OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

古い本 番外 上海の文献

2021年06月28日 | 今日このごろ
 喫茶店で新聞を読むのを日課にしている。長い間朝日新聞を自宅で定期購読していたのだが、この新聞社、あまりにも間違いやごまかしが多いので、販売店にレポートを出した上で停止してから10年近くにもなる。5月ごろに同新聞の連載小説「また会う日まで」を見ていて、知っているお名前が出てきたのに驚き、ちょっと調べてみた。
 この小説がどのくらいまで本当で、どこからがフィクションなのか分からない。主人公は実在した海軍水路部の士官で、天文・海図作成や天測などを得意とする秋吉利雄氏。ある時に南方の小島で皆既日食の観測をすることになって、その部分に知っている方が出てきたのだ。皆既日食は1934年2月14日に起こった出来事で、観測が行われたのはローソップ島という環礁であった。観測の実施もこれ以下に出てくるお名前も史実である。現在のGoogle Map ではこの名前ではなくてロサップ島(環礁)Losap Atollとして出てくる。グアムの600kmほど南東にある。直径5kmほどの環礁で、樹の生えているちゃんとした島は3か所ぐらいしかない。観測隊は天候に恵まれて各種のデータを取ったのだが、その中に京都帝国大学関連で、上海自然科学研究所の東中秀雄という地球物理学者が出てくる。この人は大学の教養部でお世話になった人に違いない。私は部活で、地学研究会というのに参加していたのだがその「会報」を見ると東中教授の文章が幾つか出てくる。どれも巻頭の文だから、指導者のトップとなっていたことがわかる。直接にご指導を受けたり、単位をもらったりしていないと思う。もちろん日食よりも30年以上後のこと。
 日食観測の成果を調べてみると、皆既日食時に地磁気の変化があったことが観測できたという。その成果は東中隊員が上海自然科学研究所彙報で発表した。
速水頌一郎・東中秀雄, 1934. 「1934年2月14日ローソップ島に於ける皆既日食時中の地磁気変化に就て」上海自然科学研究所彙報, vol. 3, no, 7: 129-165.

 実は前からこの雑誌について調べたいと思っていた。日本が大陸に進出していたころ、その影響下で出版した科学文献シリーズは3つある。そのうち「第一次満蒙学術調査報告」と「満洲国立中央博物館彙報」には、後で書くことになると思うが、脊椎動物化石に関する論文がかなりあって、だいたい見たことがあるのだが、上海については調べてなかった。北九州市立自然史・歴史博物館の図書室には半分以上の号が保管されている。それを見に行けばいいのだが、緊急事態とやらで行きづらかった。そこで、当初ネットで調査、後に博物館に行って調べた。定期刊行物の他で参考にしたのはいくつかあるが、次の三つを挙げておこう。
小宮義孝・張 定◻︎(◻︎は金偏にりっとう)・南野隆次 編、 1942 上海自然科学研究所十周年紀念誌. 上海自然科学研究所.
山根幸夫(ゆきお), 1979 上海自然科学研究所について. 東京女子大学紀要論集, 30(1):1−38.
永野 宏・佐納康治, 2010 上海自然科学研究所物理学科と京都帝国大学理学部との関わり. 京大地球物理学研究の百年. (1):117-131.
 永野・佐納, 2010 には、いろいろな出来事の経緯が詳しく書かれている。それによると、「速水と東中は、海軍水路部の嘱託となり」全国の地磁気観測に協力した。とある。このころ全世界の地磁気分布図はできていたが、同時にそれが定常的なものではないことも分かってきた。当初期待された「地磁気の真北からのズレを測定すれば自分の位置がわかる」というのは無理だとしても、その変化量が分かっていればそれを使って換算して位置がわかる可能性があると考えられていたようだ(間違っていたらごめんなさい)。つまり現在のGPSの役割を期待していた。だから海軍が地磁気調査をしたのではないだろうか。しかし、地磁気の観測装置は未発達で、「プロトン磁力計」という磁場を取り除いた時に起こる原子のスピンの方向の変化を測る装置ができたのが1954年と、20年待たなければならなかった。東中先生は、このころから位置決定の手段ではなく、地下資源探査の手段として地磁気の観測を試みておられたのではないだろうか。上海自然科学研究所の日本人研究者は1931年の開所時33名、それに個人的に参加した中国人研究者が7名だったという。
 山根, 1979には、「彙報総目次」が付録として添えられている。その中で東中秀雄が著者に入っているものは11件あって、地磁気、とくに探鉱技術としての磁気異常の観測に関するものが多い。他に揚子江の流水の計算式などもある。彙報は日本語・中国語論文を扱い、古生代のオルソセラスや、腕足類の論文がある。他に欧文誌「The Journal of the Shanghai Science Institute」があるが、こちらには化石関連の論文は少なそう。
 私の興味ある分野は化石なので、「彙報」「Journal」に掲載されたその分野の一覧表を作っておく。
A 上海自然科学研究所彙報総目次(山根, 1979)中の化石関連論文
尾崎金右衛門, 1931 中国北部上部古生代腕足類化石. vol. 1, no. 6.
清水三郎・小幡忠宏, 1936 亜細亜古生代頭足類之研究 I. vol. 5, no. 6.
小幡忠宏, 1939-1941 北支那奥陶紀石灰岩の研究(第一報から第五報). Vols. 9-10.

1 海自然科学研究所彙報 1929-1943

B  The Journal of the Shanghai Science Institute に掲載
Shimizu, S., and Obata, T., 1936, Three new genera of Ordovician nautiloids
belonging to the Wutinoceratidae (Nov.) from east Asia: v. 2, p. 27–35

2 Journal of Shanghai Science Institute

 残念ながら、脊椎動物に関するものはなく、古生代のものに限られる。それもオルドビス紀あたりだから、今後参考にする機会はなさそう。東中先生のお名前を目にしたことから、いろいろと調べ物をしたが十分でない。また調べ直してみるかも。新聞小説の方は、すでに軍艦がローソップ島から帰ってきたことで、日食観測の件は終わり、潜水艦による地球物理学的な、例えば重力の観測などの次のテーマに移っている。

3 上海自然科学研究所建物配置図 (同所十周年紀念誌,1942・折り込み)

 これを記した6月27日に、神戸大学からPDFで、「わが国海洋観測史を彩る名観測船(戦前・戦中編)(半澤正雄, 1987)が公開された。文中に「秋吉利雄大佐は後に武官として珍しい理学博士号を取得した...」と紹介されている。新聞小説が影響したのかどうかは知らない。

デジカメのソフトバッグ

2021年06月25日 | 今日このごろ

 いつもポケットに入れているデジカメは、クッション性のあるバッグに入れている。初代か二代目のカメラをうっかり落とし、使えなくなって買い換える必要が出てしまってからは、バッグに入れている。その後は落としたこともあったが、壊れたことはない。現在のカメラはSONYのCyber-shotで、先代のカメラの継承機種。これを選んだ主な理由は、接写に比較的強いことだが、もう一つあって、先代の電池を使えることだった。旅行中など、交換電池がいつも手元にあってなかなか便利である。もちろんメモリーカード(SD:8GB)も予備を持参しているが、こちらの方はいつもデータをパソコンに移動しているから、満杯になったことはない。これら二つの予備品は、バッグの内部に縫い付けたフェルトのポケットに入れてある。バッグの中にはもう一つポケットが増設してあって、そこには撮影用の5センチのスケールが二枚入っている。このスケールは当ブログをご覧の方なら一度は見ておられるはず。
 ところが、いつもポケットに入れているためか、ファスナーのスライダーの片方が外れてしまった。エレメント(ファスナーの噛み合う歯)はプラスチック製だからカーブの部分で磨り減ったらしい。修理を試みたが磨り減ったものは直しようがないので、新しいバッグを探してみた。ところが、すでにコンパクトデジカメは廃れてしまったらしく、電気量販店には本体も少数しか置いてなく。バッグに至ってはほとんどない。とくに、私としてはポケットに入れた時にバッグの短い辺の中央からカメラのストラップが出ているのが理想的なのにスライダーが一つのバッグしかない。百円均一も見たがここでもスライダーは一つ。

バッグのスライダーは一つ 2021.6.17 以下も同日

 そこで、百円均一で二個のバッグを購入、スライダーを一つ移植してみた。

スライダーを外す。

 スライダーは外れにくいが・内側の「胴体」部分を下に広げるようにすると外れる。この時・金属製のものを歪めるわけだから、数回ぐらいで折れてしまうから優しく、一度ですること。
 それを使う方のファスナーに入れ、広げた部分をペンチで優しく閉めれば完成。

二つのスライダーを内向きに

 無事はまったので、内部のポケットを縫い付けて出来上がり。これで前と同じことができるようになった。
 ただし問題があって、すでにデジカメの本体に二つの問題がある。一つは液晶画面にうっかり接着剤を付けてしまって、ファインダー画像がボケるところがあること。もう一つは充電のケーブルを挿しこむ所の蓋がうまく閉まらなくなっていること。このカメラの引退も近いかもしれないが、早く買っておかないとコンデジそのものがなくなるかもしれない。写真を撮るのはスマホでもいいのだが、パソコンへの取り込みに一段階余分な操作が加わるのと、画像データに位置情報が入ってしまうことが不満である。ブログを見て私の行動を調べられると都合の悪いことがあるわけではないが、不愉快。コンパクトデジカメは・機種数は減ったがまだ売っているから買ってもいいのだが、電池が流用できずに追加電池を購入すると非常に高いものにつくようだ。

私の使った切符 その159 各種交通の利用券(5)

2021年06月22日 | 鉄道
私の使った切符 その159 各種交通の利用券(5)

もいわ山ロープウェイ

478 もいわ山 シニア乗車券 2017.5.19

 もいわ山の展望台へは、札幌路面電車から無料のシャトルバスを介して、ロープウェイとその上に接続する小型のケーブルカーが経路になっている。最初にロープウェイとケーブルカーの乗車券購入をするときに係員から「65歳以上なら割引券が購入できる。」という説明をもらって、この券を購入した。
 乗車券は、縦.5センチ、幅5.8センチで、下端に4つの枠があって、右から順に使うようになっている。使用すると丸いパンチ穴が開けられる。写真では穴がバックの青い色に見えている。裏面には何も印刷されていない。中央右に赤の丸印が捺してある。上段に「販売日」中段に日付「29.5.19」下段に「S.D.C」とある。S.D.C.は、このロープウェイを経営している株式会社札幌振興公社の略号だろう。
 藻岩山に登ったのはこのときが2度目。最初に行ったのは2008.7.3だった。ミニケーブルは2011年末にできたから、この時まだなかった。そのときのロープウェイ乗車券が次のもの。

479 もいわ山ロープウェイ乗車券 2008.7.3

 乗車券は横17センチ、縦6センチ。右端に4つの枠があるが、うち2つにロープウェイの文字とイラストがあって、そこに切符用の鋏が入っている。左上のリスのシルエットはエゾリスで、「モーリス」というのが札幌のシンボルキャラらしい。

480 もいわ山ロープウェイ 2008.7.3

 上が2008年に撮影した写真。このロープウェイは、1958年に開業したというが、そのときの写真を見るとゴンドラの形が違っているから、すでに初代ではない。この日はあまり天候が良くなくて、遠くの山は見えなかった。比較のため2017年の写真も掲載しておこう。

481 もいわ山ロープウェイ 2017.5.19

 バックの市街地に多くのビルができている。ゴンドラはさらに2011年に更新されている。(つづく)

古い本 その62 Harlan 1834・1835

2021年06月19日 | 化石
古い本 その62 Harlan 1834・1835

 ここからは研究の資料として複写した化石関連の古い論文などを紹介する。基準は、ほぼ100年以上経ったもので、なんらかの参考にしたもの。当然外国のものが多いから、全て読んだとはとても言えない。コピーなので図版などの状態が悪いことをおわびする。主に大学院時代に教室の図書室に入り浸って探したもの。一部はコピーではない本と関連があってすでに紹介したものもある。内容を簡単に紹介して、バックグラウンドを記すつもりだが、どのように記すかは書いてみないと分からない。なるべく年代の古いものから進めたい。まず1900年までのものは、20件以上ある。大半が外国のもの。

 最初のコピーは、Harlanの鯨類化石に関するもの。出版年は1834年から数年間である。これらについては、すでに「古い本 その11」(2020年6月10日掲載)の、Kellogg, 1936に関連して記したが、そのブログ記事を作成するときにネットからダウンロードして読んだ。すでに公表されてから180年以上経った古い文献。今回の内容はそれと一部重複する。
 鯨類化石の中で最も古い属名は、Basilosaurus (Harlan, 1834) で、その名でわかるように鯨類としてではなく爬虫類という考えで記録された。アメリカで発表したのがここで取り上げる二つの論文。これに対してOwen が鯨類として公表した論文にも触れる。
 最初の論文は「Notice of Fossil Bones found in the Tertiary of the State of Louisiana」(ルイジアナ州の第三紀層から発見された化石骨についての知見)という7ページのもの。1832年10月19日に講演を行った記録として1834年発行のAmerican Philosophical Society のTransactionに掲載されている。

166 Harlan, 1834 タイトル

 この論文でHarlanは属名を提唱したが、模式種は命名しなかった。たしかに1834年の論文の最後に「Basilosaurusと名付ける」としているが、種名は書いてない。そして文中では多くの爬虫類(中生代の)、とくに海生の種類と比較していて、哺乳類だと考えていないようだ。このことは、-saurusという言葉からも推測できる。属名の提唱が出てくるのは最後の文章である。「If future discoveries of the extremities (paddles) and of the jaws and teeth of this reptile, should confirm the indications I have pointed out, we may suppose that the genus to which it belonged, will take the name, by acclamation, of “Basilosaurus.”」要するに、「この判定が確認できれば」としつつ、属名を付けておこう、というもの。属名だけの提唱で、種小名の提示はないから、リンネの二名法に従っているとは言い難い。標本は1個の脊椎骨で、図版がないのは時代的に仕方ないのかもしれないが。その意味では、Owenが1839にZeuglodonという属名を提唱したのも当然と思うのだが。
 Richard Harlan (1796-1843) は、アメリカの博物学者・古生物学者。「アメリカの動物誌」などの著書がある。

 二番目の論文は、同じHarlanが「Description of the Remains of the “Basilosaurus” a Large Fossil marine Animal, recently discovered in the Horizontal Limestone of Alabama」(アラバマ州のHorizontal 石灰岩から最近発見されたBasilosaurus、巨大な海生の動物の記載)(Transactions of the Geological Society of Pennsylvania)というもの。 1835年の出版。何しろアメリカが現在の合衆国の東半分くらいしかなかった時代だから、ずいぶん古い印象を受けるが、それでも同時代の日本の文献を読むのとは雲泥の差。明治維新で活躍した近藤 勇や土方才蔵が生まれた頃である。
 文中では、この動物の分類群についてはほとんど何も述べていない。学名の提唱については、またしても二名法ではなく、また「proposed to name the animal provisionally “Basilosaurus”」(予備的に命名した)としているから、現在の命名規約なら確実に無効名であろう。改善された点は、標本が図示されていることで、3枚の図(Plates 22-24)がある。なお、コピーの紹介では、画像が十分に見えないが、ご容赦を。図版は多分リトグラフで、元になったスケッチがあまりうまくないので、何を描いているのかわかりにくいものもある。

167 Harlan, 1835 pl. 22

 この論文では、図版の説明をキャプションとしておらず、本文中に順不同で書いている。Pl. 22の一番上は右上顎骨で、4本の歯と二つの歯槽がある。幾つかの歯は歯根が二つある。コピーが鮮明でないのでよく見えないが、実は歯と歯槽から下方に向かって平行な引き出し線が6本引いてある。その右下にあるのは抜け落ちた歯。左下の小さいものは、歯を歯冠側から見たところらしい。中央は脊椎骨であるが、別の動物かもしれない。下は上腕骨。

168 Harlan, 1835 pl. 23

 Plate 23 の下は下顎骨。上は肋骨や脛骨?となっている

169 Harlan, 1835 pl. 24

 Plate 24 の上は脊椎骨、ほかは歯の断片だろう。化石の出てきた地層について、表題に全大文字で「HOLIZONTAL LIMESTONE」となっているが、本文の351ページに「horizountal limestone」と小文字で表記しているから、固有名詞ではなく、ただ「水平な」ということらしい。
 これに関してまだいろいろあるので、次回続きを記す。