田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

藤の花が、狂い咲き。GGもなんといわれてもいい、カムバックしたい。麻屋与志夫

2021-07-30 21:57:57 | ブログ
7月30日 金曜日
空は灰色の雲におおわれている。
ひとりで散歩に出る。
脳梗塞で二度も倒れている。
散歩の途中で血管が詰まったら……といった不安がある。

そうかといって、運動しないわけにはいかない。
このところ、血圧も130で安定している。
このさい少し運動量を増やそうと思っている。

若い人はいいな。
うらやましいよ。
GGなにると、いつも最悪のシナリオを頭に浮かべている。
このまま倒れても「行き行きて倒れ伏すとも萩の原」
――萩の原、萩の原と唱えながら一歩、いっぽ歩きつづける。
灰色だった空がにわかに暗雲うずまきカミナリグモとなる。
どうやら、今日も雷様のおでましらしい。
引き返すことにした。
遠くで雷鳴がとどろきだした。
正一稲荷のかたわらに飲み屋ができた。
「いなりのとなり」という店名が洒落ている。
そのうち飲みにこよう。
でも若い人の中にまじって飲めるだろうか。
やはり家で飲むのがいいのかな。
じぶんが、世間様の「よけいもの」になっているようで寂しい。

つまらぬことを、悩みながら家路をたどる。
出てくるときは気づかなかった。
塀の上に藤の花ふさが垂れていた。
かわいらしい紫色の小さな花が濃い緑の葉のなかにひっそりと狂い咲き。
季節でもないのに開花していた。
GGもこれから作家としてカムバックしたら狂い咲きみたいなものだろう。
雷鳴と共には激しい雨がふりだした。
今夜はクーラーをつけずに寝られそうだ。

麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムのサイトで読むことができます。どうぞご訪問ください。

カクヨムサイトはこちら

 

  今日も遊びに来てくれてありがとうございます。
 お帰りに下のバナーを押してくださると…活力になります。
 皆さんの応援でがんばっています。


-->
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

飽食の罪 麻屋与志夫

2021-07-26 12:18:51 | ブログ
7月26日 月曜日
どうも、書きにくい。Harassmentにならないかと心配だ。
自省の意図もあって、いちどはかきたかった。
わが家は両親ともに85キロもあった。
自省とかいたのは、わたしも85キロあったのだが、いまでは65キロ。
20キロの減量に成功した。

脳梗塞に二度もおそわれた。
体重のコントロール。
血圧は130におさえるように主治医にいいわたされている。

太った人が目につく。
テレビでもPopulism(大衆迎合)なのだろう。
太めのタレントが目につく。

減量に成功したものの……。
摂食に耐えきれず「ブッチャケタ」とわめいて、とくにお酒で酔ったときなど、ドガ食いをしてしまう。
あっというまに、おそろしいリバゥンド。
妻と肥満について話していると、目のまえを、太りすぎて、杖ではだめ、ベビーカーに頼って歩いている人がいた。
かつては、ベビーカーに赤ちゃんをのせてしなやかな腰つきで街を歩いていたのに。
夕暮れどきの街角に消えていく彼女を複雑な思いで、わたしたちは見送っていた。

肥満が原因でなる病気があるのに――。はっきりとしたEvidenceもある。

いままさに、オリンピック。鍛えぬいた筋肉の美しいアスリートがグランドを走っている。


麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムのサイトで読むことができます。どうぞご訪問ください。

カクヨムサイトはこちら

 

  今日も遊びに来てくれてありがとうございます。
 お帰りに下のバナーを押してくださると…活力になります。
 皆さんの応援でがんばっています。


-->
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京オリンピック開幕。この前のオリンピックには――。麻屋与志夫

2021-07-23 12:40:34 | ブログ
7月23日 金曜日
58年前。10月1日。1964年(S39年)。早朝。東武新鹿沼駅前。
朝焼けの空をわたしはみとれていた。薄紅色の空がしだいに秋の青空に刻々とかわっていく。わたしは、こんなに早く朝の大気をすったことはなかつた。
県のオリンピック通訳として勤務するために日光行の電車を待っていた。

あれから、58年。ふたたびオリンピックを観戦できるとはおもわなかった。
「むかしはよかった」などとは、いくら老人になってもおもわない。
ただ、あまりの、世相のかわりようにはあぜんとしている。

外食産業などということばはなかった。
イセロブスターを食べたいといわれて、困惑した。イセエビをたべさせる店もホテルもなかった。
テレビは小型。カラーテレビがようやくでまわってきた。
パソコンもスマホもなかった。

小説の原稿は手書き。わたしは「抒情文芸」に小説を書きだしていた。
塾で英語を教えはじめた。長女のSがうまれた。
未来が輝いていた。

「世の中かわったなぁ」と嘆息。
「そうよ。だってSの子ども、わたしたちの孫が、英語圏のロンドンで勤務しているなんて夢のようよ」

次女のところの孫、ふたりとも大学をでて勤務している。
長男のところの孫たちはまだ幼いが、健康にすくすくとそだっている。
わが家系の孫たちがどんな活躍をしていくかたのしみだ。

ともかく、生きつづけること。
わたしは、お座敷のかからない小説をかきつづけている。
いつの日か、カムバックできることを夢見ている。




麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムのサイトで読むことができます。どうぞご訪問ください。

カクヨムサイトはこちら

 

  今日も遊びに来てくれてありがとうございます。
 お帰りに下のバナーを押してくださると…活力になります。
 皆さんの応援でがんばっています。


-->
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

きょうはアメショウのルナと遊ぼう 麻屋与志夫

2021-07-18 09:52:58 | ブログ
7月18日 日曜日
すでに、梅雨もあけ、猛烈な暑さが到来した。すでに、といっても、三日ほど前までは、梅雨のなごりの雷雨が毎日やってきて、涼しかったのに……。
こうしたすばやい季節のうつりかわりは倭の国特有のものなのだろうが、老人のからだにこたえる。
さて、きょうはどう過ごそうか??? さくじつは、長時間パソコンとテレビにむかっていたので目が疲れた。ドライアイになやまされてる。
アメリカンショートヘアー♀のルナと遊ぼうかな。
ルナはいままで生活を共にしてきた猫とまったくちがう。だっこしたり、膝の上にのせたりされることは、だんことして拒む。
じっと廊下に座り、獲物をまちつづけている。その姿勢を崩すのは、わが狭小庭園を小鳥がわがものがおにとびまわったり、バラの花々にちょうやハチがきたりしたときだ。
猫と共棲するのはたのしい。わたしはわたしじしんヒップなCAT、自由人だとおもつている。なにごとも経験から学ぶことにしている。

いくら呼びかけてもルナ
おまえは、振り返りもしない
ただ尻尾でこたえるだけだ
廊下に臨んで
はるかかなた、アメリカ大陸に思いをはせているのか
1600年、メーフラワア号で
イギリスを出発した移民船にネズミの捕獲という
大役を担って勇躍大陸に渡った先祖をもつ
ワーキングCATの誇り
おまえは、それを忘れていない
わが庭にはおまえの獲物はいない
ごめんよ
ルナ




麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムのサイトで読むことができます。どうぞご訪問ください。

カクヨムサイトはこちら

 

  今日も遊びに来てくれてありがとうございます。
 お帰りに下のバナーを押してくださると…活力になります。
 皆さんの応援でがんばっています。


-->
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「空から火事が降ってくるんだから、どうしょうも、なかんべな」麻屋与志夫

2021-07-12 06:56:40 | ブログ
7月12日 月曜日
「空から火事が降ってくるんだから、どうしょうも、なかんべな」
大東亜戦争も日本の敗戦で終わろうとしていたこの日、昭和20年7月12日。
わたしの故郷、鹿沼が空襲にあいました。
B29の爆音が夜空に不気味にひびいている。
と思う間に、空に花火が上がりました。
夜空が真っ赤になりました。
花火など上がるわけがありません。
小学6年生のわたしはそのときはじめて、焼夷弾の落ちてくるのを目撃しました。
家族が一本のロープを握り、迷子にならないようにしていました。
ひとびとの中をかきわけるようにして千手山の森に避難しました。
森の暗闇でかがみこみ、ふあんにおののいていました。

このとき、わたしは森の奥に、白い馬がたたずんでいるのを見ました。
馬なぞ森にいるはずがありません。
白い着物を着た人でもいたのでしょう。
でもわたしには白い馬にみえました。

「空から火事が降ってくるんだから、どうしょうも、なかんべな」

わたしたちのかたわらで老人がつぶやきました。

法蔵寺に疎開してきていた、牛込区の津久戸小学校のみんなは無事に非難したろうか。
わたしはそんなことを考えていました。
柳家金五郎さんの子供さんがその中にはいました。
のちに、ロカビリー歌手として活躍した山下敬二郎くんです。
いろいろなことを思いだす今日ですが、共に語り合える友達はもう一人もいません。

ここまで書いて念のために検索しました。
敬二郎さんは年譜では1939年となっています。
わたしは1933年生まれです。
これでは年齢は合いません。
わたしが耄碌して、記憶があいまいになっているのでしょうかね。

でも、子どもがお世話になっているからと金五郎師匠が慰問にきてくれました。
初めて聞いた「平林かヒラリンカ、イチハチジュウのモックモック」
の落語はいまでも覚えています。



麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムのサイトで読むことができます。どうぞご訪問ください。

カクヨムサイトはこちら

 

  今日も遊びに来てくれてありがとうございます。
 お帰りに下のバナーを押してくださると…活力になります。
 皆さんの応援でがんばっています。


-->
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ものは考えようだ。 麻屋与志夫

2021-07-09 22:51:55 | ブログ
7月9日 金曜日
●雨の中、傘をさして妻と買い物にでかけた。このところ、雨が降りつづいているので、スーパーに新鮮な野菜がすくない。それを気にして買い置きしないで毎日野菜を買っている。
「傘をさして、歩いている人は、いないわね」
 妻の声が恥ずかしそうだ。
 車が水しぶきをあげてわたしたちの側をとおりすぎる。
 ボンビーだから、車もなく、大きなリックを背負って買い物か! とおもわれている。妻がそう感じているのがわかる。

●側溝は水嵩をまして流れている。鉄格子の蓋の上は滑るので、妻に注意をうながす。それでなくても妻はバラの世話で、中腰で仕事をしていたので、腰をいたわって歩いている。これでケガでもしたら、おおごとだ。

●傘をさしているので、さすがに二人で並んで歩けない。妻が珍しくあとからついてくる。マツキヨの前からは庇が出ているので、傘を閉じてサイドバイサイドとなった。

●「あの川のそばの老婆。川音がうるさい、と言っていたろう」
「ああ、おぼえているわ」
「ものは……考えようだ。おれは、川音をききながら生活できるなんて風流で優雅なものだ……とおもうよ」

●「ものは、考えようね」
サスガに六十年以上も共棲している妻だ。こちらの意図をすばやく理解した。顔に明るさが蘇った。

●帰路。雨はやんでいた。


麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムのサイトで読むことができます。どうぞご訪問ください。

カクヨムサイトはこちら

 

  今日も遊びに来てくれてありがとうございます。
 お帰りに下のバナーを押してくださると…活力になります。
 皆さんの応援でがんばっています。


-->
コメント (3)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする