私の使った切符 その14 1968年3月~5月
教室の野外実習で、北近畿へ向かった。私は実家の名古屋から京都経由、山陰線などで行ったらしい。まず急行券。
14-1 京都からの乗継急行券
★ 1968.11.10 京都から100kmまでの乗継急行券
名古屋で新幹線の特急券と同時に京都からの急行券を購入すると、急行料金が半額になる。そのための切符である。下から2行目にただし書きがあって「最右端のキロ程まで」と印刷してある。そして最右端に「100Kmまで50円」と書いてある。そして右端は少し斜めにハサミでカットしてある。サイズはA型券より左右の幅がすこし小さい(縦3センチ、上端5.3センチ、下端5.4センチ)。つまり、この切符はもっと右に、例えば「200kmまで100円」とか書いた部分があって、そこを切り落としてあることがわかる。「京都駅から乗車」の「京都」だけがゴム印を捺してある。名古屋駅発行。
この形式はときおり見られたもので、何段階かある値段設定を外ほど高い値段を書いておいて、該当するところで切るもの。だからこの切符一種類で何通りもの急行乗継券に仕立てて販売できる。この場合だと「新大阪から100km」 とか、「岡山から200km」とか。
この時、使った乗車券が次のもの。
14-2 名古屋からの乗車券
★1968.11.10 名古屋から若狭高浜(小浜線)ゆきの手書き乗車券
縦7.3センチ幅9.6センチのもので、硬券では無い。経由欄に「東海 京都 綾部」の記入がある。学割印・乗継印、それに京都の途中下車印が捺してある。この野外実習の目的地は、松尾寺、灘波江、梅迫といったあまり知られていないところで、11日は青郷か三松(いずれも小浜線)で降りて、灘波江の道路工事の現場を訪れ、三畳紀の貝類の化石を見学・採集した。その後どこかで宿泊したらしい。切符が若狭高浜ゆきなのは、もちろん手元に残すため。
14-3 灘波江の見学地。1968.11.11撮影
14-4 京都に帰る乗車券
★1968.11.10 松尾寺(小浜線)から山科(東海道本線)ゆきの手書き乗車券
縦7.3センチ幅10.1センチで、硬券では無い。経由は「梅迫 二条」。学割印と二条駅の途中下車印がある。灘波江から松尾寺駅までの径路はわからない。駅から山を登った松尾寺で地質見学をした。その後舞鶴あたりや、梅迫(舞鶴線)付近など数か所を見学し、京都に帰った。
14-5 梅迫付近で地質見学。1968.11.12
山科まで買ってあるのに、二条駅で下車して帰ったようだ。それなら京都までのきっぷで手元に残ったのに。
教室の野外実習で、北近畿へ向かった。私は実家の名古屋から京都経由、山陰線などで行ったらしい。まず急行券。
14-1 京都からの乗継急行券
★ 1968.11.10 京都から100kmまでの乗継急行券
名古屋で新幹線の特急券と同時に京都からの急行券を購入すると、急行料金が半額になる。そのための切符である。下から2行目にただし書きがあって「最右端のキロ程まで」と印刷してある。そして最右端に「100Kmまで50円」と書いてある。そして右端は少し斜めにハサミでカットしてある。サイズはA型券より左右の幅がすこし小さい(縦3センチ、上端5.3センチ、下端5.4センチ)。つまり、この切符はもっと右に、例えば「200kmまで100円」とか書いた部分があって、そこを切り落としてあることがわかる。「京都駅から乗車」の「京都」だけがゴム印を捺してある。名古屋駅発行。
この形式はときおり見られたもので、何段階かある値段設定を外ほど高い値段を書いておいて、該当するところで切るもの。だからこの切符一種類で何通りもの急行乗継券に仕立てて販売できる。この場合だと「新大阪から100km」 とか、「岡山から200km」とか。
この時、使った乗車券が次のもの。
14-2 名古屋からの乗車券
★1968.11.10 名古屋から若狭高浜(小浜線)ゆきの手書き乗車券
縦7.3センチ幅9.6センチのもので、硬券では無い。経由欄に「東海 京都 綾部」の記入がある。学割印・乗継印、それに京都の途中下車印が捺してある。この野外実習の目的地は、松尾寺、灘波江、梅迫といったあまり知られていないところで、11日は青郷か三松(いずれも小浜線)で降りて、灘波江の道路工事の現場を訪れ、三畳紀の貝類の化石を見学・採集した。その後どこかで宿泊したらしい。切符が若狭高浜ゆきなのは、もちろん手元に残すため。
14-3 灘波江の見学地。1968.11.11撮影
14-4 京都に帰る乗車券
★1968.11.10 松尾寺(小浜線)から山科(東海道本線)ゆきの手書き乗車券
縦7.3センチ幅10.1センチで、硬券では無い。経由は「梅迫 二条」。学割印と二条駅の途中下車印がある。灘波江から松尾寺駅までの径路はわからない。駅から山を登った松尾寺で地質見学をした。その後舞鶴あたりや、梅迫(舞鶴線)付近など数か所を見学し、京都に帰った。
14-5 梅迫付近で地質見学。1968.11.12
山科まで買ってあるのに、二条駅で下車して帰ったようだ。それなら京都までのきっぷで手元に残ったのに。