東日本大震災の最大の、そして今後も長く残る傷跡は、原子力発電所の「事故」である。ここでも大震災以前の本から順に紹介する。
90 原子力発電 1976 表紙
「原子力発電」は岩波新書(1976.2.20発行)、206ページである。著者は武谷三男(1911-2000)で、物理学の認識の発展に三つの段階があるという論議で知られているが、そういう本を書店で立ち読みして「手に負えない」と手をつけなかった記憶がある。このブログを書いていて「原子力発電」の著者が武谷氏であることを初めて意識した。原子力発電に関する技術的な解説を行っている。今読み返してみると、先見性のある問題を提起していて今日でも考えさせるところが多い。例えばプルトニウムの処理問題が未解決であることは現在も同じ論調で新聞紙上に見られる。例えば2020.12.12の朝日新聞ではプルサーマル計画の頓挫(目標を先延ばしした)を報道している。つまり50年近く経ってもほとんど解決されていないことに驚く。これでは国際的に「日本はプルトニウム爆弾を作る能力がある」と判断される可能性があろう。また、143ページから、美浜1号機の一次冷却水漏洩事故(1972.6.13)の経緯を記しているが、その場当たり的な復旧にはあきれる。さらに排出物の問題としてトリチウムがあることも正しく指摘している。
文中の幾つかの単位が古いものである(ベクレルではなくキュリー、またシーベルトでなくレム)から、現代の文献と比べるのはちょっとめんどう。
91 恐怖の2時間18分 1986 カバー
「恐怖の2時間18分」は、柳田邦男の著作で、1986.5.25初版発行の文春文庫の本である。手元にあるのは第3刷(1988.7.1)。1977年9月24日にアメリカ・ペンシルバニア州のスリーマイル島原子力発電所で事故が起こった。世界中で起こった原子力発電所の重大事故は、福島・チェルノブイリと、このスリーマイルが知られている。スリーマイルの事故は、ちょっとしたミスが重なって起こったらしい。それを解決する段階で十分な理解の上で作業を行わなかった結果、悪い方へ状況を変えていった、といったもの。さらに運転状況を表示する方法がわかりにくかったことも混乱に拍車をかけたと言うことらしい。写真や図表が多いのは良いが、内容を簡潔に説明できたかというとやや混乱が見られる。
92 九電と原発 2009 表紙
「九電と原発」は、「南方ブックレット2」として南方新社から2009.11.20に発行された。「①温排水と海の環境破壊」となっているが、ネットで見たところでは②以後は発行されていないようだ。表紙写真は九電川内原子力発電所付近の砂浜に打ち上げられたサメの死体である。内容は 1 ウミガメの死亡漂着(中野行雄:ウミガメ保護活動) 2 海の生物を殺し、海を温暖化する原発(佐藤正典;鹿児島大・底生生物学) 3 川内原発の温排水による海洋環境破壊(橋爪健郎:鹿児島大・環境物理学)の3章にまとめられている。私は1章のクジラ類のストランディングのデータを見たくて、出版社から購入したが、むしろ3章の九州電力の不誠実な排水温度に関する主張が興味深かった。
この本とは関係ないが、後に公表された川内原発付近の卓越風から推測される排気の方向を見ると、九州電力のデータをあまり信用できないと思った。何しろ冬季の川内付近の卓越風が、東北・西南方向を向いている、というのだから。私の感覚とは90度違う。理科年表で調べるとやはり東シナ海を超えてくる大陸からの風が卓越しているようだ。どうしてだろう?
東日本大震災に伴う福島第一原発の事故に関する本はたくさん出版されているようだが、「買い揃える」というようなことはしていない。ここでは興味を持って読んだ、読み進むことができなかったものをいくつか挙げる。
93 原発安全革命 2011 カバー
「原発安全革命」は文春新書(2011.5.20発行・247ページ)だが、同じく文春新書『「原発」革命』(2001.8)の増補新版。福島事故の直後にそれを踏まえて増補したものであるが、事故を批判するために書かれたようにみえる時期に発行したために内容の良さを誤解されたのではないだろうか。「トリウム溶融塩炉」という、あまり実用化されていないタイプの原子炉の安全性や将来性などを書いた本。現在実用化されている原発が、ペレット型の固体燃料を使っているために燃料体の変形事故や、緊急時の作動の遅れなどの問題があるのに対して、溶融塩炉では燃料が液体の形であることから、流量などの調整が容易であること、緊急時に下方に流すだけで動力も使わずに臨界を避けられることなどの利点があることを力説している。さらに、燃料となるトリウムの資源としての普遍性や運搬などの安全性も有利であるとする。一番の利点は、できたプルトニウムを再生することなく溶融塩の形で「混ぜて」使用できることをあげている。確かに日本の原子力発電の直面する問題を「廃炉」以外の点でほとんど解決できそうである。実用化には今ひとつ実績がない。また現在のウラン・プルトニウムの固体燃料方式がなぜ世界中で使われていて、溶融塩炉への移行が試みられていないのかについては、説得力のある説明が読み取れなかった。
94 国会事故調報告書 2012 カバー
2012.9.30に徳間書店から発行されたもの。B5サイズで592ページ+CD1枚という大作である。奥付のページに著者が記してあり、その上に著者の解説らしきものがあってそこには「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(国会事故調)」と題し、以下のように記してある。「福島第一原発事故を受けて、平成23(2011)年10月30日に施行された「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会法」に基づき、同年12月8日、両議院の議長により黒川清委員長をはじめ10人の委員長・委員が任命され、日本の憲政史上初めて政府からも事業者からも独立した有識者による調査委員会が国会に設けられた。6カ月間に及ぶ精力的な調査活動の結果を報告書にまとめ、平成24(2012)年7月5日、両議院の議長に報告書が提出された。」
3ページに衆議院議長・参議院議長殿としているから、これがその報告書なのだろう。それを一般に販売するというのは良いことと思う。それも1,600円+税という安価である。付属しているCDが報告書の一部なのか単行本発行に際して添付されたのかはどこかに書いてあるのかもしれないがわからなかった。
私は半分ほど読んで諦めた。何しろ、同一の(または酷似した)文章が何度も出てくるなど、冗長である。もう一つケチをつけておくが、本の表題「国会事故調報告書」というのはいかがなものか。正式な報告書に略称を掲げるなんて。他にも意見があるが、しっかり読んでいないからここに記すだけの自信はない。
95 福島第一原発事故 7つの謎 2015 カバー
「福島第一原発事故 7つの謎」は、2015.1.20講談社現代新書として発行された。副題があって『吉田所長が生前に遺した「謎の言葉」に迫る!となっている。吉田昌郎は事故当時に福島第一原子力発電所所長であったが2013年7月9日に死去。この本では、副題に「生前に遺した」とあるくらいだから、亡くなったことや、せめて弔意を記してあるのかと思ったが、「はじめに」のところで「生前、思わぬ言葉を…」と出てくる。あとの方で少し書いてあるようだが。著者は『NHKスペシャル「メルトダウン」取材班』として6名の記者などNHK職員の名が記されている。318ページ。
内容は、1 ICの停止の認識 2 ベント実施の遅れ 3 ベントの実行の有無 4 2号機の放射性物質 5 消防車の水の行方 6 緊急時の減圧装置の不具合 7 格納容器の破損 の7つの項目ごとにその経緯と著者らの考えるその直接的な原因が記されている。なお、上にあげた項目は、私の判断で省略して記したから、正しくは本書を見て欲しい。とくに4番目の項目は、本書の見出しは「放射能大量放出」と書いているが、文中では正しく「放射性物質」となっている。
内容は詳しくて調査が行き届いているが、7つの事象に整理したことで全体的な事故を作り出した機構や環境、人間的な環境や科学に対する態度などの点を十分に捉えているとは言えない。
96 福島第一原発廃炉図鑑 2016 カバー
「福島第一原発廃炉図鑑」は、2016.6.17太田出版発行のA5(より少し大きい)の本。395ページ。著者は開沼 博・編としてある。内容は福島原発の各炉について、廃炉に向かう道の現状を記したもので、この本の立場としては東京電力の説明をそのまま踏襲して、「現状はかなり改善されている。以前の状況の記録・記憶だけで判断しないで欲しい」ということだろうか。分析があまりに甘く、興味を引かなかったから半分ほどしか読んでない。あとは流し読みしたから上の判断は正確かどうか保証しない。
福島原発事故に関しては、たくさんの項目に分けて論議する必要がある。過去の地震・津波の記録が生かされたか。地震の際の原子炉の破壊は東電の言うように軽微なものだったのか。非常電源の位置が十分に検討されていたのか。上記の「七つの謎」で扱ったような事象の検討、特に原子炉設計上の、または施工上の欠点は検証されたのか。事前に適切な訓練が行われなかったのはなぜか。技術的なアドバイスを任務とした学術関係者はなぜ適切なアドバイスができなかったのか。政府の関与の仕方はまずかったのか。モニタリングポストなどの観測は適切だったのか、そしてそのデータの読み取りは正しく行われたのか。「事故」の最初の段階までについてもまだまだ色々な疑問が湧く。そして廃炉の問題に関しても同じように多くの疑問がある。そして一番の悪い影響は、政府や東京電力の発表が信じられなくなってしまったことだろう。
柳田氏の事故関連の古い本の紹介をする計画だったが、関連図書をたくさん挙げすぎたようだ。ちょっと反省して「古い本」に戻ろう。