OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

9月の馬島

2012年09月27日 | 今日このごろ
9月の馬島
Umashima, fossil hunting in September

やっと涼しくなってきたので、馬島に行ってみた。昨年は秋の最初のハイキングとして、9月24日に藍島に行ったから、3日ほど遅い。今年は馬島にしたが、結果は最悪だった。
10時半の渡船で馬島へ。年長者割引として半額で行けるのはありがたい。


1 馬島・藍島渡船
Umashima Ainoshima Ferry

天候は安定しているが、南にある台風のせいか、高いところに巻雲がある。


2 渡船から見た馬島
Umashima from the ferry

今日の下関の干潮は13時半過ぎだから、引いてゆく途中である。島に着くと様子が違う。港の中で何か海中工事をしていて、大きなクレーン付きの台船がとまっている。島の南に行く道が封鎖されているので、迷っていたのが北の海岸に決まってしまった。そこに行こうとすると、向こうからお神輿が来る。秋祭りに出くわしたようだ。それにしても何と寂しいお祭りだろうか。神主さんと担ぎ手の数人、太鼓担当の方以外には4人ほどのギャラリー?しかいない。神主さんは横笛も担当している。何度も馬島に来たがお祭りを見るのは初めて。


3 馬島の秋祭り
Autumn fest in Umashima

帰途にはお神輿はもうなかったが、集会所の中にひとの集まっている気配があったからそこで宴会でもあったのだろうか。
北海岸で化石を探したが、なにもない。やっと小さな先の欠けたサメ。オドンタスピスを見つけて採集。


4 サメの歯化石
Oligocene odontaspis

ほかに、鯨の脊椎の採集跡(に残った欠片)を見たが、これは以前にも見たことがある「再々発見」。さすがにこれは採集しなかった。


5 鯨脊椎採集跡
Oligocene cetacean vertebra

いくつかの場所を見たが、余りにも成果がないので13時43分の小倉行で帰途についた。


6 船着き場は猫がいっぱい
Many cats at wharf of Umashima

小倉でちょっと買い物と喫茶店でコーヒーを飲んで休み、家に帰った。成果がないのが残念。

最後の蒸気機関車たち その28 1971年3月

2012年09月23日 | 最後の蒸気機関車
最後の蒸気機関車たち その28 1971年3月
The last steam locomotives in Japan. No. 28 (Mar.1971)

飯塚で撮影の後、冷水峠を越える列車に乗り込む。


143N 飯塚駅 1971.3.25 D60-25 922列車
143-147: Chikuho line, Iizuka Station, Fukuoka Pref.


144N 飯塚駅 1971.3.25 D60-25 922列車

D60-25は、1972年5月に廃車。
改造していないD50も見られた。


145N 飯塚駅 1971.3.25 D50-205 723列車


146N 飯塚駅 1971.3.25 D50-205

D50-205は、1971年6月に廃車。


147N 飯塚駅 1971.3.25 D60-52

車体には、改造前の番号D50-192を示す銘板が取り付けられている。


148N 筑豊本線飯塚・原田間 1971.3.25 D60-52 1732列車
Chikuho line, between Iizuka and Haruda Stations, Fukuoka Pref.

D60-52は、0972年5月に廃車。
この桂川―原田間は、かつて特急列車も通る本線だったが、現在は列車の数も減り、乗り潰しの難しい区間の一つになってしまった。例えば、桂川7時35分発の下りディーゼル列車の次は、10時20分まで運行が無い。その次は13時18分の土・休日運転のがあるが、平日は14時28分発まで4時間も列車がないのだ。一日の運転本数は9本(その内1本は土・休日運転)である。
ここまでで、アルバムの2冊目が終了。九州旅行のフィルムに番号が付してあって、No. 1が終了。おそらく発掘を写した2番目のフィルムが無いが、機関車の写真はなさそう。次回は発掘の後旅行した南九州に入る。
登場蒸機 D60(写真143・144・147・148)D50(写真145・146)

2020.6.09 写真を入れ替えた。番号の後に「N」が付いているのが改善した写真。

Trivial database of a retired curator, OK.

100歳

2012年09月19日 | 今日このごろ
100歳
Celebration of 100 years old

私の母は健在で、現在99歳。去る3月には白寿のお祝いをした。その年度に100歳に達する年の敬老に日あたりに、各所からお祝いの品が届く。私の家には9月13日に小倉区長がご来訪になり、お祝いの品々をご持参頂いた。
北九州市長名の祝状・記念品と祝金
福岡県知事名の祝状・記念品(記念品は別送)
総理大臣名の祝状・記念品(銀杯)
町内会からも記念品が届いたからひと荷物である。
祝状はいずれもりっぱな「賞状」である。総理大臣名の賞状なんてなかなかもらえるものではない。


1 母と祝状


2 野田佳彦総理大臣名の祝状 


3 同銀杯

どのくらいの人数がこのお祝いを受けたのだろうか?

データ:
○ 厚生労働省のHP  2012年9月14日報道発表資料
今年度中に百歳になられる高齢者(9月1日現在)25,823人。
○ TVQニュース  2012年9月15日
福岡県内で、今年度、新たに100歳を迎える人は1169人で….。
○ 北九州市HP  敬老祝金の対象者:9月1日現在で、市内に引き続き3ヶ月以上居住し、年度内に次の年齢(この後に100歳などの表がある)になる方。
ここには人数の記載はない。2010年に、接触できなかった対象者の人数が多くて問題になったせいだろうか。
別ページに人口統計がある。2012年3月31日現在の人数で、99歳の総数は283人(女性が245人を占める)。うち小倉南区は82人(内女性73人)。半年近く前なので計算上は1割ぐらい減っているだろう。

区長さんは70人ぐらいのお宅を訪問されたのだろう。連絡のつかなかった人や訪問を辞退する方が居たかもしれないので少し減るかも。それにしても二・三日ではとても回れない。
母が実際に100歳に達するのは来年1月。年よりのことであるから、いつ何時体調が急変するかもしれない。市のHPに、9月1日を基準として「年度内に次の年齢になる方。」との規定があるので、確かにもらっていいと確認できた。もしもの時にも返さなくていいだろう。

ところで、話は「白寿」にもどるが、「白」の字は、上に「一」を足すと「百」の字になるので「白=99」とする習慣がある。さらにこの「九十九」を「も」(=100)に付くとして「つくも」と読む例が、各地の地名などにある。例えば九十九湾は、石川県の能登半島東岸にあるのを「つくもわん」と呼ぶ。一方、長崎県佐世保にあるのは「九十九島」で、こちらは「くじゅうくしま」と呼ぶ。同じ長崎県の島原にも九十九島があるが「つくもじま」と読むのでややこしい。「九十九」の付く地名には他にも「つづら」などの読みもある。


4 佐世保の九十九島の一部 2012.3撮影

京都大学教養部地学教室の研究報告は「九十九地学」と題していた。1966年から年一回発行されていたが、1990年頃以降のは文献に出てこない。1993年には教養部が廃止された。近年研究報告の国際化と電子化、それに査読雑誌の重視に伴って、大学の教室ごとの研究報告が発行されなくなる傾向が強い。この「九十九地学」は「つくもちがく」と読む。京都大学理学部地質学鉱物学教室の所在地が左京区北白川で、その名は銀閣寺の前を流れる白川に由来する。東から谷を下ってきた白川は銀閣寺前で疎水をまたいで、吉田山の東を南に流れるから、吉田山の西にあった教養部(所在は左京区吉田)とは関係なさそう。なぜ「白」に因んだ名前だったのだろうか?


5 京都大学教養部グラウンド 1965年撮影

写真は、左端遠景が比叡山、右寄りの山が大文字山で、その手前に低平な吉田山。白川は比叡山と大文字山の間から京都平野に出て、吉田山の向こうを右に流れる。

最後の蒸気機関車たち その27 1971年3月

2012年09月15日 | 最後の蒸気機関車
最後の蒸気機関車たち その27 の前に….
最後の蒸気機関車たち その26 1970年 補遺
前回ちょっと書き漏らしたことを記す。
京都駅の写真の遠景に写っている回転展望台のことだが、前回「現在のリーガロイヤル京都の展望台」と書いた。正確には回転レストランである。
同ホテルのホームページやWikiで当時のことをちょっと調べてみると、当時の名称は「京都グランドホテル」で、1969年11月開業だそうだ。撮影記録がその一年後の1970年11月。名前にもかすかな記憶があるのでそれでいいのだが…
その後に「1975年8月同ホテルの新館開業」「1997年リーガロイヤルに改称」となっている。そうすると、写っているのは新館ではないことになる。1975年のは、大きな改築でなかったのだろうか。ちょっと気になる。
以上こだわってみました。補遺ここまで。

最後の蒸気機関車たち その27 1971年 3月
The last steam locomotives in Japan. No. 27 (Mar. 1971)

1971年1月には、名古屋市科学館前に静態保存されている2400型機関車の2412と、イベントで名古屋大曽根に来たクラウス17号の写真を撮った。クラウス17号機は現在岩手県に静態保存されているが、1971年当時は動かすことができた。
個人的には、イベントや記念列車の類いは好きではい。生活に使われていた機関車の写真が好きなので、ここでは掲載しない。いずれその機会もあるかも知れない。
3月に九州旅行に行った。目的は壱岐島で行われた化石の発掘に参加することだったが、ついでに機関車の写真を撮影してまわった。コースは記録されていないが、フィルムから判断すると、筑豊本線で撮影後壱岐に渡って発掘。解散後、肥薩線・指宿枕崎線などを通っているようだ。この旅行からアルバムに列車番号が記入してあることが多くなった。「鉄道ジャーナル」や、「最新SLダイヤ情報」などが、蒸機廃止に向けて多くの情報を知らせるようになったので、番号を知ることができるようになった。特に貨物列車については時刻表では何も分からなかったから、撮影に出かけるにはダイヤの情報がほしかったのだ。


137N 筑豊本線 1971.3.25 C55-57 
Chikuho line, Fukuoka Pref.

C55-57は、最後まで残った機関車の一つで1975年3月に廃車された。その後一時期個人が保管していたが解体。
飯塚駅で、D60を撮影。バックの山は炭砿のボタ山である。前に記したようにこの旅行では、撮影列車の列車番号がアルバムに記録してあることがある。1971年ごろ読んでいた雑誌は「鉄道ジャーナル」で、1971年から1974年はすべて読んだ。そこで、1970年末から1971年3月までの「鉄道ジャーナル」を見直したが、九州のダイヤなどは掲載されていない。結局どの雑誌の資料を見たのかはわからなかった。


138N 飯塚駅 1971.3.25 D60-71+D60-32 1762列車(貨物)
138-141: Chikuho line, Iizuka Station, Fukuoka Pref.

D60-71は、1972年 9月に、D60-32は1972年 10月に廃車。
機関車を二つつけた「重連」で冷水峠を越えて飯塚に到着したところ。ここで先頭の機関車をひとつはずして、さらに折尾方面に向かう。


139N 飯塚駅 1971.3.25 D60-32 1762列車(貨物)


140N 飯塚駅 1971.3.25 D60-32


141N 飯塚駅 1971.3.25 D60-32 1762列車(貨物)

バックの3つの山はぼた山で、現在も少しなだらかになって残っている。文化財として保存されている旧住友忠隈炭鉱のぼた山だろう。ただ、現在は緑に覆われているので見かけが大きく異なる。石炭が支える蒸気機関車の運行を示す写真。


142N 筑豊本線 1971.3.25 D60-71 923列車
Chikuho line, Fukuoka Pref.

D60型機関車はD50を改造したもので、1970年代には筑豊本線だけで用いられた。1974年にすべて運行を止めたが、いくつかは静態保存されている。
登場蒸機 C55(写真137)D60(写真138~142)

2020.6.09 写真を入れ替えた。番号の後に「N」が付いているのが改善した写真。

Trivial database of a retired curator, OK.

最後の蒸気機関車たち その26 1970年11月

2012年09月11日 | 最後の蒸気機関車
最後の蒸気機関車たち その26 1970年 11月
The last steam locomotives in Japan. No. 26 (Nov. 1970)

保津峡から京都駅に行く。現在の山陰本線ホームに変わる前で、終点側に機関車をはずすための「機回り線」があった。機関車を前に付けるために到着した列車からはずして、ポイントで切り替えて別線で回り込む。外した機関車はターンテーブルで向きを変えて次の列車につなぐ。京都のような大きな駅では別の機関車が付くが、北海道の行き止まりの駅などでは同じ機関車で帰って行ったから、折り返しにはちょっと時間を要した。


132N 京都駅 1970.11.6 C57-190
132-136: San’in line, Kyoto Station, Kyoto Pref.

むこうにあるのは現在のリーガロイヤル京都の展望台。こんな前からあったのか。


133N 京都駅 1970.11.6 C57-41


134N 京都駅 1970.11.66 C57-41


135N 京都駅 1970.11.66 C57-39


136N 京都駅 1970.11.6 C57-87

京都付近で撮影したC57のうち、C57-190は、1971年6月に廃車。C57-41は、1974年6月に廃車。C57-39は廃車年不明。 C57-87は、1975年3月に廃車後、沖縄県今帰仁村のホテルに保存されていたが、2005年解体された。
1970年はこれで終わり。蒸気機関車がなくなるまであと5年。
登場蒸機 C57(写真132~136)

2020.6.08 写真を入れ替えた。番号の後に「N」が付いているのが改善した写真。

Trivial database of a retired curator, OK.