
 
 その根性を叩き直してやるという名目でいじめられた。
 
 鉄棒にぶらさがったまま懸垂が一回もできなかった。
「魚屋の店先にぶらさがっているマグロみたいだ」
 先生に侮蔑の言葉を浴びせられた。
「まぐろ」というアダナがついた。それからはぼくの名前をよぶものはいなくなった。その体操の先生はもちろん、友だちからも迫害を受けつづけた。

 合唱のときも、クラスのみんなは、舞台に上がって歌っているのに、ぼくだけは上がれなかった。
「マグロが歌うとみんなの調子がみだれる。おまえは音痴なのだ」
 ぼくはひとりとりのこされていた。
 そんなぼくを「音痴のマグロ。マグロ」みんながからかった。
 
 その小学校でのイジメの原点となった砂場に美穂ちゃんと立っていた。
 
 ぼくはこの両手で「玉虫」きみにわたしたかった。
 彼女の手に玉虫をわたしたときのドキドキした瞬間がよみがえる。
 ぼくの運命をかえた光景が浮かんできた。

「ごめんね、正ちゃん。もっと早くあやまりたかった」
 
 ぼくは美穂ちゃんを抱きしめていた。
 強くハグしていた。
 美穂ちゃんはぼくの胸にほほをよせている。




注 学校の描写は作者の母校、鹿沼北小学校によるものです。もちろん内陸県にあるので津波の被害にはあいませんでした



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