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最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

父の遺した写真 7 瀬戸線土居下付近

2016年07月13日 | 鉄道
父の遺した写真 7 瀬戸線土居下付近

 前に記したように、瀬戸線の廃止部分、堀川✝から土居下✝までは、名古屋城のお堀を使っていた。堀川から東に向かい、久屋橋の東で直角に北に折れて、土居下で堀から出て東に向かっていた。

7-1 清水橋から見た瀬戸線 1959.1.07

 この写真は清水橋から北を見たところ。走っているのは、大津町行の上り電車である。大津町駅✝は堀川から本町✝に次いで3番目の駅で(他にもあったが、この頃には廃止)、堀川からたった1.0kmだから、大津町折り返しというのもちょっと変だが、堀川との間に「ガントレットポイント」という実質単線部分があって、線路容量が少なかったからだろうか。またそのくらい堀川付近は利用者が少なかったのだろう。大津町から栄町に路面電車が行っていたから乗降客が多かったのだろう。

7-2 土居下駅 1976.2.03

 1976年2月15日に土居下駅付近から堀川までが廃止された。写真はその12日前のもの。土居下駅に停車する下り喜多山行き電車。

7-3 土居下駅 1976.2.03
 
 同じく上り大津町行き電車。土居下駅には私も縁があって、小学校に入学した最初の一か月間(学校の建設が遅れて、5月から始まった。)だけ、この駅を通学に利用した。家は土居下駅の北約1.4kmにあって、一年生の脚で40分ぐらいかかったろうか。瀬戸線を降りるのは矢田駅で、こちらも学校まで0.8kmぐらいだろうか。ずいぶん歩いたものだ。6月になると、黒川から矢田町四丁目(現在の地下鉄大曽根駅東出口付近)に行くバスが通るようになって、ずいぶん歩く距離が短くなった。さらに矢田町四丁目から同十丁目(地下鉄ナゴヤドーム前西出口付近)を通るトロリーバスや、そこから砂田橋までのバス(随分小さなボンネットバスだったと記憶しているが、写真はない。)などが通ったから、ほとんど歩かなくて済むようになった。それも、まもなく直通の砂田橋行きが運行されるようになったから、便利になった。このルートは、高校卒業まで通学のお世話になった。
 写真の転載はご遠慮いただきたい。


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