OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

私の化石組標本(その23:最終回)

2014年02月13日 | 鉱物・化石組標本
私の化石組標本(その23)
My set of fossil specimens, part 23 (Last)

標本が全部そろったので、「鉱物組標本」にならってリストを作った。標本数が多いので、番号、属名、省略した産地、分類群だけの記載にとどめた。ついでに英語版を作製して裏面に印刷した。さらに表紙に「化石標本」と記した紙片を貼り付けて完成。なお、本ブログに掲載した後で一部に訂正があったので、標本の番号を変更した。具体的にはデボン紀のマクロスピリファー(旧15番)を石炭紀と誤解していたので、これを移動した。10番アメリカ産マクロスピリファー、11番長安寺産フィリプシア、12番同フェネステラ、13番秋吉台産四射サンゴ、14番青海産プロダクタス、15番雪沢産シフォノデンドロン となった。
 標本数は古生代・中生代・新生代 各24点の計72点。各地質時代のうち、オルドビス紀・シルル紀・暁新世・鮮新世が欠けている。また、始新世・完新世はそれぞれ一点のみだが、まあしかたがないかな。採集したものが三分の二を占めて48点、購入14点、残り10点がいただき物。脊椎動物が13点、無脊椎動物が一番多くて52点、残り7点が植物・原生動物・他である。古生代に脊椎動物がない。一方全体に植物は少ない。いずれも、もとのコレクションの傾向を反映している。
 地域別では、国内が49、外国が23。国内では岐阜県が最も多くて11点、次いで岩手・宮城・福岡各県がなかよく7点ずつ。地図で見るとずいぶんかたよっている。化石の好きな人なら私の住んだ場所(高校まで名古屋、学生時代京都、そして北九州で学芸員)を考慮すれば納得できる傾向だろう。高知県は2点、山口県も3点というのは意外に少ない。私見では、日本の化石産出のベスト3地方は、南部北上・岐阜・高知と思っている。日本以外ではアメリカが最も多くて10点、次いで中国の7点。次いでモロッコの3点。これらは化石商が扱う化石の種類が多いからだろう。ロシアの商品も多いが高価なものが多くてあまり購入できない。


71-1 国内産の化石産地。私の収集したところはかなりかたよっている。
 青は古生代、緑が中生代、橙が新生代。
Fossil localities in Japan: Blue; Paleozoic, Green; Mesozoic, Orange; Cenozoic.


71-2 外国産の化石産地。さらにかたよっている。
 青は古生代、緑が中生代、橙が新生代。
Fossil localities out of Japan:

 前にも記したが、使用した化石の属名は包括的なものを主にしたので、古い時代に命名されたものがほとんど。一番古いのは1768年のCrocodylus で、一番新しいのは1992年のCleviceras 。平均するとちょうど明治維新頃になる。命名者の生年で一番古いのはGlycymeris を命名した1717年のDa Costa 、一番最近の人はKunmingella の命名者Huo の1949年生れ・・・なんだけれども、ここで矛盾がみつかってしまった。「化石組標本 その5」で「Kunmingellaの命名はHuo(雲南大学の侯先光博士だと思う。)1956年」と記したが、そうするとHuoさんが7歳の時命名、となってしまう。何か間違っていて、たぶんHuoさんが二人いる。ネットではとうとう分らなかった。この疑問のあるHuoとClevicerasのHowarthの一人か二人だけがたぶん存命中。全体的に命名者は古いから、さすがにヨーロッパ国籍が多い。出てくる命名者48人(多くの属を命名した人も一人とする。逆に一つの属が複数の研究者の命名のときは両方とも数えた。)のうち、34人がヨーロッパ人(途中で移住した人は両方の国に0.5人とカウント)で、中でもフランス人が最も多い(10人)。次いでドイツ(8.5人)イギリス(7.5人)その他ヨーロッパ人8人。ヨーロッパ以外は、アメリカ(9人)、日本・中国(各2人)、オーストラリア(1人)。命名した時の年齢は、正確に計算していないが、平均50歳ぐらい。若い方で24歳の人もいる。一方79歳で命名した計算になる人もいる。ただしこの人Brongniartの命名出版は、没後のことで、二年ほど前に本人は亡くなっている。ほかに命名と没が同じ年の場合が二件あるが、出版と亡くなられたのとどちらが先かは調べていない。


72 完成した組標本(最後の写真の番号が標本数と同じになるように、前の産地地図を枝番号にした。)

 化石組標本のシリーズはこれでおしまい。このシリーズの最初の部分は「古い鉱物標本」というものだったが、化石に移ってカテゴリー名を改訂した。鉱物標本の記事の中で、唯一輝安鉱標本が失われていたのが気になっているので、代替標本をさがしていたところ、関西在住のSさんから予備標本中にあったものをいただいたので、これを入れることにした。Sさんありがとうございました。

 このシリーズの終了後は、代って別のものを開始する。2000年に訪れた中国の旅行記。

私の化石組標本(その22)

2014年01月29日 | 鉱物・化石組標本
私の化石組標本(その22)
My set of fossil specimens, part 22

新生代の最後。


67 標本69-72  scale: 5cm
Specimen 69-72: Isurus, Glycymeris, Ailuropoda, Hexapus

標本69 アオザメ Isurus アメリカ・ノースカロライナ州産 中新世 軟骨魚類
購入標本。最近はチリ産のもっと大きなイスルスが手に入るが、当時はこれくらいのサイズが普通であった。


68 イスルス 

 Isurus の命名はAgassiz = Jean Louis Agassiz 既出= で、1843年。語源は、ギリシャ語Isos「同一の」、oura「尾」だそうだ。アオザメ類は尾ひれの上と下の差が少ないからだろうか。
 この標本の種は、Isurus hastalis (Agassiz)。種小名hastalis は槍の穂先といった意味。

標本70 グリキメリス Glycymeris 神奈川県二宮産 更新世 軟体動物・二枚貝類
いただきもの。神奈川県の南部に分布する二宮層の標本。鮮新世が抜けてしまった。私は古いタイプの古生物研究者で、いろんな地質年代の化石を扱った。論文ともいえない雑文を入れると次の年代のものがある。シルル紀・デボン紀・ペルム紀・三畳紀・ジュラ紀・白亜紀・始新世・漸新世・中新世・鮮新世・更新世・完新世。これらの内、鮮新世はゾウなど脊椎動物ばかりであるから、個人コレクションには何も無い。掛川層群にはほんの一時間ぐらい採集に行っただけ。
 二宮層から報告されているGlycymeris 属は5種類ぐらいで、いずれも現生種。この標本はエゾタマキガイG. yessoensis (Sowerby)となっている。ベニグリガイ G. rotunda (Dunker) かもしれない。

標本71 パンダ Ailuropoda 中国・四川省産 更新世 哺乳動物・食肉類
購入標本。いつかの新宿ショーで台湾の業者さんから購入。少々法的な問題があるかもしれない。四川省産であるので、どこかで中国から輸出されていることになるが、中国の国内法でそれが許されているか不明。現在はたぶん禁止されているが、輸出年代によっては問題がない。私は国内の売買なのでその法律とは関係がないが、倫理的には少々問題があるかもしれない。国際法である「ワシントン条約」は絶滅の危機にある動物の保護のためなので、対象外。この標本は現生のジャイアントパンダ Ailuropoda melanoleuca (David) [中国名:大熊猫]でなく、化石種の Ailuropoda fovealis (Matthew et Granger) [中国名:始熊猫] であるから。絶滅してしまった種類はワシントン条約の対象ではないのだ。
 歯の種類は右上顎の第一大臼歯で、下の写真の上方が外側(頬側)、右が前方である。竹を食べるのに適応して、食肉類としては例外的に平らな歯をもっていることがよくわかる。


69 パンダの右上顎の第一大臼歯。横幅(近心・遠心長)約2.7センチ。

 Ailuropoda属の命名はMilne-Edwards =Henri Milne-Edwards 1835-1900: フランス= で1870年。ミルネ-エドワーズは、非常に多くの動物の命名に関わっており、日本の哺乳類の命名にもよく登場する動物学者。ちなみにMilne-Edwardsのうちの前半は本来はファーストネームの一部であるが、他のEdwardsと区別するために本人や息子がMilne EdwardsまたはMilne-Edwardsと書いていたという。分類学ではハイフンで結んだ方を使うことが多い。
 Ailuropodaの語源は、Ailuro- が「猫の」という意味。Podaは「足(脚)」。中国名大熊猫の猫は、ここから来ているかというと、そうとも言えない。先に西欧に知られたレッサーパンダの属名がAilurus (命名1825年)であるから。後に知られたジャイアントパンダは当初これと近縁であると考えられていたから属名も一部借用したのだろう。その大熊猫の種小名melanoleuca はmelano- が黒、leuca が白である。Fovealisの方は、「穴の」といった意味で、化石が洞窟産であることを言っているのであろう。ここにある標本も当然洞窟産。

標本72 ヒメムツアシガニ Hexapus 名古屋港産 完新世 節足動物
名古屋港の浚渫造成地には、海底から土砂が吸い上げられて広い新しい地面を作っていた。そこには現生の貝殻などに混じって、海底の完新世堆積物の「化石」も入っていた。時代は古くないから化石と言ってはいけないんだろうけれども、ノジュール化したものもあるので、ある程度の年月(数百年とか千年とか)は経っているんだろう。一度だけ採集に行ったことがある。この標本はヒメムツアシガニ(二個)で、少し泥岩が固着している。行った場所は名古屋港の東部で、いまのどこにあたるのか不明。
 ヒメムツアシガニは、ムツアシガニに似て歩脚が3対。ゴカイ類やナマコなどの棲管内に共生する。淡水の混じる浅い海に生息する。近年は内湾の環境破壊によって見つけることが難しくなってきた。
 Hexapus 属はDe Haan = Wilhem de Haan (1801-1855) オランダ= が1833年に命名。Hexa-は六、-pus は足だから文字通りムツアシガニだ。本家ムツアシガニはHexapus sexpes (Fabricius) 、ヒメムツアシガニはHexapes anfractus (Rathbun)という学名。種小名sex-はドイツ語で六、-pesは足、anfractus は「曲る」とか「ねじれる」という意味。De Haan はシーボルト収集標本などを記録したFauna Japonicaの著者のひとりで、甲殻類を担当したから、日本の甲殻類の学名には数多くの彼の命名による種類がある。Richard Rathbun (1852-1918) アメリカ は、スミソニアンで甲殻類他の研究をした。とくに寄生性のものの研究が有名。

自分で採集した標本
72 ヒメムツアシガニ 愛知県東海市?


新生代の段で自分で採集した標本は、他より多くて19件。属名が不明なのが珪化木と鳥と鯨の三件。残り21属だが、勉強が足りないので包括的な属名を使ったから、命名の古い属名が多い。一番古いのは1778年のGlycymeris属。出てきた属の命名年の平均値は1843.2年、中生代が1873.5年、古生代が1876.6年だったから、新生代はちょっと古く、江戸時代になる。
 古生代から新生代までの全標本では72標本中66標本が属を決めてあって、命名年の平均は1864.9年。明治になる直前である。

新生代の全体はこんな感じ。


70 新生代の段

次回は化石組標本のことをまとめて、最終回としたい。

私の化石組標本(その21)

2014年01月21日 | 鉱物・化石組標本
私の化石組標本(その21)
My set of fossil specimens, part 21

新生代の五回目。終りがちかい。


64 標本65-68  scale: 5cm
Specimen 65-68: Callianassa, Fulgoraria, Chicoreus, Vicaryella

標本65 スナムグリ Callianassa 小佐産 中新世 軟体動物・二枚貝類
「知多の爪石」として有名な、師崎層群のスナムグリのはさみ。5センチぐらいのノジュールに入っていて、うまく割るとはさみが出てくる。採集には何度か行ったが、この標本は1966年8月のもの。産出は江戸時代から知られている。 
 Callianassa の命名はLeach = William Elford Leach (1790-1836) イギリス = で、1814年。語源は、anassaの方は「女王」らしいが、Calli-の方は不明、「サンゴの」という意味かもしれない。
 種類はCallianassa titaensis Nagao である。種小名は「知多」にちなむ。長尾巧博士については既に記した。


65 知多・小佐でノジュールを探す私。1966.8撮影。

標本66 ヒタチオビ Fulgoraria 一志産 中新世 軟体動物・巻貝類
津市の西にある一志層群の化石もよく採集に出かけた。この標本がいつのものかはわからない。採集地は分郷付近である。一志層群の化石層ではヒタチオビがよく採集できるので、いくつも採集した。標本区画に入れるために、小さめの標本を選んだ。
 一志層群のヒタチオビには数種類あり、どの種類に属するかは、螺管の「肩」が低いという特徴で決められるかもしれない。「The database」によると、日本で記載されたFulgoraria属の種・亜種はざっと数えて45ぐらいある。これには外国で記載されて、日本に産する種類の数が入っていないが、それはほとんど現生種だろうから関係しない。45種類のうち、三重県の中新世のものは、Fulgoraria (Musashia) hirasei yanagidaniensis Araki, F. (Psephaea) megaspira striata (Yokoyama), F. miensis Arakiぐらいであろうか。これらの中では、上記の特徴に合うのは、miensis である。
 Fulgorariaは、Volta属の亜属としてSchmacher = Heinrich Christian Friedrich Schumacher (1757-1830)、デンマーク= が1817年に提唱した。語源は分らなかったが、フランス語でfulgural が「雷の」という意味だから、この類の貝の表面にあるジグザグ模様と関係しているのだろうか。種小名miensisはもちろん三重県に由来する。一志産の他のフルゴラリアの種小名・亜種小名の由来は次の通り。Hiraseiは貝類コレクションの平瀬與一郎(1859-1925)か息子の貝類学者・平瀬信太郎(1884-1939)であるが、命名年が1912年なので平瀬與一郎だろう。なお、平瀬與一郎は海外に日本産現生貝類標本を販売していた。Yanagidaniensisは津市美里町柳谷で、化石層が県の天然記念物「柳谷の貝石山」として保護されている所。Megaspiraは「大きいらせん」、striataは「筋のある」という意味。なお。Fulgoraria (Musashia) hirasei (Sowerby) 現生種のニクイロヒタチオビ、F. (Psephaea) megaspira (Sowerby) も現生種のサガミヒタチオビ。


66 分郷の化石層 撮影日時不明、たぶん1968年4月。

標本67 アクキガイの一種 Chicoreus 鮎川産 中新世 軟体動物・巻貝類
この標本と次の68ビカリエラの二つは1965年10月7日採集。福井県鮎川の海岸で採集したもの。ここは、ビカリアがあるので採集に行ったが、瑞浪・月吉のものと違って、結晶化が進んでいて、貝を割ると透明感のある5ミリくらいの方解石が見える。化石標本でありながら鉱物標本でもある。
 このアクキガイの一種では、殻の一部だけが方解石化している。種類はわからない。
 Chicoreus は、Montfort = Pierre Denys de Montfort (1766-1820) フランス= が1810年に命名。語源はでてこなかったが、フランス語でChicorée(後から二番目のeにアクサン)がキクヂシャ(エンダイブ)のこと。キクヂシャの学名はCichorium endivia だから、(hの位置が異なるが)関係ありそう。英名チコリー(Chicory)も同属の植物。エンダイブの葉のヒダになるようすと、Chicoreus属のセンジュガイあたりの装飾とは似ていないでもない。

標本68 ビカリエラ Vicaryella 鮎川産 中新世 軟体動物・巻貝類
ビカリエラ標本も方解石化が進んでいるが、内部の方解石の結晶サイズの割には細かい表面装飾が保存されている。種類はVicaryella notoensis Masuda で、前に出てきたV. ishiiana と比べて螺層上部にある脈上の顆粒が多い。

自分で採集した標本
標本65 スナムグリ 愛知県南知多町小佐
標本66 ヒタチオビ 三重県津市美里町分郷
標本67・標本68 アクキガイの一種・ビカリエラ 福井市鮎川町

私の化石組標本(その20)

2014年01月13日 | 鉱物・化石組標本
私の化石組標本(その20)
My set of fossil specimens, part 20

新生代の四回目。


59 標本61-64  scale: 5cm
Specimen 61-64: Turritella, Stomopneustes, Myliobatis, Vicaryella

標本61 キリガイダマシ Turritella 隠居山産 中新世 軟体動物・二枚貝類
標本61から63は高校生の頃採集した標本。隠居山の南斜面からすこし東に回り込んだところに多く産した。当時、瑞浪市より土岐市内の方に多く採集に通った。隠居山、中肥田、定林寺などなつかしい地名である。


60 隠居山産キリガイダマシ

 語源などについては「その18」標本55を参照戴きたい。種類はTurritella sagai Kotakaである。小高民夫氏は東北大学名誉教授(1924-2011)。種小名sagai は東北帝国大学に学んだ岐阜県出身の嵯峨一郎氏にちなむ。嵯峨一郎は、1917年に平牧地方の地質に関する長大な論文「東濃地方第三紀層地質調査報文」を、卒業論文として東北帝国大学に提出した。東北大学で1970年頃に閲覧したが、各地の露頭をくわしくスケッチ・記載したもので、非常に意義深い論文であるが未公表。

標本62 クロウニ類 Stomopneustes 隠居山産 中新世 棘皮動物・ウニ類
標本は小型のウニ3個。
Stomopneustes属は、1841年Agassiz = Jean Louis Agassiz 既出=の命名。語源はネットでは出てこない。Stomo- は小さい穴のこと、pneustesはよくわからない。Pneuma-といえば、空気とか肺に関する単語がならぶが、関係あるかどうか。
現生のクロウニStomopneustes variolaris (Lamarck, 1816) の属で、たぶん他の種類は記載されていない。なお、海産物としてはムラサキウニを「クロウニ」と呼ぶことがあるが、もちろん別物。

標本63 ミリオバティス Myliobatis 隠居山産 中新世 軟骨魚類
隠居山では、カルカリヌスなどのサメの歯や、エイの歯・棘がみつかった。表面採集がほとんどだったが、畑の客土のため、付近の農家の方が掘っていたし、雨で表面が洗われていたから、行くたびに見つかった。
 Myliobatisは、現生トビエイなど多くの種類があり、時代的にも古いものは白亜紀ぐらいから化石が知られる。日本の現生種はトビエイMyliobatis tobijei (Bleeker)ぐらいかな。このトビエイの名は鳶色から来ていて、飛びエイではない。
 Myliobatis属はCuvier = Georges Cuvier既出= が1816年に命名。語源はMylo-
がコーヒーミルなどのmillの意味で臼、batis はエイ、どちらもギリシャ語である。語源の通り、貝類などをクラッシュして食べるための歯だから、平らに近い表面である。

標本64 ビカリエラ Vicaryella 月吉産 中新世 軟体動物・巻貝類
採集は高校生の頃。瑞浪市月吉のトンネルの向うで採集したと思うが、瑞浪市の化石は、それより前の1957年に天然記念物に指定されているから、違法であった可能性が高い。
 月吉の標本は凝灰質のシルト岩に産し、非常に保存が良いので表面の装飾が美しい。種類はVicaryella ishiiana (Yokoyama, 1926)。1926年に献名された石井さんというのは誰だろう?私の知っている人はみんな年代が合わない。横山又次郎東京帝国大学教授は、日本の古生物学の基礎を築いた一人で、地質・古生物学の日本語を確立した人。


61 月吉産ビカリエラ。


62 上の写真の一部拡大。

Vicaryella の語源は当然装飾の似た大型のVicarya に由来するのであろうが、Vicarya の語源は分らなかった。1900年頃のW. Vicary という化石コレクションを持つ人名に関係するのだろうか。
 Vicaryellaの命名は、1938年Yabe (矢部久克=1878-1969)and Hatai(畑井小虎=1909-1977)(それぞれ東北帝国大学・東北大学教授)。畑井小虎の生れはアメリカ・ペンシルベニア州。父親の畑井新喜司がペンシルベニア大学の教授を務めていたから。
 ついでにVicaryaの命名は1854年、d'Archiac and Haime。 Adolphe d’Archiac (1802-1868) はフランス人で、貨幣石のところで登場した。Haimeの方はMilne-Edwards と共著の論文があるJules Haime (1824-1856) のことだろう。インドからd'Archiacが報告していたNerinea? verneuli を属を立てて独立させた。

自分で採集した標本について


63 大学生時代の瑞浪での化石採集。場所不明。1968.1撮影

標本61-63 キリガイダマシ・クロウニ類・ミリオバチス
  岐阜県土岐市隠居山
標本52 オドンタスピス
  岐阜県瑞浪市月吉


私の化石組標本(その19)

2013年12月07日 | 鉱物・化石組標本
私の化石組標本(その19)
My set of fossil specimens, part 19

新生代の三回目。

57 標本57-60  scale: 5cm
Specimen 57-60: cetacea, Patinopecten, Euspira Felaniella

標本57 鯨類 cetacea 馬島産 漸新世 哺乳動物・鯨類
私は鯨類化石を専門にしているので、何か入れたかった。この標本は、馬島の東海岸の転石中にあったもので、多孔質であり、おそらく鯨類の胴部脊椎骨の横突起であろう。芦屋層群の鯨化石に関する論文は、はずかしながらほとんど私の関係したもので、これまでに二種類が新種記載され、ほかに二属が挙げられている。鯨にはひげ鯨と歯鯨の両方が含まれているが、全容は未だ明らかではない。馬島東海岸では、鯨類かと思われる骨化石の入った転石が多く見られる。歯の入ったものがないかと、さがすが、これまでに二度くらいしかそういうものは見ていない。

標本58 パティノペクテン Patinopecten 松ケ瀬産 中新世 軟体動物・二枚貝類
修士論文のテーマには瑞浪層群の哺乳動物化石を選んだ。ちょうど中央高速道の工事が始まった頃で、小牧から瑞浪までの区間がつくられ、それにともなって天然記念物調査があったので、その一員に加えていただいた。私の仕事は、工事で出てくることの予想される骨化石の鑑定を行うことであるが、それでは修士論文のテーマにならないので、そのころまでに見付かっていた哺乳動物化石をまとめて、どのようなものかを概説することと、それらが外国とどの様な関係にあるかをまとめることにした。工事が始まるとかなり多数の骨化石が発見され、そのクリーニングや鑑定に忙しかった。またそういった調査を始めたことで、個人が持っておられた標本が持ち込まれたので、こちらもおろそかにできなかった。もちろん哺乳動物化石だけではなく、ほかの分類群を担当された先生方も忙しかった。幸いこれらの標本や調査の結果を保管し、皆さんに見ていただくための博物館の建設が決定したので、標本の行先については心配することがなかった。また調査やクリーニングの費用、また公表のための費用も心配がなかった。
 瑞浪層群でよく見られるイタヤガイ類がパティノペクテン。普通はずっと大きいのだが、組標本のワクの関係で小さなものを入れた。採集したのはこの工事調査の時ではなく、博物館が設定した採集場の河原。
 Patinopecten の命名は1898年Dall = William Healey Dall (1845-1927) アメリカ = による。この属に現生種ホタテガイ(P. (Mizuhopecten) yessoensis)が含まれる(さらに細分してMizuhopecten を属にしていることも多い)。Pecten属(1776年命名)から分けたのだろう。Pectenは櫛のことであるが、Patino- の部分の意味はわからなかった。人名に由来するかもしれないが、相当する人物も見当たらない。
 種類は、Patinopecten egregius (Itoigawa) である。1955年の命名で最初の学名はChlamys egregius Itoigawa、Egregius は「特異な」といった意味で、命名者は糸魚川淳二名大名誉教授で、瑞浪の化石を研究していた時に非常にお世話になった方。

標本59 ユースピラ Euspira 隠居山 中新世 軟体動物・巻貝類
土岐市の隠居山で採集。中学生から高校生の頃にここへよく採集に出かけた。比較的やわらかい砂岩で私の手に負えたし、雨の後などにはサメの歯が拾えるのがうれしかった。隠居山はパレオパラドキシアの骨格の発見された場所であるが、少し離れた場所に、巻貝・二枚貝などを産する場所があって、そこに通った。でもパワー不足でたいした物は保存されていない。


58 隠居山で採集する私。1960年7月・友人T君撮影(中学二年生)

Euspiraは1837年Agassiz = Jean Louis Agassiz 既出 = の命名。語源はEu-が「真の」という意味、spiraはらせん=巻貝、という意味だから、あまり本質的でない命名。
 種類は Euspira meisensis (Makiyama) であろう。Meisensis は朝鮮半島の咸鏡北道明川郡にちなむ。現在の北朝鮮の日本海側である。命名者は京都大学名誉教授の槇山次郎(1896-1986)で、生前何度かお会いしたことがある。原名はPolinices (Euspira) meisensis Makiyama, 1926。Polinices の語源はエジプト・テーベの戦士・王子にちなむらしい。

標本60 ウソシジミ Felaniella 戸狩産 中新世 軟体動物・二枚貝類
瑞浪層群の化石に初めて出会ったのは、たぶん1959年。中学校の理科のS先生が連れて行ってくれた。瑞浪市戸狩の有名な場所に行ったが、フェラニエラの化石層は固くて、まだ成長していなかった私には手ごわかった。
 この標本はずっと後になって採集したもので、特別に保存が良い。Felaniellaの命名はPatinopecten と同じDall で、1899年。語源はさっぱりわからない。
 種類は Felaniella usta (Gould) である。現生種ウソシジミで、銚子以北に分布する。Usta の語源も不明。

自分で採集した標本について
標本57 鯨類
  北九州市小倉北区馬島
標本58 パティノペクテン
  岐阜県瑞浪市明世町松ヶ瀬
標本59 ユースピラ
  岐阜県土岐市隠居山
標本56 ウソシジミ
  岐阜県瑞浪市明世町戸狩