OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

2023年11月のカレンダー

2023年10月30日 | 今日このごろ

11月 Zygorhiza kochii (Reichenbach)
文献:Kellogg, Remington 1936. A Review of the Archaeoceti. 366pp., 37pls.
 11月と12月の図は、Kelloggの大作「A Review of the Archaeoceti」から。1月は、図版の中からpl. 12のZygorhiza kochii (Reichenbach) の左上顎の写真である。上が舌側、下は頬側。上の写真で左から第二・第3・第4前臼歯、第1および第2臼歯である。上顎歯を上向きにしてあるので誤解しやすい。写真のように後方の前臼歯が一番大きくて臼歯列は小さな歯であり、上顎に第3臼歯はないが、下顎にはある。始新世後期のアラバマ州New Clarksvilleの標本。原記載は1847年にReichenbachが行った。これに関する学名の変遷はややこしいから、年代順に列記する
1847年 Basilosaurus kochii の命名。 Reichenbach (in Carus)
1849年 Basilosaurus brachyspondylus の命名。Müller
1851年 B. brachyspondylus minor の命名。Müller
1908年 Zygorhiza属の創設。True

論文:Reichenbach in Carus 1847. Resultate geologischer, anatomischer und zoologischer Untersuchungen über den Namen Hydrarchos von Dr. A. C. Koch zuerst nach Europa gebrachte und in Dresden ausgestellte grosse fossile Skelett. Dresden ond Leipzig. (Koch博士によるHydrarchosという名称に関する地質学的、解剖学的、動物学的研究の結果。 Koch博士は最初にこの大きな化石骨格をヨーロッパに持ち込み、ドレスデンで展示した。)(未入手)
 その時の学名はBasilosaurus kochiiであった。Zygorhyza属は1908年にTrueが創設した。Frederick William True(1858-1914)はアメリカの生物学者。スミソニアンの学芸員であった。
論文:True, Frederick William 1908. The fossil Cetacean, Dorudon serratus Gibbes. Bulletin Museum of Comparative Zoology at Harvard College, Cambridge. vol. 52, no. 4: 65-78, pls. 1-3. (化石クジラ類Dorudon serratus Gibbes)
 True 1908が新属Zygorhizaの模式種としたのは、それまでBasilosaurus属に含められていたB. brachyspondylus minor という種(亜種)なので、それに関するMüllerの論文も関連するが・ここでは引用しないでおく。原鯨類の文献は、この図が掲載されているKellogg 1936の文献リストがずいぶん詳しいから調べやすい。なんと著者名の後にその生年・没年まで記してあるから時代的な背景も知ることができる。もちろん1936年以後に亡くなった研究者は別の方法で調べる必要があるが。
 近年、この種のホロタイプをネオタイプに置き換える提案がされたが否定されたという。

 ところで、Kelloggの大著で扱っている標本は、保存の良い頭骨が図示されているので、抜け落ちた歯の図はあまり多くない。32枚あるPlates の中に、歯根の見える写真・スケッチは3図しかなく、本文中の挿入図には一枚もない。Plateに示されたArchaeocetiの頬歯歯根は特徴的なので例を示しておこう。

Kellogg, 1936, Plate 13(一部)Zygorhyza kochii 抜け落ちた下顎頬歯

 まずPlate 13のZygorhyza kochiiの図は横一列になっているのをアレンジした。またスケールを説明に従って書き入れたが、そこには「about 2/5 natural size」としてあるから、正確ではない。7個の歯が示されていて、順にa左Pm4、b右Pm4、c左Pm3、d右Pm2、e左Pm2、f右M3、g右M1 で、アラバマ州の始新世のもの。頬側か舌側かはここに書いてない。この類の頬歯の副咬頭は後方で目立つから頬側を示しているようだ。
 これらの歯でわかるように、二本の歯根の間が広く空いていることと、その空間が歯冠の最下部のあたりに達する(そうでないものもあるが)という特徴がある。少し違うが、似た形の歯はLlanocetusにも見られる。

 二枚目のPlate 26 には、Dorudon stromeri と言う種類の犬歯などや頬歯が示されているが、あまり保存が良くないのでここでは略する。また、Plate 32にも頬歯などがあるが、これはKekenosdon onamataと言う種類の原図(Hecter, 1881)のコピー。この種類は、最近の論文では漸新世に生き残った最後のArchaeoceti とされている(Corrie and Fordyce, 2022)。
参考文献:Corrie, Joshua E. and R, Ewan Fordyce, 2022. A redescription of Kekenodon onamata (Mammalia:Cetacea) a late-surviving archaeocete frpm the Late Oligocene of New Zealand. Zoological Journal of the Linnean Society, Volume 196, Issue 4, December 2022, Pages 1637–1670, https://doi.org/10.1093/zoolinnean/zlac019. (漸新世後期のニュージーランドの、遅れて生き残った原鯨類Kekenodon onamata (哺乳綱:クジラ目) の再記載)(未入手)
 ここでは原標本の一部の写真を示す。

Kekenodon onamata 歯の標本の一部 (holotype)ニュージーランド国立博物館蔵

 この種類では二本の歯根は非常に太くて丸く、互いに接触するほど近く伸びている。他のクジラ類とは随分違っているために、分類上の位置の決定は難しい。
 これに対して、「歯のあるヒゲクジラ」の頬歯を見てみよう。

“toothed mysticete” 頬歯 Otago Univ蔵

 「歯のあるヒゲクジラ」では、歯根の間は広いが、その一番奥は歯冠の位置に達することはなさそう。またその間にしばしば「水かき」のような板状のものがある。
 Archaeocetiと「歯のあるヒゲクジラ」の歯はこのように似ているが、一見して大きな違いがある。

上の図から作成したサイズを揃えた写真 左Zygorhyza kochii, 右“toothed mysticete”

 こんなにサイズが異なるのだ。Archaeocetiは一般的に大きく、歯のサイズと同時に体のサイズも、歯鯨・ヒゲ鯨になると急に一旦小さくなるのはなぜだろう。

私の旅行データ 24 東アジアの空港

2023年10月25日 | 旅行

 利用した外国の空港は、韓国(釜山・仁川)・中国(大連・北京・上海・武漢)・香港(啓徳)・台湾(台北)・シンガポール(チャンギ)・ニュージーランド(クライストチャーチ・ダネーディン・ウェリントン・オークランド)・カナダ(バンクーバー)・アメリカ(ロスアンジェルス・ソルトレイク・ビリングス・シアトル=タコマ)の18か所。経由地として着陸し、空港から出ていないチャンギや、大連・上海・台北 もカウントしている。
 幾つかの空港やその近くで撮影した写真を紹介しよう。

旅19 韓国・仁川空港 2015.10.20

旅20 韓国・仁川空港近くの干潟 2015.10.20 

 この時には、大田から空港直通バスで仁川空港に向かった。ソウルから空港までの鉄道は工事中でまだ開通していなかった。仁川の周りは潮位差の大きい干潟で、特徴的な景色だった。赤く染まっているのはサンゴソウのような好塩植物。

旅21 韓国・金海空港(釜山) 1997.9.30

 釜山から福岡空港へのフライト。離陸して大きく旋回し、上昇すると短い水平飛行をして対馬が見えるとすぐに下降を始める。空路の距離は約224kmで、福岡・関西空港間約451kmのちょうど半分ぐらい。


旅22 大連行きの中国国際航空 2000.5.27

 この時は北京で開催された学会に参加するため向かった。北京行きのフライトは、途中大連で着陸し、一旦飛行機から降りて入国手続きをする。帰途は途中上海で寄港するが、出国手続きは北京で済ませた。「学会参加の招聘ビザ」という特殊なもので行ったから、行きも帰りも係員から色々と聞かれて、観光入国と比べて時間がかかった。

旅23 中国(武漢・天河) 1991.1.15

 香港で一泊ののち、武漢に飛んだ。この空港は軍も使っているから、遠慮して周りの写りこまない写真を撮った。搭乗・降機はタラップを使って、空港ビルまで歩いた。

旅24 香港(啓徳) 1991.1.17

旅25 香港(啓徳) 1991.1.17

 1998年まで香港の半島部にあった啓徳空港。降下してから山の間を抜けるあたりの写真。この後右に90度曲がって、すぐに海に向かう短い滑走路に降りる。タラップで降りて、このバスで空港ビルに送ってもらう。バスの屋根は飛行機の翼より低い。

古い本 その154 古典的論文補遺 その5

2023年10月21日 | 化石

 Owenのモノグラフ 1
 このジャーナルに掲載されたOwenのモノグラフは、全部で31論文。そのうち2件は始新世の亀に関するもの、1件は中生代哺乳類、1件は更新世の鯨類に関する論文で、残りの31論文が今回のテーマである中生代の爬虫類化石を主題とする。このリストを作るのは結構大変であった。Palaeontological Society が作成した全モノグラフのリストがあったので、それに基づいて作ることができたが、Owenの論文は後からの訂正があって、複雑な構成になっている。地層別に見たいのだがそいう構成になっていない。発行順に近いIssueナンバーを基準に幾つかの図版を紹介する。31件は、1851年から1889年までの38年間に発行され、Issue 11 (1851) からIssue 203 (1889) のものである。各論文はいくつかの地層別のシリーズに分かれているが、順次作成されたためか、細かいところで多くのバリエーションがあって全容を理解するのは困難。さらにこの混乱を改めるために「製本者への指示」というような注文が添えられて、一層判りにくい。諸図書館は、発行順に製本し、この指示通りに順序を変えて製本をすることはなかったようだ。それは学名の先取関係などを重視する命名規約上の理由に基づいているのだろう。
 Owenのモノグラフから、美しいものや興味深い図版を紹介する。

578. Owenのモノグラフの最初の図版。Issue 11. Tab. 1. Chelone Benstedi. 背側と側面。Kent州の中部白亜層(白亜系)Mantell 博物館所蔵。

⚪︎ Owen, Richard 1851. A Monograph on the Fossil Reptilia of the Cretaceous Formations.  Palaeontological Society, London. Monograph. Vol. 5, Issue 11: i-xvi, 1-118, Tabs. 1-37, 9a.(白亜紀層の化石爬虫類モノグラフ)
 この種類は、1851年にMantell によって Emys Benstedi として記載された。Owenは1841年にこれをChelone 属に移動した。現在の取り扱いはChelone benstedi (Mantell) 。

579 Owen, 1856. Tab 11Megalosaurus Bucklandi ホロタイプ。Issue 34. Tab 11.

⚪︎ Owen, Richard 1856. Monograph on the Fossil Reptilia of the Wealden Formations, Part 3. Megalosaurus Bucklandi.  Palaeontological Society, London. Monograph. Vol. 9. Issue 34; 2-26, Tabs. 1-12. (Wealden層の化石爬虫類モノグラフ. 第3部. Megalosaurus Bucklandi
 最下段の下顎舌側とその左上の同頬側がOxford Museum 所蔵のホロタイプ。他は大英博物館蔵。なお、この論文では種小名の綴りの最後のiは一つだけ。

580 翼竜の肩帯 Issue 47. Tab. 3, Fig. 6. Pterodactylus (Dimorphodon) macronyx

⚪︎ Owen, Richard 1859 Monograph on the Fossil Reptilia including Supplement 1. Cretaceous Pterosauria and Wealden Crocodilia.  Palaeontological Society, London. Monograph. Vol. 11, Issue 47: 1-44, Tabs. 1-12. Tabs. 1-37, 9a.(化石爬虫類モノグラフ。追補1:白亜紀の翼竜類とWealdenのワニ類)
 紹介したのは小型の翼竜類の肩甲骨と烏口骨が癒合した骨。翼竜類に特有な形態をしていて、翼からの力をしっかりと脊椎骨に伝える形に進化している。左側の関節窩に上腕骨がつながる。それより上方が肩甲骨、下方が烏口骨。
 Buckland は1829年にPterodactylus macronyx を記載した。Owenは、ここに示したモノグラフで、この種類がPterodactylus の中で特徴を持つことを示して、P. maronyxを模式種として亜属Dimorphodonを記載した。現在は属に昇格して、 Dimorphodon macronyx (Buckland) と扱われる。種の記載は次の論文。資料によっては、命名年代を1829年としているが、それは講演(口頭発表)の日付(1929.2.6)のことだろう。印刷物の公表は1835年。
⚪︎ Buckland, William 1835. On the Discovery of a New Species of Pterodactyle in the Lias at Lyme Regis. Transactions of the Geological Society of London, series 2, 3: 217-222, Plate 27. (Lyme RegisのLias層のプテロダクチル類の新種発見について)

580  Pterodactylus macronyxホロタイプ Buckland 1835, Plate 27.

 どうやら、この標本の上部中央の骨が、先ほどのOwen のIssue 47にあった肩甲骨・烏口骨の癒合した骨らしい。
 このように、Owenの著作は化石標本のデータを網羅していて、データも記してあるから、追いかければどこまでも情報が得られる。しかし、編集は混沌としている。

私の旅行データ 23 国内空路

2023年10月17日 | 旅行
 最近あまり飛行機に乗らない。COVID-19の関係で海外には行けないし、遠方への旅行も非常に少ないためだ。最初に飛行機を利用したのは、1978年4月、小牧・新千歳を往復した。最後に飛行機を利用したのは2019年の12月に福岡から仙台にいった時である。この間で年間の搭乗数を数えると、10回以上の年は、1991年が14回、2000年が17回、2001年が24回、2002年が21回、2004年が10回であった。博物館新館建設の準備に出張で行ったのが目立つ。だから、空路のうち一番多いのは北九州(最初は曽根、2005年10月から苅田沖)から羽田の間で、75回飛んでいる(うち58回が曽根)。全部で142回だから、実に半分以上がこの空路ということになる。

旅12 名古屋の夜景  2000.9.26

 この経路は、窓からの撮影もあまりしていない。上の写真は羽田からの帰りに、名古屋の街の光を撮ったもの。下の明るいところが栄付近で、前方が南である。

旅13 三保半島と富士山 2001.1.16

 このルートで絵になるのは富士山。天候に恵まれても、この写真のように雲が出ていることが多い。

旅14 富士山噴火口 2005.1.24

 富士山と飛行経路との距離は一定ではない。この写真のようにかなり近くを飛ぶ時もある。見えているのは富士山の北側で、山腹の道路は富士スバルライン。
 この北九州・羽田以外の国内線に26回、国際線に30回、そして外国の国内線を11回利用した。利用した空港は、北から新千歳・帯広・仙台・成田・羽田・小牧・関西・北九州(新旧)・福岡・那覇 の10か所。少ないなあ。

旅15 沖縄の空から 2009.1.30

 この時は北九州空港から学会参加のため那覇空港に行った。空港滑走路に南から着陸するために沖縄本島の南から回り込んでいるところ。見えているのはおそらく久高島。

旅16 仙台空港付近 2019.12.14

 この時は、池袋ショーに行く前に、常磐線の震災による線路付け替え部分に乗りつぶしのため夕暮れの仙台空港につくところ。見えているのは阿武隈川河口付近。

旅17 利用した国内の空港 成田・関空・福岡からは国際線もある。

 これらの空路の利用時に窓口で手続きをすると、必ず「ご搭乗券」というカードを渡された。私の手元には60枚以上の搭乗券が残されている。このブログでも2020年9月ごろまでに紹介した。

旅18 最後の定型搭乗券 2010.12.13 羽田〜北九州

 2010年ごろから厚紙の「硬い」搭乗券の発行はなくなった。発行を求めると素直に?作ってくれたが、普通の印刷用紙にプリントした情けないものであった。こういう「柔らかい」ものも含めると2017年5月の搭乗券が最後であった。

古い本 その153 古典的論文補遺 その4

2023年10月13日 | 化石

 Palaeontographical Societyのモノグラフに、長鼻類に関するものが3件ある。2件はAdams、もう1件はBuskの記したもの。ここでは次の論文を紹介する。
⚪︎ Adams. Andrew Leith 1877. Monograph on the British Fossil Elephants. Part 1. Dentition and Osteology of Elephas antiquus (Falconer). The Palaeontological Society, London. 1877: pp. 1-68, Plates 1-5. (イギリスの化石象 第一部)

574 Adams 1877. Plate 3. Elephas antiquus (Falconer)  どちらもNorfolk産

575  Adams 1881. Plate 27.イングランドとウェールズのE. antiquus, E. meridionalis 分布

 化石の図版では、上から下顎第三大臼歯咬合面、同側面、上顎第一大臼歯側面。ナウマンゾウに近縁の象で、咬板エナメル質の前後の面に縦の隆起があり、磨耗すると中央に出っ張りが目立つのが両者に共通する。とくに下顎臼歯で明瞭。産出地は後で出てくるNorwichを中心とするNorfolkである。現在の扱いはPalaeoloxodon antiquus (Falconer et Cautry, 1847) としている。Adamsの文では Elephas antiquus (Falconer)と著者名に違いがあるのが気になったので、調べてみた。「Falconer et Cautry, 1847」というのは、次の論文に違いない。
⚪︎  Falconer, Hugh and Proby Thomas Cautley, 1846-1847. Fauna Antiqua Sivalensis, being the Fossil Zoology of the Sewalik Hills, in the North of India. (シバの国の古代動物群)詳細は省略(本文参照)
 多数の号に分けて発行された。ディジタルファイルが見られるのは、1. テキスト部分:1846(Part 1: Proboscidea) 2. Plates, Parts 1-9 (1845-1847) の合計10件である。ディジタルファイルは幾つかの発行元があるが、その一つに次の添え書きがある。「この著作は12の部分で完成するはずのものだったが、図版1-9とテキストのPart 1だけが発行された。」テキストのPart 1. というのは、64ページで文章の途中のページ替えのところで唐突に終了している。その後に1ページの広告があって、次のように記してある。「Part 2. (長鼻類のこの続きを含む)は間もなく発行される。」
 一方、図版の方はParts 1-9 が発行された。Plates としては、1−92 までの番号が出てくるが、整理が悪くて図版数は92枚ではない。ざっと調べたところ、そのうちの23と84-90の8枚の番号が抜けている。そして13b とか12A から12Dなど添字のついた図版が14枚あるから。差し引き98枚の図がある(ややこしいので、この数字の正確さは保証しない)。しかしその図版説明はすぐには発行されなかった。
 ここで、著者について調べておこう。Hugh Falconer(1808−1865)はスコットランドの古生物学者。カルカッタ医学大学などに在籍してインド亜大陸の古生物の研究を行った。Proby Thomas Cautley(1802-1871)は。イギリスの古生物学者・土木技術者で、インドで運河建設などに従事し、化石の収集・研究を行った。
 この出版されなかった図版説明は、次の論文で概要が明らかにされている。
⚪︎ Falconer, Hugh* 1867. A Descriptions of the Plates of the Fauna Antiqua Sivalensis. From notes and memoranda by Hugh Falconer. M. D., Compiled and edited by Charles Murchison. Robert Hardwicke, 1-136. (Hugh Falconer.の覚書によるFauna Antiqua Sivalensis の図版の記載)*著者の死亡後にCharles Murchisonが編集して発行
 編集したのはCharles Murchson(1730-1879)。イギリスの古生物学者であるが、詳細は分からなかった。
 以上のように、Fauna Antiqua Sivalensis(計画では全12巻)のうち10巻が刊行されている。残るは当然予告されている「Proboscidea Part 2」と有蹄類に関する「幻の」巻で、この二つの中に図版解説が含まれるはずだったに違いない。日本ではこれらのうち日本固有種ナウマンゾウに関して、近縁のナルバダゾウElephas namadicus の部分が深く関わってくる。この話に入ると長くなるので触れないが、Makiyamaはこの類に対してPalaeoloxodon亜属を提唱し、のちにそれが属に昇格されて現在のantiquusの学名に反映されている。
 これで、やっとPalaeoloxodon antiquus (Falconer et Cautry, 1847) の原記載を探すことができる。1847年ということは、テキストではなくて図版の方に初出するということ。とにかく圧倒的な標本数, おそらく数百点が扱われているから、見つけるのも容易ではない。Fauna Antiqua Sivalensis にElephas antiquusが出てくるのは3図版(Plates 14B, 42, 44)で、14Bには上下の臼歯の図、後の二枚は頭蓋骨の復元図で、その原標本に関する記載はない。そこで、E. antiquusの化石標本図はPlate 14BのFigs. 16, 17, 18(それぞれ側面図と咬合面)の3標本6枚だけということになると思う。

576  Falconer and Cautley 1847. Fauna Antiqua Sivalensis. Illustration Part 3. Plate 14B. (一部)他種標本にアミをかけた。

 Fig. 16は、Norwich Museumの標本で、産地は書いてない。Norwichはロンドンから100kmほど北東の北海寄りにあって、この名前の博物館はないが。おそらくNorfolk Museumが通称Museum of Norwich だというから、そのことか。Adams 1881の化石産出地地図では、この付近の北海海岸にE. antiquus のドレッジなど海から産出した数地点が記してあるが、後に記す陸上のCrag層の方が可能性が高い。

577. 前出のAdams 1881. Plate 27. 分布図の拡大

 上の地図で、下のLがロンドン、その右上のNがNorwichである。赤い文字は私が記入した。
 Fig. 17の標本は、Oxford Museum のBucklandコレクションにあるというから、もっとロンドン寄りの産出か。Fig. 18の標本は、Norwich市内のThorpe RoadのCrag哺乳動物化石層から産出したという。つまり、インドのシワリク産地の報告書に載っているのだが、この種類はイギリスのもの。
 ところが、没後出版の図版解説では、Figs. 16, 16aはE. antiquus なのだが、17, 18は Elephas meridionalisとなっているのだ。しかも18の標本は「Fauna Antiqua Sivalensis ではElephas antiquusとしたが、誤り」という。このあたりの事情については、もとの論文、Adams 1877 の最初の部分(pp. 1-2)に詳しく記述してあり、その誤りを指摘したのはAdamsである可能性がある。
 Adams 1877で、命名者を単著のFalconerとした理由はよく分からない。1847年の「Fauna Antiqua Sivalensis」より早い年代の単著論文は見当たらなかった。Falconerは、のちにイギリスのマストドンとエレファス(どちらも現在の分類よりも広い概念の)を概観する二つの論文を発行した(1857:Mastodon, 1865:Elephas)。手に入る論文では後の論文が不完全である。年代が遅い(といってもまだ江戸時代だが)からここでは引用しないでおこう。
 Andrew Leith Adams (1827−1882)は、初めてヒマラヤなどインド北部の自然誌をイギリスに紹介した自然誌研究者。日本の化石象を西欧の科学誌で論じた最初の論文著者として知られる。その論文の発行は1868年で、年表では明治元年にあたるが、刊行された6月の時点では慶応4年。旧暦9月に(年頭に遡って)改元されたから、発行を「明治元年」とするのは疑問がある。文献では西暦しか出てこないので、問題は生じない。
 象に関する古い本の探索はかなり不十分だし、幾つか誤りがありそうなところも気になるがこのあたりで諦めて、本題に戻ろう。