OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

北陸新幹線に乗ってきました 5

2024年06月14日 | 化石

富山地方鉄道
 この日は富山駅前で宿泊。駅ビル内で食事をしたが、外人客で混雑。寿司や海鮮関連の料理が多い。

25 居酒屋の前に置かれたエッチュウバイの貝殻

 居酒屋の前に富山の名物その名もエッチュウバイの殻がたくさん置いてあった。お願いして頂こうかとも思ったが、調理の関係か必ず穴が空いているのでやめた。帰ってからネットで調べたら、やはり尖った金属で太いところに穴を開けて身を取り出すのだそうだ。
 夜の軌道線の風景を撮影。

26 駅正面の三角線 2024.5.15

 左の南富山からの線と、右の県庁前方面を通る電車は、手前の富山駅駅に一旦入って方向を転換して行く。駅に入らないで左から右(またはその逆)に通過する定期便はない。前に来た時には朝1便だけあったのだが。

27 駅正面の三角線 地鉄ホテルから撮影 2024.5.16

 乗車料金は市内部分(軌道部分)均一で210円(全国ICカード)なのだが、富山地方鉄道独自のICカード「ecomyca」なら190円。私は前回富山に来た時(2015.4.24)に二種類を購入した。購入額2,000円(デポジット500円)で、使う機会もなかったから今回幾つか乗ってみた。
 均一料金なので、乗車時のセンサーは停留所にも車内にもなくて、降車時に運転席横でタッチする仕組み。ところが全国ICカードも使えるから別のタッチセンサーがあって戸惑った。運転士さんが「こっちこっち」と正しい方を教えてくださった。

28 ICカードの降車時センサー(黄矢印) 2024.5.16

 写真の中央にあるのがecomyca のセンサー。左のちょっと高いところにある箱が全国系のセンサー。富山地方鉄道は、カードの導入が早かったのが面倒の元になっているように思う。現在他の鉄道(つまりJRと「あいの風とやま鉄道」—何でこんなに面倒な名前が流行るのだろう?—)を含めて、ICOCAに統一する話が進んでいるらしい。

29 二種類のエコマイカ(ecomyca)2015.4.24購入

 ついでに、ICカードの利用がどのくらい確立しているかを見るために、駅に北側にある富山地方鉄道の乗車券案内所に行ってみた。そこで、「使用履歴は印字できるか?」と聞いてみると。機会にカードをセットして出力してくださった。A4の用紙に印刷された書類である。

30 プリントしてもらった利用履歴 2024.5.16

 チャージする機械では印字されないらしい。このように、同じようなシステムだが共通ではない。今回の旅行では、全国系のICカードを北陸では使用する機会が無かった。次に来る時があれば全部(北陸本線から移行した第三セクター鉄道を含めて、ICOCAの範囲としてすべて利用できるようになっているだろう。
 駅から少し離れたところにあるA店でお土産の鱒の寿司を購入。富山出身の知人に「キヨスクに出ているG店よりもお薦め」と言われたから。
 市内で立山の残雪が撮れないか探したが、天候が悪いのとビルが邪魔して撮れない。探している時に、発車時間の誤解があって、新幹線の「かがやき」にやっとのことで走り込んだ。直前に気づいてよかった。「かがやき」は全指定席である。この列車は大変乗り心地が良く、特に発車時にはほとんどショックを感じない。

古い本 その168 平牧動物群 3

2024年05月17日 | 化石
 Gomphotherium angustidensについて調べている。Osbornが図示した”holotype”はCuvier, 1806のPl. 1, Fig. 4である。

626 Cuvier, 1806 Pl. I

 Osborn, 1936の340ページに、「Mastodon angustidensのholotypeのレプリカ」という図がある。

627 Osborn, 1936. P. 340, Fig. 299. レプリカのスケッチ

 この図のキャプションに、「Cuvierの二つのレプリカのうちの一つ」としてある。さらに、「標本のサイズが116 mmと60 mmで、Cuvierの元記載と一致する」としているが、Cuvier, 1806では本文中にPl. 1, Fig. 4の標本のサイズとしてその数字を記しているが両者の歯の形態は全く異なる。たまたま数字が一致したのだろうか?これをholotypeとするわけにはいかない。
 これらのことから、Gomphotherium angustidens (Cuvier) はMastodon属、OsbornはTrilophodon属)の模式標本は、フランスのSimorre産出のものである。この場所は、イベリア半島の付け根の、最も幅の狭いところの、ちょうどマルセイユ近くの地中海と大西洋のビスケー湾の中間で、都市でいうとToulouseトゥルーズから少し西に行ったところ。地質時代は中新世中期。標本がいくつあったのかはわからないし、それらが同一個体かどうかも確認できそうにない。だから、Cuvier, 1806のPl. 1, Fig. 4標本は、Osbornが選んだlectotype とするのが良いのだろう。
 Gomphotherium angustidens の年代は日本のG. annectensの年代よりも新しい。最近の池袋などの化石ショーでは、ヨーロッパ産のGomphotherium angustidens の標本は必ず出品されている。

628 化石ショーで販売されていた標本1 2017.12.03 池袋

629 化石ショーで販売されていた標本2 2017.12.03 池袋

 化石商の方のお話では、牙(これはあまり販売されていない)の太さに二形があるようで、雌雄差であろうということだ。このことが岐阜県の標本に当てはまるなら、(幼い個体ではないから)番上同のホロタイプ(頭部)は雌である可能性が高い。のちに報告された下顎はそれと同一個体と推測されるから同様である。
 次に、Gomphotherium 属の命名について調べると、その文献は次のもの。
○ Burmeister, Hermann, 1837. Handbuch der Naturgeschichite zum Gebrauch bei Borlesungen entworsen. I-xxvi, 1-858.(講義のための博物学ハンドブック)

630 Burmeister 1837 タイトルページ

 ご覧のように「ひげ文字」の印刷物である。「自然史」全体の講義の材料というので、非常に広範囲の話が出てくる。そこで関係部分に絞りたいのだが、このひげ文字はOCRで読み取れない。いろいろと探して、795ページから始まる§775「Pachydermata」(厚皮動物)にあった。このセクションには次の項目が含まれる。
6. Fam. Proboscidea.
   小項目 Elephas (Elephant)
       Mastodon  関係部分
7. Fam. Genuina
7A. Gattungenn mit Rüssel 吻のある諸属
   小項目 Tapirus バク
7B. Gattungenn ohne Rüssel 吻の無い諸属
   小項目 Hyrax ハイラックス
       Rhinoceros (Nashorn) サイ
       Hippopotamus カバ  以下略
 この構成は、先のCuvier, 1817と少し順序が違うだけでほとんど同じである。 850ページ以上のこの本のうち関係のあるのは「Mastodon」のたった5行、しかも前3行はアメリカのオハイオ州のMastodontというのだからおそらくMammutに関する記述。従って「Stotzzähne beiden Kiefern belatz die gleichfalls untergegangene Gatt. Gomphotherium」(Gomphoterium属も絶滅属で、両方の顎に牙があった。)というのが、この属の最初の公表らしい。図も無いし標本の指定も産地もない。もちろん二名法では無い(といっても「属である」とは言っている)し模式種もない。好意的に見れば「両方の顎に牙がある」というのが上下の顎にそれぞれ複数という意味らしいから、この類の特徴を書いてあることにはなる。
 ところで、Osborn 1936 の文献リストにBurmeister, 1837 が出てくるのだが、「オリジナルを入手できなかった」としてある。オズボーンが入手できなかった古い論文を私は数十分のネット作業で手に入れることができたのだ。以上の調査の結果を記す。
Gomphotherium 属 Burmeister, H., 1837. 
模式種 Mastodon angustidens Cuvier, G. 1817 Simorre, France. 中新世中期

古い本 その167 平牧動物群 2

2024年05月05日 | 化石
 日本の長鼻類で一番古いGomphotherium annectensに関連して、ヨーロッパに多く産出する近似種Gomphotherium angustidensについて調べている。この種類が書かれている論文の中で最も古いのが次の論文。
○ Cuvier, Georges, 1806. Sur Différentes du Genre des Mastodontes, Mais d’espèces moindres que celles de l’Ohio, trouvées en plusieurs lieux des deux continens. Annales du Muséum d’histoire naturelle, par les professeurs de cet Établissement. Tome 8: 401-424, pls. 66-69. (二つの大陸の幾つかの場所から見つかったオハイオのもの以外のMastodon類の違いについて)

623 Cuvier, 1806. ジャーナルのタイトル

 Cuvierの論文はたいていの場合見出しが少なくて、出てくる場所を見つけるのが面倒だが、Osborn 1936では、412ページとしている。ただし、それは「Mastodonte à dents étroites」(幅の狭い歯を持つマストドン)としてあり、Osbornはそれが(後に)M. angustidens と命名されるという意味で文献リストに記したようだ。長い文章の他のどこかでangustidensを使っているかもしれないが、少なくともここではない。そんなわけで、この論文はGomphotherium angustidensの種の最初の記載ではない。なお、この論文は4枚の図版が付いているが、それについては後で調べる必要が出てくる。
 次の1817年のものが下記の論文。
○ Cuvier, Georges, 1817. Le Règne Animal distribué d’apres son Organisation, pour servir de Base a l’histoire naturalle des animaux et d’introduction a l’anatomie compartée. I. 8 vo, Paris. pp. i-xxxv, 1-540.(動物界: 動物の自然史の基礎として、また比較解剖学の初歩として、その組織に従って配列したもの)

624 Cuvier, 1817 タイトル

 表題でわかるように、教科書的・総説的な本である。Mastodon に関するところは、232ページから始まる。「Pachydermata」(厚皮動物)の項目中に「Les Mastodontes (Mastodon. Cuv.)という見出しがあって、233ページに「Le grand Mastodonte. (Mastodon giganteum. Cuv.) 」「Le Mastodonte à dents étroites. (Mastodon angustidens. Cuv. Soc. Cit.)」の二種類が出てくる。前者はアメリカに産するとしているのでMammutのことだろう。後者(幅の狭い歯を持つマストドン:Cuvier, 1806に同じ種類が出てきた)が後のGomphotherium angustidensを含む種類である。注目するのは、見出しの後半のカッコに入っているところは現在の二名法と同じ表記になっていること。臼歯の咬合面が「三葉型」になっているという、重要な指摘もあって、記載もあるといえば有る。この形は、Gomphotheriumなどの臼歯にある咬頭が、左右2列あって、さらにその中間やや後(または前)に少しだけ小さい咬頭があるので、磨り減った時にできる形のこと。Mammutでは咬頭が丸くなくて多少屋根型に(左右に)伸びていることからちょっと違う形ができる。
 そこで、この記述がangustidensの初出と考えるのがよさそうである。ほかの可能性もあるので、ご存知の方は正しい命名をご教示いただければ幸いである。ただ、この論文では標本の指定がなく、また図もない。Osbornは、Trilophodon angustidensのholotypeとするものを2か所で図示した。
 一つは、252ページのFigs. 190と191である。

625 Osborn, 1936. P. 252: Trilophodon andustidensT. angustidens minutusのholotype

 この二つの標本の図は、前に触れたCuvier, 1806の4枚の図版から取り出したもの。当然この時には種名を出していないのだから、Cuvier, 1806がホロタイプだということにはならない。左はCuvier, 1806のPl. 1, Fig. 4で右はPl. II, Fig. 11である。
 右の亜種名は、この際追跡しないことにして、左の標本について調べてみよう。Cuvier, 1806の4枚の図 (pls. 66-69:別系列の名前が付いていて、Pl. I – Pl. IV)は、全部で30個ぐらいの標本を整理しないで並べたもの。図のタイトルは「Difers Mastodontes」(各種のマストドン類)となっている。「図版説明」といった項目はなく、本文中に別の順序で出てくる(一部は本文に出てこない)。全部で35のFig. があるが、いくつかは同じ標本の別の方向から見た図である。また地域的にも多様である。表題に「北アメリカの長鼻類以外の」とあるが、南アメリカとヨーロッパの標本である。南アメリカのマストドンというのは、Stegomastodon, Cuvieronius, Hoplomastodonの3属で、5標本ほどが示されている。他に脛骨などの歯以外、産地が記述されていないものを除くと、18個の歯の標本がある。Cuvierはこれらを4つのカテゴリー(それに北アメリカの種類)に分けたが、ここでは種として命名していない。

古い本 その166 平牧動物群 1

2024年04月21日 | 化石
 恐竜の古い論文に興味を持ったために、「古い本」シリーズの本来のテーマからはずれて随分別の道を進んでしまった。一旦分岐点に戻って私が以前入手した化石論文コピーの紹介をしよう。古い方から紹介してきて、「古い本」82で、Desmostylusの話に区切りをつけ、Gilmoreの亀の論文に入ったところで恐竜の迷路に踏み込んでしまったのだった。1910年ごろに戻ることになる。古い論文を紹介して、それに関連するものを列記していくことになる。目標は今から100年前まで。1910年から1925年ごろまでだからそれほど多いわけでもない。
 それに入る前に、最初の頃の「古い本」引用の形式がいい加減なので、ここでちゃんとした形で示しておく。
古い本 その6(2020.5.7)
○ Matsumoto, Hikoshitiro, 1926. On two new Mastodonts and an archetypal Stegodont of Japan. Science Reports of the Tohoku Imperial University, Ser. 2, vol. 10, no, 1; 1-11, pls. 1-5.  (日本産二種のマストドン類と一種の古形のステゴドン類新種)(Gomphotherium annectens関連)
古い本 その8(2020.5.19)
○ Makiyama, Jiro, 1938. Japonic Proboscidea. Memoirs of the College of Science, Kyoto Imperial University, Series B, 14(1): 1-59.  (日本の長鼻類)(Gomphotherium annectens関連)
古い本 その17(2020.7.28)
○ Shikama, Tokio, 1966. Postcranial Skeletons of Japanese Desmostylia. Plaeontological Society of Japan Special Papers, No. 12: 202 pp. (束柱類の体部骨格) (Desmostylus japonicus, Paleoparadoxia tabatai関連)
古い本 その18(2020.7.28)
○ Shikama, Tokio, 1966. On Some Desmostylian Teeth in Japan, with Stratigraphical Remarks on the Keton and Izumi Desmostylids.  Bulletin of the National Science Museum, vol.9, no.2:119-170, pls.1-6. (日本産束柱類数種の歯と気屯と泉の束柱類の層序学的指摘)(同上関連)
以上 改訂する。

 ここから岐阜県の瑞浪層群・平牧層群の中新世脊椎動物群に関連する論文を幾つか挙げる。まずはこの論文。
○ 佐藤傳蔵, 1914.  美濃産古象化石に就て.  地学雑26(30l): 21-28, pl. 2.
 岐阜県可児郡御嵩町上之郷から産出した長鼻類化石について記したもので。日本の中新世長鼻類の最初の報告である。著者の佐藤傳蔵(1870-1928)は、1898年から東京高等師範学校教授として、地質学・鉱物学を教えた。研究対象は非常に広く、資源や温泉、さらには考古学的遺跡の調査も行った。
 論文の主内容は、1913年11月に東京高等師範学校本科博物学部二年生の修学旅行で訪れた東濃中学(現在の東濃高校)に保存されていた長鼻類化石を見て、その所見を述べたもの。「予の浅学なると本邦に於ては這般(これら)の化石に関する文献に乏しきと、且修学旅行の都合上旅程を急ぎし為め其の観察の頗る疎漏なるとにより・・」と謙遜しているが、内容は現在から見ても的を得ている。佐藤はこの象の種類については「Tetrabelodonに属する者の如し」として、属の推定に止めている。そして、アフリカに祖先を持つこの類が、中新世の初めにユーラシアの東端の日本にまで分布を広げたことを強調している。この標本をどの属に含めるのかについてはその後多くの研究者が変更を重ねて混乱していたが、現在は統一された見解がまとまってきている。
 文末に、標本の斜め写真がある。

620 佐藤, 1914. Pl. 2. 上之郷産の長鼻類上顎(口蓋側)

 この標本は現在瑞浪市化石博物館に所蔵されている。現在の取り扱いは、Gomphotherium annectens (Matsumoto) である。学名の変遷については「古い本 その6」(2020年6月7日)から「その8」(2020年5月19日) でくわしく記したので、繰り返さない。この日本の種類はヨーロッパのGomphotherium angustidens (Cuvier) を代表とする多くの種のうち最も東から報告されている。
 そこで、G. angustidensの命名の経緯を調べておこう。この種類は、先にMastodon 属の中に種名が命名され、あとで属名が変更された。論文の年代順に見ていこう。長鼻類の命名史を調べるのなら、下記の論文に頼るしかない。
○ Osborn, Henry Fairfield, 1936. Proboscidea: A Monograph of the Discovery, Evolution, Migration and Extinction of the Mastodonts and Elephants of the World. Vol. 1. Moeritherioidea, Dinotherioidea Mastodontoidea. American Museum Press, New York. (長鼻類)
 2冊に渡る著作で、今回関係があるVolume 1の最後のページは802ページ、最後の文中図はFig. 680 (!)という大きな数字である(vol. 2はvol. 1から通しの数で、最終ページは1,675、最後の文中図はFig. 1,244。Vol. 2には30 Platesもある)。

621 Osborn 1936. Proboscidea カバー

622 Osborn 1936. Proboscidea Volume 1. Title

 関係するTrilophodonの部分はvol. 1の249ページから始まる。参考文献も豊富で、しかもリストの各論文に、その論文で現れる新属・新種などとその登場するページも記してあるから、今回のように命名史を調べるのに都合が良い。注意しなければいけないことは、各論文の年号のところで、例えば次にここで解説するCuvier, 1806年のものには「1806.3」と書いてある。これは1806年3月の意味ではなく1806年の3番目の意味である。現代ではこういう場合には「1806a」のようにアルファベットを付す。
 この著者はよく知られているように非常に細かく分類する手法で、読破は難しいが、幸いなことにここで知りたい種類は模式種など筆頭に出てくるものだから、見つけやすい。

古い本 その165 ドーバー海峡のトンネル 追記 下

2024年04月10日 | 化石

 参考のため、日本の学術誌で最近話題の植物学雑誌は1887年の創刊。ここで調べたのは私に関係する地質学関連で、最も古い学術誌は地質学会の「地質学雑誌」(1893年創刊)ではなく、地学雑誌(1889年創刊)が先。それより前に「地学会誌」(創刊号:1884?、2号1888)というのがあるようだが、入手できなかった。

616 地学雑誌創刊号 1889 本文最初のページ(上半)

 上のページは地学雑誌の最初の部分で、著者は小藤文次郎(1858−1935)。東京大学の地質学者。
 地学雑誌・地質学雑誌とも、最初の頃のものには解説書のようなものを除くと化石関連の記事は少ない。地質学雑誌で最初の化石関連の記事が次のもの。
⚪︎ 神保小虎, 1894. 北海道第三紀動物化石畧報. 地質学雑誌. Vol. 2, no. 14: 41-45.

617 地質学雑誌 Vol. 2, no. 14. P. 41.

 文頭に、地名表記に関する但し書きがある。「文中北海道の地名に限り余が立案の「補欠かな」を用ゆ. 其他異国語にカカル名刺は原語を加フ、化石名にはかなを附せず所謂補欠かなとはカナを右に寄せてかなの母音を失ひたるを示す.縦令ばShakを「シャク」と書くの類なり.」(原文はカタカナ主体。一部句点を加えた。)「補欠かな」がよくわからないが、他で使われた例を知らない。実際に出てくる北海道あたりの地名は、カラフト・カムチャッカ・アリュート・モーライ驛・ポロナイ炭山・シャマニ ぐらい。23件の文献が記してあるが、すべて外国の論文であり、「其他の書籍は種属の」リストに示すとしている。58種の軟体動物化石学名がしるしてあるが大部分は属名だけ。18種に対して種名またはaff./cf.名が出ている。その18種には命名者が記載されている。当然外国の研究者の命名であるが、次の3種だけはYokoyama(横山又次郎)の命名した種である。 <5 Nucula poronaica. 6 Venericardia compressa 29 Tapes ezoensis> これら3種の記載が掲載されたのは次の論文であるが、神保の論文には出典が書かれていない。
⚪︎ 横山又次郎, 1890. 本邦白亜紀動物群要論(承前). 地学雑誌, vol. 2, no. 14:57-62(no. 14となっているが、これは通算番号で、ネットのアーカイブでは巻ごとに更新してno. 2としている。)
 この論文の58ページにこれら3種が「新種」として出てくる。いずれも幌内石灰岩(または幌内石灰岩球産)である。その地層の年代については「白亜紀に属するや蓋し疑を容れず」とし、さらに有孔虫の種類をヨーロッパの白亜系のものと比較しているから、横山はこの種類の年代を白亜紀と考えていたようだ。ところが4年後の神保の研究では鮮新世と考えているようだから、ずいぶん違う。なお、神保はこれらの種の標本をベルリンで弁別したという。標本はMunch Museumにあると、「Databese」にも書いてあるのだが....。「Database」としたのは次の論文。
⚪︎ Ogasawara, Kenshiro, 2001. Cenozoic Bivalvia. In Edits. Ikeya, N., Hirano, H. and Ogasawara, K., The database of Japanese type specimens described during the 20th Century. Special Papers, Palaeontological Society. No. 39: 223-373.
 この論文にもちろん上記の3種類が出てくる。ところが初出論文はYokoyama, 1890 としながら、雑誌名の引用は「Palaeontogr., vol. 36, nos, 3-6」としているのだ。それが次の論文。
⚪︎ Yokoyama, Matajiro, 1890. Versteinerungen aus der japanischen Kreide. Palaeontographica. Beitraege zur naturgesichte der Vorzeit. Band 36: 159-202, Taf. 18-25. (日本の白亜系からの化石)
 確かにここに記載があって、その各種名見出しに「n. sp.」 としてある。この号は二冊に分けて発行されていて、該当する部分の表紙に「1890年3月発行」という日付が記されている。一方地学雑誌の方は、各ページに「明治23年(1890年)2月25日發兌」という柱がある。「發兌」(はつだ)は発行のことだからこちらが1月違いで早いことになるが、記載もないからOgasawaraがドイツの方を新種の提示としたのは妥当だろう。ちょっと気になるのは地質年代を誤っている点である。幌内層は1901年矢部の命名だから、横山の論文の時代にはまだ定義されていないが、現在は始新世頃の地層とされる。

618 Yokoyama, 1890. p. 163

 上の図は、Yokoyama, 1890のp. 163 に掲載されている「蝦夷の地質図(B. S. Lymanによる)という図。Benjamin Smith Lyman(1835−1920)は「お雇い教師」の一人でアメリカ人で専門は鉱山学。この図はデジタル化の問題のためかよく見えない。左上の凡例は、上から「新旧の沖積層」「新期火成岩」「利別層」「古期火成岩」「Horumui層」「神居古潭層」で、たしかに上ほど新期の地層のようだ。凡例があるのだが、どこがその区分かわからない。細かい線は走向だろうか。いずれにしても、白亜紀層をそれよりも上位と区別する気持ちは見えない。「Horumui層」は不明。1966年に命名された中新統幌向層かもしれないが、時系列が合わない。
 日本の古いジャーナルという横道を長く辿ってきたが、あまり私の興味ある方向に進んでこない。最後に一つだけ眼をひいた文献を紹介してこのテーマから離れよう。それは地質学雑誌の1898年の号にある次の論文。
⚪︎ 矢野長克, 1898. 東京近傍第三紀介化石目録. 地質学雑誌. Vol. 5, no. 58: 387-395.

619 矢野長克のミスプリント

 著者名はもちろん「矢部長克」のミスプリントであろう。矢部長克(1878-1969)は、この論文の1898年に20歳になるのだから、東京帝国大学に在学中(1901年卒業)。学生なのだから名前が知られていなくても当然だろう。むしろこの年齢で学会誌に単著の論文が出る方が珍しい。雑誌中で(後に)この件についての正誤表があったかどうかはわからない。地質学雑誌のネット上のアーカイブは、一冊全部をディジタル化したものではなく、論文別だからそういう事務局の?記事は出てこない。どこかに正誤表があったかもしれない。幸か不幸かこの論文には新種記載はない。内容は、東京付近の多くの地点の貝類化石の種名リストである。地点別に番号が付いていて、重複があるだろうが述べ169種に上る。ただし最初の3地点は他の論文にあるとして省略されている。うち70種ぐらいは種名まで書いてあるが、すべて外国人によって命名されたものである。