OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

珪化したアンモナイト

2015年07月31日 | 化石
珪化したアンモナイト

 ちょっと前の話。7月18日(土)に、小倉のC喫茶店で開催された講演会「サイエンス・カフェ」に参加した。内容などはここでは触れない。私も小倉南区でこんな講演シリーズを主催しようかな、と思っている。
 モノレールで旦過へ。当日は「小倉祇園」でにぎわっていて、旦過橋のあたりには屋台が並んでおいしそうな香りが立ちこめていた。時間が早すぎたので、会場に行く前に近くのQ書店に立ち寄った。店内で化石・鉱物の小さな即売会を開いていたので購入したのが次の化石。

購入したアンモナイト 2015.7.18 スケールは1センチ

 標本は、珪酸に置き換わったアンモナイト1点。周りの石が溶けてなくなっているので、表面はざらざらして余り保存は良くないが、内部のセプタが良く保存されている。写真の上の右半分がセプタで、壊れた所を見ると、内部に一つ前のセプタも見える。このアンモナイトは、最大径約3センチ、周りをだいぶん壊していて、もう一回り以上はあったのだろう。写真の上の右端に余分に付いているように見える出っ張りは、次の巻きのセプタの一部である。

同じ標本の別の側

 反対側から見ると次の巻きがあったことがよくわかる。Bのリングが次の巻きの付いていた痕跡で、ちょうど一回り近くある。Aは縫合線。Cは次の巻きのセプタの断片。
 ラベルではアンモナイトの種類はMacrocephalites sp.となっている。産地はポーランドのZaeiercie(たぶんZawiercieが正しい綴り)、時代はジュラ紀中期のCallovianだそうだ。マクロケファリテスは、Zittelが1884年に記録した古参のアンモナイト。日本では宮城県細浦の記録があるようだ。


孔子鳥化石産出地をたずねて その33 周口店

2015年07月28日 | 昔の旅行
孔子鳥化石産出地をたずねて その33 周口店
Visit to the Locality of Confuciusornis: Part 33. Zhoukoudian

2000年6月4日はシンポジウムも終わり、バスで見学に出かける。行き先は周口店(Zhoukoudian)と地質博物館(Geological Museum of China)となっている。周口店は有名な北京原人の産出地で、多くの観光客が訪れる。ホテルから1時間ほどで入り口の駐車場に到着する。まずレクチャールームで説明を受ける。


82 周口店原人博物館 2000.6.4
82 Zhoukoudian Museum

 その後各洞窟をめぐる遊歩道を案内される。遼寧省への巡検と違って学会の終了した後でほっとしており、また互いに顔見知りとなっていること、中国の研究者がたくさん参加していることなどで和んだ雰囲気がある。


83 北京原人発掘地点を見学 2000.6.4
83 Pekin Man Site


84 原人発掘地点に残る哺乳類化石骨 2000.6.4
84 Fossil mammalian bones at the site


85 原人発掘地点を見学する参加者 2000.6.4
85 Participants at the site.


私の使った切符 その4 1966年夏から1967年初夏

2015年07月25日 | 鉄道
私の使った切符 その4 1966年夏から1967年初夏

このころ、休みになると入部していたグリークラブや、高校の音楽部同窓会などの合宿が連続して忙しかった。その折の切符を紹介する。

4-1 合宿で使った切符 1966~1967年

★1966.8.21 茅野から辰野(ともに中央本線)ゆき乗車券
高校の音楽部同窓会の夏の夜行プラス一泊旅行で使った。本体の切符は名古屋(中央本線西)塩尻(中央本線東)辰野(飯田線)豊橋(東海道本線)名古屋 という循環径路で、辰野~茅野間の往復を別購入した。行きはたぶん車内補充券だったのだろう。帰途は茅野駅で辰野まで購入して、本券で名古屋まで行ったから、この乗車券が手元に残った。旅行内容は、白樺湖畔でキャンプ、蓼科山登山などで、女性も参加してにぎやかだった。

4-2 蓼科山頂上で。1966.8.23

 帰途を飯田線回りにしたのは、私の発案だったのだろうか?循環切符にすることによって、長距離効果が出て安くなったのだろうか?距離を計算すると、飯田線回り名古屋・名古屋間461.1キロ、名古屋・茅野間片道217.7キロ。単純にこれを幹線扱い(飯田線は地交線だが1984年までは料金体系は差がなかった)で、現在の料金表で、循環なら8,150円(辰野・茅野間の往復を含めて)、往復なら7,140円で、かえって高い切符で行ってきたことになる。正確には、当時の料金表が分からないと比較できないし、一部の線路の付け替えなどで距離が異なっていることや、学割の関係もあろうが値段の上下は変らないだろう。
★1967.1.5 名古屋から100kmまでの急行券
 この頃、グリークラブを創設し、最初の合宿を河内長野で行った。先日(4月)創部50周年を祝う式典をしたが、48年半しか経っておらず、ちょっとフライイング。

4-3 合宿場の天野山ユースホステル前で。1967.1.6

 そこへ向かったときの急行券。ではどんな径路で河内長野(南海・近鉄)へ行ったのかというと、名古屋から関西本線急行で天王寺へ、天王寺から南海電車天王寺支線✝で天下茶屋へ、そして天下茶屋から南海電車高野線で河内長野へ、というコース。天下茶屋支線は1984年に一部、1993年に全部廃止された。なお、名古屋から関西本線で100kmを超えるのは伊賀上野駅あたり。当時関西本線には急行がいくつも走っていた。関西本線は現在不便になったのでこのコースは普通使わない。現在なら近鉄名古屋線・大阪線で大和八木経由、南大阪線に乗りかえていくんだろうか。それとも大阪線で終点近くまで行って南海電車に乗るか?
★1967.4.6 丸亀から30円区間の乗車券
 新学期に入ってグリークラブの合宿が牛窓町(現瀬戸内市)の本蓮寺で行われた。

4-4 合宿場の牛窓本蓮寺前で。1967.4.7

 往路は邑久駅(赤穂線)で下車してバスに乗った記憶がある。帰途の記憶が無いが、丸亀の切符があるから、まっすぐに帰らず四国に渡ったことが分かる。丸亀で何をしたのか?讃岐富士を見たかったという記憶がある。丸亀から徳島に動いて、小松島から和歌山にフェリーで渡ったような気がするが、別のときだったかも知れない。まっすぐに帰らない習慣はこのころからあったのか。


つくばと宮城県に行ってきました その8

2015年07月22日 | 旅行
つくばと宮城県に行ってきました その8

 6月29日(月)自然史標本館を早々においとまして、仙台駅までバスに乗車。仙台中心街は、12月に開通する市営地下鉄東西線(八木山動物公園から荒井まで)の工事で何か所か掘り返されていた。「国際センター駅」という駅の地上駅舎がほとんど完成しているのを見かけた。

22 国際センター駅 2015.6.29

 今回震災復興の移設線など3線に乗車して、全国の鉄道完乗をできたが、半年後にはこの東西線の開通でまた未乗線ができてしまう。さらにその3か月後には北海道新幹線も開通するから、また来なければ。

23 切符の注記

 乗車した証明というほどでもないが、女川までの往路の切符には、径路に「東北接」の記入がされている。その切符が残されたのはうれしい。なお、写真右下の記入はジパングクラブ割引に関するもの。

 仙台1124発の「やまびこ42」で東京へ。この特急券購入で、ジパングクラブ二割引券を使い果たした。次からは三割引に「昇格」する。5月に入会して初めての切符購入だったが、クラブの割引率は高いから、入会金を差し引いてもすでに4000円以上の特典を受けたことになる。余分に旅行したという感もあるから「得した」ということではない。この特典はJRの切符に関する割引なので、飛行機を避ける傾向が強くなる。「のぞみ」特急券は特典が受けられない。今回の仙台からまっすぐに北九州に帰る旅程などは、飛行機の方が自然だろう。切符の購入がJR関連の旅行社か駅の窓口(自販機はだめ)に限られるのも少し不便。この日も仙台駅の緑の窓口の長い列に並んだ。1130発の「はやぶさ」が満席で、1124発の「やまびこ42号」に乗車した。上野に着く直前に車窓左にスカイツリーが見えた。そういえば仙台のホテルは634号室だった。東京1410発の「のぞみ39」で小倉に帰着。

24 帰途の切符。これは小倉で集札された。
(おわり)



つくばと宮城県に行ってきました その7

2015年07月19日 | 旅行
つくばと宮城県に行ってきました その7

 6月29日(月)の予定は、東北大学の自然史標本館訪問。月曜日は休館日であるが、標本閲覧のアポイントをとってある。仙台駅前から館の前までバスがあるから便利だが、平日のことで朝8時台は混んでいた。
 「標本館前」で下車、館は目の前である。

20 東北大学自然史標本館 2015.6.29

21 同入口、当日は閉まっていた。2015.6.29

 月曜日は休館日であるが職員は出勤しておられる。すでに約束をとっているから、横にある業務入口から入る。
見せてもらうのは、1930年に新属・新種命名されたホロタイプである。実は写真はすでに手に入っていたから、ラベルを見て標本の印象を感じるのが目的である。

22 見せていただいた標本 2015.6.29 東北大学の自然史標本館

 化石は、徳島県産の淡水性のサメ ヘテロプティコダス・スタインマンニのホロタイプ。1930年に報告されて以来、60年以上追加標本が世界中のどこからも見つかっていなかったのだが、2000年ちょっと前ごろから日本の数地点で何個か採集され始めた興味深い種類である。さらに中国や東南アジアからも報告が相次いでいる。古生物学会の個人講演でお話したのもこれに属する標本のことだったから、講演してから参考標本を見に行ったのでは順序が違う。お許しを。
 期待していたのは、ラベルに論文記載以外の情報がないかということだったが、ラベルは原ラベルかどうかわからないが、Imperial Universityとあるから、戦後のものではない。一つだけ興味深いのは、種小名にあたるところに記入されている学名が線消しで書き直してあること。

23 ラベルの書き直し 2015.6.29 東北大学の自然史標本館

 種小名の入る所にあった文字は、ラベルの折れ目と消し線のため最初の文字が読みにくいが、たぶん「memoria」だったのだろう。論文になった時の種小名「steinmanni」がその後に記入してあるが、memoria との間隔が狭いし、steinmanniの後尾が枠から出ているから、明らかにsteinmanniは後の記入である。当初メモリアで新種提唱しようと思っておられたのだろうか?ジェンダーが合わないような気もするが。種小名が訂正されているのなら原ラベルの可能性が高いことになる。