OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

藍島 10月に採集した化石

2015年11月28日 | 化石
藍島 10月に採集した化石

 10月24日に藍島で採集した標本を報告する。今回は港のすぐ近くの石浜にあった40センチほどの転石一個から割り出したもの。

1 グリキメリスとモロポフォルス スケールは5センチで以下も同じ。

 グリキメリスはG. nagaoi だろう。G. cisshuensisと比べて小さく、全体が丸くなくて縁に直線的なところがある。モロポフォルスはMolopophorus watanabeiであろう。

2 モロポフォルス

3 グリキメリス

4 ピター

 ピターはたぶんP. ashiyaensis。

5 エゾフネガイの仲間 Crepidula sp.

 ユースピラかなと思って採集したが、家で見るとクレピデュラかな。この類は、カサガイのように付着する巻き貝。一部には空になった巻き貝の殻の内部に付着する種類もある。この化石はそうではない。芦屋層群からクレピデュラの記載はたぶんされていないと思う。
(10月の藍島おわり)


私の使った切符 その20 1970年9月

2015年11月25日 | 鉄道
私の使った切符 その20 1970年9月

 9月に呉線の大型蒸気機関車を撮影に行った。写真については「最後の蒸気機関車」シリーズで詳しく記した。



20-1~20-3 山陰周遊券

★ 1970.9.17(発行) 大阪発の山陰周遊券
 表紙は日本国有鉄道。だから京都から大阪まで別の切符で行って、大阪駅で購入したのだろう。周遊範囲は西舞鶴(舞鶴線)・綾部から長門市までの山陰本線・津山から三次までの姫新線と芸備線を境界とする山陰。大阪から周遊範囲へは、山陽本線から山陰へつなぐ各線(バスを含む)と、京都を通って山陰本線が指定されている。これを使って、まず大阪から広島へ夜行急行(急行名記録無し)で行き、そこで途中下車して呉線で撮影、広島から夜行急行「ちどり」で芸備線木次線経由で宍道(山陰本線)に出て、大社線✝に乗車、山陰本線で京都に出て、途中下車の形で旅行を終えるというもの。A券片に糸崎と広島の印、B券片に京都の印が捺されている。



20-4 呉線・山陰旅行で購入した切符

★ 1970.9.18 広島から三原・糸崎間ゆき乗車券
 天応と呉(ともに呉線)の下車印が捺されているので、当然呉線経由なのだが、切符には記入されていない。どうしてだろう。呉では音戸瀬戸にかかる音戸大橋を徒歩で渡った記憶がある。

20-5 音戸大橋 1975.9.19

★ 1970.9.19 仁方(呉線)から30円区間の乗車券
★ 1970.9.19 糸崎から尾道(ともに山陽本線)ゆき
 なぜこの切符があるのかわからない。撮影の時に尾道には行っていないから、単に糸崎からの近距離切符として購入したのだろうか。
 帰途の写真はあまり撮っていない。二連夜の夜行でもうろうとしていたに違いない。餘部鉄橋を見にいった。もちろん最近のではなく古い方である。

20-6 餘部鉄橋。1975.9.20

 11回から20回までに紹介した切符による乗車コース(赤線)と記念に買った乗車券や入場券(青丸)をプロットした。


20-7 「切符」シリーズ11から20で紹介した乗車券による国鉄乗車コース。


1991年モンタナ州の訪問 その12

2015年11月22日 | 昔の旅行
1991年モンタナ州の訪問 その12
Visit to Montana for digging, 1991. Part 12

 1991年7月6日、朝からモルガン氏にお願いしてサイトの発掘面を50センチほど掘り下げてもらうことになった。大きなブルドーザーを持ってきて、砂混じりの泥岩層を削っていく。

46 発掘サイトを見下す

47 ブルドーザーが来た

48 発掘面を削る

49 その間ひとやすみ

 ブルが動いている間は近寄れないから、リュックに水筒をいれて歩き回ることにした
(つづく)


私の使った切符 その19 1970年8月

2015年11月19日 | 鉄道
私の使った切符 その19 1970年8月

 1970年の夏も忙しかった。北海道から帰ってから、岡山大学グリーとの演奏会、名古屋の合唱団の合宿、そして夏の終りにグリークラブの清里合宿と続いた。ただ、グリーも半引退状態で、合宿に参加しても練習には加わらず、散歩して写真を撮ったりしていた。残っている切符はあまりない。



19-1~19-3 合宿に使った信州周遊券

19-4 牧場で発声練習

19-5 ギンボシヒョウモン

★ 1970.8.25(発行)信州周遊券
 周遊券表紙に記載されているのは「日本国有鉄道」これまでの「日本交通公社」ではない。駅で買ったのだろうか。B券片に3つの下車印が捺されている。長野・清里・清里である。旅程の記録は無い。名古屋から長野経由で小海線に入り、清里で合宿、最終日に甲府に行って演奏会、長野県にもどって、松本から上高地に行ってから帰ったと思っていたが、今年4月のグリー50周年で久しぶりに出会った仲のいい団員から、「帰途はM君の車で移動し、その途中皆で名古屋の(私の)家に泊めてもらった」と聞いた。当時中央高速道はないから、岡谷・塩尻経由で帰ったことになる。だとすると、上高地は行きに寄ったのか? この食い違いについては、ちょっと調べねばならない。

19-6 上高地で撮影


1991年モンタナ州の訪問 その11

2015年11月16日 | 昔の旅行
1991年モンタナ州の訪問 その11
Visit to Montana for digging, 1991. Part 11

 1991年7月5日、発掘サイトにお客様が来た。ウィニフレッドの高校生クレストさん。数十分発掘を見学して帰った。

42 牧場主モルガン氏と地元の高校生クレストさん 19917.5 Mr. Morgan and a student, Crest

 今日は一日発掘ばかり。

43 今日も天気が良い 1991.7.5 Eastern view from the digging site

44 下流側(東)を見る 1991.7.5 Eastern view from the digging site

45 上流側(西)を見る 19917.5 Western view

 発掘は順調ではなく、骨が出ない。明日は対策を講ずることになった。
 モルガン氏の一軒家は、井戸があるがアルカリ性の強い水しか出ない。シャワーを浴びた後は、きれいな水ですこしだけ浴び直さないといけない。そのきれいな水は、炊事用にも使うのだが、数日に一度モルガン氏がウィニフレッドの有料の井戸で汲んできてくれる。モルガン氏の牧場は広くて、ある日車で案内してくれたが、十分ほど走って一言「オレの土地はここで一旦途切れる」また数分走って「ここからまたオレの土地」とのこと。牧場内に野生のシカがいるそうだ。発掘サイトの西150メートルばかりの所に、川を横切って有刺鉄線のフェンスの名残があって、そこからは別の人の土地。「だまって入ったらライフルで追い出されるかも」と脅かされた。モルガン氏も隠し戸棚にライフルのコレクション(主に古いもの)があって、見せてくれた。「撃ってみるか?」と勧められたが遠慮した。
 夜は時間も短いしすることもない。テレビはよく写らない。新聞は一日ほど遅れてくる。夜暇だろうからと日本で本を二冊持ってきたが、来るまでの飛行機で全部読んでしまった。本はマイケル・クラントンの「ジュラシック・パーク」で、旅行にちなんだ本を探してみた。この本は後続の発掘アルバイター達のために宿舎に置いてきた。
(つづく)