OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

大樹の伐採

2021年02月28日 | 今日このごろ

 散歩道の志徳公団北東側に、りっぱなケヤキの樹があった。1か月ほど前に幹の目の高さに張り紙がされた。なお今回の写真は2月19日に志徳公団で撮影したもの。一枚だけ古い写真があり、それには日付を記入した。

伐採を知らせる張り紙 2021.2.19

 張り紙の文面は、「工事のお知らせ」と題して、「団地内の大きくなりすぎた樹木を伐採する」とし、目的は「倒木の防止、見通しを良くする等の、安心安全な屋外環境のため必要」となっている。チラシが貼られている樹木が対象としているが、一部貼られていないものも後に伐採されたようだ。写真のようにアパートと歩道の間に緑地があって、道路側にサンゴ樹の生垣がある。その内側に10本ぐらいのケヤキの樹が並んでいた。

ケヤキの幹に残ったセミの抜け殻 2018.8.6

 夏には多数のセミがこの幹で羽化した。主にアブラゼミで、クマゼミが混じっていた。今年からは見られそうにない。
 伐採に先立って、サンゴ樹の生垣の高さを低くした。これまで私の目の高さよりも30センチほど高かったのを、目より低い150センチほどにしたから、50センチほどだっただろうか。

低くなった生垣 2021.2.19

 2月18日ごろから大木の伐採が行われた。まず大枝を伐り、残った幹をクレーンで吊り下げながらチェーンソーで伐った。

伐採 2021.2.19

 切り株を見ると、直径が50センチ以上もある。少し斜めに切っているのはなぜか?

切り株 2021.2.19

年輪(画像処理した) 2021.2.19

幹に空洞のある切り株 2021.2.19

 年輪の数は50を超える。伐った樹で、空洞のあるものは少なく。2・3本だろうか。空洞は大きくなくてすぐに倒れるようなものではなさそう。むしろ今回きらなかった桜の老木には、もっと大きな空洞がありそうなものが複数ある。桜にはサルノコシカケも出ていたし。
 ちょっと見通しがようなりすぎたような気もするが、秋の落ち葉の量が多かったので、清掃の方々の負担が多かったのだろうか。

転倒 (臨時投稿) 

2021年02月27日 | 今日このごろ

 気づいたら、歩道に寝ていた。救急隊員に何かを聞かれ、それに応えている自分に気づいた。どこも酷くは痛くないが痛いような気もする。隊員が私の名前と年齢を病院らしいところに連絡している。どうやってそれを知ったのだろう? 実はすでに聞かれていたらしいが記憶がない。「今日が何日か分かりますか?」それにすぐには答えられない。20日ということは間も無くわかったが、2月、という正解が出てくるのに10秒ほどかかっただろうか。電話の有無を聞かれ、ポケットにと答えると探し出して「奥さんの名前は?」と聞かれる。答えるとすぐにリストから探してかけてくれる。私が倒れて救急車でJ病院に搬送されると知らせ、話ができるから話しますか?と聞く。ちょっと話して、病院に向かってもらう。会話に不自由はない。この頃になると意識がはっきりして、自分が食事のため街に出て、モノレール駅から出たところで転んだらしいことがはっきりとする。住所・生年月日を聞かれるが、これはすぐ答えることができた。
 出血しているらしく、綿棒やガーゼ?で拭き取られる。救急車に乗せられると、心電図の電極を外される。まもなく動き出し、15分ほどで病院に着く。男性医師があちこちの関節の動きをチェック。自分の感じる限りでは動くし、痛くない。首の筋肉、僧帽筋あたりに少し違和感。CT画像をとっていただき、診断の結果現在のところ脳内の出血はないと告げられる。形成外科の女医さんが上唇内側を数針縫う。麻酔注射が少し痛かったが縫うときは痛くない。それなのに唇を持ち上げたりするお医者さんの指は感じる。さらに右前頭部の内出血は切開して血を出し、3針縫って圧迫・絆創膏止め。看護師さんが付いている血液を丁寧に拭き取って治療終了。頭を打っているので、これからおこるかもしれない出血に関する丁寧な解説を受け、抜糸の日を決めて帰宅した。
 翌日鏡を見ると、太く腫れた右上唇と鼻の下の擦過傷のほか、右眼窩の下にかなり広い内出血、その外側の右頬骨の眼窩縁から外側にかけて擦過傷、左眼窩の目頭付近に内出血少々など、ノーメークでゾンビ映画に出演できるほど。
 幸い、行動に不自由はなく、食事も刺激のあるものが内側の傷にしみるくらい。唇が正確に閉じないから、水を飲むたびに少しこぼれたが、すぐに慣れてうまくいくようになる。左大腿部の筋肉が筋肉痛。左膝の膝蓋骨前側に打撲傷。右膝にも少し。
 もらった抗生剤と痛み止めで、数日でかなりよくなった。5日後の25日に抜糸。その2日後の今日は、半分ぐらいのかさぶたが取れ、すでに人間の顔になった。残っているのは上唇内側の縫ったところのかさぶた、目の下の内出血(半分ぐらいに縮小)、頬骨の擦過傷のかさぶた(ほとんど取れた)ぐらい。筋肉痛と首の違和感は湿布でほぼ良くなった。それで一週間目の本日から喫茶店通いを再開。顔はマスクとサングラスでごまかしている。試合後3日目の負けたボクサーぐらいにはなった。傷はほとんどすべて右側だから、相手のボクサーはサウスポー。5日経つが幸い脳内の出血の気配は全くない。
 顔写真があれば分かりやすいのだが、こういう写真は残したくないので、撮らない。次の写真は、帰宅後着替えた時にシャツの内側に付いていた心電図のための電極と思われるパーツ。四角いところの裏側に導電性(?)の粘着剤が付いている。


 何度も思い返したが、転倒した時の記憶が完全に欠如している。たぶん通りがかった方が救急要請の電話をしてくださったのだろう。救急隊、病院の皆さんの手際の良い処置で良い経過をたどっている。家族にも心配や迷惑をかけた。皆さんに深く感謝する。

古い本 その47 福島原子力発電所

2021年02月25日 | 50年・60年

 東日本大震災の最大の、そして今後も長く残る傷跡は、原子力発電所の「事故」である。ここでも大震災以前の本から順に紹介する。

90 原子力発電 1976 表紙

 「原子力発電」は岩波新書(1976.2.20発行)、206ページである。著者は武谷三男(1911-2000)で、物理学の認識の発展に三つの段階があるという論議で知られているが、そういう本を書店で立ち読みして「手に負えない」と手をつけなかった記憶がある。このブログを書いていて「原子力発電」の著者が武谷氏であることを初めて意識した。原子力発電に関する技術的な解説を行っている。今読み返してみると、先見性のある問題を提起していて今日でも考えさせるところが多い。例えばプルトニウムの処理問題が未解決であることは現在も同じ論調で新聞紙上に見られる。例えば2020.12.12の朝日新聞ではプルサーマル計画の頓挫(目標を先延ばしした)を報道している。つまり50年近く経ってもほとんど解決されていないことに驚く。これでは国際的に「日本はプルトニウム爆弾を作る能力がある」と判断される可能性があろう。また、143ページから、美浜1号機の一次冷却水漏洩事故(1972.6.13)の経緯を記しているが、その場当たり的な復旧にはあきれる。さらに排出物の問題としてトリチウムがあることも正しく指摘している。
 文中の幾つかの単位が古いものである(ベクレルではなくキュリー、またシーベルトでなくレム)から、現代の文献と比べるのはちょっとめんどう。

91 恐怖の2時間18分 1986 カバー

 「恐怖の2時間18分」は、柳田邦男の著作で、1986.5.25初版発行の文春文庫の本である。手元にあるのは第3刷(1988.7.1)。1977年9月24日にアメリカ・ペンシルバニア州のスリーマイル島原子力発電所で事故が起こった。世界中で起こった原子力発電所の重大事故は、福島・チェルノブイリと、このスリーマイルが知られている。スリーマイルの事故は、ちょっとしたミスが重なって起こったらしい。それを解決する段階で十分な理解の上で作業を行わなかった結果、悪い方へ状況を変えていった、といったもの。さらに運転状況を表示する方法がわかりにくかったことも混乱に拍車をかけたと言うことらしい。写真や図表が多いのは良いが、内容を簡潔に説明できたかというとやや混乱が見られる。

92 九電と原発 2009 表紙

 「九電と原発」は、「南方ブックレット2」として南方新社から2009.11.20に発行された。「①温排水と海の環境破壊」となっているが、ネットで見たところでは②以後は発行されていないようだ。表紙写真は九電川内原子力発電所付近の砂浜に打ち上げられたサメの死体である。内容は 1 ウミガメの死亡漂着(中野行雄:ウミガメ保護活動) 2 海の生物を殺し、海を温暖化する原発(佐藤正典;鹿児島大・底生生物学) 3 川内原発の温排水による海洋環境破壊(橋爪健郎:鹿児島大・環境物理学)の3章にまとめられている。私は1章のクジラ類のストランディングのデータを見たくて、出版社から購入したが、むしろ3章の九州電力の不誠実な排水温度に関する主張が興味深かった。
 この本とは関係ないが、後に公表された川内原発付近の卓越風から推測される排気の方向を見ると、九州電力のデータをあまり信用できないと思った。何しろ冬季の川内付近の卓越風が、東北・西南方向を向いている、というのだから。私の感覚とは90度違う。理科年表で調べるとやはり東シナ海を超えてくる大陸からの風が卓越しているようだ。どうしてだろう?

 東日本大震災に伴う福島第一原発の事故に関する本はたくさん出版されているようだが、「買い揃える」というようなことはしていない。ここでは興味を持って読んだ、読み進むことができなかったものをいくつか挙げる。

93 原発安全革命 2011 カバー

 「原発安全革命」は文春新書(2011.5.20発行・247ページ)だが、同じく文春新書『「原発」革命』(2001.8)の増補新版。福島事故の直後にそれを踏まえて増補したものであるが、事故を批判するために書かれたようにみえる時期に発行したために内容の良さを誤解されたのではないだろうか。「トリウム溶融塩炉」という、あまり実用化されていないタイプの原子炉の安全性や将来性などを書いた本。現在実用化されている原発が、ペレット型の固体燃料を使っているために燃料体の変形事故や、緊急時の作動の遅れなどの問題があるのに対して、溶融塩炉では燃料が液体の形であることから、流量などの調整が容易であること、緊急時に下方に流すだけで動力も使わずに臨界を避けられることなどの利点があることを力説している。さらに、燃料となるトリウムの資源としての普遍性や運搬などの安全性も有利であるとする。一番の利点は、できたプルトニウムを再生することなく溶融塩の形で「混ぜて」使用できることをあげている。確かに日本の原子力発電の直面する問題を「廃炉」以外の点でほとんど解決できそうである。実用化には今ひとつ実績がない。また現在のウラン・プルトニウムの固体燃料方式がなぜ世界中で使われていて、溶融塩炉への移行が試みられていないのかについては、説得力のある説明が読み取れなかった。

94 国会事故調報告書 2012 カバー

 2012.9.30に徳間書店から発行されたもの。B5サイズで592ページ+CD1枚という大作である。奥付のページに著者が記してあり、その上に著者の解説らしきものがあってそこには「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(国会事故調)」と題し、以下のように記してある。「福島第一原発事故を受けて、平成23(2011)年10月30日に施行された「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会法」に基づき、同年12月8日、両議院の議長により黒川清委員長をはじめ10人の委員長・委員が任命され、日本の憲政史上初めて政府からも事業者からも独立した有識者による調査委員会が国会に設けられた。6カ月間に及ぶ精力的な調査活動の結果を報告書にまとめ、平成24(2012)年7月5日、両議院の議長に報告書が提出された。」
 3ページに衆議院議長・参議院議長殿としているから、これがその報告書なのだろう。それを一般に販売するというのは良いことと思う。それも1,600円+税という安価である。付属しているCDが報告書の一部なのか単行本発行に際して添付されたのかはどこかに書いてあるのかもしれないがわからなかった。
 私は半分ほど読んで諦めた。何しろ、同一の(または酷似した)文章が何度も出てくるなど、冗長である。もう一つケチをつけておくが、本の表題「国会事故調報告書」というのはいかがなものか。正式な報告書に略称を掲げるなんて。他にも意見があるが、しっかり読んでいないからここに記すだけの自信はない。

95 福島第一原発事故 7つの謎 2015 カバー

 「福島第一原発事故 7つの謎」は、2015.1.20講談社現代新書として発行された。副題があって『吉田所長が生前に遺した「謎の言葉」に迫る!となっている。吉田昌郎は事故当時に福島第一原子力発電所所長であったが2013年7月9日に死去。この本では、副題に「生前に遺した」とあるくらいだから、亡くなったことや、せめて弔意を記してあるのかと思ったが、「はじめに」のところで「生前、思わぬ言葉を…」と出てくる。あとの方で少し書いてあるようだが。著者は『NHKスペシャル「メルトダウン」取材班』として6名の記者などNHK職員の名が記されている。318ページ。
 内容は、1 ICの停止の認識 2 ベント実施の遅れ 3 ベントの実行の有無 4 2号機の放射性物質 5 消防車の水の行方 6 緊急時の減圧装置の不具合 7 格納容器の破損 の7つの項目ごとにその経緯と著者らの考えるその直接的な原因が記されている。なお、上にあげた項目は、私の判断で省略して記したから、正しくは本書を見て欲しい。とくに4番目の項目は、本書の見出しは「放射能大量放出」と書いているが、文中では正しく「放射性物質」となっている。
 内容は詳しくて調査が行き届いているが、7つの事象に整理したことで全体的な事故を作り出した機構や環境、人間的な環境や科学に対する態度などの点を十分に捉えているとは言えない。

96 福島第一原発廃炉図鑑 2016 カバー

 「福島第一原発廃炉図鑑」は、2016.6.17太田出版発行のA5(より少し大きい)の本。395ページ。著者は開沼 博・編としてある。内容は福島原発の各炉について、廃炉に向かう道の現状を記したもので、この本の立場としては東京電力の説明をそのまま踏襲して、「現状はかなり改善されている。以前の状況の記録・記憶だけで判断しないで欲しい」ということだろうか。分析があまりに甘く、興味を引かなかったから半分ほどしか読んでない。あとは流し読みしたから上の判断は正確かどうか保証しない。

 福島原発事故に関しては、たくさんの項目に分けて論議する必要がある。過去の地震・津波の記録が生かされたか。地震の際の原子炉の破壊は東電の言うように軽微なものだったのか。非常電源の位置が十分に検討されていたのか。上記の「七つの謎」で扱ったような事象の検討、特に原子炉設計上の、または施工上の欠点は検証されたのか。事前に適切な訓練が行われなかったのはなぜか。技術的なアドバイスを任務とした学術関係者はなぜ適切なアドバイスができなかったのか。政府の関与の仕方はまずかったのか。モニタリングポストなどの観測は適切だったのか、そしてそのデータの読み取りは正しく行われたのか。「事故」の最初の段階までについてもまだまだ色々な疑問が湧く。そして廃炉の問題に関しても同じように多くの疑問がある。そして一番の悪い影響は、政府や東京電力の発表が信じられなくなってしまったことだろう。

 柳田氏の事故関連の古い本の紹介をする計画だったが、関連図書をたくさん挙げすぎたようだ。ちょっと反省して「古い本」に戻ろう。

私の使った切符 その143 近畿日本鉄道の地紋 

2021年02月22日 | 鉄道
 

394 近畿日本鉄道 帯券 マルス券

データ:近畿日本鉄道 2012.6.29 伊勢市駅発行 乗車券+特急券発行証明書
 近畿日本鉄道の特急券などはJRの「青帯券」によく似た見かけをしている。地紋の上にJRの代わりに「KINTETSU」という大きな文字が置かれている。ただし、JR券のような光沢のある印刷ではない。

395 近畿日本鉄道 特別急行券

データ:近畿日本鉄道 2012.6.29 伊勢市駅発行 特別急行券
 地紋を拡大してみると、社章を詰めて配置し、間の隙間に正三角形を描いてある。ちょっと気になるのは社章のデザインで、円の周りに三本の突起が内側の円の接線方向に突き出た形が正しいのだが、この地紋のものは接線ではなく、根元から先まで同じ太さなのだ。

396 近畿日本鉄道 マルス券

データ:近畿日本鉄道 2007.12.11 桑名駅発行 桑名・名古屋間特別急行券
 これも特急券なのだが、帯がなく全体が均一な地紋で覆われている。

397上の写真の拡大

 先ほどの社章の気になったところは、こちらの方がすこしだけマシ。突起の外側の線が、内側の円の接線方向に近いから。先端は尖っていない。

398 近畿日本鉄道 磁気軟券

データ:近畿日本鉄道 2007.3.28 新王子駅発行 新王子から290円区間乗車券
 近距離の乗車券にはかなり斬新な地紋が描いてある。電車と互い違いにあるのは、スルッとKANSAIのシンボルキャラクターである「スルッとちゃん」というらしい。「スルッとちゃん」地紋は、近鉄以外の複数の鉄道でも使われているが、私の手元には近鉄だけしかない。

古い本 その46 東日本大震災

2021年02月19日 | 50年・60年

 「古い本」シリーズでは、目安として発行後約40年経った本を紹介している。前回は1995年の兵庫県南部地震に関連するものを記したが、すでに例外だった。今回はそれに関連するということで、さらに新しい本を挙げる。
 東日本大震災は2011年3月11日14時45分に発生した宮城県沖130kmを震源とするM9.0の地震。死者・行方不明者の合計は2万人を大きく超える大きな被害をもたらした。これによる被害は大きく分けて、地震の振動による被害 津波の被害 福島原子力発電所のもたらした被害 の三つ。原子力発電所関連の本は次回に記す。
 この地震はその後10年経つが、最近の2021年2月13日夜遅くにも大きな余震が発生し、地質学的な時間の長いことを実感させた。
 まず地震発生以前の書籍から。

84 新・地震の話 1967 表紙

 「新・地震の話」は岩波新書で、著者は坪井忠二(東京大学・地球物理学)。211ページ、出版は1967.5.20。同じ岩波新書で「地震の話」が同じ著者によって1941年に発行されている。地震学の初歩をかなり詳しく紹介していて、教科書的な本で、実際の大地震の記録は詳しくない。日本の大地震の記録として1963年の南千島地震(M8.1)までがリストアップされている。何しろプレートテクトニクス理論がようやく出てきた頃の著作であるから、地震で放出されるエネルギーが、長期間で見ると一定の幅に収まるという現象が述べてあるが、その理由についてはプレート論のように明瞭ではない。

85 地震の日本史 2012 カバー

 「地震の日本史」「大地は何を語るのか」は中公新書で2007.11.25初版発行であるが、東日本大震災の直後2011年5月25日に「増補版」としてその初版を発行、私の持っているのは2012年3月15日の増補板5版(276ページ)である。「増補」したのは、261ページから268ページの増補版のための補遺「東日本大震災の後で」という部分と思われる。初版部分は「地震考古学」と呼んで日本史に現れる大きな地震が列記してあるが、やはり西日本の記録が一番詳しくて他の地域と同列に比較できないのが弱み。そのため、記録の乏しい東北地方の古い地震の記述は少ない。東日本大震災の参考になる貞観地震(869年)に関しても短い記事しかない。地震による津波も同様に発生し、1000人ほどが亡くなったという。この初版発行の頃から古い地震について紙に書いた記録よりも、発掘による調査が注目されるようになった。それについては2014年の「巨大津波 地層からの警告」に記されている。
 ここからが東日本大震災発生後の本。

86 河北新報のいちばん長い日 2014 カバー

 この本は文春文庫(2014.3.10発行)301ページ。2011年10月に単行本として文芸春秋社から発行されたものの文庫版。副題があって「震災下の地元紙」となっている。河北新報は宮城県を中心とした地方紙で、もちろん大きな被害にあって、新聞作成、用紙の調達、印刷、配送など多くの機能を失った。それでも記者たちは現地に踏み込んだ取材を続けた。号外の発行は当日の夕刻であったが、翌日朝刊の発行には新潟日報の大きな協力があった。印象的なドキュメントである。

87 東日本大震災 2014.4.2 表紙 

 サンデー毎日緊急増刊として、地震直後に発行されたもの。79ページ、A4。この地震の被害は私たちが経験した中では最も深刻なもので、その表れ方も多様である。津波の押し寄せる状況など印象の強い写真が多数集められている。ただし、原子力発電所に関する記事はほとんどない。22ページから4ページにかけて記事があるが、写真は5枚しかなく、破壊された建屋の姿もあまりよく見えない。これは、発電所の状況が時間とともに厳しくなっていったために、4月発行の本書ではまだ深刻な状況を示すような状態でなかったためだろうか。

88 巨大津波 2014 カバー

 「巨大津波 地層からの警告」は、新書版で日経プレミアシリーズとなっている。2014.5.8発行で。著者は後藤和久(東北大・災害科学国際研究所)。東日本大震災の前から、歴史的な文書から古い時代の地震記録を探すよりも発掘によって津波堆積物や倒壊した構造物、そして液状化や地下構造に残る痕跡を調べることが重要視され始めていた。その成果として東日本大震災の直前には貞観地震津波の規模が非常に大きなものであったことが推定されるようになり、警告をする論文も発行されたが、原子力発電所の対抗処置が取られることは少なかった。残念ながら、この本の大津波に対する警告は「後出し」の感がある。なお、カバー写真の下部3分の1はカバーと同色だが「帯」である。写真では境目に細線を入れた。『「千年に一度の」次はどこか』というフレーズは帯によく書かれる宣伝用のものであり、本文にその答えが明確に記されているようではない。

89-1 震災と鉄道 全記録 2011 表紙

 雑誌「AERA Mook」(朝日新聞出版)として2011.9.5発行のA4、162ページの本。東日本大震災の被害ばかりではなく、過去の大地震の新聞記事など広範囲の情報を記したもの。首都圏の鉄道の復旧経過の図も面白い。終わりの方の一章は「原発30キロ圏内 全鉄道46路線と駅」と題して、各原発周辺の鉄道の地図が示されている。1999年の東海村JCO臨界事故にも言及している。
 東日本大震災では、発生直後に東北地方の半分以上の鉄道が運行できなくなった。その復旧は10年近く経った現在も完了していない。直接・間接的にこの地震を契機として廃止(またはBRT化)した路線は、十和田観光鉄道(2012.3.31廃止14.7km)JR岩泉線(2014.3.31廃止38.4km) JR気仙沼線(2020.3.31BRT化55.3km)JR大船渡線(一部2020.3.31BRT化43.7km)である。JR山田線(一部55.4km)は三陸鉄道に移管。またJR石巻線・仙石線・常磐線では経路の変更が行われた。

89-2 東日本大震災後の鉄道の変化 

 上の地図は赤:廃止・BRT化、青:移管 緑:経路変更 を示す。なお私は経路の変更されたところは以前も乗車したが変更後も行って来た。震災で廃止された鉄道は全て既に乗車している。