北陸新幹線に乗ってきました その13 古いレール
古いレールが見たいので、再びインクラインに戻り、下りながらレールを見て行くと、最初に見始めたあたりの下の台車のすぐ上でやっと刻印を見つけた。
42 このあたりに古いレールが 2015.4.26 蹴上
43 レールの刻印の一部(画像コントラストを改変) 2015.4.26 蹴上
ちょっと読みづらいが、文献では次のように記されているという。
BARROW STEEL 6○ 1887 27.2 I.S.R 75LB
Barrow Steel というのが製作会社の名前でイギリスの会社、1887.2が製作年月である。疎水の開通は1890年、日本の最初の近代製鉄は1901年八幡だから、当時はレールはすべて外国製だった。製鉄が急がれたのも、レールに使うという目的があったからで、初めのころの鉄は多くの部分がレールに回されたようだ。しかし製品の質が悪くて最初の頃は使い物にならなかったという。なお、新橋・横浜間の鉄道に使われたレールでは1870年製のが現存するもので一番古いという。
刻印の75LBはレールの単位長さ当たりの重量であろう。75ポンドは約34キログラムだが、単位はたぶん1ヤードあたり。疎水記念館の解説では、37キログラム(1メートルあたり)のレールに相当するという。さきほどの新橋のレールは60ポンド(1ヤードあたり)だったというから、それよりも重いものが使われていた。現在日本では1メートルあたり30キロから60キロぐらいが使われるから、やや細い方である。上に乗る重量は台車とその上の舟・荷物程度、しかもスピードは遅くカーブも無いから、蒸気機関車などの場合より細くてよさそう。なお、ここのレールには「双頭レール」はみつからず、すべて平底レールだった。国鉄が平底レールにしたのは1880年。
このあたりのレールの犬釘も古い。名前のとおり頭が丸くなくて犬の形をしている。
44 犬釘 2015.4.26 蹴上
刻印と犬釘の話題はテレビで教えてもらった。ここでインクラインの見学を終って次のところに向かう。
(つづく)
古いレールが見たいので、再びインクラインに戻り、下りながらレールを見て行くと、最初に見始めたあたりの下の台車のすぐ上でやっと刻印を見つけた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/54/e1c07f8899313277bfb5b92145028c09.jpg)
42 このあたりに古いレールが 2015.4.26 蹴上
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/ab/27fb4cbe923fe07c6d35b58dbc3e5e44.jpg)
43 レールの刻印の一部(画像コントラストを改変) 2015.4.26 蹴上
ちょっと読みづらいが、文献では次のように記されているという。
BARROW STEEL 6○ 1887 27.2 I.S.R 75LB
Barrow Steel というのが製作会社の名前でイギリスの会社、1887.2が製作年月である。疎水の開通は1890年、日本の最初の近代製鉄は1901年八幡だから、当時はレールはすべて外国製だった。製鉄が急がれたのも、レールに使うという目的があったからで、初めのころの鉄は多くの部分がレールに回されたようだ。しかし製品の質が悪くて最初の頃は使い物にならなかったという。なお、新橋・横浜間の鉄道に使われたレールでは1870年製のが現存するもので一番古いという。
刻印の75LBはレールの単位長さ当たりの重量であろう。75ポンドは約34キログラムだが、単位はたぶん1ヤードあたり。疎水記念館の解説では、37キログラム(1メートルあたり)のレールに相当するという。さきほどの新橋のレールは60ポンド(1ヤードあたり)だったというから、それよりも重いものが使われていた。現在日本では1メートルあたり30キロから60キロぐらいが使われるから、やや細い方である。上に乗る重量は台車とその上の舟・荷物程度、しかもスピードは遅くカーブも無いから、蒸気機関車などの場合より細くてよさそう。なお、ここのレールには「双頭レール」はみつからず、すべて平底レールだった。国鉄が平底レールにしたのは1880年。
このあたりのレールの犬釘も古い。名前のとおり頭が丸くなくて犬の形をしている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/56/300960ca98b19c4a79bfbecf88ad4e9f.jpg)
44 犬釘 2015.4.26 蹴上
刻印と犬釘の話題はテレビで教えてもらった。ここでインクラインの見学を終って次のところに向かう。
(つづく)