OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

最後の蒸気機関車たち その45 1972年5月

2013年03月30日 | 最後の蒸気機関車
最後の蒸気機関車たち その45 1972年5月
The last steam locomotives in Japan. No. 45 (May 1972)


この年は、北海道で最もたくさんの蒸気機関車写真を撮影した年である。そのために、北海道部分については別のアルバム「北海道蒸気機関車写真集」その1・その2を編集している。
5月に明知線に行った。この線は名古屋に近いがあまり行く機会はなかった。1984年に二度目の乗車をしたぐらい。


234N 明知線山岡・明知間 1972.5 C12-74 463列車
234-235: Akechi line, between Yamaoka and Akechi Stations, Gifu Pref.


235N 明知線山岡・明知間 1972.5 C12-74 463列車


236N 明知線 1972.5 C12-74
236-237: Akechi line, Gifu Pref.


237N 明知線 1972.5 C12-74


238N 明知線花白・岩村間 1972.5 C12-74 464列車
238-240: Akechi line, between Hanashiro and Akechi Stations, Gifu Pref.


239N 明知線花白・岩村間 1972.5 C12-74 464列車


240N 明知線花白・岩村間 1972.5 C12-74 464列車

C12-74は、1972年9月に廃車の後、恵那市の市役所に保管されている。
明るい里山の明知線だった。明知線は、明知鉄道として第三セクター化され、花白駅は現在花白温泉駅に改称されている。またいくつかの駅が新設されている。終点駅名は、明知から明智に改称されたが、その折、鉄道会社名は改称されなかったから、ややこしい。

登場蒸機 C11(写真234~240)

2020.6.13 写真を入れ替えた。番号の後に「N」が付いているのが改善した写真。

Trivial database of a retired curator, OK.

古い鉱物標本(その9)(その10)

2013年03月27日 | 鉱物・化石組標本
古い鉱物標本(その9)
An old set of mineral specimens: part 9

標本セットは、二段の箱に入っている。ここから、下段の標本に入る。


Fig. 26 標本36-40 scale: 5cm
Specimen 36-40: garnet, emery (garnet sand), serpentine, talc, asbestos.

36 柘榴石 常陸國真壁郡山ノ尾 (茨城県桜川市山ノ尾)
真壁の山の尾は柘榴石(ざくろいし)などの鉱物採集の有名な場所だった。最近は採集禁止のところが多いという。雲母中に自形の美しいものがあったという。標本も一応24面体の結晶面があって全体が丸いが、一部に大きな欠損がある。私が柘榴石を採集したのは数ヶ所だが、スカルンの中なので、片方が石に付いていて、丸くなったものはない。
37 金剛砂 大和國葛下郡穴蟲 (奈良県香芝市穴虫)
金剛砂は柘榴石の砂で、古くから研磨材に用いられた。おなじみの赤い色のサンドペーパーの材料である。奈良と大阪の境の二上山付近の産地が有名で、穴虫もその一つ。近くまで行ったことがあるが、採集には行かなかった。
38 蛇紋石 武蔵國秩父郡金崎 (埼玉県秩父市金ケ崎)
蛇紋岩は多くの場所で見られ、珍しいものではない。この標本よりも、もう少し緑が強くて、ぬるっとしたものの方がそれらしい。
39 滑石 阿波國名東郡八萬 (徳島県徳島市八万)
八万は、現在の徳島県立博物館のあるあたりから、眉山あたりの地名であるが、滑石との関連は調べても分からなかった。
40 石綿 肥後國下益城郡下郷 (熊本県宇城市下郷)
旧松橋町の石綿鉱山は1965年に閉山したという。石綿は過去においては重要な建築・工業材料であったから、多くの鉱山があったが、中皮腫の原因となることが分かってから使用が禁止された。現在、石綿鉱山は存在しない。
(つづく)

古い鉱物標本(その10)
An old set of mineral specimens: part 10


Fig. 27 標本41-45 scale: 5cm
Specimen 41-45: calcite, halite, gypsum, fluorite, phosphate ore.

41 方解石 武蔵國秩父郡大瀧 (埼玉県秩父市大瀧)
秩父鉄道は秩父の石灰岩・セメント工業の製品を運ぶために作られた。大滝付近も石灰岩が分布しているから、その間隙を埋めた方解石の結晶は多く見られるだろう。ここで疑問なのは、なぜ同じ石灰岩のある金生山の方解石を使わなかったのか?たぶん金生山のものは小規模なものが多くて多数の均一な、そして透明度のある方解石を得にくかったのではないかということ。
写真の方解石は透明度の高い犬牙状結晶で、産地は不明。


Fig. 28 産地不明の透明方解石 scale: 5cm
Iceland spar (clear calcite crystal)

42 岩塩 独逸
岩塩は潮解性があるので、管瓶に入っている。この一点だけが外国産で、日本では岩塩を産しないから、入れなくても良いようなものだ。電気石とか紅柱石とか緑簾石など、入手が容易で実際に目にしやすい鉱物がたくさんあるのに。
43 石膏 甲斐國南巨摩郡夜子澤 (山梨県身延町夜子沢)
夜子沢の石膏は、市の天然記念物に指定されている。安山岩質の凝灰角礫岩中に産する、となっているが、本来この岩石にあったものではなく、空隙中に後に晶出したものだろう。1cmの結晶が見える、と解説書にあるが組標本のものはもっと大きい。しかし不透明である。
44 蛍石 越後國東蒲原郡五十島 (新潟県阿賀町五十島)
五十島は「いがしま」と読む。磐越西線に五十島駅(1965年7月通過)がある。五十島鉱山は1963年頃閉山。蛍石が主産物だったらしい。ここの蛍石は、現在も鉱物標本として売りに出ている。採集できるのだろうか。割合高価だから昔の残りを売っているのかも知れない。ちょっと疑問に思うのは、なぜ洞戸鉱山の蛍石ではないのか?ということ。洞戸なら赤坂からすぐのところだし、蛍石が少ないということも無さそう。
45 燐鉱 志摩國鳥羽 (三重県鳥羽市)
今回調べてはじめて知った産地。鳥羽市の燐灰石を産した鉱山として、旧赤崎鉱山がリストにあるのでそこだろう。志摩赤崎駅(1975年7月通過)というのが近鉄志摩線にある。鳥羽水族館からも近いところ、安楽島に渡る橋のあたりである。2009年に鳥羽竜化石産地を訪れた時にこの橋を渡った。

(つづく)

前回に続いて記事が短いので二つを掲載した。サッカー観戦など、ほかのことをしていて、アップが遅れた。陳謝。

最後の蒸気機関車たち その44 1971年9月

2013年03月22日 | 最後の蒸気機関車
最後の蒸気機関車たち その44 1971年9月
The last steam locomotives in Japan. No. 44 (Sep. 1971)


東舞鶴から敦賀に向かう923貨物列車をさらに追いかけてゆく。


227N 小浜線青郷・三松間 1971.9.24 C58-228 923列車
Obama line, between Aonogo and Mitsumatsu Stations, Fukui Pref.

山の北縁をたどる小浜線と、少し離れて通る丹後街道が平行していて撮影しやすい。


228N 小浜線若狭和田・若狭本郷間 1971.9.24 C58-228 923列車
228-230: Obama line, between Wakasa-Wada and Wakasa-Hongo Stations, Fukui Pref.


229N 小浜線若狭和田・若狭本郷間 1971.9.24 C58-228 923列車


230N 小浜線若狭和田・若狭本郷間 1971.9.24 C58-228 923列車


231N 小浜線若狭本郷・加斗間 1971.9.24 C58-228 923列車
Obama line, between Wakasa-Hongo and Kato Stations, Fukui Pref.
このあたりで、日が暮れて撮影をあきらめ、京都に戻った。


232 自作のダイヤグラム
Diagram drawn by OK.

自作のダイヤグラムが残っている。中央右上に向かうのが923列車で、他の列車も牽引蒸機の種類が書き込んであるが、どこで調べたのだろう。
1971年の写真はこれでおしまい。蒸気機関車の運行が終わるまであと4年。1971年初めの蒸気機関車運転線の地図が、「鉄道ピクトリアル」同年5月号にあるのでそれを参考にして、1970年と71年に撮影した場所を地図に入れたものが次の図。


233 1971年1月に蒸気機関車が運行していた線(青色)と、主な撮影地(橙色)。
Distribution of steam locomotives at January, 1971, with red spots indicationg picture points in 1970 and 1971.

登場蒸機 C58(写真222~226)

2020.6.12 写真を入れ替えた。番号の後に「N」が付いているのが改善した写真。

Trivial database of a retired curator, OK.

古い鉱物標本(その7)(その8)

2013年03月18日 | 鉱物・化石組標本
古い鉱物標本(その7) 記事が短いので、(その8)を併記する。
An old set of mineral specimens: part 7


Fig. 21 標本26-30 scale: 5cm
Specimen 26-30: agate, green jasper, red jasper, feldspar, clay kaolinite.

26 瑪瑙 後志國瀬棚郡利別 (北海道瀬棚郡今別町利別)
この付近はかつてメノウ細工もあったぐらいで、産出も多い。利別の少し上流には花石という地名もあるし、メノウの博物館もある。国鉄瀬棚線(1974年8月乗車:1987年3月廃止)にも「花石駅」が存在した。現在もメノウを産するがちょっと行ったぐらいではむつかしいという。簡単に採集できるのは日本海の海岸で、青森の今別あたり(1967年)とか、北海道の江差に行った時(2004年)には短時間で小さいのが結構採集できた。北九州市内でも結構拾うことができる。写真のものは小さいけれども美しい。


Fig. 22 北九州市藍島産の小さなメノウ(研磨) scale: 1cm
Polished agate from Ainoshima Isl., Kitakyushu City.

27 碧玉 小笠原島 (東京都小笠原村)(前稿参照)
28 鉄石英 佐渡國加茂郡赤玉 (新潟県佐渡市赤玉)
かつて水石とか盆石というのが流行した時に、有名だったものの一つに「佐渡の赤玉」というのがある。赤いチャートで、磨くと美しいツヤの出る石。佐渡島東海岸の赤玉産地は、現在佐渡市赤玉という地名になっている。佐渡は行ったことが無いが、有名な化石のでた所で、一度訪れたい。
北九州の海岸では鉄石英はよく転がっている、しかし美しいものは少ない。案外磨いたら良い色が出るのかも知れない。
29 長石 美濃國恵那郡苗木 (岐阜県中津川市苗木)
苗木の晶洞には長石がよく見られる。この標本は長石(たぶん正長石)を割り出したもので、結晶面は見られない。
30 陶土 尾張國東春日井郡瀬戸 (愛知県瀬戸市)
陶器で知られる瀬戸は原料の陶土と珪石の産出地。名古屋にいた私には、「陶器」という呼び名よりも「瀬戸物」のほうが自然だった。瀬戸から名鉄瀬戸線で運ばれた「瀬戸物」は、中央本線大曽根駅で国鉄との連絡線を介して日本中に出て行った。大曽根駅で凸型電気機関車が連絡線を上り下り(当時名鉄線は地平にあって、中央線がずっと高かった。)しているのを見た記憶がある。ところでこの標本、私の持つ瀬戸の原料(蛙目:ガエロメや木節)と違う印象。ずいぶん白くて上質な感じがするのだがこれでいいのだろうか?番号が付いてないので標本が入れ替わっていることもあり得るが、表面がざらついている上に固結が弱いので接着した紙片が無くなっただけかも知れない。
(つづく)



古い鉱物標本(その8)
An old set of mineral specimens: part 8


Fig. 23 標本31-35 scale: 5cm
Specimen 31-35: muscovite, biotite, vermiculite, topaz, corundum

31 白雲母 三河國幡豆郡八面山 (愛知県西尾市八ツ面山)
愛知県西尾市は、名鉄西尾線(2006年乗車)の東にある八ツ面山(やつおもてやま)の雲母鉱山跡を市指定の史跡として保存している。明治頃まで採掘していたというが、昭和に入ると埋め立てられ、坑口も一つだけしか残っていないという。西尾市・幡豆郡の旧称「吉良荘」は雲母(きらら)の産出に由来するという。そうすると忠臣蔵の敵役吉良さんもこれに由来するのか?
32 黒雲母 磐城國石川郡石川 (福島県石川郡石川町)
磐城石川については、前にも書いたので省略。黒雲母はよくある鉱物だが、持って帰らないことが多い。
話が変わるが、宮沢賢治の「楢ノ木大学士の野宿」は、岩手県で恐竜化石の産出を予言したものとして有名。この中には、野宿している主人公がまわりの鉱物たちの会話を聞くところが出てくる。鉱物たちはそれぞれ風化という病に悩んでいるが、バイオタ(バイオタイト:黒雲母)さんは痛みがひどく、医者役のプラジョ(プラジオクレース:斜長石)に「蛭石病の初期」と診断され、長くて1万年の命と宣告される。黒雲母が風化すると、蛭石になる。
33 蛭石 甲斐國北都留郡初鹿野 (山梨県甲州市初鹿野)
黒雲母が風化してできるもので、火であぶると長く伸びるので「蛭」の動きに似ているとした名。この標本は管瓶に入っている。中学生頃、採集した化石を入れる容器に困っていた。現在のようにプラスチック製の透明蓋の丸い容器が容易に手に入るわけでは無く、似たものは紙製で非常に高価だった。そこで目をつけたのが、ガラスの管瓶。名鉄瀬戸線の大曽根駅と国鉄大曽根駅(当時)の中間にガラス瓶屋さんを見つけて、小遣いをためては買いに行った。長さ7cm、直径1.5cmぐらいのを買って、これに綿をつめて化石を入れ、コルク栓をして保存していた。標本箱にずっと残っていたが、現在は一つもないと思う。ガラス瓶屋さんの方は、瀬戸線の立体化や道路整備などですっかり変わってしまった。ネットで調べたら、記憶の場所に「大島硝子」という名が見られ、営業品目が学校教材・理科学機器などと書いてあるのでそこだろう。今年1月に前まで行って見たが、大きなビルになっていて、入口の方向も記憶と異なる。お話を伺いたかったが、日曜のため閉まっていて断念した。当時の入口は東を向いていて、中に入ると天井から吊り下げられた不思議な形の多口フラスコなどの記憶がある。
34 黄玉 美濃國恵那郡苗木 (岐阜県中津川市苗木)
黄玉は、トパーズのこと。苗木のトパーズは前にも記したように採集に行ったことがある。小川でパンニングして採集したが、情けないものしか採れなかった。水中では石英との区別は簡単で、屈折率の違いのために表面がよく見えることでわかりやすい。


Fig. 24 苗木産トパーズ scale: 2cm
Topaz fragments from Naegi, Gifu Pref.

明治頃には、滋賀県田上山のものは、外国にまで輸出するほど採れたのだそうだ。組標本のトパーズは柱状の結晶を水平方向の劈開に沿って割ったもので、おおよそ立方体に見え、透明度が悪く頂部は無い。特徴的な屋根型の頂部があればずっと良かったのに。
35 青玉 美濃國恵那郡高山 (岐阜県中津川市高山)
写真は、管瓶の下に白紙を敷いて見やすくしてある。これは鋼玉で、小片であるがきれいな濃青色なので、「サファイア」と呼んでおこう。当時は青玉ともいった。高山は苗木に隣接する地区名で、苗木にサファイアを産することは、有名な鉱物研究・収集者長島乙吉氏も書いている。なかには光芒(スター)を発する標本も見つかっているそうだ。この組標本には赤い鋼玉、つまりルビーは入っていない、日本にはきれいなものは産しないからだろう。次の写真はミネラルフェアで入手したもの。右側はカボッションに磨いてある。おそらくスターが出るかを見るために磨いたがあまり美しくないので宝石では無く標本として販売したのだろう。スターは見えるが弱い。


Fig. 25 インド産ルビー scale: 2cm
Ruby from India
(つづく)

最後の蒸気機関車たち その43 1971年9月

2013年03月14日 | 最後の蒸気機関車
最後の蒸気機関車たち その43 1971年9月
The last steam locomotives in Japan. No. 43 (Sep. 1971)


この年(1971年)は夏休みに南近畿に何度か行ったが、他の年と比べて旅行が少ない。このころ、年間の国鉄乗車距離は7500kmから10000kmだった。次の1972年からはずっと増して、1万4000kmぐらい乗るようになる。1976年まではそんなデータがあるが、その後めんどうになった。1977年末にのべ乗車距離が12万5000kmに達したという記録以後はつけていない。ずっと記録していたら月までの距離ぐらいになっただろう。……と書いてから、気になったので記録の無い年もざっと積算してみた。暫定結果は2012年末までに35万2000kmと少し。これは、国鉄・JRの乗車距離で、私鉄が1万5000kmある。径路の記録が無いところを最短距離で乗ったことにしているなど、過小評価なのと、通勤に乗ったのは入れていない。通勤で12万km程度として(これもやや過小)月までの距離38万kmは楽に超えている。
1971年9月に小浜線の蒸機が廃止されるというので、その前に撮りに向かった。前回と同じM君と一緒だが、今度はM君の自家用車で撮影となった。車を使って追いかけたのはこの時だけ。鉄道マニアとしてはやや邪道。


222N 舞鶴線真倉・梅迫間 1971.9.24 C58-212 938列車
Maizuru line, between Magura and Umezako Stations, Kyoto Pref.


223N 小浜線東舞鶴・松尾寺間 1971.9.24 C12-244 966列車
223-224: Obama line, between Higashi-Maizuru and Matsunoodera Stations, Kyoto Pref.


224N 小浜線東舞鶴・松尾寺間 1971.9.24 C12-244 966列車

この上の3枚の写真は「Photo by M氏」と記録があるが、フィルムは次と連続している。どうしてか判らないが、カメラを渡して撮り合ったのだろうか。
この後、東舞鶴から敦賀に向かう923貨物列車を追いかけてゆく。


225N 小浜線松尾寺・青郷間 1971.9.24 C58-228 923列車
225-226: between Matsunoodera and Aonogo Stations, Kyoto Pref.


226N 小浜線松尾寺・青郷間 1971.9.24 C58-228 923列車

トンネルは吉坂トンネルで、青郷にむかう吉坂峠を越える所。手前で道路が線路の上を渡るので都合の良いところ。
今回登場した機関車の廃車状況は次の通り。C58-212 :1972年10月、C12-244: 1973年11月、C58-228:不明。
登場蒸機 C58(写真222・225・226)C12(写真223・224)

2020.6.12 写真を入れ替えた。番号の後に「N」が付いているのが改善した写真。

Trivial database of a retired curator, OK.