OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

北陸新幹線に乗ってきました その13 古いレール

2015年05月31日 | 鉄道
北陸新幹線に乗ってきました その13 古いレール

 古いレールが見たいので、再びインクラインに戻り、下りながらレールを見て行くと、最初に見始めたあたりの下の台車のすぐ上でやっと刻印を見つけた。

42 このあたりに古いレールが 2015.4.26 蹴上

43 レールの刻印の一部(画像コントラストを改変) 2015.4.26 蹴上

 ちょっと読みづらいが、文献では次のように記されているという。
BARROW STEEL 6○ 1887 27.2 I.S.R 75LB
Barrow Steel というのが製作会社の名前でイギリスの会社、1887.2が製作年月である。疎水の開通は1890年、日本の最初の近代製鉄は1901年八幡だから、当時はレールはすべて外国製だった。製鉄が急がれたのも、レールに使うという目的があったからで、初めのころの鉄は多くの部分がレールに回されたようだ。しかし製品の質が悪くて最初の頃は使い物にならなかったという。なお、新橋・横浜間の鉄道に使われたレールでは1870年製のが現存するもので一番古いという。
 刻印の75LBはレールの単位長さ当たりの重量であろう。75ポンドは約34キログラムだが、単位はたぶん1ヤードあたり。疎水記念館の解説では、37キログラム(1メートルあたり)のレールに相当するという。さきほどの新橋のレールは60ポンド(1ヤードあたり)だったというから、それよりも重いものが使われていた。現在日本では1メートルあたり30キロから60キロぐらいが使われるから、やや細い方である。上に乗る重量は台車とその上の舟・荷物程度、しかもスピードは遅くカーブも無いから、蒸気機関車などの場合より細くてよさそう。なお、ここのレールには「双頭レール」はみつからず、すべて平底レールだった。国鉄が平底レールにしたのは1880年。
 このあたりのレールの犬釘も古い。名前のとおり頭が丸くなくて犬の形をしている。

44 犬釘 2015.4.26 蹴上

 刻印と犬釘の話題はテレビで教えてもらった。ここでインクラインの見学を終って次のところに向かう。
(つづく)


馬島の化石の剖出 その4

2015年05月30日 | 化石
馬島の化石の剖出 その3

 次は鯨類の骨と思われる化石。直径6センチほどの丸い砂岩転石に三角形の断面が見えている。非常にスカスカの多孔質で、脊椎の一部だろうと考えた。少し掘りだして、いい形が出てきたら台付きのままの標本にしようと思っていた。

1 丸い砂岩に断面が見えていた。

 ケガキ針を使って表面を追いかけたが、いま一つ何だか分からない。

2 少し出したところ

 しかたがないので、全部出すことにして砂岩をトリミングしていく。

3 まだよく分らない。

 最終的にでき上がったのが次の写真。

4 完成したもの。スケールは1センチ。

 上の写真の右の面が椎体の椎面。しかし椎体はほとんど保存されていない。残されていたのは椎体の側方をかすめた断面と、横突起だけ。前後も左右も分からないが、椎体の表面が凹凸に富んでいて骨端が無いようだから、若い小型の鯨の後方胸椎とみた。理由は、側突起の側端に細長い関節面のような面があるのでそこに肋骨が付いていたのではないかと推測したから。前方胸椎の場合は側突起がそれほど薄くならないし関節面は細長くないだろうから。
 残念ながらあまり形態がはっきりしないので、良い標本にはならなかった。これで17日の馬島の採集物はウニ以外でき上がったことになる。あまり成績は良くない。
(馬島化石の剖出・おわり)


北陸新幹線に乗ってきました その12 インクライン

2015年05月29日 | 鉄道
北陸新幹線に乗ってきました その12 インクライン

 4月26日(日)地下鉄蹴上駅から坂を下ってきて、いよいよ目的のインクラインに着いた。先日テレビで紹介された古いレールと犬釘を見に来たのだ。インクラインの名の通り、傾斜路に複線のレールが敷かれている。インクラインというのは、水運のための舟を高低差のある水面の間で台車に乗せて運ぶ施設である。ここで言うと、琵琶湖からわずかな勾配で流れて来た疎水が、インクライン最上部に小さな船だまりで滞留している。資料では琵琶湖水面の標高は84.371メートルとなっている。いつも気になるのだが、メートル単位の小数第3桁まで書く意味があるのだろうか。教養部学生時代の実習で水面の観測を連続数時間したことを思い出す。水面は波があるしそれを平均化しても数センチ幅の振動をしているのだ。船だまりは、地図で見ると80メートルと90メートルの等高線の間にある。岸より水面は少し低いが、ここまではわずかの勾配で流れて来ていることがわかる。たしかに舟を動かすのに急な水流では都合が悪い。

39 インクライン上の船だまり 2015.4.26 蹴上

 蹴上の坂の下にある船だまり(40メートルと50メートルの等高線の間にある。)まで約50メートルの高低差を持っている。その間では船を水から離して運ぶわけである。そこでは水は不要であるから急傾斜の水路や発電の水圧管を通る。
 現在、疎水は水運のためには用いられない。だから、インクラインは観光地として整備されている。一番高い所と下から4分の一ぐらいの所に、二つの台車が復元されて固定されている。レールも全部そろっている。ただ、異なるレールの種類が接するところでは精密に合せていないから少々段差がある。下から順にレールを見ながら登って、最上部まで到着したが、刻印に気づかなかった。最上部に二つ目の台車が固定してあって、その横には巻き上げ機のものらしいリールがある。最上部の船だまりのすぐ北に、水門があって水を二つに分けている。

40 インクライン上にある水門 2015.4.26 蹴上

41 下の船だまり 2015.4.26 蹴上

 疎水本流は下の船だまりに向かって急傾斜を駆け降り、または水圧管で電気を起す。疎水支流は京都市街地の傾斜に逆行して北に向う。
 水門の近くに記念碑があり、多くの解説板が立っている。
(つづく)


馬島の化石の剖出 その3

2015年05月28日 | 化石
馬島の化石の剖出 その3


1 17日の馬島で採集した化石(再々録)

 今回は右端のネコザメの歯。10センチほどの礫質の砂岩に1.4センチほどのネコザメの歯が見えている。

2 ネコザメ 採集した時のようす

 石の表面の角度は、歯の歯冠面ではなく、少し斜めなので、そのあたりを考慮しながらタガネで周りをトリミング。ちょっと小さくなりすぎたが、無事完成。歯の周りはケガキ針で剖出した。裏側も歯冠の方向が落ちつくように調整して完成。

2 ネコザメ 歯冠面(中央)と側面(右下)スケールは1センチ。

 ネコザメでは、このような細長い平行四辺形やひし形の角を丸くした歯冠の歯が、たくさん密集して並ぶ。歯の表面は滑らかだったり、浅いピット状の凹みがたくさんあったり、それが並んでしわ状になっていたりする。この歯で、貝類などを潰して食べる。
 ネコザメはHeterodontus属のものを言う。化石種を入れると14種ぐらいある。属の命名はDe Blainville で1816年。これまでに芦屋層群から、Heterodontus sp.が報告されている。エイの歯との違いは、歯冠が平面的でなく円筒形であることと、歯根(この標本では出してない)が櫛の歯状ではないこと。


北陸新幹線に乗ってきました その11 発電所

2015年05月27日 | 鉄道
北陸新幹線に乗ってきました その11 発電所

 26日(日)京都から山科にぬける国道の蹴上に来ている。トンネルの次は水力発電所を見に行く。琵琶湖から京都に水を送る「琵琶湖疎水」は総合的プロジェクトで、その目的は多様である。まず水資源を確保すること。次にその水路を利用して水運を確保すること。さらに蹴上付近の傾斜を利用して水力発電をすること。

36 蹴上の発電所 2015.4.26 蹴上

 この写真は、1912年に完成した二代目の発電所の建物。一代目は1891年にできたとあるが、どこにあったのだろうか。アメリカで世界最初の水力発電が成功したのは1888年、一代目はそのたった3年後に動きはじめたのだから、当時の最新の技術だった。現在もここでは別の建物で水力発電をしている。写真の建物のむこうにある別の建物が地図で「関西電力蹴上発電所」となっている。蹴上で発電できたからこそ、日本最初の電車が京都の堀川沿いに走り始めたのだから、鉄道の遺産とも言える。

37 別の場所にある圧力管? 2015.4.26

 別の場所に発電のための圧力導管らしき鉄管があったので撮影した。
 ところで、戦後京都大学はサイクロトロンなどの粒子加速器を使って研究したが、その施設として京都大学化学研究所蹴上分室という名称が出てくる。この施設は現在もあるのだろうか?そして場所は?ご存知の方はご教示下さるとうれしい。
 琵琶湖疎水の三つの主目的のうち、発電は現在も役立っていることがわかった。もう一つ、水資源の確保も、もちろん現役。

38 京都市水道局の展示 2015.4.26 蹴上

 インクラインの横に、水道の太い鉄管が展示してあったので撮影。
(つづく)