OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

7月のカレンダー

2024年06月29日 | 今日このごろ


 Iguanodonの化石は早くから発見されていたが、関節の繋がった標本が少なかったために、体型の復元には時間がかかった。この左足部分の繋がった標本はWight島で発見されたもので、Owenは少なくとも3件の論文で扱っている。カレンダーに用いた図は、Owen(1849−1884)によるもので、「The History of British Reptile」のシリーズのもの。4冊(2冊がテキスト、2冊が図版)からなるもので、一部分ごとに順次発行されたから特定の部分の発行年は明確ではない。この標本のゆびの骨の側面観が、plate 44に示されている。

7-2 Owen, 1849-1884, plate 44. Iguanodon 足ゆび中足骨・趾骨の側面観(反転像)

 なお、ここでもスケールはpdf作成のデータに記された本のサイズから計算して記入した。精度は悪い。図は上から、1 第2趾の内側(第1趾の痕跡が付く)、 2 中央のゆび(第3趾)の内側、3 第4趾の外側 で、中央のゆびについては中足骨が示されていない。これらの判定の根拠になっているのは、各ゆびの節数で、哺乳類なら親指以外が同じ節数であるが、爬虫類では基本的に親指から一つずつ増えて・第4趾で最大となること。中足骨を除いて、哺乳類では2・3・3・3・3であり、爬虫類では2・3・4・5・4(先端の骨を含む)となることである。問題の化石はよく揃っているので、両側の第1趾と第5趾が退化していると推測できる。
 同じ標本の裏側はこの論文には示されていない。Owen, 1857のTab. 2に中足骨のあしうら側などの図がある。

7-3 Owen, 1857, Tab. 2. Iguanodon 中足骨 左:脛骨側、中央:うら側、右:つま先側、上から第4趾、第3趾、第2趾+第1趾の痕跡。(反転像)

 なお、こちらの図版説明では、metatarsusという用語ではなく、metapodialという語を用いている。Owenはこの時点でこれが後ろ足であるという確信がなかったのであろうか?恐竜類の前後の足の大きさが異なることはまだ確立されていなかったからだろう。
 この標本に関する論文はもう一つあって、1857年に地質学会で講演を行った内容を記録したもの(Owen, 1858)。この論文に「標本はすでに図示されてたWealdenの爬虫類のモノグラフ(1856)としているが、おそらく1857年の誤りで、先に記したものだろう。これらの内容はかなり重複しているが、一つにしか書いてないこともたくさんあるから全部見ないと概要がわからない。いくつかの項目を並べておく。
 この標本は、Wight島の海岸が嵐のため崩れて発見されたもので、Samuel Husband Beckles (1814-1890) という人が発掘した。この人の名前は、Owenのほかの論文で“Beccles”と誤った綴りででてくる。掲載した図は、例によって反転像である。同じ図は、1858年にも[Monograph]に掲載されている。1858年のものは、一部のサイトで折り込みの図を広げないままでスキャンされていた。この論文には左右の別が書いてない。また、それによると。発掘時にBeckles氏が注意を逸らした時に、見学者の一人が中央の指の先端の骨を取って海に投げ込んだために一つだけ失われたという。地質学会の講演記録(Owen, 1858)では「左足」と書いてあるから、反転像であることの確認は確認できる。
 ところで、この標本は「young indivisual of Iguanodon」としてあるが、どこで若いことがわかるのだろうか?

7月の文献
⚪︎ Owen, Richard, Sir, 1857. Monograph of the Fossil Reptilia of the Wealden Formation. Part 4. Palaeontological Society, 1-7, Tabs. 1-3. (Wealden層の化石爬虫類モノグラフ)
⚪︎ Owen, Richard, Sir, 1858. Note on the Bones of the Hind foot of the Iguanodon, discovered and exhibited by S.H. Beckles, F.G.S. The Quaterly Journal of the Geological Society of London. Vol. 14, Part 1: 174-176. (学会会員S.H. Becklesが発見し、展示したIguanodonの後足の骨についてのノート)
⚪︎ Owen, Richard, Sir, 1849-1884. A History of British Fossil Reptiles. Volumes 1 and 2. Cassel & Company Limited, London, vol. 1: pp. 1-657, vol. 2: Plates Chelonia 1-48, Laceertilia 1-10, Ophidia 1-5, Crocodylia 1-45, Dinosauria 1-85. (イギリスの化石爬虫類の歴史)

古い本 その169 平牧動物群 4 

2024年06月25日 | 化石

 やっと日本のGomphotheriumの論文(Matasumoto, 1926)に戻る。

631 上之郷番上洞産の長鼻類上顎(口蓋側)

 まず、佐藤の論文中に他の標本が出てくるのでそれについて記しておこう。長鼻類化石と同じ崖から、7メートルほど離れて同じ高さの所から発見された大腿骨と、1.2メートルほど低い位置からの脛骨が発見された(両方とも東濃中学に保管)という。さらに別の場所(平牧村二野:現在の可児市二野)から発見され、上之郷村嵯峨氏所蔵の犀の顎骨、またその近く産の東濃中学にある管状骨が出てくる。
 1980年に岐阜県立博物館は東濃高校の標本を博物館に移管することとし、哺乳類化石について研究を京都大学に依頼した。その結果は岡崎, 1980に掲載された。
⚪︎ 岡崎美彦, 1980. 可児地方産の哺乳動物四肢骨化石. 岐阜県博物館調査研究報告. No. 1: 1-8, pls. 1-2.
 それによると、大腿骨はサイの仲間のものであり、長鼻類ではない。

632 上之郷産のChilotherium pugnator 右大腿骨

 ひとつの崖で、このように大型哺乳類の骨が4点も発見されたので、全身骨格の産出の期待もされたが、残念ながら水流などで集積したものらしい。ところが、それにしても、この場所は今後の発掘に期待できるところである。現在は樹木が生い茂って、化石を探すような所ではない。

633 岐阜県御嵩町番上洞 2012.1.31

 なお、番上洞は「ばんじょうぼら」と読む。洞は東濃地方あたりで行き止まりの谷のような地形につけられる名称である。
 佐藤, 1914に出てくる修学旅行では、可児地方に行く前にはっきりと書いていないが瑞浪にも立ち寄っているようだ。文中のスケッチの一つに瑞浪の露頭のスケッチがある。

634 佐藤, 1914. 第一図 「戸狩第三紀層の露出」

 キャプションによると中央少し上の鍬を持つ人物は、「発見せる哺乳類の脊椎骨を発掘」しているという。ではこれはどこの崖だろう?瑞浪市化石博物館の前にある通称「ヘソ山」の北斜面は、稜線の向きはあまり違わないが、斜面は急で、こんな所に人に立てるようなところはない。さらに鍬で掘るというような硬さではない。現在はそこに樹が茂って、一望できる崖はあまりない。瑞浪市化石博物館の方によると、冬に樹が枯れればそういう写真が取れるかもしれない、とのこと。ここで発見された「哺乳類の脊椎骨」というのはその後文献に出てこないようだ。

 Gomphotherium annectns についてあと二つのことを書き加える。1926年に松本によってこの種類が記載された時の学名は、Hemimastodon annectens である。その後、この種類を入れるべき属名が数多くあるので、それについて年代順に並べてみよう。
 属名の変更に注目して、記載前に示唆されたものから順に記す。
1. ? Tetrabelodon sp. 佐藤 1914
2. Hemimastodon annectns Matsumoto 1924 (予稿)
3. Hemimastodon annectns Matsumoto 1926 (新種記載)
4. Bunolophodon annectens (Matsumoto) : Makiyama, 1931.
5. Serridentinus annectens (Matsumoto) : Shikama, 1937.
6. Gomphotherium annectns (Matsumoto): Tobien, 1972.
である。それぞれの属の記載論文を調べてみよう。この記事は、一部以前のものと重複するが、元に戻って見直すのは大変だろうから、再録した図などがあるのをお許しいただきたい。

1. 属Tetrabelodon Cope, 1884 
 最初の論文(佐藤, 1914)で示唆された属名。
 いろいろな論文で、この属の命名はCope, 1884となっている。例えば、何度も引用しているOsborn の「Proboscidea」によれば、Tetrabelodonの属名の提示は次の論文。
⚪︎ Cope, Edward Drinker 1884. The Extinct Mammalia of the Valley of Mexico. Proceedings of the American Philosophical Society, vol. 22, pp. 1-21. (Mexicoの谷の絶滅哺乳類)
 前にも書いたがProboscideaの文献目録はそこに現れる新名が付記してあるから便利なのだが、発行年の表記は独特で、同じ年のものにはピリオドの後ろに1からの通し番号がついている。現在の習慣では同年の論文にはアルファベットのaから順につける。Proboscideaではこの論文は「1884.2」となっているが、2月発行の意味ではなく、この年の(長鼻類に関する)二番目ということ。Cope の著作目録は, Osborn が1929年に記している。何しろ大量の論文を書いたCopeだから、1884年だけでNo. 755から817までの63件!の論文が列挙してある。
⚪︎ Osborn, Henry Fairfield, 1929. Bibliographical Memoir of Edward Drinker Cope 1840-1897. National Academy of Science of the United Stetes of America, Biographic Memoirs. Vol. 13, 3rd Memoirs. 126-317.
 これは追悼文ではあるが、大部分は著作目録で、それによると、Cope, 1884は、1884年10月21日発行。
 Cope論文の内容は、メキシコの国立博物館で行った研究の予察的な発表で、GlyptodonMastodonが出てくる。その中のElephantidae に次の3属が出てくる。Mastodon Cuv., Dibelodon Cope, Tetrabelodon Cope. 最後の属は、模式種として、T. angustudens、そしてそれ以外に9種をこの属に含めている。メキシコの報告だからその中の一種、Tetrabelodon andium Cuv. という種の産出地が「南アメリカとメキシコ」としてある。図はない。
 いいのかなあ? 前に書いたように、Gomphotherium属は1837年にBurmeisterによって記載され、模式種はMastodon angustidens Cuvier である。同じ種を模式として2属が記載されたのだから、あとで出てきた方はシノニムなのではないのか?この属を使うことはできそうにないが、いずれにしてもangustidensをこの属名に付した論文はない。次の属名に進もう。

私の旅行データ 38 鉄道乗車 8

2024年06月21日 | 旅行

B-10 瀬戸大橋線の四国側

 岡山から四国に渡る本四備讃線は、瀬戸大橋を渡ったあと、左にカーブして高松に向かう線と、まっすぐに丸亀方面に向かう線に分かれる。JTB時刻表では、高松に向かう列車(サンライズ瀬戸やマリンライナー)は岡山県の児島駅に停車したあと、香川県の宇多津駅を通過する記号が書いてあるが、実際には宇多津駅は通らないで左カーブの線に入る。時刻表で通過記号なのは、おそらく運賃計算で宇多津駅折り返しと同じ距離で計算するからだろう。

旅83 瀬戸大橋
 この高松方面の線を通る列車は特急「サンライズ瀬戸」上下各1本と「うずしお」「マリンライナー」の上下35本以上(下りは73号までの奇数、上りは70号までの偶数! JRで一番号数の大きな列車は「のぞみ」など新幹線を除けばこれだろうか?)が通過する。この部分の長さは約800メートル。瀬戸大橋・予讃線連絡の線路を通過するのは、特急「しおかぜ」「南風」それに快速の「ラ・マルことひら」で、上下約30本である。高松方面と予讃線・土讃線を結ぶのは特急「いしづち」や不定期に高松から琴平まで延長する特急「サンライズ瀬戸」などがある。
関係年表
瀬戸大橋 1988年3月20日本四備讃線として開業
予讃線 1897年2月21日 讃岐鉄道の高松・丸亀間開業。のちに予讃本線、さらに予讃線に。
私の予讃線乗車 1966年3月10日
私の瀬戸大橋線乗車 大橋から高松へ 1992年3月26日 大橋から松山方面 2004年4月19日
 いつのことはわからないが、四国に向かうときに車内で車掌さんにグリーン券をお願いした。茶屋町から宇多津の間だけである。数百円であったと思う。岡山から買うと少し高い。先頭列車がグリーン席で、正面の視界が確保されていて、通過に伴って吊り橋がたわむのが見える。橋を渡って高松に向かうが、「歌津駅で(グリーン券が切れるから)普通席に戻ります」と車掌さんに言うと、「そこまでしなくてもかまいません。」と言われる。そんなわけで四国内は不正乗車をしてしまった。

B-11 廃止された折尾短絡線

旅84 廃止された折尾駅周辺の線路

 折尾駅は鹿児島本線の下を筑豊本線が煉瓦造りのトンネルでくぐる立体交差駅であったが、筑豊本線ホームを鹿児島本線と北側に並列にして、博多方向に行ったところでトンネルにしてくぐる形に改変された。また以前あった黒崎から筑豊本線下り方向に連絡する線路は廃止された。通常「短略線」と呼ばれていたが、カーブ部分に折尾駅と別の改札口があって、「鷹見口」と名付けられ、改札を出てから鹿児島本線のホームに乗り換えることができた。連絡線の中に駅があるという珍しい形だった。1日にかなりの数の列車が通った。短略線のうち、本線と離れたところの長さは約410メートルだった。この部分の営業距離は設定されていなくて、折尾駅(本体)乗り換えと同じ運賃であった。

旅85 廃止される前の短絡線。前方に本線が見える。 2019年3月27日

関係年表 
JR鹿児島本線 1891年2月28日 九州鉄道として開通。折尾駅(九州鉄道)開業。
JR筑豊本線 1891年8月30日筑豊興業鉄道として開通。折尾駅(筑豊興業鉄道)開業。
折尾駅 1895年に共同駅となる.日本初の立体交差駅。

旅86 折尾駅の旧線の立体交差 2017年12月 21日

短絡線と「鷹見口」 1893年6月30日 貨物線として開通。1965年ごろから旅客列車が通るようになった。1988年3月13日「鷹見口」設置。2022年3月12日 短絡線と鷹見口を廃止。
私の筑豊本線乗車 1981年10月12日
私の筑豊本線新線乗車 2019年3月27日

北陸新幹線に乗ってきました 6

2024年06月17日 | 旅行

 発車に間に合い、息も治まって、車窓を見ると立山が少し見える。何度も富山に来たが、晴れ渡った立山・剱岳をみたことが無かった。今回も不満な景色である。富山では陽が差していたが、福井ではかなり雨が降っていた。敦賀で在来線にのりかえる。敦賀駅を出たところでは、これから建設される残りの北陸新幹線の準備と車両基地のための線路が見える。一瞬標準軌の新幹線のレールに狭軌のレールを足した3線軌が見えたような気がしたが、気のせいか。写真は撮れなかったし、衛星写真ではそんな新しい画像は見ることができないので、確認をできない。
 着席したのはサンダーバードの左窓側の座席であるが、敦賀を出てすぐに車窓から海が見える。そのことは前から知っていたが、やっと写真が撮れた。

31 北陸本線上り左車窓の海 2024.5.16

 敦賀から滋賀県の県境にある山地にのぼる傾斜を軽減するためのループ線である。
 向日町の客車区の新大阪よりに、転車台があるのを見つけた。これは写真が撮れた。

32 向日町の転車台 2024.5.16

 草が茂っていて、使われていないようだが状態はいい。新大阪で下車。今回の最後の目的地に向かう。
 北大阪急行の新大阪駅からいつもの御堂筋線に行くのではなく、反対の千里中央側に向かう。千里中央から先に箕面萱野までの二区間が開業した(2024.3.23)ので、ちょうど乗車の機会ができたのだ。いつも名古屋に行くからそのついでに乗ればいいようでもあるが、パック旅行では途中下車ができないから、今回のジパング倶楽部利用の機会はちょうどいい。

33 北大阪急行 箕面萱野終点

 新線部分は主に道路の下を通っていてトンネルもある。写真のように集電の第三軌条があるので、地下鉄の延長であることがよくわかる。
 今回旅行先では初めてICカードを使用。北大阪急行の乗車券に用いられている地紋を初めて見た。

34 北大阪急行のICチャージ領収書の一部

 ICカードの使用履歴は遠く離れたところの機械では駅名の表記が省略されたりすることがある。この場合北大阪急行線の乗降駅の記録を残すためには、新大阪駅で使用履歴を印字しておくのが確実なのだ。

35 新大阪(左:2024.5.16)とスペースワールド(右:2024.5.23)で印字した利用履歴。

36 二枚の履歴の対応部分を比較したもの

 緑の方は大阪地下鉄新大阪駅(同駅は地下鉄御堂筋線と北大阪急行の境界駅で、大阪地下鉄が駅を管理している)、茶色の方はJR九州スペースワールド駅で同じカードの履歴。上の見出しも全く違っている。ここでは消してあるが、カード番号は新大阪では全部書いてあり、JR九州では最後の4桁だけである。下の部分は発行駅などの記載で、スペースワールドの長い名前が居心地悪そう。
 この書類の主題である入場と出場の駅名がおもしろい。モノレール駅名はどちらもちゃんと書いてあるが、会社名「北モノモ」の理解は不能。一番異なるのは本文2・3行目の北大阪急行乗車部分で、新大阪の履歴ではちゃんと駅名が書いてあるが、JR九州では鉄道会社名しか書いてない。だから乗車した証明にしたいのなら地元で印字しないといけない。ちなみに長いこの駅名は、JR九州の履歴では「スペース」となっている。スペースが足りないのだ。今回新規乗車したところの中間駅名は「箕面船場阪大前」と長く、しかもその前に鉄道会社名を略した「北急」が入るがが、どう印字されるのだろう?
 新大阪駅に戻ってくると、計画よりもずいぶん早い。ここで、ジパング倶楽部の切符で来ていたことを思い出し、1時間早い便への乗り換えを試みた。切符は1623発の「さくら563号」指定席で、その前の1523発「さくら561号」まで20分ほどある。切符窓口は列ができていたが係員の数も多く、すぐに順番が回ってきた。しかし係員は「その号は指定席が満席。自由席に乗車するのはできるが、そのまま乗ってください」とのことで、改札に回る。ちょっとだけそのまま乗ることに抵抗があったので、係員のいる改札に行き、「このまま乗るように言われた」と言ったが、改札係員さんが首をひねり、一緒に出札窓口に行ってくれた。「予約切符の指定席から自由席への変更はできないが、変更後の列車の指定席が満席の場合には可能だ」と窓口氏に指導?があり、窓口氏も納得して自由席券に替えてくれた。私も納得。ところが指定席から自由席への変更による差額料金の払い戻しがあるという。金額は370円と、たいしたことはない。みなさん忙しい時期に仕事を増やして申し訳ない。

 乗車すると、「さくら」自由席は新大阪始発だから座れる、というよりもガラガラであった。最初からここを自由席で予約するのが正解だった。

37 さくら561号 自由席 新大阪 2024.5.16

 今回の「未乗車区間の乗車」という目的は、十分に達成できた。
JR北陸新幹線 富山・敦賀 125.1km (2024.3.17開業)
富山地方鉄道 富山港線 電鉄富山停留所・旧富山駅北停留所 0.1km (2020.3.21開業)
福井鉄道 福武線(駅支線) 福井駅前・旧福井駅前 0.1km (2016.3.27開業)
努力目標
福井鉄道 福武線 田原町駅構内 えちぜん鉄道連絡線 0km (2016.3.27開業)
えちぜん鉄道 勝山永平寺線 福井・福井口 高架化 (2018.6.24経路変更)

 この結果、私の未乗車線は私鉄1件(沖縄モノレール延長部分:4,1km 2019.10.1開業)だけとなった。2016.3.26に1か所から2か所に増えて以来、8年ぶりの少ない状態である。JRの未乗車率は0.65%から0%(125.1kmから0km)に、私鉄などの未乗車率は0.087%から0.05%(6.8kmから4.1km)になった。今のところ沖縄に行く計画はない。

北陸新幹線に乗ってきました 5

2024年06月14日 | 化石

富山地方鉄道
 この日は富山駅前で宿泊。駅ビル内で食事をしたが、外人客で混雑。寿司や海鮮関連の料理が多い。

25 居酒屋の前に置かれたエッチュウバイの貝殻

 居酒屋の前に富山の名物その名もエッチュウバイの殻がたくさん置いてあった。お願いして頂こうかとも思ったが、調理の関係か必ず穴が空いているのでやめた。帰ってからネットで調べたら、やはり尖った金属で太いところに穴を開けて身を取り出すのだそうだ。
 夜の軌道線の風景を撮影。

26 駅正面の三角線 2024.5.15

 左の南富山からの線と、右の県庁前方面を通る電車は、手前の富山駅駅に一旦入って方向を転換して行く。駅に入らないで左から右(またはその逆)に通過する定期便はない。前に来た時には朝1便だけあったのだが。

27 駅正面の三角線 地鉄ホテルから撮影 2024.5.16

 乗車料金は市内部分(軌道部分)均一で210円(全国ICカード)なのだが、富山地方鉄道独自のICカード「ecomyca」なら190円。私は前回富山に来た時(2015.4.24)に二種類を購入した。購入額2,000円(デポジット500円)で、使う機会もなかったから今回幾つか乗ってみた。
 均一料金なので、乗車時のセンサーは停留所にも車内にもなくて、降車時に運転席横でタッチする仕組み。ところが全国ICカードも使えるから別のタッチセンサーがあって戸惑った。運転士さんが「こっちこっち」と正しい方を教えてくださった。

28 ICカードの降車時センサー(黄矢印) 2024.5.16

 写真の中央にあるのがecomyca のセンサー。左のちょっと高いところにある箱が全国系のセンサー。富山地方鉄道は、カードの導入が早かったのが面倒の元になっているように思う。現在他の鉄道(つまりJRと「あいの風とやま鉄道」—何でこんなに面倒な名前が流行るのだろう?—)を含めて、ICOCAに統一する話が進んでいるらしい。

29 二種類のエコマイカ(ecomyca)2015.4.24購入

 ついでに、ICカードの利用がどのくらい確立しているかを見るために、駅に北側にある富山地方鉄道の乗車券案内所に行ってみた。そこで、「使用履歴は印字できるか?」と聞いてみると。機会にカードをセットして出力してくださった。A4の用紙に印刷された書類である。

30 プリントしてもらった利用履歴 2024.5.16

 チャージする機械では印字されないらしい。このように、同じようなシステムだが共通ではない。今回の旅行では、全国系のICカードを北陸では使用する機会が無かった。次に来る時があれば全部(北陸本線から移行した第三セクター鉄道を含めて、ICOCAの範囲としてすべて利用できるようになっているだろう。
 駅から少し離れたところにあるA店でお土産の鱒の寿司を購入。富山出身の知人に「キヨスクに出ているG店よりもお薦め」と言われたから。
 市内で立山の残雪が撮れないか探したが、天候が悪いのとビルが邪魔して撮れない。探している時に、発車時間の誤解があって、新幹線の「かがやき」にやっとのことで走り込んだ。直前に気づいてよかった。「かがやき」は全指定席である。この列車は大変乗り心地が良く、特に発車時にはほとんどショックを感じない。