OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

2024年6月のカレンダー

2024年05月29日 | 今日このごろ


 後になってOwenはイギリスの爬虫類化石標本をまとめた。亀類・トカゲ類・ヘビ類・ワニ類それに恐竜類と海生爬虫類などに分けて4冊の長いレビューを行った。4冊それぞれの発行年は表紙に記してないので、ここでは「1849-1884」と扱う。第1巻と3巻がテキスト、2巻と4巻が図版で、その順序は地層=時代別になっているから、目的のものがどこにあるか探すのは容易ではない。ここでは思い切って関係部分(恐竜・翼竜・首長竜・魚竜)だけの所在表を作っておこう。
1. 恐竜 vol.1:[259-271, 275-378, 503-536, 551-630] vol. 2[pls. 1-49, 59, 61-85] vol. 3:[89-125, 166-175] vol. 4[pls. 46-58, 87, 88]
2. 翼竜 vol.1:[234-258, 379-397, 436-454, 463-536, 537-550] vol. 4:[pls. 1-19]
3. 首長竜 vol.1:[213-221, 455-460] vol. 3[1-40, 152-165, 177-178] vol. 4:[pls. 14, Tab. 1-16, Pls. 17, 15, 26-32, 18, 20]
4. 魚竜 vol.1:[222-220,] vol. 3[41-88, 176] vol. 4:[pls. 1-7, Tab. 17-30]
5. モササウルス類 vol. 1:[460-462] vol. 2: [pls. 1, 2, 10] vol. 3:[126-128]

 今年のカレンダーで扱っているのはIguanodonMegalosaurus で、それらの記述・図版は次の場所にある。
Iguanodon vol.1:[259-271, 275-328, 503-530] vol.2: [Pls. 1-23, 43-49, 59]
Megalosaurus vol.1:[329-354] vol.2: [Pls. 24-34] vol. 3:[166-171] vol. 4[pl. 87]
 そして、今月のカレンダーにはvol. 2, pl. 16の下顎骨を選んだ。これについてのテキストは、294ページから298ページにある。(・・・ということを探すのはけっこう大変。)この部分で、Owenは非常に詳しい記載を行っている。本文では4個の下顎の標本を扱っているが、この図の標本はそのうちのHolmes博物館にあるStammerham標本で、Wealden層からの産出。若いイグアノドンの右下顎である。やはり反転像なのだ。この図だけでは内外の2方向しかわからないから、かみ合わせ側からの図を紹介しておく。こちらも反転像。珍しく陰が描いてあるのは、標本が立ててあるからだろうか。

6-2 Owen, 1849-1884, plate 17.

 他の動物との比較は、大型の装飾爬虫類の下顎などというものは現生では存在しないから、その比較は広範囲になってしまう。トカゲ類やワニ類、イグアナだけではなく、メガテリウムとミロドン(どちらも化石ナマケモノ類)まで登場する。こういった比較は、収斂進化であろうから、分岐分類学的にはあまり意味がない。

6月の文献
⚪︎ Mantell, Gideon, 1825. Notice on the Iguanodon, a newly discovered fossil reptile, from the sandstone of Tilgate forest, in Sussex. Philosophical Transactions of the Royal Society of London , Vol. 115: 179-186, Plate 14. (Sussex州Tilgate forestの砂岩から新たに発見された爬虫類の化石イグアノドンに関する通知)
⚪︎ Owen, Richard, Sir, 1849-1884. A History of British Fossil Reptiles. Volumes 1 and 2. Cassel & Company Limited, London, vol. 1: pp. 1-657, vol. 2: Plates Chelonia 1-48, Lacertilia 1-10, Ophidia 1-5, Crocodylia 1-45, Dinosauria 1-85. (イギリスの化石爬虫類の歴史)

北陸新幹線に乗ってきました 2

2024年05月25日 | 旅行

福井鉄道福井駅

5 福井駅前の福井鉄道

 福井鉄道は新幹線の延伸に先立って、駅前のやや離れたところにあった路面電車の電停を、広場に引きこんだ。この旧駅までの路線は乗車済みで、未乗車部分は100mほどである。新駅は2線1ホームで、道路とは分離されたところにある。すぐ横に恐竜の動くフィギュアが設置されている。

6 福井鉄道福井駅 2024.5.15

 この線路は、福井鉄道福武線の枝線で、本線(複線)の福井城址大名町停留所で別れ、単線で駅前に来ている。電車は南のたけふ新から来ても、北の田原町から来ても駅前に立ち寄って行く。その折には運転士は二度運転方向を変えなければならない。大名町停留所の分岐はY字型で、もしここを三角形にすれば運転方向の変更は一度で済む。その代わりポイントの切り替えは少しだけ複雑になる。
 この枝線に関係する歴史は次の通り。
1924.10.15 福井駅前停留所までの軌道線が開通。この年の2月以降たけふ新から順次開通してきた鉄道免許による路線を市内に延長してくる形で、その部分は軌道法による路線である。
1950.11.27 田原町まで開通。市役所前停留所(現在の福井城址大名町停留所)の経路を北から分岐する形に変更。
2007.5.15 私の乗車。
2016.3.27 福井駅前停留所を駅方向に延長して福井駅停留所に改称。0.1kmの延長。
2024.5.15 延長部分に乗車

田原町駅

 福井駅前から福井鉄道に乗車して、田原町に向かう。

7 福井鉄道の連接車 田原町駅でたけふ新行きを撮影 2024.5.15

 この電車の料金は、軌道部分で均一180円なのだが、鉄道部分に行くと別の料金となる。今回は軌道の均一区間内なので、180円。本当は三国港側に一区間だけ乗車したかったのだが、そうすると別会社なので2倍くらいの料金となるから田原町で下車。乗ったのは写真とは別の編成だが同型の3両連接車で低床車である。写真は、福井鉄道専用のホーム側から、共用の線をみたところ。この向こうにえちぜん鉄道専用の線があってこのように右に曲がらないで向こうに直線的に向かう。

8 田原町 上(北)の線はえちぜん鉄道、下から来て一番南のホームは福井鉄道の専用ホームで、中央ホームは共用。

 駅員さんも両方の会社の方がいて、とくに両ホームをつなぐ連絡歩道の通行には注意を払っておられる。現在福井鉄道からえちぜん鉄道三国港側に6駅行ったところの鷲塚針原まで乗り入れていて、その便は上り下りとも中央のホームに止まる。福井鉄道の折り返し電車は南の行き止まりの線に入る。えちぜん鉄道は駅の正面ではなく裏側(東側)に行く。これも(別の)福井行き。つまり福井行きの電車は3つすべてのホームから出発する。
 この両線はすでに乗車したことがある。今回ここにきたのは、中央の会社をまたぐ部分に乗ったことがないからだ。前に乗った時にも連絡するレールはあったが、木製の柵か何かで通れなくなっていたように思う。停車するえちぜん鉄道の電車からチラッと見ただけで確かではない。
 えちぜん鉄道の駅員さんと話をしながら、いろいろと見て回った。次の写真は、降雪地らしい積雪のセンサーだという。

9 積雪センサー 田原駅 2024.5.15

 なぜ斜めなのかわからない。
 田原駅関連の年代表を記す。
1928.12.30 三国芦原電鉄 福井口駅・芦原駅(現在はあわら湯のまち駅)間開業。
1937.4.1 三国芦原線 田原町駅開業。
1942.8.1 三国芦原電鉄 京福電気鉄道に合併。
1950.11.27 福井鉄道福武線 本町通り駅(2002年に廃止)・田原駅間開業。
2003.2.1 三国芦原線をえちぜん鉄道へ譲渡。
2007.5.15 私の福井鉄道福武線・えちぜん鉄道三国芦原線乗車。偶然今回と同じ5月15日だった。
2016.3.27 えちぜん鉄道三国芦原線と福井鉄道福武線の相互直通運転開始。
2024.5.15 連絡部分乗車。

北陸新幹線に乗ってきました 1

2024年05月21日 | 旅行

 2024年3月17日に北陸新幹線の金沢・敦賀間が開業した。最初は混んでいただろうが、そろそろ落ち着いてきたかと考え、乗ってきた。
 乗る前の全国の鉄道未乗車区間は、JR ではこの新幹線183.7km(営業距離)だけ。他に私鉄の4か所があった。そのうちの2か所は、北陸新幹線の駅に連絡する市内交通の改善に伴うものだった。さらに、路線の駅接続部分での高架化や地下化があったので、それらも乗車しておこうというわけ。
 ところで今回はJR乗車券類を「ジパング倶楽部」による割引券で入手した。コロナ期間に使わなかったし、名古屋や東京などの往復ではホテルと一体のビジネスパックが安いから近年ほとんど使っていなかった。会費は安くないから、この5月末までで退会することにして、最後の利用とした。今回の旅行では、山陽新幹線部分を「さくら」に限定されることが条件。「のぞみ」及び「みずほ」は使えない。ほぼ計画通りに旅行できたが幾つか切り替えたところもある。順に記す。

1 福井へ
 939の「さくら544」で新大阪へ。

1 天候はうすぐもり 2024.5.15 小倉・新神戸間のどこか

 天候はやや悪いが、雨が降るほどでもない。霞んでいるのは黄砂のせいか? 終点の新大阪で下車。いつも新大阪駅は通過するばかりで、乗り換えることもない。昨年豪雨の運転障害で後続の「のぞみ」に乗り換えて以来の下車。昼食を購入して在来線ホームへ。ここのホームはいつも忙しい。在来線電車の各停と快速などのホームが4線の他、優等列車のホームも4線ある。京都から来る関空行きや南紀行きの他、福知山線関連の特急も次々と現れる。

2 サンダーバード21号入線 新大阪駅 2024.5.15

 北陸本線方面への列車は、大阪発敦賀方面ゆきが「下り」にあたる奇数番号を用いる。新大阪駅から見て東海道本線はもちろん京都方面が「上り」である。これは、サンダーバード(21号の場合の列車番号は4021)の話なのだが、例えばすぐ後続の新快速(1220新大阪発の姫路からくる湖西線経由の敦賀行き)の列車番号は3454Mと、上り扱いの偶数の列車番号を付されている。サンダーバードが敦賀までとなった3月21日以降は新快速と同じ扱いで偶数にすることも検討されただろうが、これまでの長い歴史を考えるとできそうにない。ところが、このサンダーバード21号からの乗り継ぎ新幹線は、東京始点だから「つるぎ」の場合には偶数の22号なのだ。
 ところで、新大阪駅での新幹線から在来線特急への乗り継ぎには3月まで「乗り継ぎ割引」が適用されていたが、廃止された。ここだけではなく新幹線から在来線特急の乗り継ぎ全体なので、ずいぶん大きな値上げである。しかし、敦賀の乗り継ぎには改札口を出ない場合で両方とも指定席であると別の表によるやや安い指定席料金が適用される。後ろめたかったのかな。

3 小倉から富山までの乗車券と、サンダーバード・つるぎの指定席特急券

 サンダーバードの座席前のポケットに、敦賀での乗り換え手順の説明がある。バーコードからスマートフォンに取り込むと、動画での案内もあるらしい。

4 敦賀駅のつるぎ22号 2024.5.15

 一階は在来線、二階が中間改札で三階が新幹線のホームになっている。経路は床に書いた色線で分かりやすいが、もともとそんなに複雑ではない。
 福井まで各駅停車の「つるぎ」に乗車。

古い本 その168 平牧動物群 3

2024年05月17日 | 化石
 Gomphotherium angustidensについて調べている。Osbornが図示した”holotype”はCuvier, 1806のPl. 1, Fig. 4である。

626 Cuvier, 1806 Pl. I

 Osborn, 1936の340ページに、「Mastodon angustidensのholotypeのレプリカ」という図がある。

627 Osborn, 1936. P. 340, Fig. 299. レプリカのスケッチ

 この図のキャプションに、「Cuvierの二つのレプリカのうちの一つ」としてある。さらに、「標本のサイズが116 mmと60 mmで、Cuvierの元記載と一致する」としているが、Cuvier, 1806では本文中にPl. 1, Fig. 4の標本のサイズとしてその数字を記しているが両者の歯の形態は全く異なる。たまたま数字が一致したのだろうか?これをholotypeとするわけにはいかない。
 これらのことから、Gomphotherium angustidens (Cuvier) はMastodon属、OsbornはTrilophodon属)の模式標本は、フランスのSimorre産出のものである。この場所は、イベリア半島の付け根の、最も幅の狭いところの、ちょうどマルセイユ近くの地中海と大西洋のビスケー湾の中間で、都市でいうとToulouseトゥルーズから少し西に行ったところ。地質時代は中新世中期。標本がいくつあったのかはわからないし、それらが同一個体かどうかも確認できそうにない。だから、Cuvier, 1806のPl. 1, Fig. 4標本は、Osbornが選んだlectotype とするのが良いのだろう。
 Gomphotherium angustidens の年代は日本のG. annectensの年代よりも新しい。最近の池袋などの化石ショーでは、ヨーロッパ産のGomphotherium angustidens の標本は必ず出品されている。

628 化石ショーで販売されていた標本1 2017.12.03 池袋

629 化石ショーで販売されていた標本2 2017.12.03 池袋

 化石商の方のお話では、牙(これはあまり販売されていない)の太さに二形があるようで、雌雄差であろうということだ。このことが岐阜県の標本に当てはまるなら、(幼い個体ではないから)番上同のホロタイプ(頭部)は雌である可能性が高い。のちに報告された下顎はそれと同一個体と推測されるから同様である。
 次に、Gomphotherium 属の命名について調べると、その文献は次のもの。
○ Burmeister, Hermann, 1837. Handbuch der Naturgeschichite zum Gebrauch bei Borlesungen entworsen. I-xxvi, 1-858.(講義のための博物学ハンドブック)

630 Burmeister 1837 タイトルページ

 ご覧のように「ひげ文字」の印刷物である。「自然史」全体の講義の材料というので、非常に広範囲の話が出てくる。そこで関係部分に絞りたいのだが、このひげ文字はOCRで読み取れない。いろいろと探して、795ページから始まる§775「Pachydermata」(厚皮動物)にあった。このセクションには次の項目が含まれる。
6. Fam. Proboscidea.
   小項目 Elephas (Elephant)
       Mastodon  関係部分
7. Fam. Genuina
7A. Gattungenn mit Rüssel 吻のある諸属
   小項目 Tapirus バク
7B. Gattungenn ohne Rüssel 吻の無い諸属
   小項目 Hyrax ハイラックス
       Rhinoceros (Nashorn) サイ
       Hippopotamus カバ  以下略
 この構成は、先のCuvier, 1817と少し順序が違うだけでほとんど同じである。 850ページ以上のこの本のうち関係のあるのは「Mastodon」のたった5行、しかも前3行はアメリカのオハイオ州のMastodontというのだからおそらくMammutに関する記述。従って「Stotzzähne beiden Kiefern belatz die gleichfalls untergegangene Gatt. Gomphotherium」(Gomphoterium属も絶滅属で、両方の顎に牙があった。)というのが、この属の最初の公表らしい。図も無いし標本の指定も産地もない。もちろん二名法では無い(といっても「属である」とは言っている)し模式種もない。好意的に見れば「両方の顎に牙がある」というのが上下の顎にそれぞれ複数という意味らしいから、この類の特徴を書いてあることにはなる。
 ところで、Osborn 1936 の文献リストにBurmeister, 1837 が出てくるのだが、「オリジナルを入手できなかった」としてある。オズボーンが入手できなかった古い論文を私は数十分のネット作業で手に入れることができたのだ。以上の調査の結果を記す。
Gomphotherium 属 Burmeister, H., 1837. 
模式種 Mastodon angustidens Cuvier, G. 1817 Simorre, France. 中新世中期

私の旅行データ 37 鉄道乗車 7

2024年05月15日 | 今日このごろ

B−8 大崎駅南の湘南新宿ライン
 首都圏の鉄道乗りつぶしには多くの困難がある。とにかく路線名と運行名・「ライン」名などが錯綜している上に、異なる会社間の乗り入れ関係があって、乗りつぶすべき路線のリストを作るのは至難。私の場合には「並行線は一つ乗れば全部通過したとみなす。」とか「各部分は駅で繋がれる(途中で別れる場合には並行していても別線)。」という私的ルールがあるから、さらにめんどう。ただ、地理的に限られているし、運行本数が多いから、リストができれば実行するのは比較的簡単。
 山手線がらみでは、当初は貨物の運搬もしたが、乗客の増加とともに、山手貨物線として並行別線を設け、さらにそれも新しい運行形態の増加とともに旅客列車の線としてルートを設定する、といったことが繰り返されてきた。

旅80 大崎駅南の湘南新宿ライン

 山手線から横須賀線西大井の方につなぐ線で、以前は貨物線だった。多くの普通列車のほか、新宿から小田原への特急「湘南」(下り1から15号の奇数・上り2から14号の偶数)またまた一部の臨時特急「サフィール踊り子」「湘南」が通る。これらの列車の営業キロは品川で横須賀線に折り返した時と同じになっている。
 「本線」から離れたところは、上の地図の赤点の間で、長さ約1320メートル。私はこの線を通った記憶が無い。その北半分はりんかい線(2004.8.4乗車)と並行している。両者が同一の会社なら片方乗ればクリアとなるのだが、別会社なのでそうはならない。上の地図で橙色の線は私鉄を示す。左下の東西に走るのは、東急大井町線。

 上記のほか、通称「武蔵野南線」(貨物線)を通過する臨時特急「鎌倉」がある。これについては、鉄道路線リストの「毎日定期列車が運行する」という私的原則から外れるようだが、調査中。

B-9 東海道貨物支線(梅田貨物線) 

旅81 梅田北の貨物線と他の鉄道線との関係 破線は旧線

 京都方面から関西国際空港まで行く特急「はるか」は、新大阪まで東海道線を通るが、時刻表では阪和線・関西空港線のページに出てくる。ページのヘッダーに「はるかの大阪駅発着番線は、うめきた地下エリアホーム21番線(関西空港方面)・24番線(京都方面)です」という注意書きがある。2023年3月18日の時刻改正後の表記で、それ以前は大阪環状線のページにあった。3月号からは大阪駅のところに発車時刻が書かれていて、次の福島駅からが「通過」の「レ」マークになる。その間を通るのが東海道貨物支線である。新大阪から淀川を渡るまでは東海道線と並行した線で、その後右に曲がって大阪駅の東海道本線などから離れた地下にできた新ホームで停車し、福島駅の手前で東海道線をくぐって福島駅の先で大阪環状線と合流する(上の図の青い線。破線は地下化する前の経路。)。地図上での距離は約2580メートル。東海道本線とずいぶん離れたところを通るが、実はこの間にあるひし形に近い土地は、最近まで大阪駅の一部であった。貨物支線側から南に向かってたくさんの留置線が伸びていて、大阪駅の裏側で行き止まりになり、そこで荷扱いをしていたところである。国土地理院の地形図(1995年修正)ではこの線とその間を覆う屋根が描かれている。
 私の父が1958年に撮影した写真でもそれが写っている。

旅82 大阪駅の北にあった貨物ヤード 1958.1.28 父の撮影

 写真は第一生命ビル(現在もその名のビルが駅前にあるが、1990年に建て替えられている)から撮影したもので、手前が東海道本線や大阪環状線のホームで、向こうにそれと直交する形で並行する屋根がある。
 つまり、そのヤードの外縁を通る線だけが貨物線として離れて走っていたことになる。貨物線は複線。JTB時刻表の索引地図では表記されていないが、2023年3月以前は二重線で表記されていた。営業距離は設定されていない。私の乗りつぶしのデータとしては、すでに地上線を通過しているから、線路位置の変更にあたり、未乗車区間としてカウントしないことにした。
通過列車 
梅田貨物線 上り下りとも特急「はるか」(季節運行を含めると約30本)が通る。
関係年表 
梅田貨物線 1928年12月1日 上淀川信号所・梅田駅間開業 1934年6月1日 福島駅・梅田駅間開業 2023年3月18日 地下化し、経路も少し変更。大阪駅の「うめきたホーム」新設。
私の乗車 1993年6月26日 乗車した特急の記録が無いが、特急「くろしお」だったはず。地下化された部分は未乗車。