田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

干し柿のカーテン? 麻屋与志夫

2017-11-30 22:06:53 | ブログ
11月30日Thu.

●干し柿のカーテン。
干し柿のすだれ。
どちらの比喩が正しいとか、正しくないという問題ではないらしい。
両方ともよくみかける表現だ。

●ただわたしのようなGGにはすだれの方がしっくりとくる。
むかしは、竹の長い串にさして干したりしていた。
何段にも竹串が重なって干してある柿。
すだれのように思えた。

●カーテンは横に移動させる。
重なった感じではない。

●まあそれはさておき、わが家の干し柿もだいぶそれらしい色に乾いてきた。

●もうすぐ、賞味できる。
なんともいえない、自然な甘さが好きだ。
田舎暮らしの楽しみの一つだ。




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「白」に発泡スチロールの猫小屋ができた。  麻屋与志夫

2017-11-28 12:25:15 | ブログ
11月28日 Tue.

●ベニマルまでの途中に「せせらぎ公園」がある。流れに沿った遊歩道の上には樹木が天蓋のように茂っているのだか、冬の到来と共に枯れ落ち葉となって飛散してしまう。

●空を見上げることができる。飛行機雲がながくのびている。青い空が、白い雲がまぶしいような晴天の冬空。わたしたちのあしもとでは、カサコソと落ち葉が音をたてている。このかすかな音がすきだ。

●「この落ち葉の色、どう表現すればいいの」
「金錆色とかいたことがあった」
「でも、金属のイメージでは、このはかなさは、でないわよ」
ごもっともな、意見だ。
「枯れ葉色ではどうだ」
「ツキナミネ」
 ゴモツトモ。結論はでなかった。
「ヨーカ堂のころには、この辺に猫がたくさんいたよな」
「そうよ。そうよ」
「ベニマルになってからは、猫はみかけなくなった。アノ猫たちはいまどこにいったのだろう」
わからない。

●街猫はいずこ……そのあとがつづかない。こりゃ、やっぱ、ハイクはむりだな。

●ときどき、街猫の姿をもとめて、わたしは街を徘徊するのだが、最近では、とんと見当たらない。
猫に遭遇することは稀だ。その寂しさを街の徘徊のつれづれにヨモウトとおもうのだが、いつも不発におわる。木枯らしが身にしみる季節になった。

●わが家の外猫ちゃん、「白」に妻が発泡スチロールの空き箱で猫小屋を作った。心やさしいことをするものだ。

●白ちゃんは、目をほそめて満足顔。すやすや白河夜船。




二年前にはリリとの別れがありました。そのときの悲しみをカミサンとまとめた作品があります。ぜひ読んでください。角川の「カクヨム」に載っています。下記の題名で検索してください。すぐ読めます。


「愛猫リリに捧げる哀歌」

猫愛/
猫のスリスリ/
むくむくの毛並み/
猫とのサッカ―/
リリの病/
闘病/
看病/
ペットロス/

猫を愛するみなさんへ。ペットロスに悲しむあなたへ。
麻屋与志夫  木村美智子


この作品は、先住猫ブラッキーとリリ、わたしたち夫婦の楽しい思い出。リリは一年と八カ月で他界。その間の様子を記録したブログを編集したものです。わたしたちはペットロスにおちいり、とくに、妻は涙、涙の日々をおくっています。なんとか、この悲しみからぬけだそうと、もがけばもがくほど、悲しみは深まるばかりです。猫、大好きなみなさん。ペットロスで苦しんでいるみなさん。猫との生活の楽しさ、死なれた時の悲しさ。わたしたちと共有してください。
ブログ「猫と亭主とわたし」木村美智子+「田舎暮らし」麻屋与志夫より編集。


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白ちゃんを飼ってやるべきか、いなか。それが問題だ。 麻屋与志夫

2017-11-27 07:10:17 | ブログ
11月27日 Mon.

●空気はピントはりつめ、清澄な寒い朝。外猫の白がすでに棚に座って待っていた。餌がほしいだけではない。わたしたちに飼ってもらいたいのだ。

●猫にもいろいろある。その性格の違いは、長年猫と接しているとよくわかる。シルバーは長いこと裏庭のデッキで開店している「猫レストラン」の客だ。でも食事がすむと、さっさと帰っていく。ほかの猫もたべにくるだけ。それいがいの、交流はない。

●ところが白はたべはじめるまえに、妻の足元にスリスリをする。ノドをならす。デンとでんぐりかえってあまえている。

●「どうする、どうするの……カワイクテかってあげたくなったわ」

●「おれたちのほうが、先にいくことになる」

●ブラッキ―はもう20年もわたしたちと生活を共にしている。白がブラッキ―と同じように長命だったら――。それが心配だ。

●白は一昨年夭逝したリリに似ている。雄猫だが、やさしい顔でリリにスゴク似ている。
わたしは輪廻転生を信じているから、いよいよもってこれはリリのタマシイガ白に憑依しているのだと思っている。そのうえ猫鳴きができないところまでソックリだ。

●クッ。というような鳩のような鳴き声をきいていると、どうしてもリリのことを思いだしてしまう。

●白のことはどうしたらいいのか、妻とわたしの心は乱れるばかりだ。



二年前にはリリとの別れがありました。そのときの悲しみをカミサンとまとめた作品があります。ぜひ読んでください。角川の「カクヨム」に載っています。下記の題名で検索してください。すぐ読めます。


「愛猫リリに捧げる哀歌」

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膝の痛みなんかに負けてたまるか。 麻屋与志夫

2017-11-24 07:52:07 | ブログ
11月24日 Fri.

●昨日は午後買い物に出た。膝の痛みが少しだけうすらいだようなので、痛くなったらどうしょうとおっかなびっくりではあったが、妻のお供をすることにした。このところ、妻に心配ばかりかけている。先日、上都賀病院に診察してもった帰り、薬をもらうのを忘れて途中で引き返した。「パパがあるけなくなったらどうしょうと……」涙声でいわれておどろいた。たしかに、このまま歩行困難、外出不能となったらちたいへんなことだと、あらためて慄然とした。

●こわれやすい繊細なガラス細工のような妻の生涯ボーデイガードと自認しているのに、この低落はなんとしたことだ。薬局まで薬をもらいに引き返していく妻のひときわ小さくみえる後ろ姿を見送った。あるくのが億劫なので、いや膝が痛むので、わたしはその場に立ちつくして妻のもどってくるのを待つことにしたのだった。

●これはどうあってもこの変形性膝関節症と正面から向き合い直るものならなんとかして、平癒させたい。わたしも辛いが妻はもっと心配で辛いことだろう。

●自然治癒力も大切なのではないか。あらゆる病気を治すのには、かならず治るとじぶんを励ますことだ。いままでにも、かずかずの大病をわずらってきた。そのつど妻の励ましと、己を叱咤激励することで克服してきた。まだまだかきたい小説がある。こんなことで、ヘコタレテなるものか。治る。治る。治る。

●じぶんが、膝の痛みをかかえてみると、杖をついている人や足をいたわってあるいている人が目につく。あらためて健常者であることのありがたみがわかった。

●「パパ、なにしてるの。早く帰りましょう」
しばらくぶりでベニマルの周囲の樹木を眺めた。紅葉も終りに近づいている。空は冬空。雲がうすくたなびいている。「パパ」若やいだ声で、娘のように「パパ」と呼びかける妻がいて――。



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ネコ族の繁栄繁殖は白ちゃんにかかっている。 麻屋与志夫

2017-11-23 12:54:56 | ブログ
11月23日Thu.

●夜来の雨がまだふりやまない。わたしはデッキに面した廊下まで痛む足をひきずりながら、たどりつき、棚をガラス越しに期待してのぞきみる。

●剪定ハサミ、小型のスコップ、プラスチックのテブクロ。妻の園芸道具の置いてある棚だ。外猫雄の「白」がいた。

●冷たい雨のふる勤労感謝の日の遅い朝10時。ショボンと重箱座りの白の下には発泡スチロールの保冷箱の蓋が敷いてあった。妻のこころづくしだ。板のうえでは寒いだろうと置いたのだろう。昨日は初氷。いよいよ寒さが厳しくなる。

●雨さえふっていなかったら、ドタッとデッキにとびおり、なきながら廊下の餌皿までくるのだが、かわいそうに雨にぬれるのがいやなのだろう、身動きしない。仕方ないので、浴室の窓を開け、白をだきかかえて餌皿のところまで連れていこうとした。

●思わぬところからわたしが顔をだしたので、白は棚の隅まで後退った。白のいた場所には野良ネコちゃんの、あの野趣にとんだ臭いが残っていた。

●わが町では、街猫がほとんどみられなくなった。野生の猫を滅ぼすことに血道をあげているひとがおおい。たしかに猫の害は存在する。でも、街猫を絶滅させることが、清潔な街づくりには不可欠なのだろうか。わからない。

●わたしは街猫も自然の一部かんがえている。強制的に駆除するのは、どうかなと思っている。

● 岩合光昭さんの「世界ネコ歩き」をみていると、街猫がじつにのびのびと街にとけこみ、あるきまわっている。自由気ままにあるきまわれるということは、猫をイジメルひとがいないのだろう。

●このままでは、白ちゃんおまえさんの責任はじゅうだいだよ。

●きょうは、勤労感謝の日。ゆっくりと昼寝でもしなさい。餌はすぐそこにある。やがてシーズンが来たら、ネコ族の繁栄はおまえさんにかかっている。

●繁殖繁栄乞うご期待。


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外猫白に会いたしと思えど、裏庭は遠し。 麻屋与志夫

2017-11-21 10:45:44 | ブログ
11月21日 Tue.

●裏庭のデッキに面した廊下のガラス戸を毎朝開けるのが習慣となっている。
このところ、風が冷えてくるのがよくわかる。
今朝など、とくにひんやりとして、身震いするほどだった。
日ごとに風は透明となり、ひえびえとしてもう冬だ。
それなのに、なぜ戸を開けるかというと、外猫の白ちゃんに会いたいからだ。
白の顔を見たいからだ。
今朝はきているかなと、期待していたのに、その白の雄猫の姿がなかった。
死んだリリにスゴクよく似ている。
オスなのに、やさしい顔をしている。

●「今朝はきていなかった」
「そんなことないわ。棚の上の段、光の中にいたわよ」

●妻がわたしのウカツサを咎める。
寒くなったので、地べたではなく、太陽の光のぬくもりをもとめて園芸用の道具を置く棚の一番上に陣取っていたのだろう。

●わたしは廊下にもどって、白と対面するのはあきらめた。
このところ、膝が痛む。
寒さがしみる。
歩くのがつらい。

●あまり広い家もこういうときには、困る。

●食卓の席から立ち上がる。
障子を開け――渡り板の段差を踏み、離れのガラス戸を開き、畳の部屋を横切り襖を開け、コタツのある部屋の戸、そして廊下の途中のドアを押し――これだけの難所をクリアしてようやくデッキの見える廊下に到達する。

●白ちゃんには会いたいが、膝の痛みに耐えかねて、ただただ食卓で干し柿をたべているGGなのでした。



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晩秋のアイスバーグ。  麻屋与志夫

2017-11-20 08:39:06 | ブログ
11月20日 Mon.

●裏庭ではまだ純白のアイスバークが咲いている。
でも晩秋の薔薇はナエマでも、リルケの薔薇でも芳香を辺りにふりまき毅然と咲き誇るといった風情はない。
暦の上では立冬は過ぎている。
黒髪颪が板塀の隙間から吹きこんで来て、薔薇をゆらしている。
風にふかれて、白い薔薇は寒々とした感じだ。




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愛しい猫ちゃんの死 第二稿。 麻屋与志夫

2017-11-19 12:41:50 | ブログ
愛しい猫ちゃんの死 第二稿
 
 ミュウはわたしの膝で静かに息をひきとった。二十数年前になる。そのときはじめて生活を共にしてきたペットに死なれるのはこんなに悲しいことなのかと思い知らされた。
 とぎれとぎれだった鼓動がぴたりととまった。ミュウの背中に置いた手のひらが、冷えていく彼女の体温をつたえてくる。ミュウ。ミュウといくら呼びかけても、優雅な長い尾をぴたぴたとわたしの膝にうちつけて、応えることはもうしない。静かにかたまって冷えていく。息絶えたミュウは急にひとまわりも小さくなった。失禁したり、ふらふらとおぼつかないあしどりでわたしたちの周りをあるいていたミュウの姿はいまでも脳裏に浮かぶ。ミュウは幼くして東京の学校に転校させた息子が飼っていたものだ。それも最初は森山会館の前で拾ってきたのをひそかに小さな段ボールの箱で、わたしちたに内緒で飼っていた。それから18年もわたしたちとミュウは生活を共にした。
 庭の東の隅に金木犀の木がある。その根元にうめた。寒がりのミュウだったので、あたたかな毛布にくるんで埋葬した。チャ虎だった。わたしがうろ覚えのお経をはなむけとした。妻はわたしの手をにぎっていた。涙をこらえていた。手がかすかにふるえていた。
 リリには一昨年死なれてしまった。わずか、一年八カ月の命だった。三毛猫だった。生後三カ月くらいで、わが家の庭に迷いこんできた。妻によくなつき、もじどおり寝食を共にしていた。妻の寝床にもぐりこんで寝ていた。二階の教室でドングリの実で、妻とよくサッカ―をしていた。妻がドングリを指ではじくとかわいい肉球のある足でハジキかえす。ときにはクワエテくる。長い尻尾をふりながらかけてきてクワエテいたドングリをホトンと妻がさしだした手におとす。あまりよく鳴けなかった。声帯がおかしかったのだろうか。そのリリは死にぎわに「ニャオ」と一声、いかにもメス猫らしいかわいい声で鳴いた。あのときの鳴き声は忘れられない。なぜ死の瞬間に「ニャオ」と鳴けたのだろう。妻に必死で苦しさを訴えたのだろうか。それとも「わたし死んじゃうよ。これでお別れだね。さようなら」というメッセージをこめて鳴いたのだろうか。神様がさいごのさいごにリリの声帯が正常に機能することを許してくれたのだろうか。ドングリの実はいまでも妻の机の上とリリの骨壷のわきにポッンと置いてある。振ってみると、中の実がかわき、かたまり、小さな音をたてる。わたしたちは、その音にリリ魂の囁きをきく。虹の橋でいまでもドングリの実とじゃれあっているだろう。
 いま同居しているブラッキ―が老衰した。ゴツゴツに浮き出た背筋。やせ細ってしまった。食欲もなくなった。人間の年齢にすれば、百歳。それなのに、一日になんども外に出たがって奇声をはっしている。いらいらしているような、どこかいたむところがあって部屋にじっとしていられないのか。痴呆症かも――。外を徘徊してきたのをすぐにわすれてしまうのだろうか。とんぼ返りで、すぐにまた外にだせと、いばりだす。ともかくすごい迫力で「ギャオ、ギャオ」と鳴く。小さな体のどこから出るのかと訝るような声だ。ご近所迷惑だろうなとこちらは体が縮むおもいだ。
 食べものも、固形餌はほとんどたべず、流動食、牛乳で生きている。わたしの酒のオツマミ、鳥のレバーをよく咀嚼してから、手のひらにうつして差しだすとうれしそうにノドをならして食べている。「死ぬなよ。九番目の命を使って生きぬくのだ。死んでも生きていろよ」と、とんでもない励ましのことばをかけている。
 ブラッキ―の死期を冷静にうけとめられればリアリストだ。わたしは九つ目の命を使って生きぬいてよ、と励ます。呼びかける。少しでも、明るい未来を期待しているロマンチストだ。美人薄命であったリリが、いまも虹の橋でドングリをころがして遊んでいるとイメージしているのだから徹頭徹尾ロマンチストだ。
 膝の痛みに耐えきれず上都賀病院で診察をうけた。足をひきずり、痛みに耐えて、マダ、マダダ。まだ頭はタシかだ。小説はかける。ボケない限り、かきつづる。究極の高等遊民、ロマンチストだ。
ても――さすがに、日々衰弱していくブラッキ―のことをみていると悲観的なことばかりかんがえ現実的になってしまう。
……別れの日のちかいブラッキ―とのいままでの交情をおもい、わたしは妻と静かな晩秋の日々をすごしている。





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愛しい猫ちゃんの死。  麻屋与志夫

2017-11-18 07:49:28 | ブログ
11月18日
愛しい猫ちゃんの死
 ミュウはわたしの膝で静かに息をひきとった。二十数年前になる。そのときはじめて生活を共にしてきたペットに死なれるのはこんなに悲しいことなのかと思い知らされた。
 とぎれとぎれだった鼓動がぴたりととまった。ミュウの背中に置いた手のひらが、冷えていく彼女の体温をつたえてくる。ミュウ。ミュウといくら呼びかけても、優雅な長い尾をぴたぴたとわたしの膝にうちつけて、応えることはもうしない。静かにかたまって冷えていく。庭の東の隅に金木犀の木がある。その根元にうめた。寒がりのミュウだったので、あたたかな毛布にくるんで埋葬した。チャ虎だった。わたしがうろ覚えのお経をはなむけとした。
 妻はわたしの手をにぎっていた。涙をこらえていた。手がかすかにふるえていた。
 リリには一昨年死なれてしまった。わずか、一年八カ月の命だった。三毛猫だった。
生後三カ月くらいで、わが家の庭にまよいこんできた。妻によくなつき、もじどおり寝食を共にしていた。妻の寝床にもぐりこんで寝ていた。二階の教室でドングリの実で、妻とよくサッカ―をしていた。妻がドングリを指ではじくとかわいい肉球のある足でハジキかえす。ときにはクワエテくる。長い尻尾をふりながらかけてきてクワエテいたドングリをホトンと妻がさしだした手にポトンとおとす。あまりよく鳴けなかった。声帯がおかしかったのだろうか。そのリリは死にぎわに「ニャオ」と一声、いかにもメス猫らしいかわいい声で鳴いた。あのときの鳴き声は忘れられない。ドングリの実はいまでも妻の机の上とリリの骨壷のわきにポッンと置いてある。振ってみると、中の実がかわきかたまり、小さな音をたてる。わたしたちは、その音にリリ魂の囁きをきく。虹の橋でいまでもドングリの実とじゃれあっているのだろうか。
 いま同居しているブラッキ―が老衰した。ゴツゴツに浮き出た背筋。やせ細ってしまった。食欲もなくなった。人間の年齢にすれば、百歳。別れの日のちかいブラッキ―とのいままでの交情をおもい、わたしたちと静かな晩秋の日々をすごしている。





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