OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

古い本 その114 古典的論文 中生代鳥類1

2022年07月29日 | 化石
 ここまで、恐竜だけを扱ったが、そのついでに中生代の鳥類について調べてみた。まず、始祖鳥について。
 現在までに始祖鳥の標本はドイツのSolenhofenの石灰岩から約10個が報告されている。この中にはすでに行方不明のものもある。幾つかのものは、当初翼竜や小型の肉食恐竜として記載されたものもあるが、その名前を含めると、ここに書ききれないくらい多くの学名が提唱されてきた。結局、諸説あるが一種類Archaeopteryx lithographica としておこう。最初の記載は次の論文。
⚪︎ Meyer, Hermann von, 1861b. [no title] Neues Jahrbuch für Mineralogie, Geognosie, Geologie und Petrefaktenkunde, 1861: 678-679. 
 「短報」というか「手紙」というか、何人もの研究者が、短い報告を記したものの一つで、19行の文。しかも後半は別のPterodactylusの標本について記しているから。始祖鳥に関するところは11行にすぎない。その中には二つの標本が出てくる。一つは「前の報告で述べた鳥の羽」。もう一つは別の標本で「完全な全身骨格が発見されたと聞いた」というもの。あとで述べるが、Pterodactylus の最初の標本は1700年代にすでに記録されていて(Collini, 1784)、最初の標本からほぼ完全な全身骨格であった。80年近くも経っているのに改めて記したのはなぜだろう? そして羽については画像とともに近いうちに報告するとし、学名としてArchaeopteryx lithographicaを提唱した。つまり、この「論文」には化石に図はなく、特徴も記してない。学名の提唱がされているのは確かだし、二名法を用いているからこの時代では有効名と判断された。
 まず、この報告(1861年9月30日という日付)にある「前の報告」というのは何か。文中では「昨月の15日付」となっている。それを探すと次の報告に行き着く。なおこれら二つの文はどちらもタイトルがなく、同じ雑誌の連続した号に掲載されていて区別しにくいので、年号の後にabをつけて区別した。

411 Meyer, 1861の二つの論文が掲載されたジャーナルのタイトルページ

⚪︎ Meyer, Hermann von, 1861a. [no title] Neues Jahrbuch für Mineralogie, Geognosie, Geologie und Petrefaktenkunde, 1861: 561. 
 タイトルページのジャーナルの文字の下にあるサインは、「Agassiz」と書いてある。このファイルは、ハーバードの図書館の蔵書からデジタル化されたもので、図書館のカードが貼り付けてある。

412  Museum of Comparative Zoology蔵書票 

 下の方に「Deposited by Alex Agassiz from the Library of Louis Agassiz」(A. Agassiz 収集、L. Agassiz図書から)と書いてある。Louis Agassiz(1807-1873)は、Alexander Agassiz(1835-1910)の父で、ハーバードの教授だった。タイトルページのサインは、父のL. Agassizのものだろう。彼はこの時代の魚類化石などに関する著作が多い。
 この文では、初めの17行ほどが羽化石についての記載、後半は同じlithographic slate から発見された「Palpipes」という節足動物の化石に関する記述で、これも面白そうだが省く。Meyerは、1863年にこの節足動物について論文を書いているから、興味ある方はどうぞ。論文名を記しておこう。
⚪︎ Meyer, Hermann von, 1863. Zu Palpipes priscus aus dem lithographischen Schiefer in Bayern. Palaeontographica (1846-1933) Band 10, Lieferung 6 (1863), p. 299 – 304.(Bayern の石版石からのPalpipesについて)
 のちの論文を見ると、どうやらエビのような節足動物のphyllosoma段階の幼生らしい。
 元に戻って、羽の化石についても「近いうちにPalaeontographicaに書く」としている。その論文が次のものらしい。
⚪︎ Meyer, Hermann von, 1862. Archaeopteryx lithographica aus dem lithographischen Schiefer von Solenhofen. Palaeontographica. Band 10. Lief. 2: 53-56, Taf, 8, Fug. 3. (Solenhofenの石版石からのArchaeopteryx lithographica
 ここに、初めて羽の標本のスケッチが出てくるのだが、残念ながらネットで手に入るデータの図版は、デジタル化が下手で画質が悪くて何も見えないに等しい。

413 Meyer,1862b,  Tafel 8, Fig. 3. Archaeopteryx lithographica

 そこで後にMeyer, 1862から引用された図を示しておこう。標本は保管されているから、インターネットではもっと美しいカラー写真を見ることができる。

414 1862b を引用した他の論文による。

 標本の大きさは、1861aには概数が書いてあるが、1862では詳しくなっていて(なぜか単位はメートルで、0.069と書いてあるが面倒なので以下はmmで書く)長さ69mm,そのうちの54mmが羽の部分(で残りの15mmが羽軸だけのところという計算になる)。羽の幅はだいたい均一で11mm、羽軸は太くて1mmの幅を持つという。
 論文中では標本のついている石がジュラ紀の石版石であるか?とか鳥の羽として矛盾がないか?とか人工的なものではないものか?といった重要な点について詳しく検討して、こういった点には疑いがないと強調している。
 この羽化石は、重要性がよく認識され、ここに挙げた三つの論文でこの時代として丁寧な記載がされ、図もあるし二名法を使っている。疑問になりそうなこともちゃんと先回りして検討を加えているので、一件落着、となりそうだが、ひとつ気になることがある。羽をもとに命名した種が、十分に比較に耐えるのか?ということ。その後の検討でいろいろなことが言われている。それらについては、後で少しだけ触れる予定。
 この発見は、論文発表以前に情報としてイギリスあたりには伝わっていたようだ。Darwinは、有名な「種の起源」の中で早くも1859年にこの標本に言及しているという(未確認)。ただし、Darwinの綴りはArcheopteryxとなっていて、少し違う。後のOwenの論文でもこのつづりを用いているからイギリスでは先にこの名前が広まったのだろう。途中だが、まとめておこう。次回もArchaeopteryx について記す。
Archaeopteryx von Meyer, 1861 模式種 Archaeopteryx lithographica von Meyer, 1861
産出地 Solenhofen ドイツ

古い本 その113 古典的恐竜 まとめ

2022年07月25日 | 化石

 今回はいつもにも増してウザいので、暇と興味のある方だけご覧いただきたい。「古典的恐竜」ということで、23回にわたって調べた結果を記した。扱ったのは27属、最初に記したようにコルバートの「脊椎動物の進化」に出てきた属をもとにした。そのうちの100年くらい経ったものということで、一年の余裕を見て1923年までとした。
 今回はネットで公開されたデータを探すことで作った。デジタル化した論文だから、同じように見えても、幾つかのファイル形式がある。まず、各ページが画像として取り込まれている場合。この場合、たいていはカラーで取り込んであるから、モノクロにすれば多少文字が読みやすくなる。さらにモノクロならデータ容量が小さくなるはず、と思ったが容量は意外に少なくならない。時にはなぜか増加することさえある。次は、各ページがOCRに対応する形式で保存されている場合。この時には画面の文字列を指定して、コピーし、他の文書に取り込むことができる。ワードなら、フォントも合わせてくれることがあるが、いつもというわけでもない。エクセルの場合にはそのままペーストするとフォントが合わない。しかしそのセルに、すでに文字が入っている時にはそれに続けてペーストすると、そのフォントに合わせてくれる。論文の表題のように全大文字の場合、近くの空いているセルに一旦取り込んだ後、もうひとつのセルに小文字にする関数:=lower(cell):を入れれば、全部小文字になる。この内容をコビーして目的のセルに「形式を指定してペースト」のメニューから「値」を選ぶと入力できる。普通にコピーすると、先ほど作った仮のセルを消した時に目的のセルも変更されてしまう。後でその後必要な場所を大文字にする。


406 Marsh, 1879 p. 502(一部)本文の一部をドラッグしたもの

407 Marsh, 1879 p. 502(一部)本文の一部をドラッグ・ペーストしたもの

 405の文字列は、上の2段が元のファイルからコピー・ペーストしたもので、なぜか、フォントはCourierである。中央2段はそれをTimesに変換し、サイズを揃えたものだが、なぜか基準線がずれている。下の二段は打ち直し、欠けているところを打ち込んだもの。上の場合、文字列はほとんど間違いなくデジタル・テキスト化されているが、二行目の最初が欠けている。その上のFig のキャプション部分は、ドラッグができなかった。
 いずれの場合にも、OCRができればそのヒット率は95%を超えるが、幾つかを訂正する必要がある。時には、とくに箇条書きの部分などで、単語丸ごと抜けることもある。苦手な文字があるようだ。もちろん連字aeなどや、習慣的に活字のことなるfiとかffとかは間違うことが多い。
 もう一つの場合は、気を利かせて?打ち直したファイルが提供されている場合で、数はごく少ない。打ち直してあるだけに信用していいのだろうか?
 一度パソコン内のpdfファイルにしたものからも、 OCR的なコピーは可能なのだが、その元ページの画像処理を(photoshopなどで)行うと画像になってしまって文字列に変換できない。モノクロ化・トリミング・色調調整のいずれもしていない場合だけOCRで読み取れる。
 図版ページの質はよくない。中間色調が飛んでしまっているものがかなりある。これを画像処理しようとしても、まず無理である。さらに、折り込み図などで、一部が抜けていることもある。

408 Riggs, 1903. Plate 45. Colorado州の恐竜化石発掘現場

 上の写真の場合、骨化石の右上にシャベル?を持った人物がいるのだが、中間調が飛んでしまっていてpdf ファイルではほとんど見えない。全く黒くなっていて、各種の画像処理してもでてこない。
 色々と文句をつけたが、論文を探し当てる率は高かった。今回は100年くらい前ということで公開されていることが多かった。ブログで必要な論文数は、結果として77件、そのうち見られなかったのは4件ほど。他に初版を見るべきなのに後の版しか見られなかったのもある。いずれにしても非常に高い率で読むことができるようになったのは、学生時代に他の大学まで行って図書室で探すのとは大違いで、感激した。
 論文単独でネットの検索で出てくるのもあるが、その場合でもその題の論文が含まれるジャーナルの号全体が一つのファイルになっているから、目的のものだけを別ファイルにしてストックしておかないと読むのは大変。それには結構手間がかかる。今回ブログで書いた論文はほとんど全部ファイルを作って、著者名・年号・内容を記した件名をつけてABC別にまとめ、exelの表を作った。全部のファイルを一つのフォルダ(フォルダ名:COLID-19:Collection of Old Literatures on Dinosaurs in 19th Century)に入れた。また使うということはなさそうではあるが。それについてはこのシリーズの最後に記す予定。それが掲載されるのは来年(2023年前半)になるだろう。

「Palaeontological Bulletin」について
 Copeが発行したこのジャーナルには、幾つかの問題があることはすでに記した(古典的恐竜 その95)。Cope が個人的に出版したものだろうが、命名上では出版の主体は問わない。一定数を出版することが条件だが、これを満たしているので出版物としては適格である。問題は、同じ論文を他に出していること。その際、全く同じであれば実用上の問題はないのだが、微妙に違うのは困りもの。例をあげよう。Palaeontological BulletinのNo. 1は、次の論文。
⚪︎ Cope, E. D. 1872. Descriptions of some new Vertebrata from the Bridger Group of the Eocene. Proceedings of the American Philosophical Society, 1871, vol. 12, no. 86: 460-465. 1871.8.15 ≒ Palaeontological Bulletin, No. 1: 1-5.(始新統Bridger層からのいくつかの新種脊椎動物)
 以下では、この二つのジャーナルを「PAPS」と「PB」と略記する。この論文は始新世の脊椎動物に関するもので、産出層のBridger Groupというのが、北米で使われる始新世の年代区分の一つになったくらいだから、重要な古生物が記載されている。

409 二つの論文 タイトルページ 下がPBで再録されたもの

 ご覧のように。タイトル部分は著者の下に「学会で口頭発表された」というカッコ内の行がないことと、ノンブル(ページ数)を含むヘッダー以外は同じのようだ。このくらいなら困ることはないかもしれない。次に2ページ目を見ると...。

410 二つの論文 2ページ目 下がPal. Bull. で再録されたもの

 ご覧のように、記載されている学名の属が改訂されている。PAPSの方ではHyopsodus pygmaeusという種(ウマの祖先に近い奇蹄類)なのだが、PB では同じ種がLophiotherium属になっているのだ。これは困ったことである。Hyopsodus 属はLeidyが1870年に記載した、とされるが、実は1870年10月4日の学会の講演要旨。「...この標本をHyopsodus paulusと呼ぶことを提唱し、将来詳しい記載と図を示す。」と書いてあるから、この時代ならともかく、現代の命名規約から言えば「予定名」になり、無効だろう。
⚪︎ Leidy, Joseph, 1870. [Abstract of remarks made before a meeting of the Academy of Natural Sciences of Philadelphia, October 4th, 1870].  Proceedings of the Academy of Natural Sciences of Philadelphia. Vol. 22 no. 3: 109-110.(1870.10.4開催のPhiladelphia自然科学学会の事前要旨)
 同じように、1870年11月15日の学会の講演要旨で、Gervais が記載したLophiotherium cervulum に対して新種L. sylvaticumを提唱している。
⚪︎ Leidy, Joseph, 1870. [Abstract of remarks made before a meeting of the Academy of Natural Sciences of Philadelphia, November 15th, 1870]. Proceedings of the Academy of Natural Sciences of Philadelphia. Vol. 22 no. 3: 125-127.(1870.11.15開催のPhiladelphia自然科学学会の事前要旨)
 つまり、これらの「論文」では、名前を出しただけで後の論文(私は調べてない)で詳しく述べられているのだろう。Gervais の論文もまだ探していない。
 奇蹄類のことを調べているのではないので、本論に戻る。PBはNo. 1 (1872) からNo. 40 (1885)まで発行された。各号には1から4件の論文が収録されていて、合計約60件が掲載された。すべてCopeの単著。アメリカ以外のことを扱ったのは1論文のみで最後のNo. 40がブラジルの古脊椎動物学をテーマにしている。タイトルで判断して、内容で一番多いのは始新世に関するもので少なくとも24件、恐竜に関するものは7件だが「動物群」としているものが29件あってこれは内容を見た上で分類しなおさねばならない。古生代の脊椎動物に関するものが8件あって、やや目立つ。
 PBが他のジャーナルの再録であるものは、47件、残り14件はPBがオリジナルらしい。47件のうち、2件(American Naturalist とBull. U. S. Geol. and Geogr. Survey of the Territories)以外はすべてPAPSに掲載されている。引用するときにはなるべくPBでない方を使うのが良さそう。再録のものの引用にはご注意を。

新幹線の乗り換え

2022年07月22日 | 鉄道

 身内に不幸があって、名古屋まで一泊で行ってきた時の話。
 小倉から「のぞみ」で直行したのだが、当日朝にかなり強い雨があって、山口県内などで遅れが出ていた。遅れは岡山を発車した頃で、たった3分ぐらい。

小雨に霞む東寺の塔 2022.7.19

 姫路を通ったころに車内放送があって「新大阪で後続の「ひかり」に乗り換える方は、新神戸での乗り換えをお勧めする。」という。新大阪駅では発着ホームが異なるので、同じホームで発着する新神戸の方が面倒がない、という趣旨。「のぞみ28号」の定時は、新大阪1443着、後続の「ひかり512号」は岡山始発で、西明石でこののぞみに追い抜かれる。新大阪発は1448で、もしもそのまま3分の遅れがあって、「ひかり」は定時の場合(考えにくいが)2分間での乗り換えは困難。「なるほど」と思ったが、別の方法もありそう。
 まず第一に、想定される乗客は岡山よりも博多よりが乗車駅で、どこかで「ひかり」に乗り換えたいのだから、目的地は「のぞみ」が通過で「ひかり」が停車する浜松駅か静岡駅だろう。それなら、もっと先の名古屋で乗り換えれば、その猶予時間は9分もある。遅延の3分を引いても6分、しかも名古屋駅は別の線であるが同じホームの両面だ。

おおよそのダイヤグラム
 赤は私の乗っていた「のぞみ28号」、青は「ひかり512号」

 ダイヤグラムの駅間距離は、営業キロではなく実際の距離に近くした。この図のように、西明石で追い抜かれた「ひかり」は次第に時間間隔が広がってゆく。
 もう一つ考慮することがある。乗客が新大阪乗り換えの特急券を持っていた時に、名古屋乗り換えに変更すると、別の料金が発生する可能性がある。東海道・山陽新幹線で「のぞみ」と「ひかりorこだま」を乗り継ぐ時には、例えば広島・浜松間指定席の場合、「ひかりorこだま」の指定席特急料金5,920円に「のぞみ」乗車部分の追加料金
(広島・新大阪までは210円、広島・京都間320円、広島・名古屋間420円)を足したもの。だから、「名古屋乗り換え」を勧める訳にはいかないのだろう。たぶん。(通常期で計算。自由席ならどうなるかは計算していないし、上の計算もあまり自信がない)
 また、JR車掌さんのお勧め通りに新神戸から新大阪まで「ひかり」に乗った時に指定席が空いていないこともありうるが。短いから大きな問題にはならないかな。その間自由席車両にいる必要があるから、新大阪付近で車両を移らねば、ということになる。

この時の乗車券・特急券(ひかりとは関係ありません)

 私が名古屋に着いた時には、遅れは1分に縮まっていた。朝の雨のための遅れが正常化する時間帯だったのだ。夜にもすこし雨。ほんとうに梅雨明けしていたのだろうか?

古い本 その112 古典的恐竜23 1923年

2022年07月21日 | 化石
1923年 Pentaceratops
 記載論文は次のもの。
⚪︎ Osborn, Henry Fairfield, 1923. A new genus and species of Ceratopsia from New Mexico, Pentaceratops sternbergii. American Museum Novitates, No. 93: 1-3.(New Mexico州からの新属新種角竜類、Pentaceratops sternbergii)1923年10月18日発行
 Ceratopsidaの分類の慣例に沿って、フリルに空いた穴(fontanelles)の形や目の上の角の方向や曲がり方をもとに新属新種Pentaceratops sternbergiiを提唱している。たった3ページの論文で、1枚のFig. がある。

401 Osborn, 1923. Pentaceratops sterinbergii, holotype 頭蓋側面 前後長270センチ

 属名の「5本の角」というのは、鼻先の1本、眼の上の2本と、フリルの後端両側の2本をいう。何しろ面積の広いフリルだから、復元の画でここに派手な色や模様をつけるのがはやっている。
 文中に、Eoceratopsに関する記述があるので、追跡してみた。Eoceratops canadensis は次の論文で記載されている。
⚪︎ Lambe, Lawrence Morris, 1915. On Eoceratops canadensis, gen. nov., with Remarks on Other Genera of Cretaceous Horned Dinosaurs. Canada Geological Survey Museum Bulletin, No. 12:1-49 (incl. Plates 1-11). (新属Eoceratops canadensisについて. また、白亜紀の角竜類恐竜の他の属についての指摘)1915年5月7日発行
 現在はChasmosaurus 属のシノニムとされる。
 11枚もの図版がついていて、角竜類の多様性がわかる。線画であるから分かりやすいが、最後の一枚は迫力のある写真である。

402 Lambe, 1915.  Centrosaurus apertus, Lambe 頭蓋 前後長約150センチ

 カナダのAlberta州で多数の標本が得られた種類だけに、すばらしい標本である。
 以上のように、文献的にはややこしいことはない。
Pentaceratops, Osborn, 1923. 10月18日 模式種: Pentaceratops sternbergii Osborn, 1923. 10月18日
産出地 nine miles northeast of Tsaya, New Mexico州 アメリカ

1923年 Psittacosaurus
 記載論文は下記のもの。
⚪︎ Osborn, Henry Fairfield, 1923. Two Lower Cretaceous dinosaurs of Mongolia. American Museum Novitates, No. 95: 1-10. (Mongoliaの2種の下部白亜系の恐竜)1923年10月19日発行
 表題の通り、2種類の恐竜を記載しているのだが...。それは、Psittacosaurus mongoliensis Ptotiguanodon mongoliense なのだが、後者の属は後にPsittacosaurus属のシノニムとされた。そうすると後者はPsittacosaurus mongoliensis (ジェンダーの関係で語尾が変化する)となり、前者と同名になってしまう。こういうのをsecondary homonymといって、そのことが発生したら新しい種小名を付けなければならない。それで、後者をPsittacosaurus protiguandonensis と改名した、ということらしい。ところが、属を同じにしたという論文はわからなかった。たぶん下記の論文
⚪︎ Z.-W. Cheng. 1982. [Reptilia]. Mesozoic Stratigraphy and Paleontology in the Guyang Coal-Bearing Basin, Inner Mongolia. 123-136. (中国語)年号を1983とするデータもある。<未入手>
 ところが、Psittacosaurus protiguanodonensis Young, 1958というのが出てきた。これが正しいのなら、ずっと前に属のシノニムが記録されていたことになる。Youngといえば、楊鍾健(C. C. Young)であろうが、その年に山東省の萊陽恐竜化石という論文があるからこれかもしれない。中国語文献の探索はほとんど不可能である。
 ここでやっと元の論文に戻る。

403 Osborn, 1923. Psittacosaurus mongoliensis holotype 頭蓋 前後長22センチ程度

 上の図で注目されるのは、右側面の図で、首にたくさんの粒状の骨があること。皮膚の防御的な構造(dermal armature)であろうとしている。ということは、下顎などの一部ではなく、遊離しているのだろう。

404 中国古動物館に展示されていたPsittacosaurus骨格 2000.6 北京

 上はPsittacosaurus youngi の復元骨格。
 2000年に中国を訪れて、いくつかのPsittacosaurus化石を見た。遼寧省などでたくさん出てきているようだった。北九州の自然史博物館ジオラマには、白亜紀前期ごろの北九州にいても良い種類をジオラマに登場させたが、その中にプシッタコサウルスも入れた。親子が寝ているところを作ったが、化石の変形などを文献で調べて腹ばいで寝ているところにした。

405 Psittacosaurus のロボット 2001

Psittacosaurus Osborn, 1923 模式種 Psittacosaurus mongoliensis Osborn, 1923.
産出地 Red Mesa (Ohshih) モンゴル

1923年 Lambeosaurus
 記載論文は下記のもの。
⚪︎ Parks, William Arthur, 1923. Corythosaurus intermedius, a new species of trachodont dinosaur. University of Toronto Studies, Geology Series 15:1-57.(trachodon類恐竜の新種・Corythosaurus intermedius)<未入手>
 残念ながらこの論文は手に入らなかった。最後の属なのに。表題とは異なる属を調べるとこの論文にあることがわかるのだから、幾つかの種類について述べている論文なのだろう。掲載されているジャーナルは、公開されているのだが、なぜかこの巻だけが抜けているのだ。
 そんなわけでデータは少し怪しいが次のようになる。
Lambeosaurus, Parks, 1923. 模式種:Lambeosaurus lambei Parks, 1923
産出地 おそらくAlberta州 カナダ

「古典的恐竜」の話をここまでとする。「The dinosauria」の分類リストにある恐竜の属のうち、1923年までに記載されたものは鳥類を除いて101属(竜盤類52、鳥盤類49)で、そのうち25属(竜盤類14、鳥盤類11)を扱った。なお、鳥類(Avilae)は「The dinosauria」によると1861年Archaeopteryxから1893年のConiornis まで7属が記載された後、長い研究の空白期があり、次に鳥類の化石属が記載されるのはたぶん1974年のGobipterxであろう。数属が1970年代、1980年代に記載されるが、1990年代に爆発的に多くのAvilae属が出てくる。その中には孔子鳥Confuciusornisもある。

古い本 その111 古典的恐竜22  1914年・1923年

2022年07月17日 | 化石
1914年2月 Chasmosaurus
 この恐竜の記載論文は、次のもの。
⚪︎ Lambe, Lawrence Morris, 1914. On Gryposaurus notabilis, a new Genus and Species of trachodont Dinosaur from the Belly River Formation of Alberta, with a Description of the Skull of Chasmosaurus belli. The Ottawa Naturalist, vol. 27, No. 11: 145-155, pls. 18-20. (Gryposaurus notabilis:Alberta,州のBelly River層からのTrachodon類恐竜の新属新種と、Chasmosaurus belliの頭蓋の記載)発行は1914年2月
 この論文はGryposaurus notabilis の記載が主である。3枚の図版があって、最初のPlate 18がGryposaurus notabilisのもの。

394 Lambe, 1914. Plate 18. Gryposaurus notabilis 頭蓋側面 前後長約99センチ

 高く曲線を描く鼻骨が特徴。Grypo-は曲がった(鼻)を意味する。表面が滑らかすぎて、標本の復元が「やりすぎ」な感じもする。
 Chasmosaurus belliについては、少ししか触れていない。そのわけは、「古い本 その109」で述べた。まとめておくと、最初1902年にMonoclonius belli としてLambe自身によって記載、1914年1月にProtorosaurus belli と変更、さらに同年2月(上記の論文で)Chasmosaurus belliとした。それにあたって、完全ではないが良好な頭骨を、この論文で図示している。

395 Lambe, 1914. Plate 19. Chasmosaurus belli 頭蓋 左右幅約150センチ

 記載は詳細にわたり、それまでの恐竜記載に比べて大幅に情報が多い。ただ情報が多いから分かりやすいというわけではない。現代風にこの写真とともに、骨名や形態名を入れたスケッチが伴っていれば、分かりやすかったのだろう。
 Chasmosaurusのデータは次のようになる。
Chasmosaurus, Lambe, 1914年2月 (旧名Protrosaurus)模式種:Chasmosaurus belli (Lambe, 1902)= Monoclonius belli
産出地 Red Deer River, Alberta州 カナダ

1923年 Protoceratops
 1923年は恐竜命名の当たり年で数が多い。時間順に、と言いたいところだが、論文の一つは発行月がわからなかったので最後に置いた。まずはProtoceratops
⚪︎ Granger, Walter and William K. Gregory, 1923. Protoceratops andrewsi, a pre-ceratopsian dinosaur from Mongolia, American Museum Novitates, No. 72: 1-6. (Mongolia産の祖先型角竜類Protoceratops andrewsi)1923.5.4発行
 この論文には産出層に関する追加がある。
⚪︎ Berkey, Charles P. 1923. Structural Relations of the Protoceratops Beds. Pp. 7-9.(Protoceratops化石層の地質構造)
 恐竜記載の文章の後に「Appendix」として付けてある。内容は層序的な記載である。こういう場合には、論文の著者を3人とする方法もあるが、その場合にも恐竜の記載にはBerkeyが関わっていないことが明瞭なら、化石種の命名は前の二人。実際にもそのように取り扱われている。

396 Granger and Gregory, 1923. Figs. 1,2. Protoceratops andrewsi, holotype 頭蓋 前後長約30センチ

 Fig. 1は左側面、下のFig. 2は背面で、Fig. 1のキャプションには「下顎骨の位置は正してある」とされている。原標本の写真もある。

397 Granger and Gregory, 1923. Fig. 3. Protoceratops andrewsi, holotype 頭蓋 左斜め側面

398 Granger and Gregory, 1923. Fig. 4. Protoceratops andrewsi, holotype 頭蓋背面

 著者は、この恐竜の後頭部のフリルはほとんど発達していないと考えたようだ。これから50年経った1973年日本で発行された「ユーラシアの古動物界」(ロジェストウェンスキィ・著・堀江 豊・訳・学習研究社)では、 Protoceratops andrewsiの復元骨格写真を掲載している(36・37ページ)が、良く発達したメガネ型のフリルが付けてある。

399 「ユーラシアの古動物界」掲載の Protoceratops andrewsi全身骨格復元

 しかし日本で開催された「大恐竜展・失われた生物たち」(例えば1978年秋・愛知県犬山)で展示されたのは別の骨格のようだ。

400  Protoceratops andrewsi全身骨格復元(大恐竜展開催にあたって提供された資料映像)

 後肢の位置が違うから、すくなくとも二つの姿勢の異なる標本があったことがわかる。北九州市立自然史博物館(当時は準備室)がその折に取得した骨格もさらに姿勢が異なるようだ。そして、これらの骨格ではいずれもフリルがよく発達している。Holotypeはアメリカ自然史博物館のAMNH No. 6251であるから、当時のソビエト科学アカデミーのこの骨格の原型に使われたのは別の個体だろう。一緒に生まれたばかりの個体の骨格が作成されていることからも別の標本だろうと思う。先ほどの「大恐竜展」図録には、ずいぶん保存の良い頭骨の写真があって、それを見るとフリルの基部があるように見える。やはりソビエト(当時)の復元が正しいようだ。
 命名に関するデータは次の通り。
Protoceratops, Granger and Gregory, 1923年5月. 模式種:Protoceratops andrewsi, 1923年5月. Holotype: AMNH No. 6251
産出地 Kwei- wa-ting trail, east of Artsa Bogdo, モンゴル