OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

私の使った切符 その14 1968年11月

2015年09月28日 | 鉄道
私の使った切符 その14 1968年3月~5月

 教室の野外実習で、北近畿へ向かった。私は実家の名古屋から京都経由、山陰線などで行ったらしい。まず急行券。

14-1 京都からの乗継急行券

★ 1968.11.10 京都から100kmまでの乗継急行券
 名古屋で新幹線の特急券と同時に京都からの急行券を購入すると、急行料金が半額になる。そのための切符である。下から2行目にただし書きがあって「最右端のキロ程まで」と印刷してある。そして最右端に「100Kmまで50円」と書いてある。そして右端は少し斜めにハサミでカットしてある。サイズはA型券より左右の幅がすこし小さい(縦3センチ、上端5.3センチ、下端5.4センチ)。つまり、この切符はもっと右に、例えば「200kmまで100円」とか書いた部分があって、そこを切り落としてあることがわかる。「京都駅から乗車」の「京都」だけがゴム印を捺してある。名古屋駅発行。
 この形式はときおり見られたもので、何段階かある値段設定を外ほど高い値段を書いておいて、該当するところで切るもの。だからこの切符一種類で何通りもの急行乗継券に仕立てて販売できる。この場合だと「新大阪から100km」 とか、「岡山から200km」とか。
 この時、使った乗車券が次のもの。

14-2 名古屋からの乗車券

★1968.11.10 名古屋から若狭高浜(小浜線)ゆきの手書き乗車券
 縦7.3センチ幅9.6センチのもので、硬券では無い。経由欄に「東海 京都 綾部」の記入がある。学割印・乗継印、それに京都の途中下車印が捺してある。この野外実習の目的地は、松尾寺、灘波江、梅迫といったあまり知られていないところで、11日は青郷か三松(いずれも小浜線)で降りて、灘波江の道路工事の現場を訪れ、三畳紀の貝類の化石を見学・採集した。その後どこかで宿泊したらしい。切符が若狭高浜ゆきなのは、もちろん手元に残すため。

14-3 灘波江の見学地。1968.11.11撮影

14-4 京都に帰る乗車券

★1968.11.10 松尾寺(小浜線)から山科(東海道本線)ゆきの手書き乗車券
 縦7.3センチ幅10.1センチで、硬券では無い。経由は「梅迫 二条」。学割印と二条駅の途中下車印がある。灘波江から松尾寺駅までの径路はわからない。駅から山を登った松尾寺で地質見学をした。その後舞鶴あたりや、梅迫(舞鶴線)付近など数か所を見学し、京都に帰った。

14-5 梅迫付近で地質見学。1968.11.12

 山科まで買ってあるのに、二条駅で下車して帰ったようだ。それなら京都までのきっぷで手元に残ったのに。


1991年モンタナ州の訪問 その6

2015年09月25日 | 昔の旅行
1991年モンタナ州の訪問 その6
Visit to Montana for digging, 1991. Part 6

 1991年7月3日に初めて発掘サイトを訪れ、発掘状況をチェックした。まだ予備発掘の後にはめぼしい発見が無かったので、周りを歩いてサイトの写真を撮影した。柱状図を作製し、周りの地形を略図にして記録した。サイトは西から東に流れる小川の南斜面である。

20 発掘サイト遠望 1991.7.3 View of the digging site

 写真の左に赤い車が止めてあるが、そこから歩いて右下のブルーシートのサイトに着く。その上方に見えるのは牧場のため池である。


21・22 崖のようす 1991.7.3 Outcrops of the Cretaceous sediment

 ため池以外のところは乾燥している。斜面は崩れやすいので植物がない。露出しているのは白亜紀層で、泥岩や砂岩が見られる。地層はほとんど水平である。

23 夕刻の崖 1991.7.3 Cliff in the afternoon

 午後遅くなると、陽光の角度が低くなって、崖の凹凸が目立つようになる。23の写真は22の写真とほぼ同アングルであるので比較いただきたい。それにしても陽が傾くのが遅い。夏時間のためと緯度が高いから10時頃まで外にいることができるが、そうするとちょっとオーバーワークになってしまうし、夕食の時間がとれないから8時頃までには発掘をやめる。
(つづく)


私の使った切符 その13 1968年10月

2015年09月22日 | 鉄道
私の使った切符 その13 1968年10月

 今回は1968年10月1日に信州旅行から帰って、その周遊券で京都に向かった時のもの。周遊券の発行日は9月17日で、一か月有効だから、まだ余裕がある。まず名古屋で近距離切符を購入。

13-1 名古屋から京都への切符

★1968.10.1 名古屋から30円区間の乗車券
★1968.10.1 大津から京都ゆきの乗車券(2枚)
 大津で降りたのは、周遊券を手元に残すためだろう。周遊券に下車印は捺してない。この切符が2枚あるのは理由がある。大津の出札口で京都ゆきを購入したら、番号が9996。これはチャンスと、数人待ってから余分の切符を購入した。一枚を乗車のために使い、残った2枚の裏面が次の写真。

13-2 ゴム印で書き込んだ「1」の数字に注意。

 出札口に用意される切符は、番号順にそろえられている。一定期間ごとに発売枚数を記録する(棚卸し)ために、番号順でないとまずいのだ。そろえられた切符は、例のU字型の枠の中に裏面を上にして重ねてセットされ、上から順に引き出して発売する。次に売られる切符の番号を記録すれば、発売数が分かる仕組み。0001から始まって、一万枚目の番号は0000なのだが、これが気持悪いらしく、前に「1」の数字をゴム印で捺してある。そういう習慣があることは聞いていたが、この時出くわした。後にも先にも唯一度。
 なお、発売枚数のカウントの際に、数字をチェックした切符に赤鉛筆で線を入れる。だから発売数の少ない切符の裏面にときおり赤い線が見える。

13-3 棚卸しの赤鉛筆。1972年9月 北海道。

★1972.9.8 仁宇布駅✝入場券裏面
★1972.9.9 万字炭山駅✝入場券裏面
 写真の左の切符は仁宇布(にうぷ)駅の入場券である。日本一の赤字線として有名な美幸線✝の終点駅だから、切符の販売数もびっくりするほど少なかったに違いない。乗客が少ないのだから赤線のチェックが入る可能性も高かった。
 右の切符は万字炭山駅入場券。こちらも赤字で廃止された万字線✝の終点である。両方とも表面は後で紹介する。


1991年モンタナ州の訪問 その5

2015年09月19日 | 昔の旅行
1991年モンタナ州の訪問 その5
Visit to Montana for digging, 1991. Part 5

 1991年7月3日、まずは現場を見にいく。

16 発掘に出かける Start for digging

 上の写真は家の「玄関」から出かけるところ。入口は一枚のドアでそっけない。セキュリティーはゆるく、ドアに鍵さえない! この写真をよく見ると猫が少なくとも2匹いる。他にも数匹いるはずで、よそ者がいても動じない。犬も二匹いるが、初対面の私に吠えるわけでもない。私は晴れ男だから天候は快晴で、帽子は必需品。当時は日焼け止めが一般的ではなかった。
 車で900メートルほど南に行って、そこからわだちの道に入り、丘の上で停車する。小谷にそう道をたどって、発掘サイトへ。サイトは崖をブルドーザーで切り込んだ平面である。少し東に、別の発掘隊が数年前に掘った旧サイトが見える。

17 発掘サイト The digging site

 ブルーシートで日影がつくってあるが、朝から暑い。崖の下に川があるが水は続いておらず「涸れ川」状態である。水があっても茶色によどんでいる。丘の上の浸食されていない所は牧草が生えている。また川の氾濫原も別の種類の草が生えている。ただし、「草むらには入るな。ガラガラヘビがいる。」と言われているから、おそるおそる通る。
 サイトの中腹だった高さに化石層があっていくつかのハドロサウルス類の骨格がすでに発掘されている。骨格は関節でつながっているわけではないので、残りがあるかどうかはわからないが、今回の目的は、できる限り掘り出そうというもの。結果的には大腿骨などが、不足し脊椎骨も数個しかなかったから、完全骨格にはほど遠かった。私が行った時には、崖の上半分がブルドーザーで取り除かれ、化石層の50センチほど上が地表になっていた。そこを30センチほど刻みで切り取って化石を探し、平面図上にプロットしていく計画である。

18 発掘の初期。
 
 上の写真で下の方に水平に、また右上から左下に黄色の線が見えるのが、基準になる座標軸。骨が見つかったら、それぞれの基準線からの距離を測って記録する。垂直方向の「深さ」や、化石産状も撮影しておく。

19 写真を撮り、座標を記録する。1991.7.7

 白亜紀層とはいえ、日本列島とは違って続成作用をあまり受けていないから、ハンマーなどは使わない。大きく掘る時にはシャベル(日本のと違って持つところは一本の棒で、横木はない。)を、中くらいではサバイバルナイフを、小さい所はキリのようなものを使う。接着剤も用意してある。本来は石膏のジャケットを作るが、作業能率を考えて、アルミ箔で梱包するようにした。輸送が航空便になるから、できるだけ軽くしたいのだ。


私の使った切符 その12 1968年8月・9月

2015年09月16日 | 鉄道
私の使った切符 その12 1968年8月・9月

この夏休みは忙しくて、巡検から8月11日に名古屋に帰り、そのあと4回ほど日帰りで撮影や採集に出かけた。最後にグリークラブの合宿に参加した。場所は長野県飯山市だがそのどこか記憶がない。「黒岩合宿」と呼んでいて、黒岩スキー場(後の信濃平スキー場)の民宿だったのだろう。一週間泊まって練習したが、庭にりんごがたくさん生っていた記憶がある。

12-1 夏の信州へ

★ 1968.8.31 名古屋から400kmまでの急行券
★ 1968.8.31 名古屋から400kmまでの乗継急行券
 二枚のうち後のものは京都から新幹線で来た他の部員のものをいただいたのだろう。乗継急行券というのは新幹線から乗り継いだ急行・特急料金が半額になる(条件がある)というもので、現在も存続しているルール。でも、この乗継急行券の発行駅が名古屋というのはなぜだろう?普通は新幹線特急券と同時に買った時乗継になるのだから、急行券は名古屋駅発行にはならない。たぶん新幹線特急券を買うときに「乗継請求」という印をもらっておいたのだろう。
★ 1968.8.31 名古屋から飯山・信濃平間ゆき乗車券
 飯山・信濃平またはその間の北飯山まで(飯山線)の切符である。黒岩合宿と言っていたから合宿地の駅は飯山では無さそうで、たぶん信濃平だろう。どうして手元に残ったのか不明。捺してあるのは学割印で、線の下に「41」とあると思われる。「41」の意味は不明だが、私の切符帳にある学割印は1966年(昭和41年)以降すべて「41」、それ以前の2枚には丸に「学」のみの印が捺されているので「昭和41年」の意味であろう。
★1968.9.25 名古屋から100kmまでの急行券
 二度目の信州旅行の帰り、名古屋から乗った急行。100kmとは中途半端。どこまで乗ったのだろうか。
 この年は、合宿から帰ってすぐにまた信州に出かけた。目的地は松本北方の第三紀化石採集・紅葉の上高地観光である。乗車券については京都から普通周遊券を作っている。


12-2・12-3 1968年信州旅行の周遊券

 周遊券であるからには、二か所の周遊指定地のバスなどの切符が伴っていたはず。一か所は上高地で、松本電鉄やそのバスの往復券があって、これはそのとおり使ってしまったのだろう。もう一か所はおそらく浅間温泉往復で、これも化石産地に行く時に使ったのかもしれない。

12-4 穴沢の第三紀化石産地。1968.9

★1968.9.17発行 京都から長野の周遊券(表紙と帰途の乗車券のみ)
 長野から京都の乗車券(復路)だけが残っていて、下車印は篠ノ井・上松・名古屋である。すくなくとももう一枚あって、往路の京都から長野の乗車券であろう。残っている券の右下に切り込みがいれてあるのもよくわからない。切った場所から考えて、この切符が学割であることを示すようでもあるが、学割印が捺してあるから重複する。

12-5 穴沢の魚類化石 1968.9採集
 
 化石採集場所は、松本から一時間ほどバスに乗った穴沢という場所、第三紀にフォッサマグナに沿って入り込んだ海でできた地層である。目的は魚類化石で、あちこちに鱗の化石が入っているが、魚の姿の分かるものはあまり多くない。数個を採集できただけ。近くに鯨の脊椎が現地保存されているところがあるが、当時は鯨を研究する気がなかったので、ちらっと見ただけだった。よく見たとしても、当時の知識は乏しかったし、脊椎列から得られる情報はちょっと見ただけではほとんどなかっただろう。写真の化石は上下が同じもののカウンターである。種類は知らない。
 旅行は、化石も少しだが採れたし、紅葉の上高地が美しくて最高だった。山登りは苦手だから、岳沢を少し登って、記念写真を撮って帰った。

12-6 岳沢で記念写真。1968.9