OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

古い本 その60 近鉄時刻表 

2021年05月31日 | 鉄道
 大手の私鉄で、路線が数多くあるところは時刻表を発売している。まず、最も長い路線を誇る近畿日本鉄道から。

159 近鉄時刻表‘85−86 1985.11.21 500円

 表紙写真は、1985年10月に建て替えられた上本町ターミナル。本のサイズは縦18cm、横21cmの横開き、420ページ。用紙が色分けされ、前半の平日が白、後半の土日が緑の用紙に印刷されている。年2回の発行としている。
 私が持っている近鉄時刻表はこの1985-86年のもの以降はB5サイズと大きくなっている。

160 近鉄時刻表 2007 2007.3.21 700円

 表紙写真の説明がどこにあるのか、見つけられなかったが、アーバンライナーを撮影したもの。同様に用紙で色分けされ、平日が白、土日がピンクの用紙となっている。私はこれを近鉄名古屋駅で購入した。「年1回発行」と記されている。

161 近鉄時刻表 2009 2009.3.21 700円

 表紙写真載説明は、これも見つけられなかった。色分けなども同じ。2007年号との大きな違いは、伊賀鉄道と養老鉄道が別会社になったこと。索引地図では、両線が少し細い線で表されている。もちろん時刻表は本文に掲載されている。伊賀鉄道・養老鉄道は、2007年10月に独立した。

162 近鉄時刻表 2018 2018.3.17

 表紙写真は、阿部野橋と吉野を結ぶ観光特急「青の交響曲」。2016年9月から運行。6200系を改装したもので、16200系とされる。
 近鉄時刻表は、現在も発行されている。

私の使った切符 その156 各種交通の利用券(2)

2021年05月28日 | 鉄道
Sky Bus のぼるくん

465 Sky Bus 記念品

 これは切符ではないし、乗ったのも「鉄道」に入れるかどうかは判断に困る。スカイバスは、武雄市が公園内に設置したもので、展望台までの山登りのモノレールである。佐賀県立宇宙科学館前から全長488メートル、標高差80メートルで、往復200円だった。1993年に運行を開始し、2014年夏に安全上の理由で営業を終了した。

466 Sky Bus 記念品 裏

 私が乗った記憶はあるが日付の記録がない。たぶん2006.8.20に宇宙科学館で講演を行ったときに乗車したのだろう。写真も撮影していないようだ。私の趣味としての「鉄道乗りつぶし」の対象には含めない。

紀州鉄道清算済票

467 御坊駅 紀州鉄道精算済票 2007.6.28

 これも切符ではない。紀州鉄道は、紀勢本線御坊駅から2.7kmの短い鉄道で、会社は鉄道のほか不動産業・ホテル業を営み、本社は東京にある。鉄道線は御坊駅内に場内改札を設けて設置されている。紀州鉄道から御坊まで乗ってくると、場内改札で切符を渡すが、そのときJR改札でそれを証明するために出されるのがこの券である。横6センチ、たて4センチの小さな物で、裏は白紙。日付はゴム印で記されている。
 私はこの日白浜から大阪方面に移動する途中で紀州鉄道に乗車した。当然JR切符は途中下車の形で手元にあった。紀勢本線ではその切符が有効だから、この精算済票を手元に残したというわけ。

TOICAカード処理連絡票

468 愛知環状鉄道処理連絡票 2009.7.3

 ICカードを使って愛知環状鉄道からJR東海道本線に乗り継ぐと、運賃を二つの会社に支払うことになる。愛知環状鉄道でカード処理を済ませて名古屋でJR分の支払いをする際に、この連絡票を見せる必要がある。ではなぜ私の手元にあるのだろう? 全く記憶がない。原則から言うと、最初の乗車駅(この場合高愛知環状鉄道蔵寺駅)で、カードに入場の記録が記入され、岡崎駅で愛知環状鉄道運賃を引き落とし、その場で出場とJR東海の入場を記録すればこんな票は不要なはず。高蔵寺から中央本線でまっすぐ名古屋まで乗車した人との区別はつくはず。愛知環状鉄道部分については、この票中に「精算済」となっているから、なんらかの機械処理がされたはず。必要な理由がわからない。

古い本 その59 北海道の鉄道時刻表

2021年05月25日 | 鉄道

 私はJTB時刻表以外を収集していない。機会があれば入手を試みたが、通常入手できるのは中心駅の案内所や売店であって、そこを訪れなければいけないからあまり集まらなかった。それに「本」の形態のものには興味があっても、一枚紙やリーフレット型のものは本棚に立たないので整理の方法が異なる。まず、北海道の時刻表。
 北海道内の鉄道とバス路線の時刻表がある。有名なのは「道内時刻表」で、現在も発行されているが、2017年春から名前が「交通新聞社の北海道時刻表」と変わった。手元にあるのは全部「道内時刻表」時代のもの。サイズはA5。

152 道内時刻表 1978.4.1 250円

 7回目の北海道訪問の際に購入。表紙写真は早春の知床。「道内時刻表」には、青森・東京間の特急や津軽海峡を渡るフェリーなども掲載されていた。道内のバスが詳しく載っているのが観光のためにはありがたいが、バス停の名前は細かすぎて、ちょっと見ただけではどこへ走っているのかさえ判断できない。路線図があるのだが、デフォルメされていて(ほとんどの路線は直線で表されている)、それを見てもわからない。

153 道内時刻表 1979.8.1 300円

 8回目の訪問で、化石採集のため出張で出かけた時に購入。表紙写真は温根湯温泉まつり。

154 道内時刻表 1983.7.1 350円

 9回目の訪問。化石採集に出かけた。表紙写真は「酪農のメッカ北海道」

155 道内時刻表 1998.7.1 470円

 10回目の訪問。学会参加のために北海道大学他を訪れた。バスもずいぶん利用した。北海道内で利用した定期バスでは、新得・トムラウシ温泉(1974年)とか北見枝幸・雄武(同年)あたりが最も長距離だった。表紙写真は初夏の旭岳。

156 道内時刻表 2004.7.1 500円

 久しぶりに北海道へ。11回目である。化石調査のため。ずいぶん表紙のイメージが異なる。
 こうやって並べると国鉄・JR路線の減少が、いかに酷いかわかる。

157 道東・道北の鉄道路線図 左:1979 右:1998

 この範囲の廃止路線は次の通り。天北線・興浜北線・興浜南線・羽幌線・美幸線・深名線・名寄本線・渚滑線・湧網線・相生線・標津線・白糠線・士幌線・広尾線。池北線は1998年の時点では民営化されて運行していたが、後に廃止。また根北線はすでに廃止されていた。乗っておいてよかった。さらに、この地図の左端の根室本線の一部や、日高本線はすでに運休となって久しく、今年3月末にずいぶん短くなってしまった。

158 北海道時刻表 1981.12.1 350円

 北海道では他にも時刻表が発売されていた。「交通公社の北海道時刻表」で、「JTB北海道時刻表」に名前を変えて最近まで出版されていたようだが、2020年に休刊となった。他に「北海道ダイヤ時刻表」というのもあったが、それは持っていない。
 交通公社の時刻表は、1冊しか持っていない。1981年12月号なのだが、この年には私は北海道に行っていない。どこで手に入れたのだろう? 縦8cm、横21cmの本である。

私の使った切符 その155 各種交通の利用券(1)

2021年05月22日 | 鉄道

 今回から数回は、鉄道に近い交通機関などの利用に際して持ち帰った「きっぷ」類を紹介する。たいていの場合には利用が終わった時に係員に渡してしまうから手元には残らない。私の場合には、コレクションの対象としていないので捨ててしまったり、他の資料の中に紛れ込んでいたりするから数は少ない。

門司•松山 乗船証明書

460 シーマックス乗船証明書 2004.4.19

 門司から松山に渡った時の利用証明書。なぜ「乗船券」と言わないのか、別に乗船券を持って乗ったのか記憶がない。昼間に航海する高速船で、利用料と特別急行料金が加算されたものである。石崎汽船のシーマックスの就航していたのは、1998年から2008年までで、北九州・松山間には夜行のフェリー松山・小倉フェリーがあったこともあって、利用者が伸びなかった。1日2往復運行していて、片道2時間30分。時速40ノットの非常に早い船だったが、一隻しかないから天候や故障の時にはうまく対応できなかった。現在この船は沖縄で運行している。
 この時乗船したのは門司港らしい。このルートは途中下関(唐戸)に寄港した期間もあったらしいがその記憶もない。その後通常は松山観光港に周防灘を進むのだが、波が高くて岸寄りを航行し、上関の海峡(上関大橋の下)を通り、ずいぶん遅れて松山観光港に到着した。裏面の「ご注意事項」に「60分以上延着した場合は、特別急行料金を払い戻し」するという記事があるがたぶんその対象だったのだろう。
 この時松山観光港でタクシーに乗って予讃線堀江駅に向かい、予選線(当時は予讃本線)に乗車して松山に向かった。伊予鉄道高浜線に乗らなかったわけは、1980.5.26に国鉄仁堀連絡で四国入りした時に、堀江駅から今治方面に向かったために、松山・堀江間が抜けてしまう可能性があったから。
 乗船証明書は横8センチ、縦6センチで、その表に船名・乗船区間・出発時刻記入欄とともに運行会社名「石崎汽船」北九州営業所(ここまで青色)・それに券番号(黒色)が印刷されている。そして中央に大きな長方形の印が黒で押されている。やや読みにくいが、横書きで上段に「1便10:40」中段に「16.4.19」、下段に「門司→松山」と書いてある。

461 シーマックス乗船証明書の図柄部分の地紋

 これらの他に、赤色で矢印型のデザインが印刷されていて、その右の方には写真のような地紋が入っている。印刷の解像度が低くて、何が描いてあるのかよくわからない。地紋のスキャン画像から数ブロックをとって、位置を調整しながら赤いピクセルを重ねてみると下の左のような絵になる。

462 地紋のデザイン

 右は当時の石崎汽船のロゴにある旗で、これが元になっているのは間違いない。このデザインは、2015年に新ロゴが制定されて使われなくなった。旗の横には漢字で「石崎汽船」と書いてあったのを、英語の「ISHIZAKI」をデザイン化したものに変更した。地紋の旗の下の文字は読めなかったが、数ブロックの足し算によって白抜きの「I.K.K.」であることがわかった(左)。

463 シーマックス乗船証明書 裏面 2004.4.19

 裏面には「ご注意事項」の記載があり、この券は一回有効、下船前途無効、途中で捨てないこと、遅延払い戻し について簡単に記してある。

464 シーマックス乗船証明書 帰途 2004.4.20

 帰りに乗船した松山から門司への乗船証明証。印刷は前とほとんど同じで、経路が反対になっていることと、発行所が「松山観光港店」となっている点が異なる。裏も同じ。押してある印が全く違っていて、角印ではなくて「シーマックス」の後ろに「10」、日付として「16.4.20」、それに「15.10」(出発時刻)が押されている。
 私は松山市に宿泊して、予讃線(堀江・北宇和島間)・内子線と連結する予讃線部分、伊予鉄道各線に乗車して、松山付近をすべて乗りつぶし、最後には行きに乗らなかった伊予鉄道高浜線に乗車して松山観光港から北九州に帰った。

経過観察の卒業(臨時投稿)

2021年05月21日 | 今日このごろ
 今日(5月21日)大腸がん(肝臓転移)手術後の定期検診を行い、異常がなかったので5年間の経過観察の終了を宣言していただいた。手術を行ったのは2016年4月14日。熊本大地震(前震とされる第一回の揺れ)の当日であった。痛みに耐えていたところでベッドが動くほどの揺れに驚いた記憶がある。
 三日前にPCR検査を行い、COVID-19に感染していないことを確認した上で、19日に内視鏡で大腸のポリプがないことを確かめていただいた。今日21日は脚を除く全身の造影CT像を撮影してチェックしていただいた。これらと血液検査、とくに腫瘍マーカーの結果を合わせて、いずれも異常なしと診断された。
 診断後、主治医と会談して、今後の方針のご説明をいただいた。ポリプが出来やすいという可能性があるので今後も内視鏡検査を勧めるとのこと。ただし、一年に一回よりも少ない頻度で良いとのことであった。一応二年後としておいたが、予約したわけではない。これまでの経緯を考えると主治医はそれまでに交代しておられる可能性が高い。
 後遺症は、足にしびれがあること。掌のしびれは軽くて、生活に支障はない。腹部の傷は大分消えた。少々ヘルニアがある。
 
 皆様にご心配をおかけした。御礼申し上げる。治療にあたっていただいた関係者の皆産、とくに手術を行ったK医師に御礼申し上げる。家族には大変な心配をいただき、治療や生活に助力をいただいた。