ここまで、恐竜だけを扱ったが、そのついでに中生代の鳥類について調べてみた。まず、始祖鳥について。
現在までに始祖鳥の標本はドイツのSolenhofenの石灰岩から約10個が報告されている。この中にはすでに行方不明のものもある。幾つかのものは、当初翼竜や小型の肉食恐竜として記載されたものもあるが、その名前を含めると、ここに書ききれないくらい多くの学名が提唱されてきた。結局、諸説あるが一種類Archaeopteryx lithographica としておこう。最初の記載は次の論文。
⚪︎ Meyer, Hermann von, 1861b. [no title] Neues Jahrbuch für Mineralogie, Geognosie, Geologie und Petrefaktenkunde, 1861: 678-679.
「短報」というか「手紙」というか、何人もの研究者が、短い報告を記したものの一つで、19行の文。しかも後半は別のPterodactylusの標本について記しているから。始祖鳥に関するところは11行にすぎない。その中には二つの標本が出てくる。一つは「前の報告で述べた鳥の羽」。もう一つは別の標本で「完全な全身骨格が発見されたと聞いた」というもの。あとで述べるが、Pterodactylus の最初の標本は1700年代にすでに記録されていて(Collini, 1784)、最初の標本からほぼ完全な全身骨格であった。80年近くも経っているのに改めて記したのはなぜだろう? そして羽については画像とともに近いうちに報告するとし、学名としてArchaeopteryx lithographicaを提唱した。つまり、この「論文」には化石に図はなく、特徴も記してない。学名の提唱がされているのは確かだし、二名法を用いているからこの時代では有効名と判断された。
まず、この報告(1861年9月30日という日付)にある「前の報告」というのは何か。文中では「昨月の15日付」となっている。それを探すと次の報告に行き着く。なおこれら二つの文はどちらもタイトルがなく、同じ雑誌の連続した号に掲載されていて区別しにくいので、年号の後にabをつけて区別した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/4a/e597a4fe0abbde52ea88e8cecb426341.jpg)
411 Meyer, 1861の二つの論文が掲載されたジャーナルのタイトルページ
⚪︎ Meyer, Hermann von, 1861a. [no title] Neues Jahrbuch für Mineralogie, Geognosie, Geologie und Petrefaktenkunde, 1861: 561.
タイトルページのジャーナルの文字の下にあるサインは、「Agassiz」と書いてある。このファイルは、ハーバードの図書館の蔵書からデジタル化されたもので、図書館のカードが貼り付けてある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/11/fa8707020c19ce359053b49240a2f5a6.jpg)
412 Museum of Comparative Zoology蔵書票
下の方に「Deposited by Alex Agassiz from the Library of Louis Agassiz」(A. Agassiz 収集、L. Agassiz図書から)と書いてある。Louis Agassiz(1807-1873)は、Alexander Agassiz(1835-1910)の父で、ハーバードの教授だった。タイトルページのサインは、父のL. Agassizのものだろう。彼はこの時代の魚類化石などに関する著作が多い。
この文では、初めの17行ほどが羽化石についての記載、後半は同じlithographic slate から発見された「Palpipes」という節足動物の化石に関する記述で、これも面白そうだが省く。Meyerは、1863年にこの節足動物について論文を書いているから、興味ある方はどうぞ。論文名を記しておこう。
⚪︎ Meyer, Hermann von, 1863. Zu Palpipes priscus aus dem lithographischen Schiefer in Bayern. Palaeontographica (1846-1933) Band 10, Lieferung 6 (1863), p. 299 – 304.(Bayern の石版石からのPalpipesについて)
のちの論文を見ると、どうやらエビのような節足動物のphyllosoma段階の幼生らしい。
元に戻って、羽の化石についても「近いうちにPalaeontographicaに書く」としている。その論文が次のものらしい。
⚪︎ Meyer, Hermann von, 1862. Archaeopteryx lithographica aus dem lithographischen Schiefer von Solenhofen. Palaeontographica. Band 10. Lief. 2: 53-56, Taf, 8, Fug. 3. (Solenhofenの石版石からのArchaeopteryx lithographica)
ここに、初めて羽の標本のスケッチが出てくるのだが、残念ながらネットで手に入るデータの図版は、デジタル化が下手で画質が悪くて何も見えないに等しい。
413 Meyer,1862b, Tafel 8, Fig. 3. Archaeopteryx lithographica
そこで後にMeyer, 1862から引用された図を示しておこう。標本は保管されているから、インターネットではもっと美しいカラー写真を見ることができる。
414 1862b を引用した他の論文による。
標本の大きさは、1861aには概数が書いてあるが、1862では詳しくなっていて(なぜか単位はメートルで、0.069と書いてあるが面倒なので以下はmmで書く)長さ69mm,そのうちの54mmが羽の部分(で残りの15mmが羽軸だけのところという計算になる)。羽の幅はだいたい均一で11mm、羽軸は太くて1mmの幅を持つという。
論文中では標本のついている石がジュラ紀の石版石であるか?とか鳥の羽として矛盾がないか?とか人工的なものではないものか?といった重要な点について詳しく検討して、こういった点には疑いがないと強調している。
この羽化石は、重要性がよく認識され、ここに挙げた三つの論文でこの時代として丁寧な記載がされ、図もあるし二名法を使っている。疑問になりそうなこともちゃんと先回りして検討を加えているので、一件落着、となりそうだが、ひとつ気になることがある。羽をもとに命名した種が、十分に比較に耐えるのか?ということ。その後の検討でいろいろなことが言われている。それらについては、後で少しだけ触れる予定。
この発見は、論文発表以前に情報としてイギリスあたりには伝わっていたようだ。Darwinは、有名な「種の起源」の中で早くも1859年にこの標本に言及しているという(未確認)。ただし、Darwinの綴りはArcheopteryxとなっていて、少し違う。後のOwenの論文でもこのつづりを用いているからイギリスでは先にこの名前が広まったのだろう。途中だが、まとめておこう。次回もArchaeopteryx について記す。
Archaeopteryx von Meyer, 1861 模式種 Archaeopteryx lithographica von Meyer, 1861
産出地 Solenhofen ドイツ
現在までに始祖鳥の標本はドイツのSolenhofenの石灰岩から約10個が報告されている。この中にはすでに行方不明のものもある。幾つかのものは、当初翼竜や小型の肉食恐竜として記載されたものもあるが、その名前を含めると、ここに書ききれないくらい多くの学名が提唱されてきた。結局、諸説あるが一種類Archaeopteryx lithographica としておこう。最初の記載は次の論文。
⚪︎ Meyer, Hermann von, 1861b. [no title] Neues Jahrbuch für Mineralogie, Geognosie, Geologie und Petrefaktenkunde, 1861: 678-679.
「短報」というか「手紙」というか、何人もの研究者が、短い報告を記したものの一つで、19行の文。しかも後半は別のPterodactylusの標本について記しているから。始祖鳥に関するところは11行にすぎない。その中には二つの標本が出てくる。一つは「前の報告で述べた鳥の羽」。もう一つは別の標本で「完全な全身骨格が発見されたと聞いた」というもの。あとで述べるが、Pterodactylus の最初の標本は1700年代にすでに記録されていて(Collini, 1784)、最初の標本からほぼ完全な全身骨格であった。80年近くも経っているのに改めて記したのはなぜだろう? そして羽については画像とともに近いうちに報告するとし、学名としてArchaeopteryx lithographicaを提唱した。つまり、この「論文」には化石に図はなく、特徴も記してない。学名の提唱がされているのは確かだし、二名法を用いているからこの時代では有効名と判断された。
まず、この報告(1861年9月30日という日付)にある「前の報告」というのは何か。文中では「昨月の15日付」となっている。それを探すと次の報告に行き着く。なおこれら二つの文はどちらもタイトルがなく、同じ雑誌の連続した号に掲載されていて区別しにくいので、年号の後にabをつけて区別した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/4a/e597a4fe0abbde52ea88e8cecb426341.jpg)
411 Meyer, 1861の二つの論文が掲載されたジャーナルのタイトルページ
⚪︎ Meyer, Hermann von, 1861a. [no title] Neues Jahrbuch für Mineralogie, Geognosie, Geologie und Petrefaktenkunde, 1861: 561.
タイトルページのジャーナルの文字の下にあるサインは、「Agassiz」と書いてある。このファイルは、ハーバードの図書館の蔵書からデジタル化されたもので、図書館のカードが貼り付けてある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/11/fa8707020c19ce359053b49240a2f5a6.jpg)
412 Museum of Comparative Zoology蔵書票
下の方に「Deposited by Alex Agassiz from the Library of Louis Agassiz」(A. Agassiz 収集、L. Agassiz図書から)と書いてある。Louis Agassiz(1807-1873)は、Alexander Agassiz(1835-1910)の父で、ハーバードの教授だった。タイトルページのサインは、父のL. Agassizのものだろう。彼はこの時代の魚類化石などに関する著作が多い。
この文では、初めの17行ほどが羽化石についての記載、後半は同じlithographic slate から発見された「Palpipes」という節足動物の化石に関する記述で、これも面白そうだが省く。Meyerは、1863年にこの節足動物について論文を書いているから、興味ある方はどうぞ。論文名を記しておこう。
⚪︎ Meyer, Hermann von, 1863. Zu Palpipes priscus aus dem lithographischen Schiefer in Bayern. Palaeontographica (1846-1933) Band 10, Lieferung 6 (1863), p. 299 – 304.(Bayern の石版石からのPalpipesについて)
のちの論文を見ると、どうやらエビのような節足動物のphyllosoma段階の幼生らしい。
元に戻って、羽の化石についても「近いうちにPalaeontographicaに書く」としている。その論文が次のものらしい。
⚪︎ Meyer, Hermann von, 1862. Archaeopteryx lithographica aus dem lithographischen Schiefer von Solenhofen. Palaeontographica. Band 10. Lief. 2: 53-56, Taf, 8, Fug. 3. (Solenhofenの石版石からのArchaeopteryx lithographica)
ここに、初めて羽の標本のスケッチが出てくるのだが、残念ながらネットで手に入るデータの図版は、デジタル化が下手で画質が悪くて何も見えないに等しい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/d5/19144df8483161a717566170078051ab.jpg)
413 Meyer,1862b, Tafel 8, Fig. 3. Archaeopteryx lithographica
そこで後にMeyer, 1862から引用された図を示しておこう。標本は保管されているから、インターネットではもっと美しいカラー写真を見ることができる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/81/10e72f1a84d9362b8870f613a125f096.jpg)
414 1862b を引用した他の論文による。
標本の大きさは、1861aには概数が書いてあるが、1862では詳しくなっていて(なぜか単位はメートルで、0.069と書いてあるが面倒なので以下はmmで書く)長さ69mm,そのうちの54mmが羽の部分(で残りの15mmが羽軸だけのところという計算になる)。羽の幅はだいたい均一で11mm、羽軸は太くて1mmの幅を持つという。
論文中では標本のついている石がジュラ紀の石版石であるか?とか鳥の羽として矛盾がないか?とか人工的なものではないものか?といった重要な点について詳しく検討して、こういった点には疑いがないと強調している。
この羽化石は、重要性がよく認識され、ここに挙げた三つの論文でこの時代として丁寧な記載がされ、図もあるし二名法を使っている。疑問になりそうなこともちゃんと先回りして検討を加えているので、一件落着、となりそうだが、ひとつ気になることがある。羽をもとに命名した種が、十分に比較に耐えるのか?ということ。その後の検討でいろいろなことが言われている。それらについては、後で少しだけ触れる予定。
この発見は、論文発表以前に情報としてイギリスあたりには伝わっていたようだ。Darwinは、有名な「種の起源」の中で早くも1859年にこの標本に言及しているという(未確認)。ただし、Darwinの綴りはArcheopteryxとなっていて、少し違う。後のOwenの論文でもこのつづりを用いているからイギリスでは先にこの名前が広まったのだろう。途中だが、まとめておこう。次回もArchaeopteryx について記す。
Archaeopteryx von Meyer, 1861 模式種 Archaeopteryx lithographica von Meyer, 1861
産出地 Solenhofen ドイツ