OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

タツナミガイ

2018年04月28日 | 今日このごろ
タツナミガイ

 4月12日に藍島を訪れた時、タツナミガイが打ち上げられていたが写真を撮れなかった件は、すでに(4月16日)このブログで書いた。くやしかったので、汐がそれに近くなった27日に再訪して、撮影を試みた。
 10時すぎに港に着くと、KさんとSさんに出会った。お二人は化石採集。私の目標はタツナミガイが一つでも撮影できればというのと、サメの歯の化石も取りたいなあ。
 少し波があったが、わたしは酔わないので無事に島に到着。船着場でお二人と別れて、北端の千畳敷のいつもの場所へ。11時半到着。

右の岩棚が千畳敷 2018.4.27

 今日は干潮が2時過ぎだから、まだ引いていないかと思っていたが意外によく引いている。写真の海岸を右の先の方に曲がったあたりがタツナミガイの見られる砂浜である。
 行ってみると、曲がる直前からタツナミガイが打ち上がっている。最初数えていたが、たくさんあるので、面倒になって途中でやめた。おそらく40個ぐらい。前回の借りを返すことができた。

打ち上がったタツナミガイの「干物」 2017.4.27

 大きさを測っていないが、写真から判断して、前後長8から15センチぐらい。古くなった幼児の靴みたいな形である。写真は前後が逆で、やや尖っている方が前。すべて貝殻が見えているが、生きている時から少しだけ出ているようだ。背側は写真のように黒く、腹側や側面は灰色。体からはずれた貝殻だけのも3個ほど見つけた。



タツナミガイ貝殻 上が背側、下が腹側 2018.4.27

 ではどのような向きに入っているかというと、丸くなっているところが後方である。

上が後方。貝殻の方向がわかる。2018.4.27

 ほぼ左右対称の体に、このような波の形の貝殻が一つ入っているのだから、どう入っているのか気になっていたのが解決した。もちろん鏡像形の貝殻というのはない。
 他にヒラタブンブクが一つ。腹面が壊れていたので、写真撮影だけ。

ヒラタブンブク 2018.4.27
 
 このウニは、時には多数打ち上がることが多いので、周りを見渡したが他にはない。少し移動して昼食。おにぎりを食べながらサメの歯を一個採集。

見えていた歯根 2018.4.27

上の写真の裏側 2018.4.27

 こういう化石の方が欠けているところが無いから良いのだが、見つけることは難しい。最近は今日も来ているお二人など、ずいぶん眼の良い方が多いので、老眼の私に見つかる化石も少なくなった。小さいけど一つ見つかったから今日の目標はクリア。とくにタツナミガイ撮影は大成功だった。お二人と合流して帰宅。

1998年のニュージーランド研究旅行 その24 エグモント山

2018年04月25日 | 昔の旅行
1998年のニュージーランド研究旅行 その24 エグモント山
Research Visit to New Zealand, 1998. Part 24 Mt. Egmont

 2月22日は、北島の有名な化石コレクターMさんにお願いして、化石産地をご案内戴いた。朝、ホテルまで迎えに来ていただいた。私はMさんのお宅がウェリントンの近郊にあるものと思っていたが、随分遠かったことを知った。きっと朝早くに出てきていただいたのだろう。アマチュアの方だからお仕事が別にあるが、この日は日曜日だからその点はよかった。

24-1 モアの模型 1998.2.22.
Model of a moa

 ウェリントンからずいぶん北に走って、道路際になにかの小さな展示館らしいものがあり、大きなモアの模型が庭においてある。他にも古い型の飛行機の展示があったりして面白そうだが、立ち寄ることなく北ないし北西に進む。

24-2 沿道の花 1998.2.22.
Pohutukawa along the road

 沿道に暗い緑の葉に美しい赤い花が咲いている。種類はたぶんポフツカワ(Pohutukawa)だろう。

24-3 タラナキ山が見えてくる 1998.2.22.
Distant view of Mt. Taranaki

 前方にきれいな富士山型の火山、タラナキ山(Mt. Taranaki)が見えてくる。私にはエグモント山(Mt. Egmont)の方がなじみ深いが、最近では現地語が使われているようだ。標高2,518m。1700年代には噴火を繰り返したが、1854年以後は休んでいる。今日の採集地はこの山麓に近い海岸線である。

24-4 タラナキ山 1998.2.22.
Mt. Taranaki

24 Key words Wellington Egmont Moa Pohutukawa Taranaki Fossil ウェリントン エグモント モア ポフツカワ タラナキ 化石

父の遺した写真 74 名古屋の市電・市バス2

2018年04月22日 | 鉄道
父の遺した写真 74 名古屋の市電・市バス2

 当時の自宅近くのバス道路の写真がある。

74-1 市立城北病院 1958.3.30

 現在の地下鉄黒川駅の場所にあった病院。2011年に名古屋市立西部医療センターとして志賀公園の西に合併・移転した。移転前のビル(地下鉄名城線の開通は1971年)は地上6階の大きなもので、この写真はその前の時代の木造2階建てで、なつかしい。お世話になったことはないが、従兄弟の入院でお見舞いに訪れたことがある。手前の道路(環状線)は私がずっとお世話になった市バスが通っていた道で、中央2車線だけ舗装されていた時代もある。写真もそのように見える。

74-2 愛知文化会館 日時不明 1958年より後

 前回、同じ場所の写真を掲載した(73-2)が、それより後の時点のもの。文化講堂(1958年開設)が見える。錦通りと久屋大通の交差点に大きなモニュメントがある。ボンネットバスは3台、他2台は箱形バス。中央にバス停があって、中学生頃にはここから自宅方向に向かうバスに乗った記憶がある。撮影場所はオリエンタル中村の屋上。

74-3 港区昭和町矢作製鉄 1958.12.13

 矢作製鉄は、1998年まであった鉄鋼メーカー。場所は名鉄常滑線大同駅の西に当り、現在は中部リサイクルという会社のあるところ。バスは箱形で後の字幕にある文字はたぶん「貸切」。

74-4 路面電車の線路 東区鍋屋町 1968.9.28

 路面電車の線路は、車が通ることも想定して道路面がそろえてある。レールの両側と間は写真のように花崗岩の切石で埋められていた。きれいに平らなわけではなく、多少凹凸があったから、進入した車が気づくという効果もあったのだろう。場所は東片端から少し南に行った鍋屋通りの西端。「鍋屋」(鋳物)も「洋菓子ボンボン」も現存する。右端に見える立て札は、「鋳物師上野太郎左衛門宅跡」というもの。尾張藩の鋳物を作っていた旧家で、もともとの家はもっと東にあって、その場所はそれに因んで鍋屋上野と名づけられた。
Key words Tram-car Nagoya Municipal-bus Johoku-Hospital Kurokawa Shiga-Park Aichi-Arts-Center Nishiki Hisaya TV-tower Oriental-Nakamura Sakae Nagoya-Subway Yahagi-Steel Meitetsu Tokoname Daido Higashikataha Nabeya-Dori Bonbon Nabeyaueno Iron-Casting 路面電車 名古屋市営 城北病院 黒川 志賀公園 愛知芸術センター 文化講堂 錦通り 久屋 テレビ塔 オリエンタル中村 栄 名古屋市地下鉄 矢作製鉄 名鉄 常滑 大同 東片端 鍋屋通り 鋳物 愛知
 写真の転載はご遠慮いただきたい。

古くて新しい(臨時投稿)

2018年04月21日 | 変なもの
古くて新しい(臨時投稿)

 小倉某所で見かけた看板に「新しい古布入ってます」と書いてあった。


古くて新しい 2018.4.20 小倉(下は拡大)

 「w」と傍記してあるから、分かっておられるのだろう。ではどう書くと正しい表現になるのだろう。「古布 新入荷!」とか。まあ「新古車」という言葉もあるから。

50周年(臨時投稿)

2018年04月20日 | 50年・60年
50周年

 行きつけの喫茶店F.F.が開店50周年を迎えるという。めでたい事だからささやかな花を贈った。

 この喫茶店は、グリークラブが遠征した初めての演奏旅行の準備でクラブの「渉外」のメンバーが大変お世話になったところ。チケットの販売や、広告・寄付のお願いに駆けずり回った渉外たちが、夕方集合場所にしていたという。当時は私は直接の縁がなかったが、グリー50周年祝賀会で店の店主さんが私を見かけた事から、そんな過去の出来事を知る事ができた。そんなわけで、花の送り主は「京都大学グリークラブOB」としておいた。グリー同窓生の皆さん、勝手に代表のような顔をしましたが悪しからず。