喫茶店で新聞を読むのを日課にしている。長い間朝日新聞を自宅で定期購読していたのだが、この新聞社、あまりにも間違いやごまかしが多いので、販売店にレポートを出した上で停止してから10年近くにもなる。5月ごろに同新聞の連載小説「また会う日まで」を見ていて、知っているお名前が出てきたのに驚き、ちょっと調べてみた。
この小説がどのくらいまで本当で、どこからがフィクションなのか分からない。主人公は実在した海軍水路部の士官で、天文・海図作成や天測などを得意とする秋吉利雄氏。ある時に南方の小島で皆既日食の観測をすることになって、その部分に知っている方が出てきたのだ。皆既日食は1934年2月14日に起こった出来事で、観測が行われたのはローソップ島という環礁であった。観測の実施もこれ以下に出てくるお名前も史実である。現在のGoogle Map ではこの名前ではなくてロサップ島(環礁)Losap Atollとして出てくる。グアムの600kmほど南東にある。直径5kmほどの環礁で、樹の生えているちゃんとした島は3か所ぐらいしかない。観測隊は天候に恵まれて各種のデータを取ったのだが、その中に京都帝国大学関連で、上海自然科学研究所の東中秀雄という地球物理学者が出てくる。この人は大学の教養部でお世話になった人に違いない。私は部活で、地学研究会というのに参加していたのだがその「会報」を見ると東中教授の文章が幾つか出てくる。どれも巻頭の文だから、指導者のトップとなっていたことがわかる。直接にご指導を受けたり、単位をもらったりしていないと思う。もちろん日食よりも30年以上後のこと。
日食観測の成果を調べてみると、皆既日食時に地磁気の変化があったことが観測できたという。その成果は東中隊員が上海自然科学研究所彙報で発表した。
速水頌一郎・東中秀雄, 1934. 「1934年2月14日ローソップ島に於ける皆既日食時中の地磁気変化に就て」上海自然科学研究所彙報, vol. 3, no, 7: 129-165.
実は前からこの雑誌について調べたいと思っていた。日本が大陸に進出していたころ、その影響下で出版した科学文献シリーズは3つある。そのうち「第一次満蒙学術調査報告」と「満洲国立中央博物館彙報」には、後で書くことになると思うが、脊椎動物化石に関する論文がかなりあって、だいたい見たことがあるのだが、上海については調べてなかった。北九州市立自然史・歴史博物館の図書室には半分以上の号が保管されている。それを見に行けばいいのだが、緊急事態とやらで行きづらかった。そこで、当初ネットで調査、後に博物館に行って調べた。定期刊行物の他で参考にしたのはいくつかあるが、次の三つを挙げておこう。
小宮義孝・張 定◻︎(◻︎は金偏にりっとう)・南野隆次 編、 1942 上海自然科学研究所十周年紀念誌. 上海自然科学研究所.
山根幸夫(ゆきお), 1979 上海自然科学研究所について. 東京女子大学紀要論集, 30(1):1−38.
永野 宏・佐納康治, 2010 上海自然科学研究所物理学科と京都帝国大学理学部との関わり. 京大地球物理学研究の百年. (1):117-131.
永野・佐納, 2010 には、いろいろな出来事の経緯が詳しく書かれている。それによると、「速水と東中は、海軍水路部の嘱託となり」全国の地磁気観測に協力した。とある。このころ全世界の地磁気分布図はできていたが、同時にそれが定常的なものではないことも分かってきた。当初期待された「地磁気の真北からのズレを測定すれば自分の位置がわかる」というのは無理だとしても、その変化量が分かっていればそれを使って換算して位置がわかる可能性があると考えられていたようだ(間違っていたらごめんなさい)。つまり現在のGPSの役割を期待していた。だから海軍が地磁気調査をしたのではないだろうか。しかし、地磁気の観測装置は未発達で、「プロトン磁力計」という磁場を取り除いた時に起こる原子のスピンの方向の変化を測る装置ができたのが1954年と、20年待たなければならなかった。東中先生は、このころから位置決定の手段ではなく、地下資源探査の手段として地磁気の観測を試みておられたのではないだろうか。上海自然科学研究所の日本人研究者は1931年の開所時33名、それに個人的に参加した中国人研究者が7名だったという。
山根, 1979には、「彙報総目次」が付録として添えられている。その中で東中秀雄が著者に入っているものは11件あって、地磁気、とくに探鉱技術としての磁気異常の観測に関するものが多い。他に揚子江の流水の計算式などもある。彙報は日本語・中国語論文を扱い、古生代のオルソセラスや、腕足類の論文がある。他に欧文誌「The Journal of the Shanghai Science Institute」があるが、こちらには化石関連の論文は少なそう。
私の興味ある分野は化石なので、「彙報」「Journal」に掲載されたその分野の一覧表を作っておく。
A 上海自然科学研究所彙報総目次(山根, 1979)中の化石関連論文
尾崎金右衛門, 1931 中国北部上部古生代腕足類化石. vol. 1, no. 6.
清水三郎・小幡忠宏, 1936 亜細亜古生代頭足類之研究 I. vol. 5, no. 6.
小幡忠宏, 1939-1941 北支那奥陶紀石灰岩の研究(第一報から第五報). Vols. 9-10.
1 海自然科学研究所彙報 1929-1943
B The Journal of the Shanghai Science Institute に掲載
Shimizu, S., and Obata, T., 1936, Three new genera of Ordovician nautiloids
belonging to the Wutinoceratidae (Nov.) from east Asia: v. 2, p. 27–35
2 Journal of Shanghai Science Institute
残念ながら、脊椎動物に関するものはなく、古生代のものに限られる。それもオルドビス紀あたりだから、今後参考にする機会はなさそう。東中先生のお名前を目にしたことから、いろいろと調べ物をしたが十分でない。また調べ直してみるかも。新聞小説の方は、すでに軍艦がローソップ島から帰ってきたことで、日食観測の件は終わり、潜水艦による地球物理学的な、例えば重力の観測などの次のテーマに移っている。
3 上海自然科学研究所建物配置図 (同所十周年紀念誌,1942・折り込み)
これを記した6月27日に、神戸大学からPDFで、「わが国海洋観測史を彩る名観測船(戦前・戦中編)(半澤正雄, 1987)が公開された。文中に「秋吉利雄大佐は後に武官として珍しい理学博士号を取得した...」と紹介されている。新聞小説が影響したのかどうかは知らない。
この小説がどのくらいまで本当で、どこからがフィクションなのか分からない。主人公は実在した海軍水路部の士官で、天文・海図作成や天測などを得意とする秋吉利雄氏。ある時に南方の小島で皆既日食の観測をすることになって、その部分に知っている方が出てきたのだ。皆既日食は1934年2月14日に起こった出来事で、観測が行われたのはローソップ島という環礁であった。観測の実施もこれ以下に出てくるお名前も史実である。現在のGoogle Map ではこの名前ではなくてロサップ島(環礁)Losap Atollとして出てくる。グアムの600kmほど南東にある。直径5kmほどの環礁で、樹の生えているちゃんとした島は3か所ぐらいしかない。観測隊は天候に恵まれて各種のデータを取ったのだが、その中に京都帝国大学関連で、上海自然科学研究所の東中秀雄という地球物理学者が出てくる。この人は大学の教養部でお世話になった人に違いない。私は部活で、地学研究会というのに参加していたのだがその「会報」を見ると東中教授の文章が幾つか出てくる。どれも巻頭の文だから、指導者のトップとなっていたことがわかる。直接にご指導を受けたり、単位をもらったりしていないと思う。もちろん日食よりも30年以上後のこと。
日食観測の成果を調べてみると、皆既日食時に地磁気の変化があったことが観測できたという。その成果は東中隊員が上海自然科学研究所彙報で発表した。
速水頌一郎・東中秀雄, 1934. 「1934年2月14日ローソップ島に於ける皆既日食時中の地磁気変化に就て」上海自然科学研究所彙報, vol. 3, no, 7: 129-165.
実は前からこの雑誌について調べたいと思っていた。日本が大陸に進出していたころ、その影響下で出版した科学文献シリーズは3つある。そのうち「第一次満蒙学術調査報告」と「満洲国立中央博物館彙報」には、後で書くことになると思うが、脊椎動物化石に関する論文がかなりあって、だいたい見たことがあるのだが、上海については調べてなかった。北九州市立自然史・歴史博物館の図書室には半分以上の号が保管されている。それを見に行けばいいのだが、緊急事態とやらで行きづらかった。そこで、当初ネットで調査、後に博物館に行って調べた。定期刊行物の他で参考にしたのはいくつかあるが、次の三つを挙げておこう。
小宮義孝・張 定◻︎(◻︎は金偏にりっとう)・南野隆次 編、 1942 上海自然科学研究所十周年紀念誌. 上海自然科学研究所.
山根幸夫(ゆきお), 1979 上海自然科学研究所について. 東京女子大学紀要論集, 30(1):1−38.
永野 宏・佐納康治, 2010 上海自然科学研究所物理学科と京都帝国大学理学部との関わり. 京大地球物理学研究の百年. (1):117-131.
永野・佐納, 2010 には、いろいろな出来事の経緯が詳しく書かれている。それによると、「速水と東中は、海軍水路部の嘱託となり」全国の地磁気観測に協力した。とある。このころ全世界の地磁気分布図はできていたが、同時にそれが定常的なものではないことも分かってきた。当初期待された「地磁気の真北からのズレを測定すれば自分の位置がわかる」というのは無理だとしても、その変化量が分かっていればそれを使って換算して位置がわかる可能性があると考えられていたようだ(間違っていたらごめんなさい)。つまり現在のGPSの役割を期待していた。だから海軍が地磁気調査をしたのではないだろうか。しかし、地磁気の観測装置は未発達で、「プロトン磁力計」という磁場を取り除いた時に起こる原子のスピンの方向の変化を測る装置ができたのが1954年と、20年待たなければならなかった。東中先生は、このころから位置決定の手段ではなく、地下資源探査の手段として地磁気の観測を試みておられたのではないだろうか。上海自然科学研究所の日本人研究者は1931年の開所時33名、それに個人的に参加した中国人研究者が7名だったという。
山根, 1979には、「彙報総目次」が付録として添えられている。その中で東中秀雄が著者に入っているものは11件あって、地磁気、とくに探鉱技術としての磁気異常の観測に関するものが多い。他に揚子江の流水の計算式などもある。彙報は日本語・中国語論文を扱い、古生代のオルソセラスや、腕足類の論文がある。他に欧文誌「The Journal of the Shanghai Science Institute」があるが、こちらには化石関連の論文は少なそう。
私の興味ある分野は化石なので、「彙報」「Journal」に掲載されたその分野の一覧表を作っておく。
A 上海自然科学研究所彙報総目次(山根, 1979)中の化石関連論文
尾崎金右衛門, 1931 中国北部上部古生代腕足類化石. vol. 1, no. 6.
清水三郎・小幡忠宏, 1936 亜細亜古生代頭足類之研究 I. vol. 5, no. 6.
小幡忠宏, 1939-1941 北支那奥陶紀石灰岩の研究(第一報から第五報). Vols. 9-10.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/c9/f5a3b04d90831d9d35ca8d801e402d09.jpg)
1 海自然科学研究所彙報 1929-1943
B The Journal of the Shanghai Science Institute に掲載
Shimizu, S., and Obata, T., 1936, Three new genera of Ordovician nautiloids
belonging to the Wutinoceratidae (Nov.) from east Asia: v. 2, p. 27–35
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/85/68a6a1ccd1a8af1b8e65616b4ef7ad44.jpg)
2 Journal of Shanghai Science Institute
残念ながら、脊椎動物に関するものはなく、古生代のものに限られる。それもオルドビス紀あたりだから、今後参考にする機会はなさそう。東中先生のお名前を目にしたことから、いろいろと調べ物をしたが十分でない。また調べ直してみるかも。新聞小説の方は、すでに軍艦がローソップ島から帰ってきたことで、日食観測の件は終わり、潜水艦による地球物理学的な、例えば重力の観測などの次のテーマに移っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/97/549a4cf45e7ad9c11f9130b61708ef4a.jpg)
3 上海自然科学研究所建物配置図 (同所十周年紀念誌,1942・折り込み)
これを記した6月27日に、神戸大学からPDFで、「わが国海洋観測史を彩る名観測船(戦前・戦中編)(半澤正雄, 1987)が公開された。文中に「秋吉利雄大佐は後に武官として珍しい理学博士号を取得した...」と紹介されている。新聞小説が影響したのかどうかは知らない。