OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

2023年10月のカレンダー

2023年09月29日 | 今日このごろ

10月 Eurhinodelphis Cocheteuxi du Bus
文献:Abel, Othenio 1931. Das Skelett der Eurhinodelphiden aus dem oberen Miozän von Antwerpen. Memoires du Musée Royal d’Histoire Naturelle de Belgique, Memoire No. 48. (=Verhandelingen van det koninklik natuurhistorisch Museum van Belgie, Verhandling Nr. 48): 191-331, Pl 19-29.(アントワープの上部中新統からのEurhinodelphis 類の骨格)
 使用した図はPl. 19で、Eurhinodelphis 属の6個体の第一頸椎を比較した図版であるが、そのうちの3個体のところをトリミングして示した。6個体の種類はいずれもdu Busの命名した種で、 Eurhinodelphis Cocheteuxi(左の二個)、右がE. cristatusである。原図版の配列を変更した。ここでトリミングした写真は、最上段が第一頸椎の頭側、二段目が尾側、3段目が背側、4段目(二つだけ)が腹側である。側面観の写真もあるが・ここではトリミングした。この下に、6個体をかなり詳しく比較した文章がそれぞれ記されている。
 驚くのは扱われている標本数で、Eurhinodelphis Cocheteuxiが71標本、E. cristatusが、28標本、E. longirostrisが66標本、の計165標本としている。ここではよく揃った骨格も、一個の骨の破片でも1標本と数えている。
 Du Busの原記載はまず次のもの。
Du Bus, 1867. Sur quelques Mammiféres du crag d'Anvers. Bulletin de l’Académie Royale des Sciences des Lettres et des Beaux-Arts de Belgique. 1867 (Nos 9 et 10): 562-577. (d'Anversの幾つかの哺乳類について)
 これにEurhinodelphis Cocheteuxiの命名が記されている。残り二つの種E. cristatus とE. longirostris は、1872年du Busの命名らしいが、その論文はよく分からなかった。
 哺乳類の最も頭側の脊椎(第1頸椎)は、もちろん頭骨と関節する。頭骨には脊髄が出てくる丸い穴が空いていて、その両側にそれぞれ半月形の膨らんだ関節面がある。第1頸椎はアトラスと呼ばれるが、神話で地球を支えている神アトラスにちなんでいる。ついでに第2頸椎はアクシスと呼ぶが、こちらは第1頸椎に付き出る軸のような部分があるので「軸」にちなんでいる。アトラス・アクシスと並べると対になっているようだが、原義は対応語ではない。なお、日本語では、環椎・軸椎と呼ぶ。頭骨と第1頸椎の関節は首に対して頭を「うなずく」ように縦に回転したり、横にかしげる動きを支配する。第1頸椎・第2頸椎の関節は、道を渡るとき「右を見て左を見て」の動きを支配する。
 クジラ類では全体的に頸椎の自由度は低い。高速で泳いでいるときにうなずいたりすれば、生命の危機となる可能性がある。下の写真は原始的ヒゲクジラ類の環椎。

漸新世芦屋層群産 Yamatocetus canaliculatus の環椎頭側

同 環椎尾側

 もう一つ参考のためマッコウクジラの環椎の絵を示す。

Beneden, 1868-1879. pl.18.(一部)マッコウクジラの環椎(頭側)

 この原典は次のもの。
van Beneden. 1868-1879. Ostéographie des Cétacés vivants et fossiles. (表題はもっと長いが一部だけ記す)Atlas. pls.1-64.(図の解説は1880年発行の別の巻にある) (現生と化石の鯨類骨格図)
 昔からよく引用されてきた図集であるが、日本国内には所蔵するところが少なくて入手に苦労した方が多かった。図書館で最大の巨大な本である。現在はネットで手に入るが、図はディジタル化が安易であまり良くない。
 上のマッコウクジラの環椎は、Benedenの解説では、上がPhyseter australis,下はPhyseter macrocephalus のものとなっている。現在は、Physeter macrocephalus Linnaeus に統一されている。なお、Benedenは図のスケールを示していない。私の知っている標本では、環椎の横幅67センチという東大阪市の埋没標本の例がある。しかし、この鯨には個体差が大きく、特に雌雄でサイズが異なるので目安にしかならない。頭骨側の関節面は非常に浅い。

私の旅行データ 21 航路 1

2023年09月25日 | 旅行
航路北日本

 島に行くのが嫌いというわけではないが、恥ずかしいほど島を訪れていない。旅行計画の上で、天候などに左右される船の移動を敬遠していたから。今になってみるともう少し試みても良かった。

旅2 利用した航路 東北日本

 交通機関としての船を地図に落としてみた。だから観光船で元のところに戻るようなのは記していない。記録がいい加減だから、もっとあるかもしれない。
 鉄道連絡船は宮島以外すべて廃止された。ここに記した航路でも、橋ができて廃止された厚岸の航路は無くなったし、塩釜市営渡船も乗船時よりもルートが減ったようだ。

航路北日本 の話題「北海道へ」

 北海道へは15回も行った。北海道に渡るにはいくつかの方法があって、時代とともに変わってきた。1976年までの学生時代には青函連絡船がほぼ唯一のルートだった。使用した乗車券が「北海道均一周遊券」であったから、それで乗れることが大きな理由。そこまで6回の旅行で、一回だけ帰路に室蘭・青森フェリーで帰った。

旅3 函館港 1969.7.24

 この写真が初めて青函連絡船に乗船して函館に着いた時のもので、私が北海道に上陸した時のものということになる。たぶん下船して船に平行な通路で列車ホームに行く途中で北西側の桟橋に着岸した摩周丸がコンテナーの荷役をしているのだろう。私がこの摩周丸に乗ってきたと推測される
 次の時代は就職して時間的な制約があり、また出張であればほとんど自動的に空路を選択することになった。2008年までがこの期間で、6回の北海道訪問のうち1回の片道(青函トンネルを通る在来線)以外は空路を使った。

旅4 新千歳空港 1998.7.01 北海道からの帰途

 写真は1998年に学会参加の帰りに新千歳空港で撮影したもの。この機体色はJASのものだ。
 2010年に退職すると、時間ができたのと自分の趣味に従って行動できるようになったので、空路と「北斗星」で往復し、東京で化石ショーに参加することもあった。この時期のルートは4回が在来線、2回が空路。

旅5 上野駅の「北斗星」 2010.12.09

 写真は、上野駅に入線してくる「北斗星」。上野駅のこのホームは行き止まりだから、バックして入ってくるところで、左前方が青森側である。この時はこれに乗って函館で降車し、恵山のホテルに宿泊して翌日在来線特急などで東京に帰ってきた。そして最近の2017年には北海道新幹線の乗車に行った。北海道への往復は空路、函館に宿泊して青森まで新幹線で往復した。

旅6 北海道新幹線 2017.5.17 新函館北斗

 結果として、空路が最多で14回、次いで青函連絡船の11回、青函トンネルが6回(内2回は新幹線)、そして恵山フェリー1回ということになった。
 今後新幹線が札幌まで延長されれば、青函トンネルを通る機会もあろう。できればこの区間を通る残りの二つのフェリー(大間フェリーと三厩フェリー)の乗船を目指したい。

古い本 その151 古典的論文補遺 その2

2023年09月21日 | 化石

 368件の論文をリストアップし、インターネットで探した結果、363の論文が見つかった。これはおどろくほど高い率で、見つからなかったのはたった5件。ただし、見ることができても、textとしてコピーできない論文が50件あった。原因は、ファイルが画像として取り込まれていたためらしい。ディジタル化されたものの、文章がゆがんでいると読み取れないようだ。有名な研究者の論文は早い時期にディジタル化したためかこういう「OCR不可」のものが多い。例えばIguanodon属を記録したイギリスのG. Mantellの論文(「古い本」91・92:2022年3月掲載)は7件の論文(1825-1850)を集めたが、当初うち4件がtextファイル取り込みできなかった。ただしこれらは幾つかの工夫をしてほぼ全部読めるようになった。これに対して最も件数が多いO. C. Marshの論文は61件もある(1862-1899)が、半数近い29件が当初読み取りできないファイルだった。

564 Marsh 1881 「Note on American Pterodactylus」画面上でドラッグする

565 上の画面で青く指定したところをワードのページにコピーしたもの。

 上のスクリーンショットは、Marsh の翼竜に関する論文だが、textを取り込むためにドラッグすると、ご覧のように一続きの文として認識されない。この状態でコピーして、ワードやエクセルに取り込むと、青く色付けされた部分が順序を変えて取り込まれてしまう。よく見るともとのテキストは直線上ではなく左右の端で歪んでいるが、それが原因だろうか?
 別のサイトのファイルに変更したり、自分で入力しなおしたりして(Marshの論文は短いものが多い)現在読み込みができない論文は11件に減らした。短いものは、画像を見てワードで入力し、pdfで保存すればtextとしてコピーや検索ができるようになる。これによって、翻訳ソフトで読むことが可能になるから、ドイツ語・フランス語の論文も理解できる。翻訳にあたっては、一旦英語に訳し、地質・古生物関連の用語を手直ししてから日本語に訳すと割合にまともな文になる。例えば「bed」という単語を「寝床」と訳したのではわけが分からなくなる。化石の話なのだから、寝台はでてこない。ここは「層」と訳してくれなくては。
  なお、読み取り可能なファイルでも、日焼けした画像を明るさ・コントラスト処理をしたり、文字情報を書き込んだりすると画像ファイルに変更されて読み取れなくなるので注意が必要。
 363件の入手できたものの中に、小部分の欠けた論文が10件あった。特にOwenの著作に多い(8件)。欠けているのは図版で、この場合は折り込みの図版を広げないでスキャンしている。

566 Owen 1858. Tab. 1. Iguanodon の中足骨

 折込を広げないでスキャンした上に、作業をした人(女性?)の手が写り込んでしまった。さすがに気付いたらしくてこのページをスキャンし直してある。しかし...

567 Owen 1858. Tab. 1. Iguanodon の中足骨 やり直したもの。

 今度は手を入れなかったが、折込を開くということは思いつかなかったようだ。この不完全なpdfは、次の文献。
⚪︎ Owen, Richard 1858. Monograph on the Fossil Reptilia of the Wealden and Purbeck Formations. Supplement 1. Dinosauria (Iguanodon). Palaeontgraphical Society London. Monograph. : 1-7, plates 1-3.(Wealden とPurbeck層の化石爬虫類のモノグラフ:追補1. Iguanodon
 若いIguanodonの中足骨を示したものだが、幸いにもOwenはずいぶん後にこの図を再録している。

568 Owen 1848-1884. Plate 43. 若いIguanodonの足

 再録された論文は次のもの。
⚪︎ Owen, Richard 1848-1884. A History of British Fossil Reptiles. Vol. 2. Plates 1-85. Cassell & Company Limited, London. (イギリスの化石爬虫類の歴史)
 Owenの恐竜他に関する著作については、「古い本」94(2022年4月21日)・同130(2022年11月13日)・同132(2023年1月5日)にも記した。これらは「Monograph on fossil Reptilia of...」で始まる論文群で、地層別、つまり地質年代別に刊行されている。関連する記事を書くときに、大半を取り込んだがうまくいっていなかったので、このジャーナルを全体的に見直した。次回はそれについて整理しておこう。

私の旅行データ 20 空白域 S・まとめ

2023年09月17日 | 旅行

 尾鈴山エリアは広い空白域。北側は、TVロケで祇園山などを回った時にタクシーで通った経路で、中央付近に入り込んでいるのが、案内した経路。

20km-57 TVロケで訪れた祇園山 右は柳生 博氏 1986.11

 東側は、日豊本線(1986年8月乗車)と化石産出地を地元の方に案内していただいたルート、
南西側は吉都線(1987年12月)で、南西から入り込む経路も1987年12月に乗車した湯前線(1989年10月からくまがわ鉄道)、西側は肥薩線(1971年3月)で、通過した。

20km-58 球磨川 1968.8

尾鈴山のデータ 10km以上の未接近地 [熊本県] 1市4町3村 [宮崎県]  6市5町3村。(これらのうち五木村・水上村・綾町・西米良村・諸塚村・美郷町は未訪問)
面積は10km以上 約3.48平方km 
20km以上 [宮崎県]  椎葉村・美郷町・日向市・木城町・西都市・西米良村・小林市。約368平方km

 私の旅行経路から20km以上離れた場所は、主要四島では以上のところである。10km以上となると数も多いし、面積も広い。
 30km以上 8か所 約460平方km 主要四島の0.2%
 20km以上 27か所 約8,900平方km 主要四島の3.9%
 10km以上 129か所 約6,600平方km 主要四島の29%

旅1 私が行っていないところ

 まんべんなく全国に広がっている。東京付近などの大都市周辺はやや少ない。北海道はさすがに広いから多く、とくに30kmランクの地区の半分は北海道にある。
 主要四島で最も私の経路から離れたところは、積丹半島の先端神威岬で、37.7km。2位も北海道で日高山地の37.2kmである。ここまでが35km以上。以下32km台の佐田岬半島・尾瀬・紀伊半島、31km台の瀬棚/江差・知床半島・下北半島 までが30km以上である。岬型のところが多くて内陸型のところは日高山地・尾瀬・紀伊半島の3か所にすぎない。30km以上のところの面積は主要四島のたった0.2%しかないし、20km以上でも4%以下であるからずいぶんくまなく回っている。それと比べると10km以上のところは約30%もある。
 未接近地で面積が広いのは、10km以上の範囲では、最も広い紀伊半島は約3,950平方kmもある。以下、2位は日高山地(3,396平方km)、3位は尾瀬(3,114平方km)、4位の九州尾鈴山の3,047平方kmまでが3,000平方km超え。20km以上の範囲では1位が日高山地(1,600平方km)、2位は紀伊半島(1,,464平方km)で、ここまでが1,000平方km超え。以下3位は尾瀬(939平方km)、4位月山の840平方km, 5位の下北半島(589平方km)までが500平方km超え。
 都道府県別の未接近面積順(10km)で見ると、北海道の15,694平方kmが唯一1万平方km超えで、群を抜いて広い。2位の福島(3,955平方km)の4倍近い。3位は岩手(3,617平方km)、4位は意外にも高知(3,028平方km)。都道府県の面積(島の市町村を引いてある)に対する比率では、ずいぶん様子がちがう。全国平均は18.8%なのだが、1位は奈良の46.7%、半分近い。2位の高知(42.6%)、3位の和歌山(35.8%)、4位の宮崎(34.5%)と、西南日本の雨量の多そうな県が並ぶのは、やはり山が深いのか。5位の山形(30.3%)までが30%を超える。逆に未接近(10km)面積比が低いのは、長崎県の0.05%が圧倒的に少ない。次いで千葉県(0.61%)、3位が山口県の1.29%で、ここまでが2%切り。東京・福岡・滋賀がいずれも2.9%代で追っている。大都市は鉄道密度が高く、平野部が多いので未接近地は少ない。
 なお、この統計は主要四島に限定したので、沖縄県が入っていない。沖縄本島の10%未接近区域は、本島の面積の約30%にあたる。また、面積の計算方法を途中で変えたので、前の方の文章と違う数字のところがある。原因は、面積を地図のピクセルで計算したから、境界線の太さのちがい、また近似色で領域を選んだから、その許容度の大きさで少し違ってくる。相対的にはあまり変わりない、と思う。
 今後、このリストを大幅に減らすことはかなり難しい。文中で幾つかの制覇ルート候補を記したが、よほど近くまで別件で行かないと実行できそうにない。リニアの開通に伴う南アルプス通過ぐらいはできそう。記してないルートとしては、積丹半島周回はいいかもしれない。「空白域」の他に、未訪問市町村や、宿泊していない奈良県で一泊、などの他のデータも関係してくる。
 以前には国土地理院の2万5千分の一地形図に踏み込む、というデータも記録していたが、「地形図を買う」ということが無くなったので、現在は記録していない。ネットの地形図は便利だが、当然「地形図境界」というものが無意味になった。紙の地形図の方が距離感がつかみやすいという利点はあるが。
 もう一つ、「自宅の周りの道路をなるべく歩く」というのも最近やめてしまった。以前のように遠くまで散歩しなくなったから。以前は自宅から2.5kmの円内の通ったところを図上に紀録していた。

古い本 その150 古典的論文補遺 その1

2023年09月13日 | 化石

 ちょっと縁のないものの例としてPlacodusを紹介しよう。19世紀にすでに知られていた爬虫類で、長頚竜類にやや近い三畳紀の海生爬虫類である。なお、下記の論文全体では、第1巻から第5巻までと、それぞれのAtlas(図版)の計10巻からなり、発行年は1833-1845となっていて、巻ごとの発行年はどこに書いてあるかわからない。ある資料ではPlacodus属の命名年を1843年としているから一応そうしておく。
⚪︎ L. Agassiz. 1843. Recherches Sur Les Poissons Fossiles. Tome I (livr. 18). Imprimerie de Petitpierre, Neuchatel . (化石魚類の研究)
 以下の引用は、部分的なページを(Part)として記したが、本来は一続きのもの。
 この標題で分かるように、AgassizはPlacodusを魚類だと考えていたようだ。Picnodontsという、体高の高いグループにGyrodusなどと一緒にまとめられている。
(Part) Agassiz, L., 1843?. Chapitre 4. Du genre Placodus Agass. Part 2, Text: 217-222, Part 2 Atlas: Tab. 70-71.
Placodus 属にはP. gigasなど5新種が示されている。別の巻に図版がまとめられていて、カラーのスケッチがある。

559 Agassiz, 1843. Tab. 70. Placodus spp. 頭骨・歯

 模式種のPlacodus gigas は、右下の頭骨口蓋面と、その上の左下顎骨側面と背面の二つ、他に歯の幾つかが同種のものである。これを見てもどうなっているのかわからない。黒く強調されているのが歯で、外側(唇側)の列は上顎骨に生えているが、口蓋骨にはもっと大きな歯が3対ある。現在は頭骨の全形が分かっていて、RomerのVertebrate Paleontologyに頭骨の骨の構成の分かる図がある。

560 Romer, 1966, p. 126. Placodus 頭骨 (After Broili) 頭骨の全長は約15cm

 この図では下顎の形態がわからないが、Meyerの論文にそれがわかる図がある。

561 Meyer, 1862. Tafel 9. Placodus Andriani 下顎

 上のスケッチの掲載された論文は次のもの。ディジタル化がうまくいっていないので、ちょっと薄くなったところがある。
⚪︎ Meyer. Hermann von, 1862. Placodus Andriani aus dem Muschelkalke der Gegend von Braunschweig. Palaeontographica Beiträge zur naturgeschichte der Vorzeit, Band 10, Lief. 2: 57-61, Tafel 9.(Braunschweig地域のMuschelkalkeからのPlacodus Andriani
 Muschelkalkeというのは、ドイツの三畳紀の地層のうちの中部の名称。貝殻石灰岩と言う意味。「三畳紀」というのは、ドイツでは下からBundsandstein, Muschelkalk, Keuperの三つが重なることから名付けられたことは、地質学では知っていて当然。現在はこの地層(時代)を二つ(AnisianとLadinian)に分ける。
 全身の形はこんなもの。平たい体で、海底の貝類を破砕して食べていたという。左右の下顎の融合部の前後長が長い動物は、下顎で地面を掘るような動きに適応したものと言われる。やはり貝を掘るのだろうか。

562 Romer, 1966, p. 126. Placodus 全身 (After Peyer) 頭骨の全長は約15cm

 ここまでのデータを整理しておく。そのあと、これまでに書いた内容に不足や誤りがあったので、それぞれ訂正と追記をする。どうして間違ったのかも書いておこう。
 古い中生代爬虫類他の論文集めをした。意外だったのは、調べた6つのグループの中で、翼竜が最も早く名付けられていたこと。最初の翼竜Pterodactylusは1809年にCuvierの論文に出てくる、というのだが、本文に書いたように彼の論文に出てくるのはpetro-dactyleであって、ptero- ではない。ちなみに6つのグループそれぞれの、最初の属の命名年は早い順に 翼竜:1809年(Petrodactylus) 魚竜:1821年(Ichthyosaurus) 長頚竜:1821年(Plesiosaurus) モササウルス類:1822年(Mosasaurus) 恐竜:1824年(Megalosaurus、ただし恐竜という概念はまだない) 中生代鳥類:1861年(Archaeopteryx)。なお、IchthyosaurusPlesiosaurusは同じ論文に出てくるが、本文の記述の順序はIchthyosaurusが先。ここで順位をつけたのは属の命名順で、化石の発見を比較するとまた違う順序になるだろう。

563 10年毎の命名年の分布

 属の記載論文の言語は英語が圧倒的に多いが、内容的にはドイツ語の論文が詳しいようだ。英語にも詳しい論文がたくさんあるが、それはおもにイギリスの文献で、アメリカのものは命名としてちょっと簡単すぎるものが多い。このころまでの論文の言語は英語、ドイツ語、フランス語の三つしかない。他の言語で記載したものが一つぐらいあるかと思ったが、今回の調べでは見つからなかった。
扱った属 
恐竜:30 中生代鳥類:7 翼竜:15 魚竜:6 長頚竜:14 モササウルス類:15  (合計:88属)
模式種の産出国 アメリカ:32属 イギリス:23属 ドイツ:11属 カナダ:6属 ベルギー:4属 以下 モンゴル・スロベニア・クロアチア:各2属 インド・チェコ・イタリア・ニュージーランド:各1属
参考論文 1950年以前:353 内未入手または不完全:18
1923年以前の論文の言語 英語:145 ドイツ語:30 フランス語:12
このブログの記事は「データ整理」部分を除く字数:約168,000字 図版数;242枚
集めた論文のデータ(主に.pdfファイル) 368論文(1955年ごろまでのもの、一部ワニとカメ関連も含めた) 容量98.3GB テキスト約12,500ページ、図版1360 (大半の図版は説明ページが付く)。
 著作数の多い著者は、1位Marsh(米) 60件 2位Owen(英) 45件 以下Meyer (独)23 件 Cope (米)19 件 Seeley(英) 16件 Lambe (カナダ)14 件 Dollo (ベルギー)12件 Gilmore(米) 10 件 で、ここまでが10件以上。Marshの著作件数は多いがそのほとんどが短いもので、ページ数(textページ数+plateページ×2)で比較すると圧倒的にOwenが多く(3,758)、Marshの約9倍に達する。ページ数順位はOwen Cope Meyerの順。ファイルの容量で比較しても、この英米独の3者が最上位(Owen:30MB Meyer:26MB Cope:9MB)。