田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

涼しい朝/蜩

2007-07-31 07:35:39 | Weblog
7月31日 火曜日
●驚いた。二階の書斎で朝、肌寒く目覚めてみれば、20度だった。のどが寒さのために痛んだ。これでは梅雨寒どころではない。寒すぎる感じだ。年のせいもあるのだろう。重ね着をした。蒸し暑さがなく、むしろ寒すぎるくらいのほうが頭が冴えるのだろうか。朝食前から8枚書いた。わたしとしては、メズラシイことだ。あまりうれしいのでメズラシイと片仮名表記にしてしまった。

●避暑地にいる気分だ。避暑地にいる……ルンルン気分だ。じぶんの未来にはあまり夢のもてない年になっている。それでも暑い盛りにこのくらい涼しいところで執
筆したら毎日30枚くらいは、はかいくかもしれないな、などと考えた。夢を見るのは楽しい。

●都会暮らしの友だちたちは、どうしているのだろうか。冷房のきいた空間で頑張って原稿を書いているのだろうな。わたしの家がいますこしキレイで立派だったら招待できるのに。窓から入ってくる緑の風をともに顔に受けたいものだ。などと夢想する。

●でも、いくら田舎町でもこの涼しさは今日限りだろう。野鳥が庭の木でさえずっている。晴れた日になりそうだ。

●午後から予想にたがわず晴れた。長そでのTシャツにスポーツシャツを重ねるつもりだったが、ポロシャツで外出した。それでも暑くてびっしょりと汗をかいた。30度はある。いやアスファルトからの輻射熱があるからもっと暑い。などとカミサンと話しながらおおきなリックを背負って街を歩いた。

●リックの中には、ブラッキーの餌二袋。液体洗剤。10キロを超す重さだ。

●家に帰る。寒暖計を見た。30度。二階の窓を締め切った書斎は40度。驚いた。一日にこんなに温度差があるのでは、健康によくないだろう。

●蝉が鳴きだした。裏庭の杏の木ではアブラゼミ。裏山では午後も遅くなって、蜩。この地方では、カナカナと呼ぶ。わたしのあいまいな記憶ではカナカナは旧のお盆を過ぎないとあまり鳴かなかったような気がする。異常気象が蝉の生態系にまで影響を及ぼしているのだろうか。
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水溜り

2007-07-30 21:59:57 | Weblog
7月30日 月曜日 朝から雷雨
●アンジェラが雨にぬれている月曜日。ブルーマンデー。自民党大敗。田舎町の景気はどうなるのだろう。都会住まいの人には、想像もつかないほど不況だ。都鄙を往復するわたしにはよくわかる。田舎街は不況に苦しんでいる。
●アンジェラが花数をましている。このところ毎日のように花群が広がっていく。春にあれだけ見事に咲いたあとなのに。元気にピンクの可憐な花をつぎつぎとつけている。
●お盆休みには娘夫婦がそれぞれ孫を連れて帰省する。秋、結婚する息子も帰省できるかもしれないとしいうことだ。忙しいようだったら無理するなよ、9月の結婚式には会えるのだから。これはブログで、愛する息子へのメッセージだ。
●お盆までアンジェラは咲きつづけているだろう。そう願っている。
●大地が雨水をのみきれずあちこちに水溜りができている。アスファルトにできた水溜りのようにながくはもたない。すぐに地面にしみ込んでしまう。つかのまの水溜りに入道雲でも映ってくれればいうことなし。田舎住まいの醍醐味だ。

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二人のブレッソン

2007-07-30 12:04:56 | Weblog
7月29日 日曜日 曇り、夕刻より雨
●雨の日曜日。回想にふける。ふと思いたって、7月18日のブログを読み返す。どうやら、やはり混同している。シナリオ研究所の研究生だった頃にみんなで話題にしていたのは、ロベール・ブレッソンだった。季刊「リュミエール」5 1986‐秋、を書棚から取り出して読みだした。なっかしい。でも、記憶の衰えが悲しい。
●田舎司祭の日記/抵抗/スリ/白夜。雑誌を読み進むうちに思いでの映画の題名がでてきた。少なくともこの4本は観ている。何処で、だれと観たのかは忘れている。
●あのまま東京に住んでいられたらどんな人生になったろうか。東京タワーの建設がはじまった頃のことだ。
●7月20日のブログに書いたのはアンリ・カルテイエ=ブレッソンのことだ。「決定的瞬間」のブレッソンだ。
●どうも記憶がセピヤ色になっている。色褪せている。こうして、二人のブレッソンを混同するようなことを、いたるところでやっているのではないか。不安だ。
●雷鳴が轟いている。雨降りやまず。降りやまず。

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ムクゲ

2007-07-29 11:31:44 | Weblog
7月28日 土曜日
●「おもいでエマノン」は期待にたがわず面白かった。徹夜した。ひさしぶりで、ページをめくるのももどかしいという気分で、楽しい読書をした。梶尾真治にありがとう。
●エマノンを読んでいたらブラッキーが雨の匂いとともに窓からとびこんできた。雨音がしていたのだろうが、読書に集中していたので気付かなかった。
●カミサンが留守なので早く起きた。味噌汁を作ろうとしたら仙台味噌がなくなっていた。しかたなく、白味噌にする。具はカボチャ、ニンジン、玉ねぎ。結構おいしかった。
●あまりなにもないので、なにも起きないのでああこれが田舎町で過ごす幸せなのだろう、などと思った。
●午後雷雨。
●5時過ぎ駅までカミサンをむかえにでる。                 
●垣根にムクゲの花の咲いている家があった。雨のあとなので新鮮に感じた。ムクゲは一日花ときいている。朝に開き夜に散る。いちどしぼんでしまった花はもう開かない。でも、花言葉は、精神力。じぶんのことに照らしあわせて、いつしか……ムクゲの花を考えていた。           
●小説がいくらでも書けて、華やかな発表の場である雑誌があったのに。凋落してしまっわたしは、ふたたび花開くことはないのか。ガンバレ。精神力だ。    
●わが家は日陰の庭なのでムクゲにはむかないということだ。なんとか、わたしの小説が日の目をみれば、日向の家にすめる。などと語呂合わせ。ガンバレ。ガンバレ。精神力だ。ほどなく駅に着く。近所の主婦が窓口に息せき切って駆け込んできた。「踏切に子供と座り込んでいるどこかのおじさんが死んでやるってうごかないのよ」
●ああ、街は動いているのだ。

●写真は雷雨のあと、水溜に映った入道雲です。
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エマノンを読む

2007-07-27 19:51:29 | Weblog
7月27日 金曜日 晴れ
●セブンイレブンまでエマノンをとりにいった。カミサンが留守なので、山菜と煮物のお弁当(七穀米)を買った。温めてくれた。便利な世の中になったものだ。すなおに感心した。だってセブンイレブンでお弁当を買ったのも、本を取り寄せたのも、じぶんでお金を払ったのもはじめてだ。カミサン依存型亭主の典型みたいな男だな、オレハと思ったものだ。
●まだ梅雨明け宣言はなされていない。しかし、気分的にも、太陽の強烈な光もすでに夏だ。足もとからの輻射熱も浴びた。暑い中を歩きながら考えた。大型店には根本的には反対だが、この便利さは何なのだ。人間のこの社会はどこにむかつて進化し続けているのだろうか。
●「巣鴨の地蔵通り」に材をとった小説を書き出しているがなかなかすすまない。いつものことだからあわてないが、この遅筆何とかならないのかな。われながらもどかしい。暑い部屋の中でひとりでいらいらしている。
●エマノンはおもしろい。今夜は一晩かけても読みとおすことになるだろう。

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冷や水

2007-07-27 06:57:24 | Weblog
7月26日 木曜日 晴れ
●はじめて、インターネットで本を取り寄せた。梶尾真治の「おもいでエマノン」だ。まえから読みたかった。田舎町なので本屋に頼むと三週間かかる。本屋さんには気の毒だが二日でとどいた。田舎町の本屋さんは、前から考えていたことなのだが、営業の形態を変えていかないとこれからさらに厳しい現実に直面することになるだろう。町の本屋さんにはぜひ生き残ってもらいたい。いまや、日本はあらゆる職種で大型店化が進行している。
●日本全国、どこにいってもおなじブランドの看板がたちならんでいたらノッペラボー。不気味ですらありますよね。そういえば、近所にいつのまにか町の本屋さんがすくなくなっている。本、そのものを読む人がほとんどいない。雑誌は読むが本は読まない。悲しいことではありませんか。                                    
●本は読まない。テレビは関西Y系の「お笑い」番組。演歌とスポーツと大河ドラマだけ。そして、気楽な年金暮らし。そんな年寄りにわたしはなりたくない。生きるとしいうことは、真剣勝負だ。
●わたしなど、いま全国をわかしている年金問題とは無縁だ。じぶんのことはじぶんで始末する。年金加入拒否人間なのだ。年金制度ができたとき、べつに粋がっていたわけではないが、納める金がなかった。入るのか入らないのかハツキリシロと市役所の人におどかされて、ついつい拒否しただけのことで、おはずかしいしだいだ。でも、年金のことに関しては将来文句は言いません。と一筆念書を書かされた。驚いた記憶がある。
●食えなくなったら、妻と刺違えて死ぬ。それくらいの覚悟で生きている。おかげで、いまだに現役。今日も十キロの米、リポビタン、アスパラのドリンクのケース、二十キロちかくを背負って帰宅した。夜になれば、塾生が来る。まだまだ年相応の暮らしを楽しむのには、若すぎるのだ。そうなのだ。
●こんなのを、こんなカッコのつけかたを、年寄りの冷や水と呼ぶのでしょうね。
●明日は晴天。蝉の声。ブラッキーの甘え声。カミサンの元気な庭いじり、土とのたわむれ。わたしは「エマノン」とのデート。
●こんなわたしを生かしてくれる小さな田舎町の人たちに乾杯。田舎町で生きているから、守りつづけてこられた生活なのだ。

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日焼けした

2007-07-26 08:56:05 | Weblog
7月25日 水曜日 晴れ
●HALを笈のごとく背負って街にでる。猛暑になるだろうという予報を気象庁では、平年並みと訂正している。でも、今日は久しぶりの晴天で暑い。舟形盆地にある田舎町なので、低地のつねとして夏は暑く冬は寒い。高い建物がないので風が街をふきぬけていく。暑いのは暑いがそれほど苦にはならない。F橋から見下ろすK川に釣り人がちらほら見えた。長い竿を流れにつきだしている。
●暑くて背中がぐっしょりと汗をかいている。HALを赤子のようにまえにかかえこむ。かなり重い。こうした重みに耐えていつまで街を歩けるのだろうか。背中に背負っても、前に抱え込んでも、重いものは重い。あと20年は元気で街を歩きまわりたいものだ。と、希望している。希望が現実となっていくように、頑張らなくっちゃ。
●暗い葉群の奥でアンジェラが咲きだした。春には花がおおく、夏には葉蔭でつつましやかに咲く。いずれにしても、四季咲きのバラはありがたい。今頃は、庭に咲く花がきょくたんにすくない。半日陰なので、カミサンはかなり苦労して園芸に精をだしている。
●夜、体がべたついて不快なので冷水で拭く。露出していた首のまわりがⅤ字型の赤銅色に日焼けしていた。

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母猫

2007-07-25 07:30:57 | Weblog
7月25日 水曜日 晴れ
母猫 (ショートショート作品№2)
悲しい夢を見た。                             
いつも夢にでてくる町の氏神様の裏の薄暗がりだった。
ケヤキや杉の巨木があるのでそのあたりは昼でも暗かった。
道の向こうに味噌蔵が並んでいた。
高いところに、格子のある窓がある。
暗くぼっかりと空いた窓に影がある。
だれかが手まねきしている。
どうやらわたしが子供のころの風景だ。
道端に泉があった。
清らかな水のわきでる泉ではなかった。
生きているものを溶かしてしまう酸をふくんだ水がふきだしていた。
子猫がその泉にどっぷりと浸かっている。
下半身はもう粘液化していた。
ニャアニャア、悲しくないている。
子猫が前あしですがっているのは母猫だ。
泉のほとりの木の根元に釘付けにされている。                        
四肢を展翅板にかけられたように固定されている。
猫の皮はこんなに展性があったのか……。
うすっぺらにひきのばされている。
手足を止めてある四本の釘の頭が鈍くひかっている。
痛々しい。
スルメのようにかわききつて死んでいる。
それでも子猫は母猫にすがってないている。
ひからびて死んでいるはずの母猫の目に涙が浮かんだ。
あとからあとからふきだして泉の酸をうすめようとしている。
死んでからも、子猫を守ろうとして、涙で酸を薄めている。
それも、むなしい。
やがて子猫はすっかり溶けてしまった。
なき声だけがまだしている。
そんなことはない。
これは幻聴なのだ。
ニャアニャアと小さな声だけが酸の泉の面にただよっている。
母猫の涙はかれていない。
たらたらとしたたっている。
いつかこの酸の泉も清らかな泉になるだろう。
夢の中で、わたしも涙をこぼしていた。
  
夢の中でながした涙でまだ枕がぬれていた。
 
  

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故障

2007-07-24 03:45:16 | Weblog
7月24日 火曜日 晴れ、曇り、小雨
●デスクトップのパソコンが故障してしまった。ランコードで繋いでHALでブログを書いている。ひょっとすると、こちらも使えなくなるかもしれない。しばらくこのブログを休まなくてはならなくなる、かもしれない。その時は、ごめんなさい。
●HALのほうは使える。ブログは書きつづけられる。ご心配おかけしました。
●東京の息子から電話がはいる。「パソコンどうしたの」と聞かれて、ええ、どうしてわかったの? と危うく聞き返すところだった。このブログはみなさんにつながっている。息子や娘たちにも。四人いる孫にも。
●わたしは孤独ではない。思わぬブログの効用におどろいている。ささやかな田舎住まいのこの日常が広がりをみせだした。みなさんとつながりがある。そうしたことがわかって大変うれしかった。
●デスクトップのパソコンが故障したのはヤキモチだ。この携帯パソコンにHALとニックネームまでつけた。ハルちゃん。ハルちゃん、と愛用しいる。
●ヤキモチから、燃え尽き症候群のように、画面がホワイアウトしてしまつたお前さんに『夏男』という名前を進呈しょう。NATU。NATでいいかな?
●お前さんの相棒は生まれるとすぐにカクランしたそうだ。脱水症状に陥り大変だったとよく話していた。日本の夏で、観測史上最高温度40,2度。を、山形でつけた日に生まれたのだ。データーに記憶違いがあつたらごめんなさい。まあ、わが家の家系伝説の一つとなっている話なのであえて確認しません。まちがつていたら、ごめんね。ということで、二台のPCはめでたく、春と夏、由来はちがうがお前さんたち、HALとNATで生きていこうぜ。
●生まれてすぐカクランにかかった、いつでも頭の熱いノウテンキなわたしとぜひ末永く故障もせずつれそってください。伏してお願いします。

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雨の夜に

2007-07-23 03:11:35 | Weblog
7月23日 月曜日 雨
●いま、午前2時少し過ぎ。雨が4時間も降り続いている。トタン屋根に降る雨はその下で生活しているものにとってはたのしいものとなる。雨音が高い。木々の枝から落ちる雨粒もおおげさな音を立ててくれる。これで風でもすし吹けば、音には強弱がくわわりさらにたのしいものになる。
●受験勉強に励んでいる孫が二人いる。もう寝てしまったろうな。よくおやすみ。がんばったな。夏休みにはしばらくぶりで田舎へ遊びに来てくれるとになっている。田舎のない子はかわいそうな気がする。わたしのブログを読んで田舎住まいのいったんでも味わってください。
●なにもない小さな田舎町だが、いつも書くが、水と空気がおいしい。緑があふれてる。わが家から手を伸ばせばとどきそうなところに、雑木山がある。むろん小鳥が鳴いている。たのしいではないか。窓辺の小鳥のさえずりをききながら毎日HRLと向かい合っている。小説は思うように書けない。いろいろなほうへ筋が流れだしてしまう。悪い癖だ。いまだに、こう書けばいいのだと断定的に書きすすめられないでいる。バカだ。
●受験勉強や仕事でこの時間に起きているひともいるのだろうな。わたしも、夜のほうが落ち着いて仕事ができる。雨音をききながら、過ぎ越し方を思っている。おや、雨がやみそうだな。梅雨も明けるといいな。今年は夏バテしないように適度にお酒やビールをのんでかんばらなくちゃね。
●健康を維持していくのには貧乏していたほうがいいようだ。なにごともほどほどにする習慣がついている。まず、無理をしない。分限をわきまえている。それでいいのだ。
●HALちやん。おやすみ。みなさんもおやすみなさい。

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