OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

古い本 その22 Rensberger 1969

2020年08月31日 | 化石

 次の本は、J. M. Rensberger 1969 の「A New Iniid Cetacean from the Miocene of California」(カリフォルニアの中新統からのアマゾンカワイルカ類新種)というもので、大学院生になって間もなく購入したもの。前に記したMitchell 1966と同じUniversity of California Publications in Geological Sciences シリーズのVol. 82として発行された。サイズはB5に近い縦26センチ、横17センチで、本文34ページ、図版が4。

20-1 Rensberger 1969 別刷表紙
 この論文は新属・新種のKampholophos serrulus を提唱したものである。この種類はここではIniidae (アマゾンカワイルカ科)の一員として記載されたが、1978年にBarnes によってKampolophinae亜科として独立され、その亜科はKentriodon 科(Kentriodontidae)に置かれた。従って現在の分類ではアマゾンカワイルカとの近い類縁関係は否定されている。
 カワイルカ類は、古い形態を残しているので、歯鯨類の進化を論ずるときには重要なものとして取り扱われる。アマゾンカワイルカ科の創設は1846年と非常に古いのもこういった面から注目されたからであろう。実際Platanistidae(カワイルカ科:ガンジスカワイルカ・インダスカワイルカなど)も1846年、Pontoporiidae(ラプラタカワイルカ科)は1870年といずれも早い時期に科として独立した扱いにされた。Lipotidae(ヨウスコウカワイルカ科)だけは1978年とやや新しい。現在は大河に分布が限定されているが、もともとは広く海洋に分布していたと思われ、ニュージーランドでは漸新世の種類も記録されている。

20-2 Waipatia maerewhenua Fordyce 漸新世 Otago Univ. 1998.2.18

 論文では新属新種Kampholophos serrulus を記載している。頭蓋について詳しく記されている。とくにperiotic については解剖学的名称を書き込んだスケッチが示されている。スケッチは伝統的スクライブ技法で描かれている。

20-3 Rensberger 1969 Fig. 2 Right periotic スケッチ

 図版はよく撮れた写真だが、惜しいことに網がやや粗い。Plate 1は頭骨背面と歯の拡大、Plate 2は頭骨側面・後面、それに下顎骨の側面、Plate 3は歯の一部と幾つかの脊椎骨、Plate 4は耳周骨などを示している。

20-4 Rensberger 1969 Plate 1 頭部背面と歯列

 John M. Rensberger博士は、シアトルのBurke Museumの研究者であったがすでに引退した。彼の研究は地質学・古生物学の多くの分野に及んだ。2002年にこの博物館を訪れたときに、収蔵庫で化石の観察を行っていた。そこに博士が通りかかって紹介された。博士がこの博物館にいらっしゃることは調べていなかったので大変驚いてご挨拶した記憶がある。1970年代にこの論文を引用させていただいたと話すと喜んでいただいたが、現在はこの分野から離れているとのことだった。残念ながらお写真は撮らなかった。

20-5 Seattle, Burke Museum 正面 2002.3.14

私の使った切符 その118 国内旅行の搭乗券 2008年から2009年

2020年08月28日 | 鉄道
私の使った切符 その118
国内旅行の搭乗券 2008年から2009年


279 JAL3538 仙台から福岡 2008.7.6

 東北大学で開催された古生物学会に出席した時の搭乗券。

280 JTA161 北九州から沖縄(那覇) 2009.1.30

281 JTA161 沖縄(那覇)から北九州 2009.2.1

 この二枚は、琉球大学・他で開催された古生物学会に参加した時のもの。

282 沖縄着陸前の海 JTA161から撮影 2009.1.30

 JTAは日本トランスオーシャン航空で、那覇に本社のあるJAL系列の航空会社。現在はスターフライヤーの便がある。

古い本 その21 Heissig 1969

2020年08月25日 | 化石

 次の本はK. Heissig の「Die Rhinocerotidae (Mammalia) aus der oberoligozänen Spaltenfüllung von Gaimersheim bei Ingolstadt in Bayern und ihre phylogenetische Stellung」(バイエルンのインゴルシュタット市近郊のガイメルスハイムの漸新世後期の裂罅充填からのサイ科(哺乳類)とその系統学的位置)というもの。縦31センチ幅22センチ。Bayerische Akademie der Wissenschaften (バイエルン科学アカデミー)の論文集の数学・自然科学編の別刷である。

19-1 Heissig 1969 表紙

 古本屋さんで購入したものだが、いつごろだったのか、またいくらだったのか記録も書き込みもない。それどころか、アンカット製本で、小口はカットしてないから私も読んでいないことがわかる。漸新世後期ということとサイの仲間ということで買ったのだろうが、漸新世の化石が裂罅充填堆積物から出てくるという事からして、日本では考えられないから、この本が役に立つ可能性は少ない。51年前の論文。
 「Gaimersheim bei Ingolstadt in Bayern」という町は、ミュンヘンの北方80kmほどのところにある。盆地の中の平原だが北部に山地がある。ジュラ紀の石灰岩が分布しているから、その中の洞窟堆積物なのだろう。本文が133ページ、図版が5枚の大作。5つの章からなる。A 一般論 B サイの歯列の形態的な特徴とその意味 C分類 D 評価 E まとめ。
 標本は白ジュラ(始祖鳥のゾルンホーフェン石板岩と同じ。フランス産ジュラ・ワインの白のことではない。)と呼ばれるドロマイト層の裂罅の中から発見されていて、非常に短い地質学的時間を表しているという。その年代は漸新世後期に当たるChattian(2780万年前から2300万年前)であるという。
 Cの分類的な記述では、Caenopusの仲間のRonzotherium filholi 他。新亜種Ronzotherium filholi elongatumを提唱している。また、Aceratherium gaimersheimensis n. sp.を扱っている。文中に多くの線画が入っている。

19-2  Heissig 1969 Abb. 18 Ronzotherium filholi elongatum 上顎前臼歯のスケッチ

19-3  Heissig 1969 Abb. 26 Ronzotherium filholi filholfi 下顎のスケッチ

 歯のスケッチは少々拡大しすぎたために線が少ないような印象。顎の方は今ひとつのできばえ。
 Ronzotherium は1854年に記載された属で。「Ronzon」はベルギーの地名。ヨーロッパで3種がイギリス・フランスなどから報告されている他、中国からも2種の記録がある。時代は始新世から漸新世。そのうち、R. filholi はドイツ・スイス・チェコから発見されている。
 図版はコロタイプ印刷の写真で、きれいなのだが、配列をもう少し整理して欲しかった。

19-4  Heissig 1969 Tafel 5. Aceratherium (Mesaceratherium) gaimersheimense
上は上顎臼歯P2-M3. 右端は下顎歯列(一部)など。

 上の写真は一枚の図版の上半分ぐらいを示したが、歯列が縦横になっている。
 Kurt Heissig (1941年生まれ)はドイツの古生物学者。ミュンヘンの Ludwig-Maximilians-Universität で第三紀奇蹄類の研究を行った。

私の使った切符 その117 国内旅行の搭乗券 2003年から2004年

2020年08月22日 | 鉄道
私の使った切符 その117
国内旅行の搭乗券 2003年から2004年

 ここからは、北九州・羽田間以外の搭乗券を時系列で記そう。

274 ANA230 福岡から名古屋(小牧) 2003.2.15

275 ANA233 名古屋(小牧)から福岡 2003.2.15

 実家の行事で名古屋に行った時の搭乗券。北九州空港が近いし、福岡空港だと「戻る」ことになるので、JALを使うことが多い。この時は名古屋のビジネスパックが安かったので使った。

276 JAL1155 羽田から帯広 2004.6.30

 なぜか、いつもの厚紙ではなく、コピー用紙のような紙。しかし私がコピーを取る機会もなさそうなので、航空会社からこれを渡されたのだろう。羽田まではいつものJAL1219で行って、乗り継いだもの。帯広空港は市の中心までが遠かった。

277 JAL3514 札幌(千歳)から福岡 2004.7.6

 北海道で化石に関する調査を行い、帰途は千歳から福岡の「幹線」で帰った。

278 北見駅前で見た不思議な雲 2004.7.2

古い本 その20 Nagao 1936 別刷

2020年08月19日 | 化石
古い本 20 Nagao 1936 別刷

 手落ちがあって、年代の古いものが一つ抜け落ちてしまったのでここに挿入する。論文はT, Nagao 1936 で、表題はNipponosaurus sachalinensis, a new Genus and Species of Trachodont Dinosaur from Japanese Saghalien (Nipponosaurus sachalinensis, 日本領樺太からの新属・新種トラコドン類恐竜)というもの。これもオランダの古書店から購入したものである。本のサイズはB5。下の表紙写真は紙がかなり劣化して黒くなっているのでずいぶん画像処理を行った。

18-1 Nagao 1936 表紙

 表紙には上辺の左右に鉛筆の書き込みがあるが、一部は消しゴムをかけられていて読めない。左上の書き込みは、ほとんど消されている。一部分凹みとして残っている文字もあるが、筆記体の「y」だろうというのが見えるだけ。右上の書き込みはもう少し読むことができる。

18-2 Nagao 1936 表紙右上の書き込み

 上段の中央の単語はたぶん「Prof.」、下段は「April 48」だろう。この読み取りが正しければ、発行が36年だから12年後である。ところが、長尾博士は1943年に亡くなっているから、別刷贈呈の添え書きではなく、入手者のメモなのだろうか。だとすると、上段最初の単語が、「Geo-」で始まるのだから、どこかの(英語圏かな)地質関係の大学の教授が入手したというのだろうか。
 他に表紙右下に×印が書いてある。下辺中央の筆記体「Y」の押印は、私の押したもの。内部にもほとんど書き込みはない。一ヶ所だけ綴りの間違いを訂正したペン字の書き込みがある。このように、前の持ち主に関する情報は得られそうにない。
 論文が印刷・発行されたのは1936年7月、北海道帝国大学理学部紀要(Ser. 4: geology and Mineralogy)の3巻2号であった。国際出版印刷社の印刷である。長尾博士は同大学理学部地質学鉱物学教室の初代教授の一人だった。同教室の創立は1930年(昭和5年)。この別刷には表紙が付けられているが、表紙裏にこの3巻2号全体の目次が印刷されている。4編の論文が掲載されている。渡辺武男の自然テルル結晶に関するもの、大石三郎と高橋栄太郎の山口県の三畳紀植物に関するもの、大石三郎と山下一夫のヤブレガサウラボウシ化石に関するもの、それにここで紹介する長尾 巧の樺太の恐竜である。恐竜の部分は185ページから220ページまでの36ページと12図版で、全体(85ページ14図版)の半分近くを占めていたようだ
 本文は2ページほどのイントロから始まり、すぐに標本の記載に入る。標本の保管場所は北海道帝国大学としてあって、現在も北海道大学の博物館にある。頭蓋・歯・脊椎骨・・・と進み、最後の9ページほどに分類と比較が述べられている。主としてTetragonosaurus praepes Parks と T. erectofrons Parks の二種類と比較されているようだ。これら二種類の恐竜は、分類上の問題がいろいろあったようだが結局現在はランベオサウルスの幼体として扱われているようだ。
 図版は12あって、まず復元した全身骨格が示されている。これまでに何度も引用されている図だから、たぶんどなたもご覧になったものだろう。

18-3 Nagao 1936 Plate XI (I)

 図版の番号は第3巻の最初から通しになっていて、長尾論文は11から始まるが、この論文だけの通し番号がカッコ内に付記されている。面倒なので、ここからはカッコ内の(この論文だけの)番号で記す。上の第一図版はたくさんの論文や一般向けの本に掲載された。このころから長い間、日本の恐竜といえばこれしかなかったから仕方がない。しかも樺太が日本領ではなくなったから寂しいが。もう一つ、1990年代頃から恐竜の姿勢に関して新しい意見が主流となったから、この復元図はいかにも古いものに感じる。すでに新しい概念の復元骨格も展示されているからそちらを見て欲しい。
 第2図版はこの化石の産出図である。

18-4 Nagao 1936 Plate 2

 この後、各構成骨の写真図版が続く。次の写真はそのうちの一枚。

18-5 Nagao 1936 Plate 12

 そんなわけで、この論文は日本の恐竜研究史上も有名なものなのだが、これと姉妹編ともいうべきもう一つの論文があることはあまり知られていない。それは同じ長尾博士の1938年の論文で、「On the Limb-bones of Nipponosaurus sachalinensis Nagao, a Japanese Hadrosaurian Dinosaurus」(日本のハドロサウルス類Nipponosaurus sachalinensisの四肢骨について)というもの。掲載されたのはAnnotationes zoologicae japonenses (日本動物学彙報:1983年まで発行されていた。)という学術誌。あまり入手しやすい雑誌ではない。私はコピーを持っている。本文7ページ、1図版のやや短い論文で四肢骨の構成・配列について述べている。上の写真で一番長い骨(第3中足骨)の元の長さが19センチという。

18-6 Nagao1938 Plate17

 上の図は周りの4枚がニッポノサウルスのもので、上の両側が右左の前腕から指、下の両側が右左の中足骨から指骨、中央は比較のためのKritosaurus incurvumanus Parks の左前足の手掌部である。サイズは、周りの4枚が4分の一に縮小、クリトサウルスは10分の一に縮小となっている。10分の一のクリトサウルスの方が4分の一のニッポノサウルスの図よりも大きいのだから、こちらがずいぶん大きいことがわかる。 原本では左上のFig. 1の写真外枠の高さが11センチであるので、興味ある方は計測・計算していただきたい。
 長尾 巧(1891−1943)は、福岡県田川郡伊田町(現・田川市伊田町)生まれ。東北帝国大学を卒業し、1930年に北海道帝国大学理学部地質学鉱物学教室の初代教授となる。この時、理学部が創立され、数学科・物理学科・化学科・地質鉱物学科・植物学科・動物学科が置かれた。初代教授たちの中で有名なのは、物理学科の中谷宇吉郎教授。
 長尾教授は1933年から樺太のデスモスチルス標本発掘。1941年東北帝国大学地質学古生物学教室教授。1975年発行の「長尾巧博士著 九州古第三紀層の層序 集成復刻版」に著作目録があり、ちょうど100タイトルが掲載されている。