OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

最後の蒸気機関車たち その77 1972年9月

2014年04月29日 | 最後の蒸気機関車
最後の蒸気機関車たち その77 1972年9月
The last steam locomotives in Japan. No. 77 (Sep. 1972)


倶知安駅での撮影。


404N 倶知安駅 1972.9.12 79616 胆振線1890列車
404-406: Hakodate line, Kucchan Station, Hokkaido.


405N 倶知安駅 1972.9.12 79616 胆振線1890列車


406N 倶知安駅 1972.9.12 79616 胆振線1890列車

79616は、1976年3月に最後の機関車の一つとして廃車、後に日高町のホテルで保存されている。
北海道旅行も最後の部分にさしかかり、再び大沼公園にやってきた。


407N 大沼公園付近 1972.9.12 D52-136?
407-408: Hakodate line, near Onuma-Koen Station, Hokkaido.
やってきた機関車の炭水車には大きく白いペンキで文字が書き込んである。「反弾圧号 動力車五稜郭」当時国鉄の労組問題はかなりこじれていたが、このような書き込みをするほどにまで気持ちが荒れていたのだろう。D52-136は、五稜郭所属だったので番号は正しいのだろう。1973年5月に廃車。


408N 大沼公園付近 1972.9.12 D52-136?

登場蒸機 9600(写真404~406)D52(写真407・408)

2020.6.20 写真を入れ替えた。番号の後に「N」が付いているのが改善した写真。

Trivial database of a retired curator, OK.


孔子鳥化石産出地をたずねて その5

2014年04月25日 | 昔の旅行
孔子鳥化石産出地をたずねて その5 事前の情報
Visit to the Locality of Confuciusornis: Part. Circulation.

 概要を読んでみると、学会はSAPE = Society of Avian Paleontology and Evolution と呼ばれ、会期前と後の二つの巡検があり、前巡検は孔子鳥産地などの遼寧省をまわるもの、後のは四川省などの恐竜産地を回るものであった。2月に京都大学を訪れる機会があり、S教授とSAPEの話になった。孔子鳥の産地を訪れる巡検が魅力的であるという点で意見が一致し、参加を勧められた。さらに、値段は高いが西苑ホテルに宿泊するのが便利であると、具体的な話に及んだ。ちょうどこのころ、手元に少しお金があったこともあって、参加したいという気持ちが出てきた。北九州に帰って、連絡先にメールをいれ、さらに情報を集めた。当時、今のようにメールを多用することはなかったのだが、この学会の通知や連絡はほとんどメールで行われた。外国からの参加者61件(複数人が含まれている連絡先もある)のうち、メールのないところは5件にすぎない。これからの学会にはこういった方法が主流になるに違いないと感じたがその通り、以後の国際学会ではメールだけが連絡方法となった。前回のSAPEの記録が印刷されていたので、図書室で探してみると記念写真があり、そのメンバーの中にはニュージーランドのフォーダイス(R. Ewan Fordyce)博士(北京には不参加)など知った顔もある。この印刷物はカリフォルニアのロスアンジェルス郡立博物館の発行したヒルデガルド・ハワード(Hildegard Howard)博士の記念出版物であったが、彼女は前回のSAPE後に亡くなった方で、北九州に産出するプロトプテルム類の提唱者である。現在この類の研究をしているオルソン(Storrs Olson)博士=スミソニアン=はアメリカの鳥類関係の古生物の学会の会長でもあり、今回出席されるようだ。


8 オルソン氏。右の顔がカットされているのが私。2000.6.1 IVPPで撮影
8 Dr. Storrs Olson


最後の蒸気機関車たち その76 1972年9月

2014年04月21日 | 最後の蒸気機関車
最後の蒸気機関車たち その76 1972年9月
The last steam locomotives in Japan. No. 76 (Sep. 1972)


9月12日の目的は、函館本線の山越えをする蒸機牽引の普通列車に乗ること、それに胆振線の蒸気機関車を撮ること。


399N 函館本線小沢駅 1972.9.12 79615
Hakodate line, Kozawa Station, Hokkaido.
79615は、1974年7月に廃車、その後倶知安に保存されている。


400N 函館本線倶知安・小沢間 1972.9.12 D51-340
Hakodate line, between Kucchan and Kozawa Statons, Hokkaido.

D51-340は、1973年11月に廃車。


401N 函館本線倶知安駅 1972.9.12 D51-857
Hakodate line, Kuchan Station, Hokkaido.

このD51はよく見ると排煙板につばめのマークがある。もちろん本家つばめマークのC62ではない。この時代にはマークを書き込んだ機関車が複数あった。D51-857は、1975年3月に廃車。


402N 胆振線六郷・倶知安間 1972.9.12 79616 1891列車
402-403: Iburi line†, between Rokugo† and Kuchan Stations.


403N 胆振線六郷・倶知安間 1972.9.12 79616 1891列車

うまく羊蹄山をバックに撮影できた。倶知安駅に戻ってさらに撮影した。なお、胆振線は室蘭本線の支線という形なので、下り列車が倶知安に入ってくる。
登場蒸機 9600(写真399・402・403)D51(写真400・401)

2020.6.20 写真を入れ替えた。番号の後に「N」が付いているのが改善した写真。

Trivial database of a retired curator, OK.

孔子鳥化石産出地をたずねて その4

2014年04月17日 | 昔の旅行
孔子鳥化石産出地をたずねて その4 参加のきっかけ
Visit to the Locality of Confuciusornis: Part4. Why I became to attend the congress.

 5月28日早朝、ロビーの一角のレストランで朝食をとる。食事はバイキング形式の西欧式のもので、トーストと紅茶がおいしい。シンポジウム参加者らしい人が何人か見える。前もってメールで送付された参加者名簿によれば日本からの参加者は全部で5人、前述の金子氏と私のほか、群馬の大御所H博士(以下ではH先生)、化石コレクターのT医学博士(以下ではT先生)、京都大学の若いM博士(以下ではMさん、年下なので失礼して。)である。この中でこの学会に参加経験があるのはH先生とMさん。5人ともシンポジウムの他に今日から3泊4日の計画で開催される巡検に参加する。私などはむしろ巡検のほうが主目的で、中国遼寧省の「孔子鳥」産地、そして有名なリコプテラ化石の産地が実見できるチャンスとして期待が大きい。外国からの参加者達も多くはこの巡検に参加したようだ(前もって配信された名簿では、外国参加者78名中、前の巡検参加者52名)。これに対してシンポジウム後の方の巡検は不評で、5人ほどしか希望者が無かったと後で聞いたが、実施されたのか分からない。では、学会のメンバーでもない私がなぜこのシンポジウムの存在を知ったのか、そしてどんなことがあってこの集合場所にたどり着いたのかふりかえってみよう。
 日本古生物学会の2000年例会は、1月の末に東京で開催された。会場の早稲田大学国際会議場で、中国南京古生物研究所の陳丕基(Chen Piji)先生と会った。陳先生は、以前北九州で化石の展示会を開催したときに来訪をいただき、お話をした方で中生代のエステリアの分類がご専門である。


7 陳丕基氏 2000.5.31 北京で撮影
7 Dr. Chen Piji

 先生は「今年北京で鳥のシンポジウムがあるから参加しないか」と私に強く勧められる。しかしかかる費用も大きいだろうし、鳥は専門でもなく、このときには参加する気は全く無かった。ただ講演要旨などが読みたかったので、情報だけは取っておこうと、国立科学博物館のTさんにお願いして、連絡先のEメールアドレスとサーキュレーションを入手することができた。


最後の蒸気機関車たち その75 1972年9月

2014年04月13日 | 最後の蒸気機関車
最後の蒸気機関車たち その75 1972年9月
The last steam locomotives in Japan. No. 75 (Sep. 1972)


栗山駅付近で撮影の後、万字線に乗車した。岩見沢に戻って野幌の北海道開拓記念館を見学。その後どこかで一泊した。9月10日には然別湖畔に泊まった。


394N 岩見沢? 1972.9.9 D51-38
394-395: Hakodate line, Iwamizawa Station?, Hokkaido.

D51-38は、1976年3月に廃車。


395N 岩見沢? 1972.9.9 C57の火室

運転台に乗って、燃える石炭を撮影。こんな所にまで入らせてくれたらしい。


396N 帯広駅? 1972.9.10 59672
396-397: Nemuro line, Obihiro Station, Hokkaido.


397N 帯広駅? 1972.9.10 59672

この2枚の写真は、然別に行く前だから、たぶん帯広駅で撮影したのだろう。9600型の銘板では、このように96部分の両側の空いているものがある。9600型であることを強調しているのだろうか?59672は、1975年6月に廃車後、新得のホテルに使われていたが、ホテルは廃業して展示は継続されている
然別では、然別湖の反対側にあるもう一つの湖、東雲湖(しののめ)をボートで見に行ったり、南にある白雲山に登ったりした。11日には十勝川堰堤のサケ漁を見学した。
9月12日には、函館本線の小樽を出て上りの普通列車に乗った。


398N 小樽駅 1972.9.12 D51-340
Postal transportation, Hakodate line, Otaru Station, Hokkaido.

小樽駅では蒸気機関車に交換される様子を撮影。手前では郵便の積み込みが行われている。郵便車が付いた列車はかなり多かったし、積込風景もよく見られた。D51-340は、1973年11月に廃車。
登場蒸機 D51(写真394・398)C57(写真395)9600(写真396・397)

2020.6.20 写真を入れ替えた。番号の後に「N」が付いているのが改善した写真。

Trivial database of a retired curator, OK.