OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

2023年9月のカレンダー

2023年08月29日 | 今日このごろ


9月 Prosqualodon davidis Flynn(歯鯨類)

文献:Flynn, T. Thomson 1923. A Whale of Bygone Days. The Australian Museum Magazine, vol. 1, No. 9: 266-272.
 表題や雑誌名でわかるように、論文ではなく解説のような文章。確かに268ページの左列(二段組み)の最下部に「私はオーストラリアの偉大な地質学者のSir T. W. Edgeworth Davidにちなんでこの新種の鯨を名付けた。」とあるから、命名する意図があったようだ。本文中にはその新名は提示がなくて、267ページの頭骨復元図の下に学名がある。一方、268ページの標本レプリカの写真、およびその下の1本の歯の写真が示されているが、そのキャプシンには学名は記されていない。その分類群については、271ページに「Squalodontsに属する」と書いてある。新種名の提示にしては物足りない。1948年にFlynnは次の論文を書いているから、そこで記載していると思われる。残念ながら1948年の論文は部分的にしか入手できなかった
参考文献:Flynn, T. Thomas 1948. Description of Prosqualodon davidi Flynn, a fossil cetacean from Tasmania. Transactions of the Zoological Society of London. 26 : 153-197. (未入手)
 この頭骨を含む標本については、すでに1920年に次の論文が出ている。
参考文献:Flynn, T. Thomas 1920. Squalodont Remains from the Tertiary strata of Tasmania. Nature, Lond. vol. 106 : 406-407. (Tasmaniaの第三紀層からのスクアロドン類の化石)
 この記事には、頭骨(下顎は写っていないし、画像は粗い)と3本の歯(一番右の歯は1923年の論文のもの)の写真を伴っている。

Flynn, 1920. p. 406, Fig. 1.

Flynn, 1920. p. 407, Fig. 2.

 歯の写真について本文に解説がある。(A) 後方の前臼歯、(B) 第 4 大臼歯、(C) 後方の大臼歯のいずれも左側の下顎のものである。(C) の歯だけは、Flynn, 1923にも出てくるが、1923年の写真はコントラストが強くて暗部が見えない。ディジタル化の問題かもしれない。
Flynn, Theodore Thomson (1883-1968) はタスマニア大学生物学教室の最初の講義を行った。後に同教室教授。
 Prosqualodon属は、次の論文で記載されている。
参考文献:Lydekker, Richard 1894. Cetacean skulls from Patagonia. Anales del Museo de la Plata. Materiales para la Historia Fisca y Moral del Coninente Sud-Americano. Paleontología Argentina 2: (2): 1-13, pls. 1-6. (Patagpniaの鯨類頭蓋)
 属の記載のもとになった標本は、Patagonia産の不完全な頭骨で、Prosqualodon australis という新属新種として記載されている。これらの他に幾つかの種類が記載・命名されている(一部は現在他の属に移されている)が、アルゼンチン、オーストラリア、ニュージーランドといった南半球の漸新世後期から中新世初期のものである。
 Richard Lydekker(1849-1915)はイギリスの地質学者で自然史に関する著作が多い。

また名古屋に行ってきました 2

2023年08月25日 | 旅行

 私が小学校に入る前に住んでいたところを訪ねている。
 母が4年ほど前に亡くなった時に、母の住所の変遷がまとめてある。それによるとこのころの住所は「知多郡旭村大字日長播磨160-2」だった。現在は「知多市日長播磨160」というのがあるから。これに対応するのは間違いない。
 私がこの日に歩いたところの道路は1959年の地形図でもほとんど変化がない。周りで違っているのは、1 日長駅付近よりも北の海が大幅に埋め立てられたこと。2 その辺りの旧海岸線に沿って広い自動車道が通り、南方へ日長駅を迂回して内陸側に向かうようになったこと。3 日長駅から東に行ったところの日長川の手前に小学校(旭村立旭北小学校:1952年から旭町立、1971年東方の丘の上に移転)があったこと。父はその小学校に勤めていたが、名古屋に異動した。

6 日長字播磨の住居表示 2023.8.18 以下も特記以外は同日

7 住所が一致する建物

 このうちたぶん向こう側のブロック塀の家がそれにあたる。なお、写真右下にカメラのストラップが写り込んでしまった。このブロックは明らかに新しい。私の当時の記憶は幼少のことで方位が不確かだがこのブロックの左端あたりに玄関があり、中に入るとその右側(ブロックの右端付近)の家の中に井戸のある台所があった....ような気がする。そのころの写真は数枚しかなく、景色が写り込んだのはない。

8 玄関で撮った写真 1950.8

 合致するものは何もない。しかし道路との位置関係は悪くない。道路の反対側の数十メートル北に「大龍寺」というお寺があるから、そこを訪ねればなにかわかったかもしれない。結局、記憶にある「紅葉谷」が存在することだけがわかった。

9 紅葉谷 入り口

 ここで見たベニカミキリはよほど印象が強かったらしい。そんなに珍しい種類ではなく、何度か見かけた。竹に害を与えるのだそうだ。下の写真はそれを示すようなもので、切り倒した竹にとまっている。

10 ベニカミキリ 2011.5.29 北九州市内

 駅までの帰り道は、先ほどと違って迷うこともなかったが、とにかく暑かった。

11 常滑線日長駅 常滑方面(下り)を見る。

 うっかりして、下り線ホームに入る自動改札を通ってしまう。上りホームへ入るのは道路・踏切を渡った反対側にあるのだ。無人駅だから改札内のインターホーンでどこかに連絡して、通してもらった。なお、常滑線の大野町までについてはすでに1920年に複線化していた。現在日長駅は各停しか止まらないから急行や空港特急が通過していく。だいぶん待って太田川までの各停に乗車。太田川駅は河和線との分岐駅で、2011年に高架化された時に大規模な改装工事が行われた。2階に上下線の2面4線ホーム、高い3階に1面2線のめんどうな構造。つまり、名古屋方面に(河和方面も)行く時には、2階からの時と3階からの電車がある。ここは特急電車も停車するから便数は多い。

12 太田川駅案内板

 使ったことのない上のホームの電車を待ってそこから金山へ。この日は栄泊。いつもの名古屋駅付近はホテルが混んでいたので敬遠した。
 翌日同窓会に出席。年寄りばかりだから、病気の話が多い。

13 同窓会 お顔は画像処理しました 2023.8.19

 二次会まで出て、無事帰宅。帰りは普通車指定席。前回のように列車の遅れが出ることはなかった。写真は帰途の夕焼け。上空は強風のようだ。

14 夕日に輝く、崩れた積乱雲 岡山付近 2023.8.19

 名古屋の件 おわり。

また名古屋に行ってきました 1

2023年08月21日 | 旅行

 8月中旬、また名古屋に行ってきました。目的は同窓会に出席すること。今年は同窓会の「当たり年」で、1月上旬に高校の同期生の講演会、6月上旬に大学の専門課程に同期進学者の同窓会、下旬に小学校の同級会、そして今回は高校の同期生の「暑気払い」と称する会なのだが、この同期会は11月にも会合を開くことが、この会で確定した。年間5回は多すぎる。大学のは、40年以上開いたことのなかった久しぶりのもので、次回があるかどうかもわからない。小学校のも、4年ぶりではあるがその前は40年くらい開いていなかったから、突然増えたのだった。なお、このブログでは同窓会の話はあまり書かない。プライバシーにかかわるから。
 この日はお盆の続きのような土曜日だったから、一か月前に新幹線の指定券を取るところから問題があった。発売直後だったのに旅行社の持っている「枠」が満席だったのだ。係の方の「そんなに高くないですよ」という甘い言葉に乗せられてグリーン席を取ってしまったのだ。

1 「のぞみ」8号車 グリーン席 2023.8.18 以下も特記以外は同日

 そんなわけで、同窓会の前日に出発。さすがに座り心地の良いシートである。幅や長さが広いこともあるが、座面の摩擦が大きいから、お尻が前にずれていかないのだ。途中で乗務の方が袋入りの「おしぼり」をくれたことぐらいで、サービスが良いというわけではない。途中で駅のコンビニで買ったおにぎりを食べたが、もう少し豪華な弁当を買った方が場に溶け込んだのかも。

2. 使用した乗車券+指定席特急券

 ではどのくらい高かったのかというと、小倉から名古屋市内の高くないビジネスホテル付きのパック旅行(行き帰りとも変更不可の指定券)で、片道グリーンにすると4,000円高かった。
 もう一つ心配があって、前日まで東海道・山陽新幹線は例のお盆開けの台風(というより静岡県の集中豪雨)で大混乱だったから、どうなるのかということ。前日出発だから問題なさそうだったが、ちょっとだけ心配。実際には名古屋到着前の車に放送でも「時刻通りの運行です」という自慢気なアナウンスが流れた。
 午後いっぱい暇だから、前回の名古屋の時に続いて、私が昔住んでいたところを訪ねることにした。場所は知多市日長である。実に70年ぶりの訪問である。
 名古屋から中央線で金山へ。名鉄に乗り換える。金山まで名鉄に乗らないのは、パック旅行の乗車券の行き先が「名古屋市内」だから。名鉄の電車は、名古屋本線から神宮前駅でわかれて常滑線に入る。本線を乗り越える橋があって、ちょうど1年前に私が最初に住んでいた岡崎市矢作橋付近を訪れた時に懐かしくて撮った写真がある。

3 神宮前駅から見た陸橋 2022.8.28

 今日はここを乗り越えてす進み、太田川で各停に乗り換え、日長駅に到着。金山から日長まで約30分。

4 常滑線日長駅

 日長駅は無人駅で、同じ電車から降りる人もほとんどいない。駅の西側は当時すぐに海だったのだが、現在は埋め立てられて海は全く見えない。

5 帰途日長—長浦間 海は見えない。むこうの樹は防風林or緩衝林.

 駅前(東側)に狭い自動車道がある。目的地は北東に1キロほどのところ。私はここに小学校入学直前まで住んでいたのだから。家の目の景色すらほとんど記憶がない。わずかに記憶のある「紅葉谷」というところをとおる。ここに住んでいた頃、海水浴に向かう時にここの山を越えたという記憶だが、そんな山はなく、わずかな坂で超えるにすぎない。ここで細い山道を通り、初めて赤いカミキリムシを見たというのが、唯一の記憶。ベニカミキリに違いない。
 少々迷いながら、古い父の記録にあった住所「播磨160」に着く。古びた住居表示版があって地番には間違いがない。しかし通ってきた道は「常滑街道」というのに狭くて曲がっていて、家の前の道路も私の感覚よりも狭い。私が小さかったからか? 本当にここでいいのだろうか? 

私の旅行データ 18 空白域 Q

2023年08月17日 | 旅行

 四国に入る。

20km−48 剣山
凡例:緑:10km 黄色:20km 青線 私の旅行経路。青字のPは写真撮影の場所。
地名 大文字:町・集落 Mi三好 To徳島 Mu牟岐 Ak安芸
小文字:行政区 [徳島県]  mi三好市 tsつるぎ町 mm美馬市 ky神山町 kk上勝町 na那賀町 kai海陽町 [高知県] ka香美市 ak安芸市 kn香南市 um馬路村 ki北川村 ya安田町 mu室戸市

 かなり広い空白域である。北側は徳島線と西側の土讃線には1966年3月乗車、東側は牟岐線で、小松島までは同じ1966年3月に乗車したが、終点まで乗ったのは1992年3月と遅くなった。その時には安佐海岸鉄道にも乗車し、さらに定期バスで室戸岬も通った。途中化石の採集も行った。南西側もそのまま通過し、土佐くろしお鉄道に乗車したのは2007年2月。小松島から入り込んでいる経路は上勝町の化石産地を訪れたもの。

20km−49 土讃線大歩危付近 急行「よしの川」から 1966.3

20km-50 東洋町の海岸 1992.3

剣山のデータ 10km以上の未接近地 [徳島県]  2市5町 [高知県] 4市1町2村。(これらのうち那賀町・北川村・馬路村は未訪問)
面積は10km以上 約1742平方km 
20km以上 [徳島県]  三好市・美馬市・那賀町 [高知県] 香美市・安芸市・馬路村。約414平方km


20km−51 梼原
凡例:緑:10km 黄色:20km 青線 私の旅行経路。青字のPは写真撮影の場所。
地名 大文字:町・集落 Ya八幡浜 Oc越智 Su須崎 Uw宇和島
小文字:行政区 [愛媛県]  uc内子町 oz大洲市 km久万高原町 se西予市 uw宇和島市 ki鬼北町 [高知県] ni仁淀川町 ts津野町 yu梼原町 nt中土佐町 sm四万十町

 この範囲の東北側は、いわゆる「四国Vルート」、つまり松山〜高知〜高松の長距離バスの西半分で1970年代に乗車したが、その頃は鉄道乗車の記録だけを記していたから日時がわからない。地図の「Oc」の越智はその南東の佐川とともに、四国の化石見学の中心地で、何度も訪れた。越智から内部に入る短い経路は、横倉山へ行った道で、シルル紀の化石を産する石切り場があったが、今はない。

20km−52 横倉山 五味採石場 1977.4

古い本 その148 古典的論文 モササウルス類8

2023年08月13日 | 化石

 次の属に入る前に一つ触れておきたい。1923年までのMosasaurus類の属を調べているが、そのリストはWikipediaの「List of mosasaur genera」に基づいて作成した。これは国別の産出リストで、224件が表になっている。その中から、シノニム・疑問種などを除いた28属を調べてきた。ただし命名されたものの名前が先取されていた場合に、置き換えた属名については、置き換えた年が1923年以前とした。
 年代順には次に来る属はCarinodens Woodward, 1891なのだが...。その論文は次のもの。
⚪︎ Woodward, Arthur Smith, 1891. Note on a Tooth of an Extinct Alligator (Bottosaurus belgicus, sp. nov.) from the Lower Danian of Ciply, Belgium. Geological Magazine, new series vol. 8: 114–115, pl. 3.(絶滅したワニ類(Bottosaurus belgicus, sp. nov.)の歯についてのノート)

549 Woodward, 1891. Plate 3.(一部)Bottosaurus Belgicus = Carinodens belgicus.歯。それ以外の物のところに灰色のアミを掛けた。

 Woodward, Arthur Smith(1864-1944)の論文である。前に少し出てきたHenry Woodwardとは別人。A. S. Woodwardは大英博物館で研究した人で、ピルトダウン人と関わりがあった。表題の通り、すでにあったワニ類Bottosaurus属(J. Aggasiz, 1849)の新種を記載したもの。Globidensに似た歯で、鈍い切縁がある。図があって、古第三紀のサメの歯と一緒に白亜紀の歯のスケッチが示されているが、このスケッチを見て歯の立体的な形を想像するのは難しい。インターネットでは、保存のいい標本の写真が出ているので、興味ある方はご覧いただきたい。なお、Woodwardはこの標本の地質年代を古第三紀の最初の区分であるDanianと考えたようだが、現在はこの地区の研究が進み、すべての標本が白亜紀の最後の区分であるMaastrichitianの地層からの産出とされた。1969年にこれがワニではなくモササウルス類だということで、この種を模式種として別の属Compressidensを作った。面倒なことに、この名前が二枚貝類に先取されていたので、1969年にその代替名としてCarinodens属に変えた。
⚪︎ Thurmond, J. T., 1969. New name for the mosasaur Compressidens Dollo, 1924. Journal of Paleontology vol. 43, no. 5: 1298.(モササウルス類のCompressidens Dollo, 1924の新名)(未入手)
 模式種は、1891年記載なので、これを誤って属の命名年としたのだろう。そんなわけで、この属は対象外。

 次の属はAigialosaurusである。論文は次のもの。
⚪︎ Kramberger, Karl Gorjanović-, 1892. Aigialosaurus, eine neue Eidechse aus den Kreideschiefern der Insel Lesina, mit Rücksicht auf die bereits beschriebenen Lacertiden von Comen und Lesina. Glasnik hrvatskoga naravolosovnoga društva. Godina 7: 74-106, Taf. 3-4.(Aigialosaurus, Lesina島のチョーク質の頁岩からの新種有隣類と、ComenとLesinaのすでに記載された有隣類の再検討)(図版未入手)
 聞いたことのないジャーナルで、「クロアチア自然科学協会新聞」というような意味の題である。なぜか論文の最初の74ページだけのデジタルファイルが取り込めないのと、二枚の折り込み図版が折ったままスキャンされていて、隙間からほんの少ししか見えない。74ページの方はちょっとテクニックを使って画像として取り込んだが、図版は他でも見つからない。ただ、Wikipediaにはタイプ標本の図が掲載されていたので紹介する。

550 Aigialosaurus dalmaticus holotype. Wikipediaによる

 図版解説によると1枚目の図版、Taf. 3はAigialosaurusの各部とMesoleptos cf. Zendrini(この属もMosasaurus類だが現在使われない)という別の標本となっている。隙間から見える図または写真はあまりにも断片的でなんだかわからない。二枚目のTaf. 4は線画で、先ほどのWikiの写真と比較すると頭蓋の後方の一部が見えていることがわかる。

551 Aigialosaurus dalmaticus holotype.(Wikipediaによる)に、原論文Taf. 4の隙間から見える線画(下方の灰色部分)の位置を示したもの。大体一致する。

 インターネットでは、標本の写真がみられる。たぶんこれがTaf. 3の中の一枚なのだろう。

552  Aigialosaurus dalmaticus インターネットから

 標本は、クロアチアのアドリア海に沿って伸びている部分にあるHvar島から産出した。この島のイタリアの呼び名がLesina島。Karl Gorjanović-Kramberger(=Dragutin Gorjanović-Kramberger)(1856−1936)は、クロアチアの古生物学者で、Zittelのもとで、地質学・古生物学を学んだ。
 まとめておこう。
Aigialosaurus Kramberger, 1892. 模式種:Aigialosaurus dalmaticus Kramberger, 1892.
産出地:Hvar島(= Lesina島)クロアチア Cenomanian

 次の二つの属は同じ著者の提唱で、地域は上のAigialosaurusと近接している。
⚪︎ Kornhuber, Georg Andreas, 1893. Carsosaurus Marchesettii ein neuer fossiler aus den Kreideschichiten des Karstes bei Komen. Abhandlungen der kaiselich-königlichen geologischen Reichsanstadt (Austria). Band 17, Heft 3: 1-15, Tafeln 1-2.(Komen近くのKarstesからの新種化石Carsosaurus Marchesettii
 このCarsosaurus という属は、現在使われているようだが、いろいろなリストには出てこないこともある。標題のKarstesは「カルスト地形」のもととなったスロベニアなどの石灰岩地で、Komenはスロベニアの町の名前。後でComenとして出てくるのも同じだろう。Komensaurusというモササウルス類の属(2007年の記載なので、ここでは名前を出すだけ)もある。
Carsosaurus Kornhuber, 1893.模式種:Carsosaurus Marchesettii Kornhuber, 1893
産出地: Komen スロベニア