OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

古い本 その55 命名規約

2021年04月28日 | 化石

 学名を提唱する際のルールが命名規約。現在のものは国際動物命名規約(International Code of Zoological Nomenclature)の第4版である。

137 命名規約 2000 日本語版 表紙

 第4版日本語版の出版は2000.10.20、本の著者は「動物命名法国際審議会」、発行は日本動物分類学関連学会である。規約の発効は2000.1.1である。第4版からは日本語版も正文として認められた。それまでは、英語と仏語の正文だけしかなかったが、4版からはいかなる言語でも承認を経て正文を作成できるらしい。日本動物分類学関連学会には現在25の学会が加盟していて、私に関連するものとしては日本古生物学会がある。他に日本哺乳類学会にも以前は加入していた。
 新種の命名にあたっては、この規約に従う必要がある。また、用語についても規約に掲載されていて、例えば「模式標本」という用語は、この版から「ホロタイプ」と変更された。また、昔命名された学名を引用するにあたって、このルールに基づいて変更する必要があることもある。例えば、固有名詞に由来する種小名は大文字ではなく小文字で書くことなどは以前から変わりない。ルールブックを手元に置いて、これに従うよう熟読するのが望ましい、のだが、実際には内容は理解しづらくて正直に言えば拾い読みしかしたことがない。
 これまでの命名規約の歴史は、「国際動物命名規約」初版(1961)第2版(1964)第3(1985)。また、第4版の改訂が何度か発表されている。

138 命名規約 1999 英語版 表紙

138-2 命名規約 1999 英語版 内表紙

 こちらが英語版。ほとんど読んでいないから、本棚の飾りになってしまっている。

139 命名規約 1965 表紙

 本の表題は、「第15回 国際動物学会議において採用された国際動物命名規約」で、手元のものは1970.4.20発行の3版である。北隆館発行。日本語に翻訳されたもので、原本は1958年に発効された英語・仏語のもの。最初に注意書きがあって、「諸問題の解決の根拠としては、英・仏両語版の正文を引用しなければならない。」としている。その上ややこしいことに最終ページには「この翻訳書準備中に原著の第2版(1964年)が発行された。として幾つかの改定事項が記してある。これが1961年に発行された国際動物命名規約の初版の翻訳である。

140 国際命名規約提要 1992 カバー

 1985年の命名規約第3版の概説である。著者は昆虫学者の渡辺千尚(わたなべ・ちひさ)(1907−1996)。

私の使った切符 その151 記念乗車券(3)

2021年04月25日 | 鉄道

北方線廃止記念  乗車証

438 西日本鉄道北方線 乗車証 1980.11.1

 これは切符ではなくて廃止のときに乗車したという証明をするカード。西日本鉄道が発行したもの。約15センチ×7センチ。ベージュの薄い紙に印刷してあって、裏には印刷が無い。画像は324番の電車と小倉祇園太鼓のモニュメント。現在このモニュメントは、小倉駅ペデストリアンデッキに置いてある。

439 小倉駅ペデストリアンデッキにある小倉祇園太鼓のモニュメント 2021.3.9

 北方線は、小倉中心街の魚町から、北九州大学前の北方まで4.6キロを走っていた。廃止は1980年11月2日、この乗車証の発行翌日。いつも頼りにしている「鉄道旅行地図帳 九州・沖縄」(新潮社)の2014年改訂版は、多くの廃線を掲載していないので不便。2009年の古い方には掲載されているのに。他の西鉄北九州線が標準軌だったのに、北方線は1067ミリだったから、魚町で北九州線と出会うが、レールは繋ぐことができなかった。

440 北方線の連接車 北方付近 1980.10撮影

 写真は、北方線が廃止される直前に撮影したもので、北方車庫前付近から南方を見たところ。ほとんど同じ位置の反対側からの写真が絵葉書にあったので示す。写っている連接車がなつかしい。

441 北方線 北方車庫 1980.2.1 絵葉書

 車両右にベンチに座った人が写っているのは、北方車庫停留所の待合施設。
左向こうが魚町方面で、車両すぐ左の二階建ての建物は外科医院(建物は現存するが多分営業はしていない)のようだ。
 北方線の痕跡は、今やほとんど何もない。2011年ごろまでは、車庫の跡地付近にコンクリート枕木があったが、現在はそれもなく、ただ本線から車庫への分岐線の位置が斜めの道路として残っているぐらい。

442 北方車庫跡付近の駐車場にあったコンクリート枕木 2011.4.5

 上の写真は10年ほど前のもので、枕木が駐車場周囲に置かれていて、レールを固定する金属板が残っているものもあった。


古い本 その54 地磁気・太陽

2021年04月22日 | 50年・60年

 地磁気などの地球物理学関連の入門書を幾つか挙げる。

132 なぜ磁石は北をさす 1970 カバー

 まず、古い本から。「なぜ磁石は北をさす」は、ブルーバックス(講談社)で、1970.1.16発行、255ページ。著者は力武常次(1921−2004)、東大の地球物理学者。副題があって「地球電磁気学入門」となっている。磁石の話から始まって、地球の核のダイナモ説が解説されているが、よくわからない。地磁気の逆転に関しても十分なデータが蓄積されるのはこれより後のこと。この頃までに磁化の比較的強い火山岩の測定はされていたが、正確な年代ごとの地磁気が復元されるためには堆積岩の帯磁が簡単に測定でき、なおかつ絶対年代についてもデータが取れるようになってから。

133 地磁気の逆転 2019 カバー

 「地磁気の逆転」は光文社2019.2.25発行のB5版単行本、346ページ。翻訳本で、原著者はAlanna Mitchell(カナダの科学ジャーナリスト)、原題は「The Spinning Magnet: The Force That Created the Modern World – and Could Destroy It」(回転する磁石:現代の世界を作り出した、そして破壊しうる力)というもので、2018年に出版された。日本語翻訳は熊谷玲美、日本版にも副題があって「地球最大の謎に挑んだ科学者たち、そして何が起こるのか」というもの。原題には、将来起こるであろう地磁気の逆転のときの危機を警告した副題が付いているが、日本版副題にはそういう危機感がない。本文は、第一部の地磁気の逆転と言う概念を提唱したブリュン(Bernard Brunhes: フランス。日本では普通ブリュンヌと表記することが多い)の研究した地層を見に行く話から始まる。地磁気の観測や経年変化などの詳しい解説があり、そして巻末には地磁気の逆転を基にした地質時代名の変遷や命名に移り、チバニアンの命名という日本でも興味を持たれたニュースに及ぶ。それなら松山基範の話ももう少し詳しく記してほしかったなあ。

133-2 松山博士が逆転期を見出した玄武洞 1968.3.8


134 太陽に何が起きているか 2013 カバー

 地磁気の次の反転時はいつなのか? そしてその時に何が起こるのかは大問題なのだが、同時に太陽からのいろいろな影響の危険性が最近になって注目されてきた。「太陽に何が起きているか」は文春文庫2013.1.20発行の204ページの本。著者は常田佐久(つねだ・さく)(1954−)は東京大学の天文学者(太陽物理学)。この本は、2006年に打ち上げられた太陽観測衛星「ひので」の成果を紹介するもの。私たちにとって太陽は安定した存在であるが、近年の観測によって大規模なものを含めて変動の多いものであることがわかってきた。地球軌道付近における面積あたりの太陽放射のエネルギーを「太陽定数」と呼ぶが、どこが「定数」だったのだ、という時代が来るかもしれない。

135 太陽は地球と人類にどう影響を与えているか 2019 カバー

 「太陽は地球と人類にどう影響を与えているか」は光文社新書2019.6.30初版発行、253ページ。手元の本は第2刷(2019.7.15)。
 太陽のおこす出来事についてさらに危険性を強調したのが、この本。歴史的に見て地球に多くの影響を与えた変動の記録が記されている。例えば、1967年のフレアは、太陽から15時間程度で地球に到達し、その影響で当時のベトナム戦争で敷設された機雷が多数誤爆発したという。機雷は接近した船舶による磁気を感じるようになっているのだが、フレアの起こした磁気変化を機雷が感じ取ったらしい。
 1859年に起こった太陽嵐は、世界にほとんど電気器具というものがなかったから損害はあまりなかったが、現在起こればその影響は膨大だろう。人工衛星は大気圏の変化で軌道を狂わせるとか、積載している電子機器が破壊されるといったことがおこりそうである。とくに、もし地磁気が反転などのために弱くなっている時には、地球の「磁気シールド」が非常に弱くなるだろうから、それと重なり合えば大変なことが起こる。GPSも働かないし、地上のパソコンも破壊されそう。自動車の無人運転などの突然の停止も考えられ、対処していなければ大惨事となろう。
 最近の本の中では面白く読んだものの一つ。

136 ベテルギウスの超新星爆発 2011 カバー

 ちょっと別の話題だがここに含めよう。「ベテルギウスの超新星爆発」、副題「加速膨張する宇宙の発見」は幻冬舎新書で2011.11.30初版発行、221ページ。手元の本は第3刷(2011.12.25)。著者は野本陽代(サイエンスライター)。第1章だけがベテルギウスの挙動に関する記事で、たった25ページほど。その話題に興味があった私としては、騙されたような気がした。それだからこういう副題が付いていたのかと、今になって気付いた次第である。副題のように最近の宇宙論に関わることが主に(ページ数では9割近い)記されている。帯に書かれている「2012年、人類史上最大の天体ショーが始まる!?」というセンセーショナルなキャッチコピーが虚しい。2012年どころか2020年が終わってもベテルギウスは大きな変化を起こしていない。2020年の末の研究グループの発表でも「爆発はまだ遠い」としている。2019年には急激な減光が観測されたが、どうやら地球との間に向かって何かが放出されたことによって光が妨げられたということらしい。

私の使った切符 その150 記念乗車券(2)

2021年04月19日 | 鉄道

新幹線開業15周年

430 新幹線開業15周年(名古屋) 1979.10.1 表紙

 東海道新幹線(東京・新大阪間)が開業したのは1964年10月1日だった。10月10日には東京オリンピックが開会したから、その10日前のこと。それから15年目の1979年10月1日に発行された記念入場券である。多くの東海道新幹線駅で発売されたようだ。内容はそれぞれの駅の入場券である。正確なことは知らないが、そのうちの富士山の写真はどれにも含まれ、他の2枚は駅ごとに違っていたらしい。
 発行は名古屋鉄道管理局と表紙に書いてあるが、入場券部分の裏面には「名古屋駅旅行センター発行」となっている。たとうのサイズは横16.2センチ、縦8センチ。紫色の厚紙に図案化した0系新幹線が描いてある。

431 新幹線開業15周年(名古屋) 1979.10.1 表紙裏

 たとうは、下端を少し折って内容が落ちないようにしたもので、なぜか裏の左の方に.4センチ×1.5センチの窓が開けてある。中に写真のついた券を収めると、入場券部分の裏がここから見えるようになっているようだ。そこには4桁の通し番号(3枚とも同じ番号)が記してある。おそらく売り場で販売した枚数をチェックする時に番号を見たのではないだろうか。
 裏面の写真は見づらいので、モノクロにした上でコントラストなどをいじってみた。

432 新幹線開業15周年(名古屋) 1979.10.1 表紙裏の写真

 左から、からくり人形・名古屋駅 和傘・岐阜羽島駅 大津絵・米原駅の写真である。
 中に入っているのは、15センチ×6.5センチのカードで、左端の3センチがミシン目で区切られている。その部分は名古屋駅の普通入場券で、価格は100円。通用は同年10月10日まで。3枚ともに「ひかりました こだましました15年」と「新幹線開業15周年」と記入されている。

433 新幹線開業15周年(名古屋) 1979.10.1 入場券1

 1枚目の写真は富士山。下縁に0系新幹線のイラストがある。裏面の解説は名古屋駅のデータで、開業(明治19年5月1日から始まって、この時の駅舎の完成時期、東京からの営業キロ、新幹線の1日乗降人数、停車列車、乗り場(14から17番線)、分岐線、駅の所在地、が記してある。ところでこの写真、赤く色づいているので朝焼けか夕焼けかを疑問に思った。雪の様子や宝永火口らしき凹みから見て、おそらく十国峠あたりから見た朝焼けの富士だろう。

434 新幹線開業15周年(名古屋) 1979.10.1 入場券2

 2枚目は、「からくり人形師 七代目玉屋庄兵衛」というもので、七代目玉屋庄兵衛(1923-1988)がからくり人形を扱っているところを撮影したもの。7代目は尾張地域だけではなく京都蟷螂山の人形の復元や修復などにも関わった。現在は9代目が継いでいるという。

435 新幹線開業15周年(名古屋) 1979.10.1 入場券3

 3枚目は芭蕉の句「こがらしの 身は竹斎に似たるかな」というもので、名古屋錦にある句碑にちなむもの。名古屋市内には芭蕉の句碑がかなり多くあって、中区・西区・中村区・北区など十か所近くあるようだ。

 前に書いたように、東海道新幹線が開業したのは1964年で、ここでは開通以前の1961年の駅舎越しに見たホームの写真を示す。

436 新幹線が通る前の名古屋駅ホーム 1961.1.28 父が撮影(再録)

 新幹線開通の3年半前。駅西にビルはなく、向こうに養老山脈が見える。次の写真は開通後のもの。

437 名鉄線越しの国鉄・新幹線開業後の写真 1968.9.22 父が撮影(再録)

 この写真では、駅西に多くのビルが並んでいる。前の写真から7年半、新幹線開通後4年でこんなに景色が変わった。同じときに撮影した別のカットでは、遠方に蒸気機関車の煙が見える。

古い本 その53 木星と彗星

2021年04月16日 | 50年・60年
 1994年の7月に彗星が木星と衝突することが予報された。この彗星は、1993年3月に見出されたものだが、よく見ると一つの彗星ではなく、多くの核が列を作って移動しているものだった。そして軌道計算の結果、木星と衝突するというのだ。実際にこの衝突は7月17日に起こったのだが、軌道計算が進むと地球から見えない側にぶつかることが分かった。そのために、衝突そのものが見えるわけではなく、次の本の出版時にはアマチュアの小さな望遠鏡では何も見えない可能性が高いとされていた。

129 ジュピター・クラッシュ 1994

 この本「ジュピター・クラッシュ」は、衝突1ヶ月ほど前の1994.6.15に発行された。「朝日ワンテーママガジン」という朝日新聞社の雑誌で、A5、85ページの本である。宮本 貢・編集となっている。著者は9名、ほかにイラスト2名が記されている。この頃までにわかっていることや、衝突に際して観測されそうなこと、それに続いて起こる出来事が予想されているが、はっきり言ってそれほど当たっていない。

130 Jupiter Impact CD 1995

 これは本ではなく、画像を収録したCDで、「パシフィック・ハイテック」というところから1995年1月に発売された。言葉遊びではないが、「インパクト」のあるものが多数入っている、と記憶している。
 私が現在使っているデスクトップでも、ノートパソコンでもCDを見るときには、外付けのCDドライブをUSBに繋ぐことになる。これの発売された頃はパソコン本体に必ずCDドライブが付いていたのを思い出す。「アプリケーションを購入する」というのは「CDを買ってくる」ことだった。私の持っているCDドライブは、USBポートにつなぐだけという簡易なもの。このブログを記す際につないでみたが、デスクトップの方はCDドライブが対応しない。電力の問題があるようだ。ノートの方では動いたので、とりあえず画像の一部をUSBメモリーに移して、デスクトップにコピーしてみた。一応見えるが解像度が低いから、なにかサムネイルのようなものを取り込んだのかもしれない。またやってみよう。

131 彗星の木星衝突を追って 1995 カバー

 シューメーカー・レヴィー彗星9の木星衝突に関する本は、衝突後も出版された。専門的な論文ではなく一般書が、こういった一過性の出来事に関して発行されるのはそんなに多くない。前回このブログでは彗星に関する本を幾つか挙げたが、アマチュア天文好きに人気のある彗星でも、事前の出版はあっても「結果報告」のような本は出版されることが少ない。天文好きを対象とする雑誌や次年度の天文年間などで短い記事がある程度である。「彗星の木星衝突を追って」は、出来事の後で結果を記している。1994年7月の衝突後8ヶ月後(1995.3.10)誠文堂新光社から発行されたB6、175ページの単行本。著者は彗星に関して多くの一般向けの本を書いている渡辺潤一で、時系列でいうとこのとき(1994年)のマスコミ対応などで「名を上げて」、百武彗星やヘール・ボップ彗星の本を出版された、ということ。
 では、衝突前の「ジュピター・クラッシュ」の本で予想された事項がどうなったのだろうか。まず、衝突そのものはもう少しというところではあるが、向こう側で起こった。これはもちろん予想通り。その際の閃光は考えられていたよりも強い光が木星の縁に見えた。衝突の「キノコ雲」は見えないと予想されたが、ハッブル望遠鏡他で観測できた。これは人工衛星であるハッブルから見たのだから、「はずれ」ではない。閃光が木星の大きな衛星を照らして、それが見えるのではなかという予想は、わずかにしか検出されなかったから「ややはずれ」。赤外線とか専門的な観測は大きな成果を挙げた。これは観測自体が予想に基づいて行われたわけなので、「あたり」。一番予想外れだったのは、裏側でおこった衝突の痕が、木星の自転でこちらを向いた時に大きな模様として長く残ったこと。

131-2 彗星の木星衝突を追って 1995 巻頭写真の中の1枚

 他に、衝突で巻き上げられた雲からいろいろな元素・分子が検出されたそうだが、衝突で起こった振動(木星震?)を観測するという話はどうなったのだろうか。
 ややこしいのは、上の写真の衝突痕の位置関係がぶつかる前の彗星破片の順序(前-木星に近い方-からアルファベット順)と違うこと。というのは木星の自転は地球よりも早くて、約10時間で回る。一方衝突は先頭のA核が17日午前6時前、最後尾のW核は22日の17時と、数日に渡るから、その間に木星は10回以上自転したことになる。木星の自転がこのように早いために、衝突の痕跡が衝突後速やかにこっち側に出てきてくれたのだ。衝突の大きさは、その前の核の明るさと必ずしも比例しなかったようだ。

131-3 彗星の木星衝突を追って 1995 91ページの写真

 この彗星は、遡った軌道計算によると1992年の7月に木星に接近して、そこで強い潮汐力によって分裂したらしいという。分裂したら、ほぼ軌道上に並ぶんですね。その写真が掲載されている。ほぼ一直線上に、少なくとも9個の核が並んでいる。軌道方向の運動量は分裂時の加速度と比べて非常に大きいということだろうか。わかりません。運動量と加速度を比較するような非科学的記述ですみません。彗星の特徴である「尾」が左の方向に流れているのがわずかに見える。彗星群は進行方向に並んでいるから、「尾」がそれとは違う方向に向いていることがよくわかる。